FC2ブログ

鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

風立ちぬ~今は秋OR冬?③

石勝線の魅力はなんだろう?と自身に問うた場合、やはり新夕張~新得間は物凄い秘境地区に踏切無し、高規格線路、スノーシェルターと開業時当時の最新設備を投入した斬新の路線であり、その目的は札幌と道東アクセスを主題としたものである事がどうも私を惹き付けるみたいだ。
しかしながら計画された当初は紅葉山(現在の新夕張)から占冠を通り根室本線の金山に抜ける通称「紅葉山線」と日高町(国鉄時代の富内線、現在は廃止)から占冠を通り新得ぬける通称「狩勝線」の組み合わせで、両者の一部を具現化し現在の目的に変更し敷設された路線であることは周知の通りである。

simukappu6.jpg
国鉄時代の敷設計画が本気で進んでいたら大きな要衝になったであろう占冠。2面3線のホームは時刻表を見る限り旅客列車の交換は皆無であるが、貨物列車との交換風景は見れるのであろうか。


ご覧の通り、計画通りに敷設されていれば占冠が大きな拠点となっていたのは明白で、富良野辺りから占冠を通り日高町を経由して苫小牧へ出れば室蘭方面へのルートが確立する。もちろん、旅客輸送のみを目的に計画されたのではない事は誰がみても明白であろう。
ただ、石勝線の中でも重要なポイントとなるのが「トマム」の存在である。まさか先代が石勝線のルートを決める際にトマムが今のような一大リゾートとなり要衝となるとは考えもしなかったであろう。そのトマムからは現在でも本数は少ないながら金山と結ぶ路線バスが発着する。現在、根室本線の一部区間が不通になっていて、不通区間を含め廃止の案が出ているが、もし代行バスを走らせる場合金山から落合、新得と鉄道路線に忠実になるよりも金山からトマムに向かわせた方が実態にあっているではないか。実際に富良野で観光しトマムに宿泊する又はその逆のバターンの観光客が少なくないと聞く。もちろん観光客的な需要は「水物」ではあるが、やはり落合付近からトマムに接続させる方が実用的である。

DSCF1933.jpg
私には「石勝高原」のイメージが強い駅舎風景のトマム。こちらの駅舎からの利用者は年間で何人いるのか不明だが、実は駅前から金山方面と占冠方面へ路線バスの運転がある!1日2本であるが、それでも素晴らしい。

ところで今回、この石勝線の記事を書くにあたり「北海観光節」のホームページ管理人様より全面協力をいただいた。
そこには、オサワ地区に住む開拓部落の方々の苦労や自然との戦いなどが壮絶に記されていた。

オサワは漢字で長和と書く。室蘭本線に同じく長和と書いてナガワと読む駅があるので,こちらはカタカナになっている。長和は奥穂別,上穂別とも言われた穂別町の最奥部で,明治38年に最初の8戸が入地している。
集落の中心地は信号場よりも数km南にあった。地図で見ると,ただでさえ山奥の穂別から穂別川をさかのぼること20数kmというすごいところだが,この長和にしても山一つ越えた福山にしても,鵡川を上って入植した者は皆無で,皆紅葉山から楓峠を越え稲里を経由して入植している。しかし,紅葉山から入ったにしても長和から紅葉山までは8里(32km)余りの険路で,日用品の調達すらままならない状況であった。
入植者達は互いに助け合って困窮した生活をしのいでいたが,しだいに絶望感が漂いはじめたあるとき,楓のほうから汽笛が聞こえてきたという。「汽笛がこんな近くに聞こえるのだから,この山を越えれば鉄道が走っているのではないか!」。開拓民達は期待に胸を膨らませ,明治39年3月,さっそく探検隊を結成して山中へと入った。しかし,人跡未踏の山の中である。背丈より高い藪に覆われ見通しはまったくきかず迷うこと3日,とうとう駅を発見できないうちに食料が尽きて村に引き返した。
これにも屈せず,隊員を4名から6名に増強して再度山に分け入り,探検すること4昼夜におよんだが,またも方向を失い食糧も尽きて,一行は大木の下に腰を下ろして茫然とした。しかし天は彼らを見放さなかった。そのとき汽笛一声虚空を破って響きわたり,一行は息を吹き返して山をすべり降りた。そこは楓炭鉱で,炭鉱事務所を訪問し事情を話したところ厚く歓迎され,楓に来たという証明書を書いてもらって村へ持ちかえったという。
すぐに部落民総出で道路開削工事に取り掛かったが,測量中に道を失うなど難航に難航を重ね,馬も通れる道ができたのは4年後のことであった。

