新春ジャイアントシリーズ⑨ 紋穂内、ふたたび
2021-03-30
2021年、今回のダイヤ改正により消え去った駅をバックナンバーにて紹介しているが、どれもこれも名駅ばかりである。つまり秘境駅と称賛され、我々レールファンが喜びそうな駅ほどフェードアウトしていく確率が高いという、何とも皮肉な現象になるのが何故かもどかしい。

私の乗った名寄発稚内行き普通列車は、初冬の彩りを車窓に魅せながら更に北へ向かう。11月というと北海道は既に初冬どころかすっかり銀世界になってしまっている沿線各地であるが、東京方面とは違い列車は定刻通りレールを刻んでいる。

2014年訪問時の紋穂内はご覧の通り銀世界。まだ11月だというのにかなりの積雪である。というより、北海道では当たり前の風景かも知れないが、やはり関東人の私には分かっていてもサプライズ!
東京方面はほんの少し雪が積もっただけで列車のダイヤが乱れたり高速道路がマヒしたりと、何かと雪事情になれていないせいか対応が鈍い。その点、北海道などの雪国は、その雪景色さえ日常なのだから交通的にも何も動じずにいつもの風景通り時間が進行していく。それこそ初冬の雪など全く雪のうちに入らないのかも知れない。

上記のショットと同じ角度からの2017年。ハッキリ言って秘境駅であるが、そんなカテゴリーではくくれない素敵な魅力を兼ね備えている。
そんな北海道は宗谷本線の列車に揺られているうちに紋穂内に到着した。もちろん乗降客はゼロ。「もちろん」という表現は、実はあまりよろしくないかも知れないが、やはり朝晩に集中して利用者の発生する公共交通手段ゆえに、特に地方は顕著に現れる。


ホームなんてご覧の通り。かつては2面2線であったが、正直言ってあまりその面影を感じられない。強いて言えば、左側の不自然な雑草部分がそれらしい風景であるが・・・
そして2017年夏にレンタカーで訪問した時は・・・かなり驚愕した!駅は主要道路から外れ、更に駅に続く一本道の最終地点にその駅はあった。つまりその道は紋穂内駅のためにあるという事だ。末端に行くにつれだんだんヒトケが無くなってくる・・・普通の常識なら駅に向かいうにつれ賑やかになっていくものだが、ここではそんな常識が通用しない。というより、かつては盛栄してたのであろうが、時代は変われど、利用者にすれば例え1日数本しかやってこない列車でも貴重な「足」として決まった時間にやって来る。ちゃんと自身の任務を無言で果たしている。だから鉄道は素晴らしい!だからレールが好きなんだ!と思わず叫んでしまいそうな宗谷本線の旅はまだまだ続く・・・



そろそろ駅舎もリニューアル時期であろう。そして私が紋穂内で一番気になっているのはこの道の存在。主要道路から外れ、ひたすらこの駅のために伸びている道だ。いいね!

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私の乗った名寄発稚内行き普通列車は、初冬の彩りを車窓に魅せながら更に北へ向かう。11月というと北海道は既に初冬どころかすっかり銀世界になってしまっている沿線各地であるが、東京方面とは違い列車は定刻通りレールを刻んでいる。

2014年訪問時の紋穂内はご覧の通り銀世界。まだ11月だというのにかなりの積雪である。というより、北海道では当たり前の風景かも知れないが、やはり関東人の私には分かっていてもサプライズ!
東京方面はほんの少し雪が積もっただけで列車のダイヤが乱れたり高速道路がマヒしたりと、何かと雪事情になれていないせいか対応が鈍い。その点、北海道などの雪国は、その雪景色さえ日常なのだから交通的にも何も動じずにいつもの風景通り時間が進行していく。それこそ初冬の雪など全く雪のうちに入らないのかも知れない。

