常盤軒よ永遠に・・・
2021-04-30

少々タイムラグがあるが残念なお知らせが届いた。新型肺炎による自粛等の関係により昨年から臨時休業していた音威子府の常盤軒であるが、今年の2月に店主が他界され正式に常盤軒の閉店が決定した。数々の思い出を残してくれた常磐軒は国鉄時代からの歴史に幕が降りた事実はしっかりと受け止めなければならない。JR化後はホーム上にあったものが駅舎内に移された常盤軒であるが、主(あるじ)の健在時代では常々「私の代でおしまい」と各メディアで発言していた。しかしながら、まさかこんなに早いタイミングでこの時を迎えようとは思いもしなかった。
私はもちろん国鉄時代からこの「名物」の存在を知っていたが、実際に音威子府に下車したのは2014年であった。そして2017年にはレンタカーにて再訪しているが、その訪問が最後となったのは非常に残念な思いである。今回は広島シリーズの途中であるが、数々の思い出を残してくれた常盤軒を、感謝の意を込めて追悼したく記事を寄せた。

2014年訪問時には普通列車からの訪問であった。できれば国鉄時代に旧型客車に揺られながらこの駅に降り立ってみたかったが、その夢は叶わず。国鉄時代の音威子府での普通列車は停車時間を長く取る場面が多々あったので常盤軒に寄るには最適な環境であったろう。

国鉄時代はホーム上にあった常盤軒であるが、JR化後の1990年に駅舎を改装した際に駅舎内に移転した。駅舎内にはお馴染みの天北線資料室もある。バスターミナルも併設され、正に村の中心的存在だ。





そしていざ「音威子府そば」へ。しかしながら長蛇の列!この後バス運転手もつかの間の休憩時間を使い常盤軒に訪問。なんとひとりで2杯も平らげ何事も無かったかのように去っていった。


蕎麦殻も一緒に挽いちゃう凄い蕎麦は、独特の風味がたまらない!つゆの味も、いわゆる「関東風」と表現すればいいのか、私的には程よい濃さがやみつきに。

たくさんの思い出をありがとうございます!心よりご冥福をお祈りいたします。
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広島。そこは素晴らしき鉄道ワンダーランドだった。⑤
2021-04-25
三次に到着すると、広島方面へ乗り換えのため同じ顔ぶれの面々でダービー戦を繰り広げなければならない。更に広島方面へは特に地元の方の利用が格段に増え、広島に到着する頃にはフルハウスになっていく。
特に近年に廃止された一部の区間が復活した事で話題になった可部線が川を挟んで芸備線と並走。下深川付近では対岸にまで接近する。既にこの辺りは広島の市街地が続いていて利用者が特に多く、我々レールファンがイメージするあの芸備線のイメージからはかなりかけ離れている。いっそ広島~三次間は電化してもいいんじゃねぇ?と思わせる盛況ぶりであった。

三次より芸備線で広島へ向かう。広島に近づくにつれ段々と景色が都会化していくが、特に可部線とは下深川付近で川を挟んで対岸にまで接近する。
広島に着くと一旦宿にチョックインし荷物を置き身軽になって可部線に向かった。可部線はご存知、現在は横川~あき亀山間の運転であるが、私の訪問時はあき亀山~可部はまだ工事中であった。というか、可部~三段峡間は廃止されてしまい一気に営業距離が半減したイメージであった。更に三段峡の先に浜田までの延伸予定があった事を思うと非常に感慨深いものがある。もちろん、現在はこのルートに近い形で高速道路が開通し、私も実際に利用しているのだが、やはり鉄道としては旅客営業のみで銭儲けをするには到底商売にはならないであろう沿線風景であった。だが、私の少年時代にこうした未成線の計画を目にすると、何だか夢が膨らむ・・・そんな思いが私をレールファンにさせ、そして現在もその思いを維持している・・・という事なのであろう。
それは大町に到着すると「アストラムライン」と交差する風景を見て無意識の妙な胸騒ぎがするという事からも考えて、非常に分かりやすいであろう私の性格がお分かりであろう。大町についてウィキで調べてみると、やはりアストラムラインが開通してから利用者が格段に増えたのがわかる。ただ、アストラムラインの新白島駅開業で再び利用者が減少しアストラムライン開業前に戻ってしまったが、それでも大町の存在意義や重要性は変わらないと思う。