「北海観光節」の文章をそのまま引用させていただいたが、ご覧の通りいかに壮絶だったかがものすごい勢いで伝わって来るではないか。楓方面へ道を切り開く姿などまさに時代を感じるが、現在ほど重機や道具等が発達していなかったのだからなおさら苦労が多かったに違いない。まさに命懸けの開拓である。

DSCF1986.jpg
DSCF1988.jpg
「新登川」として旅客駅の予定であった東オサワ信号場、とここで記して、その存在がお分かりいただけたであろうか。写真中央の白い小さな看板で「東オサワ」と表記されているが、もし旅客駅として開業していた場合、この階段を登るようなイメージで作られたのであろうか・・・

だが、時間が経過し時代が変わると高速道路が開通し石勝線も、夕張線を編入し紅葉山(新夕張)~新得が新規開通し先代の思い描いていた以上の交通手段か確立された頃にはそこに生活はなかった。つまり石勝線に信号場が多いのはこうした背景によるものがほとんどだが、そのなかでも占冠はよく現代シーンに残ってくれているものだと逆に感動してしまう。そしてトマムがリゾート地として脚光を浴び、紆余曲折はあったもののこうして今も活躍しているとは先代の頭の中には構想の欠片もなかったであろう。

北海観光節」のホームページ管理人様、ご協力ありがとうございました。この場を借りまして、心より感謝させていただきます!


にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道乗車記録へ
にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

鉄道全線完全制覇の旅
スポンサーサイト



風立ちぬ~今は秋OR冬?②

1983年秋、初めて北の大地を踏みしめた私は、同年の夏に中学三年生で東北一周の旅を経験したせいか、ひとまわり自分が大きくなったような余裕があった気がした。
東北ではトラブルの連続で、事前に立てた計画の原型がかなり崩れて即興で事態を修復する…そんな経験を積んだための、北海道では適応能力が身に付いた故の余裕だったのかも知れない。結果的に北海道の旅は100%事前計画通りに進んだが、むしろトラブルを望んでいたのかも知れない。

simizusawa16.jpg
2014年訪問時の清水沢。もちろん「三菱」の姿はないが面影があるのはなんともノスタルジー。ホームと駅舎を結ぶ通路の長さが石炭時代の盛栄を無言で語りかけていた。

そんな中での石勝線初訪。まだまだ「夕張線」のイメージが強く、新夕張~新得イコール石勝線のイメージであったが、考えてみたら既存の追分~新夕張間も改良され新夕張~新得間と同等の規格になっているのだから、千歳空港(当時)~追分間も含め石勝線でよかろうと思う。ただ、新夕張~夕張間を「石勝線」としたのは個人的に疑問が残るのだが皆様はどうお考えであろうか。
結果、本線から「支線」に転落した新夕張~夕張間であるが、まだ当時は「三菱石炭鉱業」が清水沢で接続していたのだから時代を感じる。

kaede10.jpg
こちらも2014年に訪問した時の楓の超有名アングルである。信号場に格下げされて10年が経過したが(当時)、駅舎こそ無いものの普通列車専用の独立ホームと本線上の旅客ホームは未だ健在であった。ただ、中線は撤去され本線上のホームへの通路は固く閉ざされていた。右側の道路は旧登川支線である事は周知の通り。

1983年の初訪は苫小牧から夕張線、いや、石勝線直通の夕張行きに乗り夕張を目指したが、この列車は石勝線開通前から設定されていた「夕張線」の名残を留めたダイヤであった。私は初代夕張駅を経験したが、正直言って夜の時間帯だったため駅風景を確認する事は難しく、それこそ「立ち寄った」に過ぎなかった。ただ、最初で最後であるが現役時代の楓を経験できてある意味貴重であったろう。ただ、欲を言えばスイッチバック時代の楓を経験してみたかったという贅沢な思いもある。しかしながらスイッチバック時代の楓を知る者は、登川支線の楓がまさか本線上の駅に、そして信号場へと変化するとは誰も思わなかったであろう。

yuubari-55-2A.jpg
「紅葉山」の現役時代である。現在の道の駅とその駐車場付近よりやや西寄りにあった。1983年に私が訪問した時はレールがはがされホームのみの残骸があった(写真は「昔訪ねた気動車ローカル線」のHP<現在は閉鎖>を管理していらっしゃるミックスマテリアル様提供)。

