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鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

 お馴染みもしものコーナー。もしも今の私が昔の時刻表を使って旅計画を立案したら。 1984年ダイヤ改正版北海道編③

さて、今回のアップで予告通り1984年バージョンの北海道計画の立案をしてみた。
先述通り、宿は全て夜行列車で駅寝は無し!使用する切符は「北海道ワイド周遊券」のため周遊区間内に限り特急・急行列車の自由席に限りワイドのみで乗車可能である。つまり北海道内は特急・急行料金は無しで乗れるわけだ!しかも当時は夜行列車の宝庫であるので非常にやり易い。その反面、枝線制覇の際には運転本数が少ないのと接続の関係があるため、場合によっては乗る列車をあらかじめ決めておいてから計画を遡って立案しなければならないという、いわばパズルを解くむつかしさも兼ね備えている。そのためもちろんやりがいはあろうが、実際にこの立案で当時にタイムマシンで移動し実行できるのか・・・的な部分もあろう。いや、当時の私ならまだ「ガラスの」十代であったから体力的には問題なかったに違いない。
いずれにしても、この約2週間の旅をあなたならどう捉えるであろうか?

「やってみたい?」
「やってみたい!」

北海道1984

ポイントとなるのは中湧別~湧別間の名寄本線(湧別支線)制覇の際、中湧別の待ち合わせ時間を使って「徒歩で四号線訪問」である!「四号線」とは、湧別~中湧別間にあった仮乗降場(JR化とともに駅に昇格)で、全国版の時刻表には掲載されていない関係から、私の好きだった天北線の「飛行場前」とともに謎めいたお気に入りの駅であった。中湧別から3キロほどの地点にあるのと、1984年当時は高校生であったので歩いても余裕で行けた事であろう。ちなみに相模線・寒川支線の寒川~西寒川間が1.5キロのため、この区間を往復した距離と同じ計算となると、私なりにこの区間の所要時間が自然と頭に浮かんでくる。もちろん四号線から再び徒歩で中湧別に戻る事はなく、四号線から湧別行きに乗車し、折り返して中湧別に向かえば「制覇」となるので私は喜んで四号線に足を運んだ事であろう。
一応四号線の所属は名寄本線であるが、運転系統的には湧網線と一体化しており、完全に湧網線の一部と考えて良さそうだ。いや、もう完全に湧網線であろう。


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続きを読むをクリックすると1984年当時に私が立案した北海道計画が貼ってある。1983年に東北の旅を終え密かに次の構想があったのだが、恐らく1983年の年末~1984年年始頃にダイヤ改正号を引っさげて立案に挑んだものである。同時期に九州の計画も立案しており、恐らく費用だけ何とかなれが本気で旅に出た事であろう。


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お馴染みもしものコーナー。もしも今の私が昔の時刻表を使って旅計画を立案したら。 1984年ダイヤ改正版 北海道編②

さて、私と同世代か先輩の方々なら北海道の乗り潰し計画の際に大きな衝撃を受けた事であろう。運転本数が少ない、接続が悪い、昼間の時間帯のダイヤに空白など様々な困難を乗り越えなければならないが、特に接続に関しては稚内での天北線と宗谷本線の関係や長万部での函館本線と瀬棚線、室蘭本線など挙げたらキリがない。

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1984年の時刻表には既に掲載されていない白糠線の終点・北進。私は廃止の2週間前に訪問したが、既に全国からマニアが多く駆けつけており、私の乗った列車も満員御礼であった。

1980年代前半では特に稚内での天北線と宗谷本線との乗り換えは「乗るな!」と言わんばかりのダイヤ設定になっていた。70年代ではちゃんと接続していたのに…
例えば上り夜行急行列車「利尻」に乗るために天北線で音威子府方面から稚内を目指すと南稚内での列車交換となり稚内までたどり着けない。ではと下り「利尻」で音威子府で天北線に乗り換え興浜北線を片付けて稚内にたどり着くと宗谷本線の乗り換えはなんと3時間待ちとなってしまう。他のパターンでも同様の待ち時間を要求してくるのはなんとも乗り潰し泣かせであった。ところが1984年のダイヤ改正では下り「利尻」のパターンで天北線経由で稚内目指すと、なんと稚内で2分の乗り換え時間ではあるが、稚内に到達できるように改善されたのだ!もちろん、乗り潰しマニアのための措置では無いであろうが、それでもこの改正は実に大きく、折り返しからの宗谷本線普通列車では幌延で羽幌線、美深では美幸線などとの接続が非常に良く予定を組みやすくなった。他の天北線と宗谷本線との待ち時間もかなり改善され「乗せてあげる」から「乗っていただく」の姿勢が徐々に見えて来た時期でもあった。
1978年の時刻表ではこの下り「利尻」と天北線の関係は実に効率よく乗り換えができ、なぜ80年代になって「乗るな!」的なダイヤになったのかわからない。当時の当事者に是非ご意見うかがいたい心境である。