可部線にある中島は、開業以来増減はあるものの着実に利用者が増えている。可部線の中では割と地味な部類に入るが、こうした「縁の下の力持ち」こそ欠かせない収入源となっているのは言うまでもない。
可部に到着すると、広島方面へ乗り換えのため同じ顔ぶれの面々でダービー戦を繰り広げなければならない。更に広島方面へは特に地元の方の利用が格段に増え、広島に到着する頃にはフルハウスになっていく。
特に近年に廃止された一部の区間が復活した事で話題になった可部線が川を挟んで芸備線と並走。下深川付近では対岸にまで接近する。既にこの辺りは広島の市街地が続いていて利用者が特に多く、我々レールファンがイメージするあの芸備線のイメージからはかなりかけ離れている。いっそ広島~三次間は電化してもいいんじゃねぇ?と思わせる盛況ぶりであった。


私の訪問当時終着駅であった可部。ここから先三段峡までレールが敷かれていた事は周知の事実であるが、三段峡まで開業したのが1969年である・・・という事は私と同世代であるので何となく親しみ深さを感じる。
広島に着くと一旦宿にチョックインし荷物を置き身軽になって可部線に向かった。可部線はご存知、現在は横川~あき亀山間の運転であるが、私の訪問時はあき亀山~可部はまだ工事中であった。というか、可部~三段峡間は廃止されてしまい一気に営業距離が半減したイメージであった。更に三段峡の先に浜田までの延伸予定があった事を思うと非常に感慨深いものがある。もちろん、現在はこのルートに近い形で高速道路が開通し、私も実際に利用しているのだが、やはり鉄道としては旅客営業のみで銭儲けをするには到底商売にはならないであろう沿線風景であった。だが、私の少年時代にこうした未成線の計画を目にすると、何だか夢が膨らむ・・・そんな思いが私をレールファンにさせ、そして現在もその思いを維持している・・・という事なのであろう。
それは大町に到着すると「アストラムライン」と交差する風景を見て無意識の妙な胸騒ぎがするという事からも考えて、非常に分かりやすいであろう私の性格がお分かりであろう。大町についてウィキで調べてみると、やはりアストラムラインが開通してから利用者が格段に増えたのがわかる。ただ、アストラムラインの新白島駅開業で再び利用者が減少しアストラムライン開業前に戻ってしまったが、それでも大町の存在意義や重要性は変わらないと思う。


可部線ではこんな車両が活躍していた。私のイメージでは旧型国電等がビュンビュン走っていた過去のイメージしかなかったためある意味斬新な光景であったのだが、そこに「国鉄」がまだ頑張っている姿が実にいい!
そんな可部線は、私にとって国鉄時代、制覇したくても制覇できなかった路線である。先述通り、往復すると半日取られてしまう関係から制覇日程が組み辛かったのが最大の原因であるが、今になって無理してでも三段峡まで行くべきだったと思う。ただ、幸いしたのはJRになっても廃止されずに生き残っていた事である。これは実に意味があり素晴らしい事。あの三段峡や戸河内など現役の姿でご覧になった方も少なくないであろう。三段峡まで開通したのは私の生まれた時と同じく1969年であるので尚更親しみを感じずにはいられない。当時のモダンな駅舎は一度は訪れてみたい素敵な物件であった。
後年にレンタカーで他の廃線部分と一緒に訪問しているが、現在はあのモダンな駅舎もなく、やたら広い空間だけが当時の面影を残すのみとなっていたのはかなりさみしい思いであった。であるが、そこの鉄道の歴史が存在した事には変わりない!

可部のホームで新旧の共演。当時終点だったので当然ながら乗ってきた列車の全ての乗客が改札に向かったが・・・ただひとりその流れに逆らった反逆者がいた。それは何を隠そう私であった・・・

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特に近年に廃止された一部の区間が復活した事で話題になった可部線が川を挟んで芸備線と並走。下深川付近では対岸にまで接近する。既にこの辺りは広島の市街地が続いていて利用者が特に多く、我々レールファンがイメージするあの芸備線のイメージからはかなりかけ離れている。いっそ広島~三次間は電化してもいいんじゃねぇ?と思わせる盛況ぶりであった。

三次より芸備線で広島へ向かう。広島に近づくにつれ段々と景色が都会化していくが、特に可部線とは下深川付近で川を挟んで対岸にまで接近する。
広島に着くと一旦宿にチョックインし荷物を置き身軽になって可部線に向かった。可部線はご存知、現在は横川~あき亀山間の運転であるが、私の訪問時はあき亀山~可部はまだ工事中であった。というか、可部~三段峡間は廃止されてしまい一気に営業距離が半減したイメージであった。更に三段峡の先に浜田までの延伸予定があった事を思うと非常に感慨深いものがある。もちろん、現在はこのルートに近い形で高速道路が開通し、私も実際に利用しているのだが、やはり鉄道としては旅客営業のみで銭儲けをするには到底商売にはならないであろう沿線風景であった。だが、私の少年時代にこうした未成線の計画を目にすると、何だか夢が膨らむ・・・そんな思いが私をレールファンにさせ、そして現在もその思いを維持している・・・という事なのであろう。
それは大町に到着すると「アストラムライン」と交差する風景を見て無意識の妙な胸騒ぎがするという事からも考えて、非常に分かりやすいであろう私の性格がお分かりであろう。大町についてウィキで調べてみると、やはりアストラムラインが開通してから利用者が格段に増えたのがわかる。ただ、アストラムラインの新白島駅開業で再び利用者が減少しアストラムライン開業前に戻ってしまったが、それでも大町の存在意義や重要性は変わらないと思う。