そんな石勝線の「本線」であるが、今でこそ信号場であるオサワ地区にはもの凄く壮絶な逸話がある。その辺りは次回に紹介したいと思うが、まさに開拓部落の方々の命懸けのドラマがそこにはあった。
にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道乗車記録へ
にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

鉄道全線完全制覇の旅

風立ちぬ~今は秋OR冬?①

風立ちぬ~今は秋。今日から私は心の旅人・・・というよりこの記事がアップされる頃にはほぼ冬の域に足を踏み入れている事であろう。
ところで、私が日本で一番好きな鉄道路線は石勝線であり、しかも新夕張~新得間であることは再三に渡りこのブログにてお伝えしてきたが、この意見にどれだけの方が協賛、そして賛同してくれるであろうか。もちろん魅力的な鉄道路線は他にもたくさんあり、そして人気のある路線も少なくない。ただ「一番というと…」という声も少なくないであろう。
ではなぜ私がこれほどまでに石勝線に魅力を感じているのか、この章を通じて皆様に少しでもご理解いただけたら幸いである。

img074_convert_20121222143317.jpg
1983年10月訪問時の新夕張。紅葉山から新夕張に改称されて2年が経過しているが、訪問当時の私は新しい「夕張線」を実に肌で感じた気持ちであった。駅前を散策したところ、現在の道の駅の場所に旧・紅葉山のホームなどの残骸がしっかり残っていた。

さて、ここで石勝線についていろいろ述べていくが、細かい歴史や沿革についてはウィキやその他鉄道誌に記載されている内容をダラダラト復唱する気は毛頭ない。というよりその辺りはそちら方面にお任せして、ここでは私の個人的意見や実際に訪問して感じた事をメインに綴りたいと思う。

私が石勝線に最初に訪問したのはこのブログにて再三に渡り紹介している1983年10月の事であった。メインテーマである白糠線廃止情報を受けての乗り収めに参戦する事であったが、夕張線から改良された石勝線誕生は私にとってもの凄く斬新な出来事で、特に新夕張~新得間はなぜか物凄く興味をそそられた。また、炭坑路線であったローカル線に一躍特急列車が走るとは実に画期的で、更には楓の普通列車独立ホームや連なる信号場や超秘境を走るのに当時としては最新の鉄道技術を駆使し道東アクセスとして最大の貢献をするなど、当時発行の鉄道ジャーナルや鉄道ファンなどくまなく読みいつか訪問したいと目をギラギラさせていた。
特に占冠や石勝高原(現、トマム)には実際にホームに降りたい!と中学生ながらに思っていた。

sinyuubari12.jpg
紅葉山から劇的に変化した新夕張。2014年訪問時に撮影したものなので、移転開業から実に33年が経過していたのだが、老朽化が見え隠れする場面を目の当たりにすると、開業当時の華やかさが嘘のように思えるのは気のせいか・・・

実際に下車できたのは1994年1月にトマム、占冠に至っては開業から33年経った2014年に下車というよりレンタカーでの訪問が事実上初であった。33年と言えば生まれた娘が33歳になったという事になるが、それほどの年月が経った事になる。開業当時は最新技術であった鉄道設備も、この時訪れた時には既に老朽化の入口に入りかけていた印象であった、くらいの時間が経過した事になる。にも関わらず石勝線への思いは殆んど変化がないのは自分でも面白いと思う。もちろん石北本線や宗谷本線など魅力たっぷりの路線はあるし、芸備線や、もっと言えば廃止された清水港線なんて大好きな路線でもある。しかしながら石勝線はそれらより群を抜いて強烈に私にアピールしてくるのはなぜだろうか。そんな思いが6年前(2020年現在)、石勝線のレンタカーでの訪問に結びついてくるわけであるが、特に東オサワ信号場他、各信号場への訪問が実現した事は人生で最大の部類に入る嬉しさを感じた。

DSCF1983.jpg
2014年訪問時の東オサワである。もちろんであるがレンタカーでの訪問で、ご覧の通り「野生」「ジャングル」の血が漂う。というより、1983年に初めて石勝線に訪れたのが中学三年であったのでこうした信号場への訪問はほぼ不可能であったのだから、こうして未知の世界への冒険ができるようになった自分が実に幸せを感じるとともに、そうした環境にいられる事への感謝の気持ちが沸いて来る!的な思いを感じる石勝線の存在は私にとってはかけがえのないものである。