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今回も1983年訪問時の写真を使用しているが、こちらは現在の南千歳である千歳空港。当時は国鉄の空港アクセス駅第一号(だったと思う)として高い注目を集めた。現在はその座を新千歳空港に譲り、こちらは乗り換え駅として活躍している。

ただ、例えば深川での留萌本線と深名線の関係や網走での石北本線、釧網本線と湧網線の関係も悪く、10分早く着いていれば乗り換えられる場面もチラホラ。特に中湧別では湧別支線がまるで湧網線の一部であるかのような運転系統で、名前は名寄本線であるはずの湧別支線は朝の始発以外連携は無い。とはいえ、1日2往復しか運転されていないので自然と選択肢は狭まるわけだが、ただ、運転本数が少ないなら中湧別でしっかりと各方面の列車を接続させるべきではなかろうかと改めて思う。

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そして帯広はもちろん高架化前で、確か5番線まであった。隣の駅名に注目していただきたいのだが、この駅名は今は亡き士幌線の駅であり、当時の士幌線は糠平より先は全国初の国鉄代行バス路線として注目され、マニアの間でも憧れの路線であった。当然私も!

さっきから接続が悪い!とクレームばかり付けているが、実は連携プレーができている関係が少なくないのも事実である。例えば浜頓別での興浜北線と天北線の関係や興部での名寄本線と興浜南線の関係、更に留萌での羽幌線と留萌本線の関係など、一部の関係以外はほぼ連携がしっかりと取れているのがわかる。こうしていただくと乗り潰し派ばかりでなく一般的にも利用者が利用しやすくなる。
しかしながら乗り潰し計画とはいつも思うが、それは人生と同じで、必ずどこかの乗り換えで行き詰まり別の方法を考える。時には到着駅の時間を決めてからそれに合わせるように遡り乗車する列車を決めていく。あるいは最初からルートを決めておいて、待ち時間に関係なくそのルートを貫くなど方法は様々だ。もちろん時と場合によるが、私は待ち時間を好まないタイプなので少しでも効率良くと考えてしまう事から味の無い、パンチがない計画になる事が多い。最近は少しスパイスを足す事を意識してるが、昔の乗り潰しの旅はそんな余裕が無い。良いか悪いかは別として、究極の乗り潰しとなっていた。

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こちらは新得。石勝線が開通して2年が経過していたが、まだまだ斬新感と新鮮感が溢れていた。
隣の駅名はトマムに改称前の石勝高原が名を連ねている。


かつては「宮脇派?種村派?」なんて言葉も一部で流行った記憶だが、私は恐らく宮脇派の部類に入るであろう。いや、できれば仲間と一緒の方が行動しやすいし、例えば1983年の東北乗り潰しの際は同じ部活の後輩が山形の親戚宅に泊まり、私の旅計画に合わせて山形よりスポット参戦して共に行動したので、やはり種村派方式であろう。いずれにしても、大事なのは派閥とうこうよりも如何に旅を楽しむ事ではなかろうか(だよねっ!)。
とにかく、この私が立案した約2週間かかる北海道乗り潰し計画では先述した「宿は全て夜行列車」であり、其れゆえ過酷な旅になる事であろう。1984年だと既に白糠線は葬られているが、それでもこれから廃止がささやかれている路線がゴマンといた。もし本当にこれらが近い将来に全廃された時、本当に北海道は鉄道空白地帯だらけになってしまうのではないか・・・と思っていた当時であるが、それが現実のものとなり現在の姿である。
さて次回アップでは、いよいよ昨年末に無い頭を捻りながら立案した1984年バージョンの北海道乗り潰しの計画を公開してみよう。恐らく皆様がご覧になられたらドン引きしてしまうであろうし、実際にこれを実行したら過酷な旅になるであろう。冗談抜きで生きて帰れるかわからないサバイバルな計画となっているが、1980年代に実際に私は青春18や周遊券ー使い一週間~10日の旅に出たが、まだまだ余力があった。計画を立ててみると所々で食事や風呂の時間が取れそうな場面もある。こうなったらタイムマシンに乗り1984年まで遡って実際に試してみたくなる。次回アップの立案を見ていただいて皆様からのご意見を是非伺いたい気持ちである。