上記のショットと同じ角度からの2017年。ハッキリ言って秘境駅であるが、そんなカテゴリーではくくれない素敵な魅力を兼ね備えている。
そんな北海道は宗谷本線の列車に揺られているうちに紋穂内に到着した。もちろん乗降客はゼロ。「もちろん」という表現は、実はあまりよろしくないかも知れないが、やはり朝晩に集中して利用者の発生する公共交通手段ゆえに、特に地方は顕著に現れる。


ホームなんてご覧の通り。かつては2面2線であったが、正直言ってあまりその面影を感じられない。強いて言えば、左側の不自然な雑草部分がそれらしい風景であるが・・・
そして2017年夏にレンタカーで訪問した時は・・・かなり驚愕した!駅は主要道路から外れ、更に駅に続く一本道の最終地点にその駅はあった。つまりその道は紋穂内駅のためにあるという事だ。末端に行くにつれだんだんヒトケが無くなってくる・・・普通の常識なら駅に向かいうにつれ賑やかになっていくものだが、ここではそんな常識が通用しない。というより、かつては盛栄してたのであろうが、時代は変われど、利用者にすれば例え1日数本しかやってこない列車でも貴重な「足」として決まった時間にやって来る。ちゃんと自身の任務を無言で果たしている。だから鉄道は素晴らしい!だからレールが好きなんだ!と思わず叫んでしまいそうな宗谷本線の旅はまだまだ続く・・・



そろそろ駅舎もリニューアル時期であろう。そして私が紋穂内で一番気になっているのはこの道の存在。主要道路から外れ、ひたすらこの駅のために伸びている道だ。いいね!

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新春ジャイアントシリーズ⑦ いよいよ 南美深に到着
2021-03-25

いよいよ北海道の典型的な駅の姿・・・昔仮乗降場とか秘境駅など、宗谷本線は盛りだくさんであるうちのひとつであるここ南美深は、美深からひと駅しか離れてないのにひっそりしている。とはいうものの、美深まで近いのでそれなりに利用者が期待できそうだか・・・



恐らくレール事情を知らない方ならこれが待合室と聞くと驚愕するであろう。我々的には味があってなかなかいい待合室と素直に受け止める事ができる、というよりむしろ大歓迎!な雰囲気。
そしてなによりかつて国鉄路線であった美深から分岐する美幸線の東美深や辺渓に割りと近い距離にあるのも特長であろう。そして辺渓より先は仁宇布まで約10キロ以上の間駅がなかったということは、それだけ利用者が期待出来なかったという事で、集落的な物が無かった事を示唆する。






ホームも同じことがいえよう。ただ、ここ南美深は私が物心ついた時には既に「仮」ではなかった。国鉄⇒JRに変遷する前の国鉄時代のかなり前の時期に駅に昇格している。
その点南美深は先程も触れたが東美深や辺渓に近いという事もあり、かつてはそれなりの利用者があったのであろう。だが、周知の通り美幸線は「日本一赤字のローカル線」というレッテルを貼られたまま廃止になってしまった。といっても赤字額ではなくて赤字率なので、当時の東海道本線に比べたら全然微々たるものであるが、いずれにしても赤字「率」というより収支係数(営業係数)ワーストワンに輝いた実績もあるのだからやはり廃止されても仕方なかったであろう。それは、例えば北見枝幸まで繋がっていたとしても同じ事がいえるだろう。

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チャンピオンカーニバル③ 徳満にズームイン❗
2021-03-20

かつては素晴らしい国鉄式の木造駅舎があったが、現在は簡易なプレハブ的待合室に変更された。つい最近の出来事かと思っていたらかれこれ20年近く経っている。そして毎回書いているが、この駅も交換設備が外されて久しい。
駅前には国道が隣接するが、とにかく車が猛スピードで目の前を通過していく。のんびり走るローカル鉄道など地元の人にとっては無用の長物なのであろうか。
運転本数的にも運転時間帯的にも通勤より通学向きかも知れない部分もあるが、私のように関東に在住の人間でさえ普段は鉄道よりマイカーなのだから、地方なら尚更マイカーでなければ、いや、マイカーがなければ生活出来ないであろう。逆に東京都心部はマイカーだと不便な場合が多い。
そして最近は車を所有しない若者が増えているという。経済的な部分はもちろんあろうが、特に都心においてはむしろ地下鉄他公共交通機関の方が充実していて、むしろ車の方が駐車場などの問題もあり便が悪いかも知れない。