ただ、自然界の法則に規則正しく則っているため、特に東オサワなどは詰所には上から蛇が降ってきたりしたので近寄れなかったし、中には目の前まで来ていたにもかかわらず、取材を断念した事もあった。それでも石勝線の驚異を肌で実感できただけでも貴重な体験であったし、更に再び挑戦しようと硬い決意をした場面もあった。
正直言って私は大自然よりも都会の風景を好むが、特にオサワ辺りはハッキリ言って「ジャングル」である。よくぞこの地に鉄道を敷設しようとし、そして実際に現場にて果敢に山を切り開き、トンネルを掘ろうと行動した先代はとても勇敢であり素晴らしいとつくづく思う。現在ほど重機や技術も発達していない時代によくこれだけの仕事を成し遂げた事実は素晴らしい。ただ、時代の波には逆らえず、信号場や駅の廃止や格下げもあり開業当時よりかなり姿が変わってきている。将来を見越した設計であったが、先代の思いとは違った方向に進んでしまうのはある意味辛い部分でもあろう。石勝線が、というより経営母体であるJR北海道自身の経営が危ぶまれている現在、今後の動向が非常に注目されよう。



FC2 Blog Ranking


にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道乗車記録へ
にほんブログ村





鈍行列車、再発見!

鈍行列車・・・そもそもこの「鈍行列車」とはどんな列車なのであろうか?また誰が付けた「名称」なのであろうか。

例えば時刻表などを開いてみても「鈍行列車」の文字は無い。また、我々が日常利用している鉄道各線で「鈍行列車がまいります」とアナウンスする駅には出会ったことが無い。普通、私たちがイメージする鈍行列車とは「普通列車」や「各駅停車」が思い浮かぶ。

それでは「鈍行列車」と「普通列車」の違いは?と問われて、あなたならどう答えるであろうか?恐らく同じ列車とわかってはいるものの、即座に明確な答えは出ないのではなかろうか。つまり特急や急行では無い、通過駅がほとんどなくスピードもあまり出なくて到達時間が比較的長い列車という概念であろうか。つまり「普通列車」や「各駅停車」の事を指すのであろう。

例えば「フルネルソンスープレックス」は、藤波辰巳(現・辰爾)が使うと「ドラゴンスープレックス」と呼ばれ「ラリアット」は使い手によって「リキ」「剛腕」「ウエスタン」「フライング」などの「サブタイトル」が付く。また「DDT」(デインジャラス・ドライバー・テンリュー)」は「DDO(デインジャラス・ドライバー・オオニタ)」「スパイビー・スパイク」などの呼び方がある。
実際にスーパーファミコンの「スーパーファイヤープロレスリングⅢ」辺りで「ジャーマンスープレックスホイップ」と「投放しジャーマン」を試しにやってみると、相手レスラーが持ち上げられた時、体が「くの字」になる時の角度が違う。しかし相手を背後から持ち上げて後ろに投げる基本はもちろん変わらない。つまり使い手により表現が変わるが、やっている事はほぼ同じという事である。まぁ、ごく一部に「指一本分、角度が違う」等と言っているが、実はマネをしているだけみたいな事例もあるが、要するに鈍行列車とは「普通列車」を表現を変えて言っているような事と判断できるのではなかろうか?

螟ァ莠募キ晞延驕・051_convert_20120502165122
(大井川鐡道は「鈍行列車」と呼ぶにふさわしいかもしれない。)

ただ、普通列車と各駅停車は同じかというと、一概に「YES」とは言えない部分がある。例えばJR北海道などは普通列車でさえ停車しない駅が多々あるし、北海道以外の地域でも終電近くや朝一番の列車等は一部の駅を通過するものもある。
また、例えば小田急線の各駅停車に朝7時半くらいから新百合ヶ丘などから乗車する場合と、1983年頃、奥羽本線の旧型客車編成の普通列車に揺られ板谷、峠付近を訪問する場合とでは、同じ普通列車であるとは言え、前者の「新百合ヶ丘」の件を果たして「鈍行列車」呼んでいいのか?という疑問も少なからずある。

fukui_convert_20121206155533.jpg
(これは特急列車→鈍行列車に格下げされてしまったが、往年の姿がよみがえる。)