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お馴染みもしものコーナー。もしも今の私が昔の時刻表を使って旅計画を立案したら。 1984年ダイヤ改正版 北海道編①

さて、今回からは私がティーンエイジだった頃の時刻表を使い時空を超えた旅を立案してみた。というのも、緊急事態宣言が発令され外出等が制限される中、過去の時刻表を使い今の私がどのような立案ができるか試す機会が出来た。今回は1984年2月のダイヤ改正版の時刻表を使い立案してみたが、1984年といえば国鉄時代も終盤に差し掛かる時代であった。東北・上越新幹線が大宮暫定開業して約1年半程経過し、地方の赤字ローカル線も廃止が進められ日本の鉄道シーンが大きく変化していく過渡期でもあった。1984年の鉄道旅といえば私は「18きっぷ」を使い四国乗りつぶしを敢行した一度のみであったが、その気になれば北海道や九州も行けたはず。アルバイトもしていたので自身で資金も調達できたし、なぜもっと旅をしなかったのかと、少々もったいない事をしたなと今になって思う。そうならないためにも行ける時に行くのが最近の私のポリシーでもあるのだが、予期せぬ感染症などの社会情勢に私たちは今後の対応を迫られる場面でもある非常に厳しい毎日である。

そんな当時に国鉄は1982年11月15日に上越新幹線開業に併せて全国規模のダイヤ大改正を行った。
同年6月23日に東北新幹線が開業した時より更に大胆に特急列車や急行列車が大幅に整理され、地方都市近郊では普通列車が短編成化され運転本数を増やした。だが、貨物列車は超大胆に整理され「合理化」なる言葉がひっきりなしに聞かれるようになった。私は丁度その前後辺りがレールファン全盛期で、中学時代を迎えた私は「青春18」を片手に全国を駆け巡った時期でもあった。

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今回は駅名標にこだわり1983年訪問時の写真を掲載してみた。もちろん国鉄時代の釧路であるが、JRになった今でも当時とほとんど変わらない風景となっている。

そして1984年には更にダイヤに手が加えられ、一部の優等列車や夜行列車が姿を消した。1984年では私は高校生になったが、鉄道以外のジャンルにも幅広く興味を示したため段々とレールファンがフェードアウトしていった時期でもあった。もしもっとレールファンを続けていれば北海道や九州などの多くの国鉄時代を「制覇」という名を借りて経験できた事であろう。
残念ながら、この時期より多くの鉄道路線が廃止され、更に「国鉄」という組織そのものもなくなってしまうという、史上最大の転機を向かえた時期でもあった。

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「は~るばる来たぜ函館ぇ~!」的な雰囲気たっぷりの函館は、今は亡き「乗船口」の案内が。当時は函館~網走の運転である特急「おおとり」や函館本線経由の特急「北海」なども健在であった。

そんな時代の空白を埋めるべく、私はタイムマシンに乗ったつもりで当時の時刻表を引っ張りだし「仮想、北海道」と「仮想、九州」の全線制覇計画を組んでみた。もちろん北海道では「三菱」はまだ健在であったし札幌や函館の路面電車や地下鉄も全て込での慣行である。九州では網の目のように張り巡らされた炭鉱路線もまだまだ生き残っていたが、当時は先述通りまだ学生であった事もあり、宿泊の宿は全て「夜行列車」という条件で計画してみた。当時は函館~札幌間の函館本線夜行普通列車や、網走や稚内、そして釧路へは札幌から夜行急行列車が運転されており、宿の心配は無いのが嬉しい。これらを組み合わせれば比較的楽に予定を組めるはずなのだが…運転本数が少ない上に嫌がらせとも取れる接続の悪さも少なくない。しかし、それを乗り越え如何に効率良く、そして時間をかけずに多くの路線を片付けて行くかが最大のポイントであろうとテーマに位置付けた。ただ、乗車券は「ワイド周遊券」のため特急や急行を別料金無しで乗れるのは非常に大きい。