現在はプレハブ的な簡易待合室のみとなってしまった徳満。かつての駅舎の基礎が見え隠れするが、さぞかし素晴らしい木造建築であったろう。
そういえば「徳満」と聞いて、字は違えど国民的アナウンサーのイメージであろう。我が地元湘南地区に居を構え、東海道線などでの目撃情報も私が小学校時代に聞いた事がある。そして、なんといっても親子揃って私が崇拝する某ロックアーティストの大ファンという事もあり実に景気が良い!誰もがそう思ってしまいそうな駅前は、すぐ目の前に国道があるというのにひっそりと自身の役割を果たしていた。




確かに秘境駅であるが、駅前には国道がありビュンビュンと車が飛ばしてくる。その国道から少し入るだけでこんな異空間が広がっている。宗谷本線はそんな異空間を提供してくれる場面が多い。

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新春ジャイアントシリーズ④ 北星
2021-03-15
久々に時刻表を購入し改めて驚いた。各メディアにて既に報告は受けていたものの、2021年3月13日JRダイヤ改正号の時刻表をめくって見たら、各方面のページレイアウトが変更されていたり、特に北海道に関しては石北本線や宗谷本線などはかつてよりスペースがスッキリして圧縮されたイメージであった。つまり駅の廃止により駅名の羅列が減少したためのスッキリ感がイメージをそうさせたのだろう。
そのスッキリ感の中には秘境駅として人気が高かった駅も含まれており、レールファンとしては惜別の念を禁じえない状況であろう。そんな駅の数々を暫くバックナンバーで振り返ってみたい。

レールファン、特に秘境駅ファンにおいては大変有名な存在であろう北星であるが、特異な待合室の存在が圧倒的存在感を見せつけてくれるのは周知の事実であろう。日進との間にはかつて「智東」があったが、利用者僅少のため廃止されたのは2006年の事であった。2017年訪問時はレンタカーによる訪問であったが、地理上の都合からひとつ先の智恵文が先の訪問となった。そして先述通り酪農というよりはむしろ畑が多い風景となっている道を只管名寄方向に逆戻りする形で北星に向かった。



早速、レールファンにはお馴染みの待合室。強烈なアピールの文字帯が印象的であるが、特に冬季には本当にこの存在が守り神となる。
そういえば、かつて上野~盛岡間で寝台特急「北星」があった。今考えたら盛岡までの寝台特急ってなんだかものすごく特異な雰囲気を醸し出すが、更に驚く事に、上野~仙台間に「新星」という寝台急行が運転されていたのはご存知であろうか?私の知る限りでは当時20系の寝台列車であったが、確か東北新幹線か上越新幹線が開通した年の1982年に廃止されたのが私の記憶である。現在ではどちらも新幹線であれば数時間の距離で、とても「寝台」で旅する距離と時間の感覚はないであろう。若いレールファンには信じられないであろうが、そんな列車がかつては運転されていた上野口であった・・・みたいな事を思い出してしまうこの北星「駅」は、その事については全く縁もゆかりもないであろう事象である。


早速中へ。毎日利用できたら実に「いいね」的な雰囲気。本気で独占、いや、自身の書斎にしたい気分である。
普通列車でこの駅に到着すると「絶対に下車したい!」という気持ちに駆られるのは私だけであろうか?このままスルーしてしまうのはものすごく勿体無い気持ちになる。どうしてもあの特徴ある待合室が気になって気になって仕方がない。
2014年の訪問時は普通列車で普通に停車しただけで超物足りなかったが、2017年訪問時はレンタカーであったので、ある意味地元民感覚での訪問となった。先述したが、2017年訪問時は先に智恵文を訪問してからの北星への訪問となった。その智恵文の駅前の道から更に名寄方に向かうと北星に着くが、この道は実に「地元密着」の道である。