私は過去に寝台特急「富士」に家族で乗車した模様をこのブログで紹介したが、その旅行後、父が親戚や知人にブルートレインに乗車した時の事を話しているときに妙な事を言った。

「あれって途中から鈍行になっちゃうんだよなぁ・・・」

なるほど、寝台特急が「鈍行列車」に?もちろんそのような事はなく、正確に言うと間違えであろう。ではなぜ父がこのような事を言ったのか。それは「ヒルネ」の事を言っているのであろう。
東京発九州へ向かう寝台特急は、北九州に着くころには朝8時位を迎えている。この「富士」も大分付近ではちょうど昼時であり、この区間は「ヒルネ」と言われる、昼間の特急を補完する意味で寝台特急を「寝台」で使用せず「座席」として利用し、地元の便宜を図ろうというもの。更に確か宮崎辺りから全席自由席となり、更に更に地元の人がぞろぞろと私の席に乱入してきた。

というより東京~西鹿児島まで乗る乗客は私たちだけであったろうがため、逆に我々の方が地元の方の邪魔をしていたのであろうか?それはともかく指定席のつもりで乗車していた私たちは途中から自由席になり、東京からずっと「自分の城」的な座席であったのに我々以外の乗客がゾロゾロ乱入し着席したので「鈍行」と感じたのであろう。
鉄道の知識など無いに等しい父からは、寝台特急でさえも「鈍行列車」に映ってしまったようだ。子供のころは「おかしい」と思っていたが、私も当時の父と同じくらいの年になり、父の言っていた事が何となくわかるようになってきた。つまり特急であろうが普通列車であろうが、その人が鈍行列車と感じたならば、その瞬間からその列車は「鈍行列車」になってしまうのかも知れない。先ほど私は「普通列車が表現を変えて」と言ったが、それはそもそも間違えであろう。

PIC_0344_convert_20121222212305.jpg
(東京近郊の「鈍行列車」。やや車両がお疲れの様子。いずれ車両の交代もあろうが「鈍行列車」には変わらない。)

ところであなたは「鈍行列車」に乗った事がありますか?
私はというと・・・自信を持って「ある」と断言できる。タイミングが合えばいずれ紹介してみたいと思う。
鈍行列車についていろいろ考えてみたが、ハッキリとした結論は出たのであろうか?ここに記した記事は私なりの「鈍行列車」の見解である。
ひとつ伺ってみよう。あなたの「鈍行列車」の定義とは?

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道乗車記録へ
にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

鉄道全線完全制覇の旅

Return to my しずてつ ~静岡市内、しない、ナツ~ 新静岡

sinsizuoka (1)

いよいよ静鉄最終章、新静岡である。静岡清水線のなかで一番利用者が多く静鉄を代表する駅である。やや距離はあるがJR静岡もあり、不特定多数での乗り換え客があろうと思われる。バスターミナルも併設されており、公共交通の中心的役割をJR静岡と共に果たしている。既に触れてはいるが、新静岡取材の際に日吉町にかなり近い位置の駐車場に車を駐めたため少々もったいない思いもした。

sinsizuoka (12)
静鉄の中で一番立派な駅舎であるのは当然であろう。バスターミナルが併設されているが、行き先が多すぎてどれに乗っていいいか分からないかも!

それはともかく、以前から思っていたが、駅間距離が短いのと、駅によってはかなり限られたスペースにホームや駅舎がある場合もあるので、静鉄はライトレール化してみたらある意味効果が期待できるのではと思われるが皆様はどうお感じであろうか。そして現実的かどうかは別として、両端をJR駅前まで路面電車的に延伸すれば更に効果が期待できると感じてしまうのだがいかがであろう。富山県ではライトレールを積極的に取り入れて現在も進行中である。

sinsizuoka (2)
ご覧の通り、他の静鉄駅とはレベルが違う!JR静岡とはやや離れているが、それでも超大都会的イメージ。

静岡といえば、私が小学校2~3年くらいの時にひとりで冒険しに出向いた駅であるが、当時は高架工事中で上りか下りのどちらかがまだ地上ホームであった。ただ、行ったはいいが、上野的な華やかさは無く、湘南電車と新幹線しか無いためかなり退屈だった記憶だ。
また、高架工事が完成して駅前再開発中くらいの時に「西部警察」のロケが行われて、なんと石原裕次郎がヘリコプターで静岡まで駆けつけるという設定で、着陸したのが駅前の再開発スペースであった!私は何度も再放送などで観たが、やはりスーパースターは違う❕ヘリで駅前にやって来るなんて大胆な企画であるが、やはりオンエアでもかなりのギャラリーが参戦しており、当時の人気ぶりを見せつけてくれる。

sinsizuoka (3)
sinsizuoka (4)
オール自動改札!プラス右側には有人の改札もあるのだが、出入り口が自動ドアになっており、まるでVIP待遇ではないか!