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登別とともに観光地として名高い洞爺。お隣の伊達紋別からはかつて胆振線が発着しており倶知安まで続いていたが、新大滝と御園間で列車が途切れる場合もあり、制覇計画にはある意味苦労する場面もあった。

さて、今回はそんな思いを胸に秘めながら久々に北海道の計画を組んでみたが、1984年当時のお蔵入りした北海道計画も久々に見てみた。が…やはり中学生、高校生時代の荒削りな部分が目立つ反面、発想力が中学生時代よりも高校生時代でやや成長している部分もあり、まさに発展途上であった。ただ、皆様から見たら今の私と中学高校時代の私と比較した場合は、それほど変わらないんじゃないか?的なものを感じるかも知れないが「今の私を見てください!」的な、本当に飾り気の無いありのままの計画になっている。恐らく「ここはこうした方がいいんじゃねぇ?」的なご意見もあろうと思われる。ただ、私としては三沢光晴のように奥の手の更に奥の手を持っているわけでもなく、そして閃きもない。その分、持ってる技を全て出し切ったつもりだ。そんな健気な私を温かく見守っていただけたら幸いである。


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瀬音ゆかしき杜の都 ⑦

フライトする訳でもないので駅名標を撮影し仙台空港を後にした私は更に長町で地下鉄に乗り換えるためなかなか「杜の都」にたどり着かないが、地下鉄制覇のあと、ようやく「杜の都」にたどり着き今夜の旅籠に荷物を預けたが、まだまだ七夕の揺れる飾りをじっくり見る間もなく仙台駅の地下ホームに足を急がせた。それは未乗区間であるあおば通~仙台間の仙石線を制覇するためだ。
仙石線制覇は1983年であるのでそれ以来になるのだが、当時は地上ホームでありながら他の国鉄路線とはやや離れた位置にあり、仙石線ホームからは他の国鉄路線ホームをやや見上げる形であった。仙石線ホームのみが離れ小島になってる理由は皆様もよくご存知であろうが、特に仙台ではこうしたかつての名残を楽しめたのは実に有効であった。
あれから20うん年…「杜の都」は大きく変化を遂げていた。

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ダイナミック✩トナカイ提供の1983年仙台駅の仙石線ホーム。ご覧の通り、首都圏で活躍した車両がこちらで第二の人生を送っていた。かつては私鉄であった関係から国鉄ホームとはやや離れていたが、現在は周知の通り地下化され青葉通りまで延伸されて便利になった。

ようやく「制覇」から解放された私は普通に観光旅行する旅人のひとりとして「杜の都」を堪能。牛タンを食べたり七夕の飾り揺れる風景を楽しんだりと「杜の都」のカルチャーや人情に触れ、過酷な制覇旅の疲れを癒していた。
そういえば我地元神奈川にも七夕祭りがある。そう、それは平塚の七夕である。何かで聞いたことがあるが、平塚で飾られた七夕飾りの一部を仙台でも見る事ができるらしい。つまり平塚から仙台へ転送される事になるのだが、これは実に微笑ましい事だ。私の地元のものが「杜の都」で再び花開くのは実に嬉しい限りである。

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画像はウィキペディアより、現在の仙台駅・仙石線ホーム。地下化され青葉通りへ延伸された。青葉通りよりの延伸で地下鉄東西線との相互乗り入れが実現するのか。私はまだ東西線を未制覇なのでいずれ乗りに来る必要があるのだが・・・


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瀬音ゆかしき杜の都 ⑥

1983年以来の丸森線~阿武隈急行で槻木に着いた私は再び東北本線に乗り換える。いや、前回の丸森線時代の時も確か槻木で乗り換え利府まで行き、折り返して白石まで行き更に急行「八甲田」に乗り換えるという技を慣行していた。「八甲田」に乗るため仙台付近を行ったり来たりして、この変則的な時間調整を最初から計画に組み込んでいた。多分、予定を組み換えればもっとスマートな計画ができたはずだが、私自身、当時は中学生で発展途上であったため応用範囲がかなり狭かったなと今になって感じる。それは当然の事であろうが、だからこそ今があり、更にその今も発展途上であろう。ただ、昔よりは応用範囲が、そして視野的なものがかなり広くなったと感じる。勿論満足はしていないが、こうして進化をして限りなく完成形に近づけば幸いであろう。