可部線にある中島は、開業以来増減はあるものの着実に利用者が増えている。可部線の中では割と地味な部類に入るが、こうした「縁の下の力持ち」こそ欠かせない収入源となっているのは言うまでもない。
可部に到着すると、広島方面へ乗り換えのため同じ顔ぶれの面々でダービー戦を繰り広げなければならない。更に広島方面へは特に地元の方の利用が格段に増え、広島に到着する頃にはフルハウスになっていく。
特に近年に廃止された一部の区間が復活した事で話題になった可部線が川を挟んで芸備線と並走。下深川付近では対岸にまで接近する。既にこの辺りは広島の市街地が続いていて利用者が特に多く、我々レールファンがイメージするあの芸備線のイメージからはかなりかけ離れている。いっそ広島~三次間は電化してもいいんじゃねぇ?と思わせる盛況ぶりであった。


私の訪問当時終着駅であった可部。ここから先三段峡までレールが敷かれていた事は周知の事実であるが、三段峡まで開業したのが1969年である・・・という事は私と同世代であるので何となく親しみ深さを感じる。
広島に着くと一旦宿にチョックインし荷物を置き身軽になって可部線に向かった。可部線はご存知、現在は横川~あき亀山間の運転であるが、私の訪問時はあき亀山~可部はまだ工事中であった。というか、可部~三段峡間は廃止されてしまい一気に営業距離が半減したイメージであった。更に三段峡の先に浜田までの延伸予定があった事を思うと非常に感慨深いものがある。もちろん、現在はこのルートに近い形で高速道路が開通し、私も実際に利用しているのだが、やはり鉄道としては旅客営業のみで銭儲けをするには到底商売にはならないであろう沿線風景であった。だが、私の少年時代にこうした未成線の計画を目にすると、何だか夢が膨らむ・・・そんな思いが私をレールファンにさせ、そして現在もその思いを維持している・・・という事なのであろう。
それは大町に到着すると「アストラムライン」と交差する風景を見て無意識の妙な胸騒ぎがするという事からも考えて、非常に分かりやすいであろう私の性格がお分かりであろう。大町についてウィキで調べてみると、やはりアストラムラインが開通してから利用者が格段に増えたのがわかる。ただ、アストラムラインの新白島駅開業で再び利用者が減少しアストラムライン開業前に戻ってしまったが、それでも大町の存在意義や重要性は変わらないと思う。


可部線ではこんな車両が活躍していた。私のイメージでは旧型国電等がビュンビュン走っていた過去のイメージしかなかったためある意味斬新な光景であったのだが、そこに「国鉄」がまだ頑張っている姿が実にいい!
そんな可部線は、私にとって国鉄時代、制覇したくても制覇できなかった路線である。先述通り、往復すると半日取られてしまう関係から制覇日程が組み辛かったのが最大の原因であるが、今になって無理してでも三段峡まで行くべきだったと思う。ただ、幸いしたのはJRになっても廃止されずに生き残っていた事である。これは実に意味があり素晴らしい事。あの三段峡や戸河内など現役の姿でご覧になった方も少なくないであろう。三段峡まで開通したのは私の生まれた時と同じく1969年であるので尚更親しみを感じずにはいられない。当時のモダンな駅舎は一度は訪れてみたい素敵な物件であった。
後年にレンタカーで他の廃線部分と一緒に訪問しているが、現在はあのモダンな駅舎もなく、やたら広い空間だけが当時の面影を残すのみとなっていたのはかなりさみしい思いであった。であるが、そこの鉄道の歴史が存在した事には変わりない!