sinsizuoka (11)
静鉄といえばやっぱりこれですよね!新静岡のこの風景も後数年でフェードアウトとなる、今しか見られない鉄道風景だ。

sinsizuoka (8)
小田急線の町田的大都会をイメージさせる風景。駅ビルの中に突っ込む形は実にエキゾチックだ。
sinsizuoka (10)
sinsizuoka (9)
sinsizuoka (5)
sinsizuoka (6)
sinsizuoka (7)
新旧入り乱れての静鉄シーンは今だけ見れる限定バージョンである。静鉄の更なる飛躍を期待したい!


FC2 Blog Ranking


にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道乗車記録へ
にほんブログ村

Return to my しずてつ ~静岡市内、しない、ナツ~ ⑭ 日吉町

hiyosityou (6)

新静岡より500mの距離にある日吉町であるが、実は新静岡訪問の際に民営の駐車場に車を駐めて取材した際、後で気づいた事であるが、かなり日吉町に近い場所に車を駐めていた。そのため、わざわざ別の場所に駐めて日吉町を取材したさっきまでは非常にもったいない思いをした感じであったのだ。正直言って新静岡からほとんど見えるんじゃねぇ?くらいのイメージであった日吉町の周辺は実に賑やかである。ホームは相対式であるが、新静岡方面への乗客は多分それほど利用はないと思われ、イメージ的に小田急の南新宿的な感じであろうか。基本的に私はこうした地味な駅を好むが、日吉町もカラー的には南新宿的な部類であり、実に良いカラーを醸し出す。
ところでここ日吉町は近年、JRに見受けられる五稜郭やJR九州ではお馴染みの南宮崎や南延岡などのように、主要駅の隣の駅の優等列車停車パターンのモチーフかどうか分からないが、新静岡行きのみ通勤急行が停車するようになった。これは素晴らしい。静岡市の中心部であり、下手したら新静岡よりも日吉町で下車した方が便利な場合も当然ながらある。そうした声を反映させた結果であろう。

hiyosityou (3)
hiyosityou (2)
それは道路の片隅にあった・・・っていつもの静鉄風景であるが、こちらはちょっと違っていた。そのわけは・・・

hiyosityou (1)
こんなに広い道路の脇に駅舎があるからだ。その点では静鉄らしさを感じないが、でもやはりこうして見ると静鉄らしさがバリバリ伝わって来るから面白い。


hiyosityou (4)
hiyosityou (5)
広大なる踏切から撮影したのだが、なんと偶然赤と黄色のすれ違いシーンに遭遇。そう、静鉄は全線複線なのだ!

hiyosityou (8)
hiyosityou (9)
相対式ホームの2面2線であるが、やはり新静岡方面のホームは下車専用的なイメージが強いかも知れない。

hiyosityou (7)
時計は既に3時を回っていた。実はこの時、新清水から取材を続けてきた私は昼食休憩を取った後新静岡から新清水方面へ向けて取材をしていた。6時前には熱海の宿につかなければならず、時間的には超ギリギリである。結果的には長沼付近の4駅を翌日に回す形で熱海の宿に向かったが、やはり静鉄は1日だけでは回りきれない魅力や発見が多数ある。いいね、静鉄!