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ウィキペディアよりの画像であるが仙台空港「駅」のホーム風景である。1面2線で全ての列車が仙台に直通しているので非常に便利。千歳空港開業以来こうした駅が全国的に増えてきた。もちろん千歳空港以前にも京成や東京モノレールなど空港アクセスは存在したが、やはり時間に正確な鉄道は欠かせない存在であろう。だが、私のように、全く用事がないのに乗りに来る者は殆んどいないと思われるが・・・

そんな思いを馳せた今回の「杜の都」は私をどのように迎え入れてくれるであろう。ただ「杜の都」がすぐ目の前だというのに、1983年以来、杜の都付近の鉄道シーンもかなり風景が変わった。まず仙石線があおば通まで延伸された事。そして仙台に地下鉄が開通した事。そしてなんと言っても仙台空港線が開通した事であろう。これだけ話題か豊富なのは「杜の都」のみであろうが、イコール、これら全てを乗り潰さなければならないという事である。ならばと思い立った「杜の都計画」であるが、杜の都に入る前に仙台空港まで用事がないのに行かなければならない。
名取から枝分かれする仙台空港線は三セクであるが、JRとの別改札ではないのでJRと混同してしまいそうであるが、鉄道事情に詳しくない一般の利用者はそんな細かい事までわからないであろうし「ハイ、ここから仙台空港線だから」などと意識してはいないだろうから、とにかく空港へ時間時間通りに着けばある意味それで良い。

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そして仙台空港アクセスの車両はJR東の車両と殆んど見た目同じ近代的な車両である。我が地元の相模線にもこうした車両が出てくるとフレッシュな風が吹き込むのだが・・・

しかし私の場合は空港に勤務している訳でも、空港からフライトする訳でもない。仙台空港の駅名標を撮影して折り返す…他人が見たら全く意味不明な行動だ。
更に、折り返してそのまま「杜の都」に入るわけではなく、なんと町から地下鉄に乗り換える!泉中央と富沢の間を往復しなければならず、杜の都がすぐそばにあるというのになかなかたどり着かない。だが、訪問時は南北線のみであったが、浴衣姿の女性達を何度となく見かけたので既に「杜の都」は賑わいを見せている事であろう。いつしか私は、地上にある広瀬川の「瀬音」を聞くのが待ち遠しくなっていた。



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瀬音ゆかしき杜の都 ⑤

阿武隈急行線はもともと東北本線のバイパス的な意味合いで計画されたのは周知の通りであるが。正直、まさか全通されるとは思わなかった。しかも福島交通と同じホームから出てるとは!訪問当時はその理由について全くわからなかったが、お陰で懐かしい部分も込み上げてきて嬉しい誤算でもあった。

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強力に大きいサイズでウィキペディアより転用させていただいた福島交通に譲渡された元東急5000系。1988年に飯坂温泉に合宿による自動車免許取得のため一ヶ月弱滞在した時に大活躍していた。滞在先は飯坂温泉で教習所が泉にあったため、送迎バスのある時間帯意外に教習所に行くには「福交」が欠かせなかった。たまに医王寺前とかでオーバーランする場面も・・・

と言うのも、実は1988年に飯坂温泉に合宿免許取得に向け26日間滞在したからであった。20日間の予定だったので約一週間近くのオーバーであったが、その代わりに得るものや思い出、そして仲間たちなど多くの「利益」を産むことになったのは大きな収穫であった。思い出せばキリがないが、送迎バスに乗り遅れた場合は飯坂温泉から教習所のある泉まで、元東急の「青ガエル」5000系で向かったものだ。時には医王寺前でオーバーランしたりとなかなかスリリングであったが、そんな昔を思い出させるホームは昔と変わらぬ佇まいであった。いっそ福島交通の寄り道も本気で考えたが、今回は杜の都が私を待っている‥そんなプレッシャーもあり泣く泣く見送った。だが、阿武隈急行に乗ってみると、途中までは当然同じ線路を通るので瞬時にして18歳当時の自分に戻ったイメージになってしまった。
暫くすると、当然ながら福島交通と別れを告げるが、考えてみたら阿武隈急行、福島交通共に電化されているのが素晴らしい。もしかしたら将来的に長野電鉄のように首都圏で活躍した電車などが第二の人生を送る場面が見られるかも知れない。