絶対的にかつての「仮」的佇まい。であるが、歴史的には「仮」の姿は無い。だが、木製の重みを余すことなく感じることができる足元は、まさに北海道特有の「名産品」であろう。
文明の利器が発達した現在でなければ恐らく私は車でたどり着けなかったであろう地元密着型の道路をひたすら進むが、北星に着く頃には更に地元密着型になり更にカーナビの威力を発揮したが、本気で地元の方が駅を利用する雰囲気で北星に到着する体験ができたのは実に嬉しかった。鉄道とは本来、利用者があって成り立つものである。と言うか、鉄道に限らず、バスなどの公共交通機関などは全てこの理屈に当てはまるが、鉄道以外の方法で北星を訪問してみると、よくぞこの場所に公共交通機関が存在するなと改めて感心してしまう環境である。我々レールファンはよく「秘境駅」などとネーミングをしてそういったカテゴリーを楽しんでいる部分もあるが、そのような形では語れない意味深な何かを感じさせてくれる北星の存在であった。先人の歴史があるものの、この現代において宗谷本線を経営するJR北海道の苦悩や努力が肌身で伝わってくる思いを感じた駅であった。もちろん、北星に私が訪問してすぐにこういう感覚になったという事ではないが、むしろ「改めて」と表現させていただいて実感したという事である。

現代シーンにおいてこういった風景を今でも体験できるのがレールファンが多く存在する理由でもあろう。特に宗谷本線ではこういった風景を体験できる場所が少なくないのも特徴。
特に北海道は国鉄時代は仮乗降場の宝庫であった。若いレールファンにとって「仮乗降場」というキーワードはほぼ伝説に近いであろう。北星は仮乗降場としての過去は無いが、国鉄時代は仮乗降場と呼ばれる駅がたくさんあり、むしろこの北星もこの部類に分類されてもおかしくない存在であった。正直言って駅とかつて仮乗降場の区別というか差というものが、私のような古いレールファンの場合は何となく感じる事ができた。だが、宗谷本線においては特にその「差」というものをあまり感じない印象であったのが2017年訪問時であった。

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そのスッキリ感の中には秘境駅として人気が高かった駅も含まれており、レールファンとしては惜別の念を禁じえない状況であろう。そんな駅の数々を暫くバックナンバーで振り返ってみたい。

レールファン、特に秘境駅ファンにおいては大変有名な存在であろう北星であるが、特異な待合室の存在が圧倒的存在感を見せつけてくれるのは周知の事実であろう。日進との間にはかつて「智東」があったが、利用者僅少のため廃止されたのは2006年の事であった。2017年訪問時はレンタカーによる訪問であったが、地理上の都合からひとつ先の智恵文が先の訪問となった。そして先述通り酪農というよりはむしろ畑が多い風景となっている道を只管名寄方向に逆戻りする形で北星に向かった。



早速、レールファンにはお馴染みの待合室。強烈なアピールの文字帯が印象的であるが、特に冬季には本当にこの存在が守り神となる。
そういえば、かつて上野~盛岡間で寝台特急「北星」があった。今考えたら盛岡までの寝台特急ってなんだかものすごく特異な雰囲気を醸し出すが、更に驚く事に、上野~仙台間に「新星」という寝台急行が運転されていたのはご存知であろうか?私の知る限りでは当時20系の寝台列車であったが、確か東北新幹線か上越新幹線が開通した年の1982年に廃止されたのが私の記憶である。現在ではどちらも新幹線であれば数時間の距離で、とても「寝台」で旅する距離と時間の感覚はないであろう。若いレールファンには信じられないであろうが、そんな列車がかつては運転されていた上野口であった・・・みたいな事を思い出してしまうこの北星「駅」は、その事については全く縁もゆかりもないであろう事象である。