FC2 Blog Ranking


にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道乗車記録へ
にほんブログ村



 | HOME | 

文字サイズの変更

プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

最新コメント

最新記事

カテゴリ

新年のご挨拶 (9)
管理人のひとりごと (28)
時刻表の旅 (7)
きっぷコレクション (5)
フォトギャラリー (11)
サボ (2)
駅訪問 (43)
新十津川駅 (1)
北海道・廃駅 (4)
北海道・信号場 (4)
かけめぐる青春 (10)
奥津軽 (2)
東成田 (1)
九州駅巡り(廃止駅) (9)
九州駅巡り(現役駅) (3)
第三セクター転換前国鉄時代 (5)
松浦線 (2)
阿仁合線 (3)
機関車 (5)
SL (3)
快速列車・普通列車 (11)
夜行普通列車 (9)
急行列車 (11)
新幹線 (6)
寝台特急 (16)
583系 (2)
JR特急 (15)
JR九州・特急列車 (3)
ドリームにちりん (2)
ゆふいんの森 (2)
JR北海道・特急 (4)
JR四国アンパンマン特急 (1)
相模線 (25)
西寒川駅 (7)
廃止路線 (62)
留萌本線(留萌~増毛) (8)
士幌線 (5)
ふるさと銀河線 (3)
深名線 (1)
幌内線 (0)
広尾線 (1)
万字線 (1)
天北線 (4)
黒石線 (0)
佐賀線 (1)
大社線 (1)
大畑線 (1)
清水港線 (5)
鹿児島交通 (1)
高砂線 (1)
倉吉線 (1)
矢部線 (1)
ドリーム交通 (1)
赤谷線 (1)
日中線 (1)
白糠線 (7)
十和田観光 (1)
小松島線 (1)
三木線 (1)
鍛冶屋線 (1)
岩泉線 (5)
東武鉄道・熊谷線 (1)
同和鉱業 (3)
下津井電鉄 (3)
一円電車 (1)
フリー切符 (158)
1982年・春<青春18> (5)
1982年・夏<青春18> (6)
1983年・春<青春18> (15)
1984年・夏<青春18> (6)
2008年夏<青春18> (7)
1983年・夏<東北ワイド周遊券> (36)
1983年・北海道 (5)
2008年・北海道 (7)
2009年・北海道 (10)
スルッとKANSAI① (10)
スルッとKANSAI② (10)
九州制覇①2008年 (9)
九州制覇②2010年 (9)
九州制覇③2011年 (13)
2013年北陸 (10)
JR北海道 (98)
宗谷本線 (33)
根室本線 (1)
石勝線 (16)
石北本線 (5)
江差線 (1)
釧網本線 (1)
日高本線 (18)
留萌本線 (15)
室蘭本線 (8)
JR東日本 (32)
男鹿線 (2)
湘南新宿ライン (5)
仙山線 (3)
北上線 (3)
磐越東線 (2)
信越本線 (1)
鶴見線 (11)
五能線 (2)
水郡線 (1)
JR東海 (14)
御殿場線 (2)
飯田線 (5)
関西本線 (1)
高山本線 (6)
JR西日本 (92)
姫新線 (1)
呉線 (1)
木次線 (8)
伯備線 (3)
芸備線 (18)
三江線 (35)
美祢線 (2)
山陰本線 (7)
因美線 (3)
可部線 (7)
JR四国 (12)
予讃線 (5)
JR九州 (22)
唐津線・筑肥線 (6)
指宿枕崎線 (2)
日田彦山線 (8)
肥薩線 (3)
日南線 (3)
私鉄東日本 (62)
弘南鉄道 (1)
相模鉄道 (5)
江ノ電 (7)
津軽鉄道 (1)
湘南モノレール (1)
野岩鉄道 (8)
三陸縦断 (7)
長野電鉄 (1)
箱根登山鉄道 (12)
ひたちなか海浜鉄道 (5)
小湊鉄道 (4)
鹿島臨海鉄道 (6)
いすみ鉄道 (4)
私鉄西日本 (107)
大井川鉄道 (6)
長良川鉄道 (1)
岳南電車 (11)
紀州鉄道 (1)
えちぜん鉄道 (0)
三岐鉄道 (1)
島原鉄道 (1)
福井鉄道 (2)
阿佐線 (3)
東海交通事業 (1)
スカイレール (1)
広島電鉄 (1)
天竜浜名湖鉄道 (2)
門司港レトロ観光 (1)
平成筑豊鉄道 (1)
名鉄 (7)
北陸鉄道 (2)
万葉線 (2)
富山地方鉄道 (6)
関西電力黒部見学ルート (10)
近鉄 (5)
富山ライトレール (4)
伊豆急行 (17)
黒部峡谷鉄道 (4)
能勢電鉄 (1)
静岡鉄道 (16)

カウンター

月別アーカイブ

最新トラックバック

リンク

このブログをリンクに追加する

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

Template by たけやん