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1983年訪問時の丸森は土砂降りの雨であった。このあと利府に向かい、更に折り返して白石へ・・・仙台を中心に行ったり来たりの工程は夜行列車に乗るための時間調整であった。だが、まさか丸森の駅名標の空白部分に駅名が書かれる事になるとは当時全く思わなかった。

さて、新しく開業した丸森~福島間は私にしてみたら当然ながら初乗りであり新鮮である。「塔のへつり」や「あぶくま」など、如何にも三セクらしいネーミングの駅が軒を連ねる。が、丸森から槻木までは1983年以来の訪問のため懐かしい。特に国鉄時代は棒線駅であった丸森や角田は見違えるほど立派な駅になった。
丸森や角田は将来的な準備であった列車交換のための線路用地など見られたが、まさか本当に現在になってその用地が活かされるとは思わなかった。「赤字ローカル線」「廃止路線」などの項目に常に顔を出していた記憶で、1983年訪問時は土砂降りの雨プラス既に日も暮れており、沿線風景など全く確認できなかった。ただ今回は明るい時間帯の訪問のためしっかりと町並みを拝見できよう。
東北本線のバイパスとなるはずだった丸森線は三セクという形に変われど、新しい何かを私に教えてくれているような沿線風景をみせてくれているようであった。



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旅を楽しくする実践講座 2021

新年あけましておめでとうございます!

今年も鉄道全線完全制覇の旅をよろしくお願いいたします。

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今回の写真掲載は1978年、二見書房より発行の「ブルートレイン」より右側のカード内容を紹介していたが、期間限定という事でご了承頂き、お蔵入りになっていた渋谷駅の様子に差し替えさせていただき紹介していきたい。

2021年スタートした!国鉄からJRに移管してから既に30年以上経過したが、とにかく合理化され民営化ならではの努力がなされており、国鉄時代からは想像もつかないほど進化している。ワンマン運転が当たり前の時代である現代の鉄道事情も、国鉄時代では山陰本線などでワンマン運転が導入された事が非常に新鮮かつショッキングな出来事であった。どんな小さなローカル線でも車掌が乗務していたし、そして駅員のいる改札では必ず職員が座り硬券の切符にパンチ(鋏)を入れていた、そんな時代であった。
そして切符の販売などをコンピューターで処理する「マルス」の機能が本格的に進化しはじめたのが私がレールファンとして全盛期であった小学校高学年~中学校時代である1970年代~1980年代からであった記憶だ。

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今回は私自身も撮影していた事さえ記憶から遠ざかっていた東横線の旧・渋谷駅の様子を紹介しよう。もちろんこの風景は記憶に新しいが、時間の経過とともに後世に引き継がれ貴重な風景となる事であろう。

しかしながら、まだまだマルスによる周遊券等の発券は少なかった記憶で、駅のみどりの窓口などでは周遊券などは発券別に常備券の在庫を持たねばならず、切符売り場の窓口職員や、もっと言えば改札に立つ職員等は、一年に数枚しか売れない周遊券等の細かいルールなどを全て覚えるというのはかなり大変な作業であったろう。もちろん、全て頭に入っているというのがプロとして当然であるはずだし、そしてそれを前提として我々利用者は快適に旅が出来る事が基本的な考え方であろう。

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ホームは頭端式で渋谷を通過できる列車は皆無である。ウィキによると昭和2年の開業という事なので物凄い年月が流れていいた事になる。もちろんその間増改築が著しく行われ現在の姿になった事は周知の通りである。

私のブログにちょくちょく顔を出す「種村直樹の汽車旅相談室」は、そんな旅先でのトラブル等を「規則」を通じて解説・解決していく趣旨であった。現代における若い世代のレールファン達はこの「汽車旅~」に関してはもう伝説に部類に入っていると思われるし、種村直樹と聞いても「昔の人」的イメージか、むしろ知らない方のほうが多いであろう。
改めて「種村直樹の汽車旅相談室」について解説すると、RJ社が発行(当時)する「旅と鉄道」という鉄道誌に始まる。最初は「旅を楽しくする実践講座」というタイトルであったが「汽車旅相談室」に名前を変えて連載がスタートした。インターネット等が発達していない時代に鉄道旅のトラブル等の解決策として大きな反響を呼んだが、相談室への接触方法としては種村直樹氏の自宅にハガキや手紙を送付し、それを種村氏が返答・返信し、種村氏が厳選した相談のいくつかが「旅と鉄道」に掲載される、というイメージである。「えっ、種村氏に直接ハガキって、どうして住所が分かるの?」というクエスチョンが出てくると思うが、昔は雑誌そのものに筆者の住所等が普通に掲載されていた。昨年他界した志村けん氏も、雑誌等の付録に掲載されているタレントの住所等を見ていかりや長介の自宅に「弟子入り志願」に行ったとの本人談であった。
「汽車旅相談室」はその後単行本としていくつか発行された事ひとつとってもいかにこの相談室の反響が大きかったか頷けるであろう。