早速中へ。毎日利用できたら実に「いいね」的な雰囲気。本気で独占、いや、自身の書斎にしたい気分である。
普通列車でこの駅に到着すると「絶対に下車したい!」という気持ちに駆られるのは私だけであろうか?このままスルーしてしまうのはものすごく勿体無い気持ちになる。どうしてもあの特徴ある待合室が気になって気になって仕方がない。
2014年の訪問時は普通列車で普通に停車しただけで超物足りなかったが、2017年訪問時はレンタカーであったので、ある意味地元民感覚での訪問となった。先述したが、2017年訪問時は先に智恵文を訪問してからの北星への訪問となった。その智恵文の駅前の道から更に名寄方に向かうと北星に着くが、この道は実に「地元密着」の道である。





絶対的にかつての「仮」的佇まい。であるが、歴史的には「仮」の姿は無い。だが、木製の重みを余すことなく感じることができる足元は、まさに北海道特有の「名産品」であろう。
文明の利器が発達した現在でなければ恐らく私は車でたどり着けなかったであろう地元密着型の道路をひたすら進むが、北星に着く頃には更に地元密着型になり更にカーナビの威力を発揮したが、本気で地元の方が駅を利用する雰囲気で北星に到着する体験ができたのは実に嬉しかった。鉄道とは本来、利用者があって成り立つものである。と言うか、鉄道に限らず、バスなどの公共交通機関などは全てこの理屈に当てはまるが、鉄道以外の方法で北星を訪問してみると、よくぞこの場所に公共交通機関が存在するなと改めて感心してしまう環境である。我々レールファンはよく「秘境駅」などとネーミングをしてそういったカテゴリーを楽しんでいる部分もあるが、そのような形では語れない意味深な何かを感じさせてくれる北星の存在であった。先人の歴史があるものの、この現代において宗谷本線を経営するJR北海道の苦悩や努力が肌身で伝わってくる思いを感じた駅であった。もちろん、北星に私が訪問してすぐにこういう感覚になったという事ではないが、むしろ「改めて」と表現させていただいて実感したという事である。

現代シーンにおいてこういった風景を今でも体験できるのがレールファンが多く存在する理由でもあろう。特に宗谷本線ではこういった風景を体験できる場所が少なくないのも特徴。
特に北海道は国鉄時代は仮乗降場の宝庫であった。若いレールファンにとって「仮乗降場」というキーワードはほぼ伝説に近いであろう。北星は仮乗降場としての過去は無いが、国鉄時代は仮乗降場と呼ばれる駅がたくさんあり、むしろこの北星もこの部類に分類されてもおかしくない存在であった。正直言って駅とかつて仮乗降場の区別というか差というものが、私のような古いレールファンの場合は何となく感じる事ができた。だが、宗谷本線においては特にその「差」というものをあまり感じない印象であったのが2017年訪問時であった。

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お馴染みもしものコーナー。もしも今の私が昔の時刻表を使って旅計画を立案したら。1978年ダイヤ改正版 急行王国日本列島縦断編 ③
2021-03-10

どぉ~ですか!この壮大な急行列車の乗り継ぎを。延べ92本の急行列車に乗車し16日間の旅となった!もちろん宿は夜行急行列車。待ち時間の長い駅では当然ながら食事と風呂を抜かりなく設定する。しかも寝台急行「天の川」を惜しみなく短区間での利用には、完全に「大人乗り」であろう。この区間でも寝台券を購入しなければならないが、とにかく急行のみでも「やればできる!」という事だ。

1970年代では私が人生で初めてひとりで乗車した急行「伊豆」が153系で運転されていた。そして時には155系の「修学旅行色」でも運転されている事があり、当時の私にとって155系の「伊豆」を見るのは超レアな出来事であった!(写真はミックス・マテリアル様提供)
ただ、残念だったのは両国発の房総急行と東京発の「伊豆」などを組み込めなかった事だ。いや「伊豆」に関していえば甲府より身延線を使えば組み込めたかも知れないが、静岡以降での急行の接続が「銀河」に限られてしまう事と、東京では東海道線以外に急行列車が繋がらないのでやや制約があるため今回は見送らせていただいた。それでも「踊り子世代」には「伊豆」「東海」の存在を知って欲しかったし、両国の「あのホーム」を想像して欲しかった思いである。

少々ピントが甘くて申し訳ないが、こちらは私が撮影した1980年前後の急行「外房」。大原での撮影であるが、当時木原線(現在のいすみ鉄道)の廃止情報を受け大原までやって来た時に撮影した。当時既に両国発の急行が全廃になるとの噂が流れていたので撮影したのだが、なにせ「キャノン デミEE28」での撮影のためこのような画像に・・・
いずれにしてもこれだけ多くの急行列車や夜行急行列車が運転されていたら旅も楽しくなるであろう。いや、現在のように特急列車しか無い時代に、急行列車はどのような輝きを魅せてくれるであろうか。確かに急行列車はグリーン車ではない限り乗り心地は決して良いとは言えない場合もあるであろう。そして停車駅が多い分所要時間がかかるであろう。ただ、視点を変えた時、急行列車の輝きはひと一倍眩しいに違いない。私はそんな健気な急行列車をひたすら求めて、いつしか過去の旅に出たくなった。

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お馴染みもしものコーナー。もしも今の私が昔の時刻表を使って旅計画を立案したら。1978年ダイヤ改正版 急行王国日本列島縦断編 ②
2021-03-05
1978年の時刻表を使い急行列車のみによる日本列島縦断の旅を立案してみたが、立案したらものすごい事になった❕それこそ当時ケイブンシャ発行の「特急 急行大百科」に載っている懐かしい急行列車がワンサカと、さも現役で走っているかのような錯覚に陥る。実に興奮の雨霰となる数字の羅列は、眺めているだけでいつしか時の経つのを忘れてしまう感じだ。チャンスがあったら是非皆様も1978年バージョンの時刻表をお手に取ってご覧いただきたい所存である。

お馴染みの写真で申し訳ないが・・・1983年に撮影した白糠駅での急行「まりも」。14系とは今考えたら豪華急行列車であったが、1970年代に活躍した急行「阿蘇」や「くにさき」が当時14系を使用していて「豪華急行客車」と称賛されていた時代があったのだ!
ところで当時私が超お気に入りだった急行列車は「阿蘇」「くにさき」である!新大阪から熊本、大分間を夜行列車として運転され、当時最新であったろう14系座席客車急行列車でさながらブルートレインのイメージであった。
更に当時の急行列車の特徴として分割、併合が多く繰り返される事だ。イメージ的にはかつての特急「かもめ」「みどり」のように肥前山口で分割、併合されていた感じであるのだが、かつての急行はもっと凄い。「千秋」「こまくさ」や「らいでん」「いぶり」など無数に存在していた急行列車は途中駅で分割、併合を繰返し、結局主軸となる列車名は何?というくらいふたつみっつと途中駅でのイベントが多く、三階建や四階建の急行列車が全国にゴマンといた時代であった。

今回はこちらの時刻表を使用。1978年であるから急行列車がゴマンと掲載されていた!
そして今回の立案では盛岡発盛岡行きの「五葉」を意地でも組み込んだ事だ。ヤングなレールファンには是非知ってほしいこの急行は盛岡から花巻に向かい釜石線と山田線を経由して盛岡に戻ってくるという何ともエキゾチックな急行である!
そして寝台特急としても馴染み深かった「出羽」は1978年ではなんとDCで運転されていた夜行急行列車であった。上野~酒田間の運転であったが、余目よりなんと陸羽西線経由となるのだ!そして新庄より奥羽本線経由で上野へ向かう。つまり上野にDCが夜行列車でやって来るということだ!