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現在ではなんと西武鉄道との乗り入れが実現している東急東横線。かつて「伊豆戦争」を知る者にとっては現在のこのシーンが信じられない出来事であろう。

以前に私が取り上げた相談室の内容のひとつに「一筆書き乗車」というタイトルの記事がある。それは「一筆書き乗車中に例えば相模線の寒川支線(当時、現在は廃止)に乗車したくなった場合、別途寒川~西寒川の往復乗車券を買い往復するのは有効か?」みたいな内容である。この件に関して大反響を呼んだ事は私のブログでも解説しており、私のブログにも多くの意見が寄せられた。私自身も「違法」という意見を述べているが、久々に当時の「旅と鉄道」を読んでみたらとんでもない事が書いてあった。それは、一筆書きとはかけ離れた内容で拡大解釈し、「そんなにうまい話があるんですね。早速試してみます。」的な内容の文面が種村氏の元にたくさん寄れられたというのだ。例えば茅ヶ崎から茂原辺りまで行く場合、茅ヶ崎から120円(当時)を買い大網~茂原の別途往復切符を用意して「一筆書き中だ」と言えば安く済みますね、という者も出てくる的な内容であった。「そんなにうまい話」はともかく、それをわざわざ「試してみる」と種村氏にハガキを送るという事自体私には理解できないし信じられないが、実際に実行した者も少なくなかったであろう。そんな事もあって「違法ではないが感心しません」から回数をまたいで「規則の解釈上も疑問で、やめよう」にタイトルを変更し注意を呼びかけた経緯のある疑惑付きの内容であった。

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かつての東横線では「特急」の設定が無かった。現在の特急の停車駅は実によく考えられた結果だと思う。私にしてみたら綱島や日吉をも通過するシーンは実に新鮮だ。

そんな汽車旅相談を日々読み続けていた中学生であったが、23年というブランクを乗り越えレールファンに復帰したのが2007年頃であった。そして2014年11月、私は「はまなす」に最初で最後の試乗をするために北海道へ旅立ったのであった。
その時の出来事。私は音威子府で「常盤軒」のそばを堪能した後、帰郷のため札幌から「はまなす」に乗る計画であった。札幌では待ち時間をあえて作って「はまなす」での飲料・食料や「日帰り温泉」の準備も進めていた。銭湯は苗穂と桑園の駅前にある事をインターネットで確認していたので桑園でスーパー銭湯を利用する事に決めた。

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そしてなんといっても桜木町が廃止され元町・中華街までの延伸が実現した事である。実は横浜市営地下鉄も関内から分岐して中華街までの延伸が予定されていた。現在でもその名残が地下鉄の関内駅ホームで見られるが、結局東急に先手を打たれ、というより市営地下鉄の計画が頓挫してしまい断念・・・

いや、しかしすごい時代だ。銭湯ひとつ探すにも部屋の中でパソコンを眺めていればすぐに見つかる。私がかつてレールファン全盛で旅をしていた国鉄時代では、わざわざ書店で「駅前の宿」的な本を端から読みあさったり時刻表の巻末くらいにある広告や民宿案内みたいなページで日帰り温泉できる宿などを探すしかなかった時代だ。
私の場合、雑誌などで探す事もあったが、例えば旅先の現地で後に折り返し戻ってくる比較的待ち時間のある駅周辺を窓から眺め煙突を探す。もちろん工場とかの煙突ではなく「銭湯」の煙突だ。見つかると「よし、ここで下車だ!」とあらかじめ決めておいて折り返し戻ってきたら銭湯に向かう・・・みたいな、なんともアナログ的な探し方であった。この方法では実際に青森と南小松島で成功しているが、早い話、駅員さんなどにリサーチするのが一番いいかも知れない。なのになぜか私は煙突にこだわった。
そういえば一度だけ駅員にリサーチして入った銭湯が男鹿であった。秋田に折り返す列車を一本送らせても秋田から乗る列車は同じのため銭湯に向かう決意をしたのであった。