そして今や貴重な画像となった上野駅への気動車乗り入れ時代。ご覧の通り水郡線を経由する急行列車であるが、今回の計画では水郡線の急行は組み込めなかったのでせめてお写真を・・・(写真はダイナミック✩トナカイ提供)
そしてこの時代に私は上野駅に何度も足を運んでいたが、旧型客車の「鳥海」や「越前」などが見られ、当時はなんの列車だかわからなかったが、今となっては写真に収めなかった事を実に悔やんでしまう。
また、今回の立案では只見線の急行「奥只見」や懐かしい上越線の急行「佐渡」、そして昼間バージョンの「日南」や長崎本線の「弓張」など本線を走る急行も盛り沢山に組み込み、更に駄目押しで、廃止された佐賀線経由の「ちくご」も後半に強引に入れてみた。さて皆様はどの辺りまでこれらの急行列車をご存知のであろうか。そしてどの急行に馴染みがありそして思い入れがおありであろうか。そんな輝かしい時代を走り抜けた急行列車達の思いを私にお知らせいただけたら幸いである。

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お馴染みの写真で申し訳ないが・・・1983年に撮影した白糠駅での急行「まりも」。14系とは今考えたら豪華急行列車であったが、1970年代に活躍した急行「阿蘇」や「くにさき」が当時14系を使用していて「豪華急行客車」と称賛されていた時代があったのだ!
ところで当時私が超お気に入りだった急行列車は「阿蘇」「くにさき」である!新大阪から熊本、大分間を夜行列車として運転され、当時最新であったろう14系座席客車急行列車でさながらブルートレインのイメージであった。
更に当時の急行列車の特徴として分割、併合が多く繰り返される事だ。イメージ的にはかつての特急「かもめ」「みどり」のように肥前山口で分割、併合されていた感じであるのだが、かつての急行はもっと凄い。「千秋」「こまくさ」や「らいでん」「いぶり」など無数に存在していた急行列車は途中駅で分割、併合を繰返し、結局主軸となる列車名は何?というくらいふたつみっつと途中駅でのイベントが多く、三階建や四階建の急行列車が全国にゴマンといた時代であった。

今回はこちらの時刻表を使用。1978年であるから急行列車がゴマンと掲載されていた!
そして今回の立案では盛岡発盛岡行きの「五葉」を意地でも組み込んだ事だ。ヤングなレールファンには是非知ってほしいこの急行は盛岡から花巻に向かい釜石線と山田線を経由して盛岡に戻ってくるという何ともエキゾチックな急行である!
そして寝台特急としても馴染み深かった「出羽」は1978年ではなんとDCで運転されていた夜行急行列車であった。上野~酒田間の運転であったが、余目よりなんと陸羽西線経由となるのだ!そして新庄より奥羽本線経由で上野へ向かう。つまり上野にDCが夜行列車でやって来るということだ!

そして今や貴重な画像となった上野駅への気動車乗り入れ時代。ご覧の通り水郡線を経由する急行列車であるが、今回の計画では水郡線の急行は組み込めなかったのでせめてお写真を・・・(写真はダイナミック✩トナカイ提供)
そしてこの時代に私は上野駅に何度も足を運んでいたが、旧型客車の「鳥海」や「越前」などが見られ、当時はなんの列車だかわからなかったが、今となっては写真に収めなかった事を実に悔やんでしまう。
また、今回の立案では只見線の急行「奥只見」や懐かしい上越線の急行「佐渡」、そして昼間バージョンの「日南」や長崎本線の「弓張」など本線を走る急行も盛り沢山に組み込み、更に駄目押しで、廃止された佐賀線経由の「ちくご」も後半に強引に入れてみた。さて皆様はどの辺りまでこれらの急行列車をご存知のであろうか。そしてどの急行に馴染みがありそして思い入れがおありであろうか。そんな輝かしい時代を走り抜けた急行列車達の思いを私にお知らせいただけたら幸いである。

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