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かつてはここに5000系も姿を現していた時代があった。私が小学生時代の頃まで見かけた記憶があるが、やがて8000系も東急から姿を消す事となったのは寂しい限りである。

そんな旅慣れた私が自信満々で桑園で下車するため切符を窓口で見せた。別途区間の乗越精算のため自動改札から出られないためだ。私は音威子府~東京都区内の切符を見せて札幌~桑園の乗越運賃を係員に渡そうとした。ところが「これでは足りませんね。白石~桑園までの運賃をお願いします」と更に追加の運賃を請求された。「いやいや、サロベツで札幌まできて、札幌からはまなすに乗るんですけど・・・」と説明したが・・・ここで気がついた。そう、函館本線と千歳線の接点は白石であるから、特急の止まらない白石からは札幌まで乗り越しても「途中下車しなければ」料金不要である。つまり私は白石で「途中下車した」事になるのだ。こんな初歩的な事を、しかもベテランの域を超えた(?)レールファンが見落とすとは!駅員にあわせる顔もなかった、って、駅員さんが私の事をレールファンとは知らないであろうが・・・とにかく、こんな基本的な事を見落とす大失態である!!!その後のスーパー銭湯内で私は、湯船の中で恥ずかしくていられなかったのであった・・・
あれだけ「汽車旅相談室」などと豪語していた私にとって、これほどの大失態とは・・・

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普段はなかなか行く事が無かったであろう渋谷駅ホームの横浜寄りの姿。レールファン以外はあまりこういうシーンを眺めることは少ないと思うが、現在では渋谷をスルーする事ができるようになりある意味効率的な運転ができるようになった。

それはともかく、汽車旅相談室で読んだ国鉄職員の怠慢や姿勢は、現在のJR時代には、私の経験上や知る限りでは殆んど無いと思う。むしろJR九州などは、私が肥薩線で「隼人の風」と「いさぶろう・しんぺい」の乗車を兼ねて熊本へ抜ける際に「隼人の風」が大雨で肥薩線の霧島温泉で列車が立ち往生したまま運休になってしまい、熊本方面に行く道のりが閉ざされた際について、本来私の持っているフリーきっぷでは新幹線は利用できないのだが、救済処置として新幹線に乗車できるよう鹿児島中央に連絡をしてくれて対応してくれたのだ!
お客様に有利なよう、そして不便ないように対応してくれた姿勢・・・素晴らしいと思った。おかげで九州新幹線「初乗車」をフリーきっぷで体験できたのだ。当時は新八代から在来線に乗り換える時代であったので尚更貴重であろう。国鉄時代の汽車旅相談室に出てくる国鉄職員の杓子定規な考えには到底想像もつかない現在シーンがそこには存在した。いや、私がかつて国鉄時代に旅をしていた時も汽車旅相談室に出てくるようなトラブルは無く、むしろ優しく有利になるように対応してくれた思い出の方が多いし強い。であるのだから、やはり我々も「お客だ」的な意識をあまり持たずに、もっと鉄道会社に歩み寄る姿勢を持つ事でもっと楽しい旅が出来そうな気がする。そう、鉄道会社の影の努力があってこそ私たちは定まった時刻に列車に乗り、そして旅が出来るのである。皆様もご存じと思われるが、海外等では20時間遅れなんて列車もざらにある。それを考えると2~3分遅れでも車内アナウンスが入る日本の鉄道事情は、他の国から見たら考えられないシーンでもあるだろう。

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そして相鉄が更なる延伸計画を企てている中、東急はどう変化していくのであろうか。輸送量増加に伴い東京寄りを複々線にしないと捌ききれない状態であったろうが、目蒲線や大井町線等既存の路線を活用し東横線や田園都市線を改良する事で複々線をぜずに対応した姿は記憶に新しい。西武は相鉄の乗り入れにやや難色を示しているらしいが、そこは是非西武の英断に期待する!


さて、皆様の鉄道の旅はいかがであろうか。たくさんの経験、そして素敵な思い出などあれば私に是非お知らせ願いたい。
鉄道での旅・・・私は今の時代にあえて「汽車旅」と表現したい。その汽車旅を楽しくしていく術は我々自身から歩み寄る・・・そして作り出すものではないか。そう感じてならない2021年である。


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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