可部のホームで新旧の共演。当時終点だったので当然ながら乗ってきた列車の全ての乗客が改札に向かったが・・・ただひとりその流れに逆らった反逆者がいた。それは何を隠そう私であった・・・

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広島。そこは素晴らしき鉄道ワンダーランドだった。④
2021-04-20
井原鉄道に乗り神辺に着き福塩線に乗り換えるのだが、実はまだ未制覇で初乗りのため一旦福山まで出なければならない。ただ今回は福山で折り返しても府中より先の接続がちゃんとあるのが素晴らしい。そして福山から府中までは電化区間であるから何気に都会的雰囲気を感じる。

井原鉄道でいよいよ神辺へ。これより福塩線で一旦福山まで出て折り返し府中方面へ向かう。
たが、この福塩線の福山から府中までの間はかつて神高鉄道であった。神高鉄道とは福塩線の部分の他に神辺から井原までの支線を持っていた。つまり旧・井笠鉄道の井原~神辺間と福塩線の福山から府中間は同じ神高鉄道が運営していたのだ!ただ、神高鉄道の経営難により自社の会社買収先を巡り互いに道を分けた訳だが、もし後の井笠鉄道の部分も国が買収していたら現在の展開はどうなっていただろうか。
そんな思いを胸に秘め福塩線を福山で折り返すのだが、福山から乗る列車は何とフルハウス!大盛況のまままさか府中までいくのだろうか…そして府中より先もまさか!の展開なのであろうか…流れる車窓が更に不安な思いを募らせる。

1983年に宇部で撮影したと思われる当時新鋭の105系。宇部線の旧型車両の置き換えとして活躍していた当時、同じ時期に電化開業した筑肥線の姪浜~西唐津で運転された103系1500番台とあまり見分けが付かなかった。
そういえば、ご覧の皆様に伝えるのを忘れていた事があった。この旅の日程は夏…つまり全国的に「青春」なのだ。皆が皆というわけでは勿論ないが、18を握りしめた「さすらい人」が、特にこうした「ローカル線」と呼ばれる地方鉄道に出没する可能性が非常に高くなる。つまり府中から先も同じ顔ぶれで三次まで列車にお世話になる確率が高いであろうわけだ。

画像はウィキペディアより、横尾にて列車交換中の105系。現在の福塩線・福山~府中間の主力車両だ。とは言え、国鉄時代の1981年より製造が始まって以来40年が経過している。JR西では既にフェードアウトが始まっているのでこの光景も見れるのは「今でしょう!」かも知れない。
数々の旅を重ねてきた私の予測は当たった。府中より先に進むためには座席の確保に命を掛けなければならない。そのため府中のひとつ手前の駅を過ぎたら座席を捨て下車の準備を整えたのだが「どうせ次で降りるのだから、今さら座席が空いても…」と周囲は感じたかも知れない。ある意味私は悪者になっていたのであろうか。沿線風景よりも座席確保。私は今持っている全ての力を出しながら府中駅のホームの先に待つ福塩線の気動車に向かった。
ただ、私の予測が「跨線橋を渡る」だったので、まさか跨線橋を使わずホームの先端に乗り換え列車が待っているとは思わなかった。私は編成の中央付近にいたため一目散にならざるを得なかった。プライドを捨て、全てを捨て、あの気動車のドアに向かい命をかけている自分がそこに居た。
などと、府中での乗り換えのためにかなりのスペースを割いてしまったが、結論として福山から三次までほぼ同じメンバーにての福塩線ご一行であった。

プロ野球ファンなら誰でも食いつきそうな駅名の「ムードメーカー」は、現役当時は基本ファーストの守備であったが、たまにサードに回ると俄然燃える。もちろんチーム優勝には何度も大きく貢献し人気も高かった。
塩町で芸備線と合流するが、福山側では両者がダブルクロスで処理されている。そして島式ホーム1本で旅客が扱われるため2番線の列車は予め行き先を確認しないとどえらい事になる。というより、地元の利用される方などは既に周知の事象として受け止めていらっしゃるであろうがため行き先を間違えて乗車するということはまず皆無であろう。ただ、私のような首都圏に在住すると、行き先をあまり意識しないで来た列車に乗車してしまう癖があったりする。特に時間が無い時にはそんな場面に遭遇してしまう場合が多い。ある意味塩町はそうしたイリュージョン的な何かが潜んだ、もしかしたらマリック的なハンドパワーよりトリッキーな駅かも知れない。

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井原鉄道でいよいよ神辺へ。これより福塩線で一旦福山まで出て折り返し府中方面へ向かう。
たが、この福塩線の福山から府中までの間はかつて神高鉄道であった。神高鉄道とは福塩線の部分の他に神辺から井原までの支線を持っていた。つまり旧・井笠鉄道の井原~神辺間と福塩線の福山から府中間は同じ神高鉄道が運営していたのだ!ただ、神高鉄道の経営難により自社の会社買収先を巡り互いに道を分けた訳だが、もし後の井笠鉄道の部分も国が買収していたら現在の展開はどうなっていただろうか。
そんな思いを胸に秘め福塩線を福山で折り返すのだが、福山から乗る列車は何とフルハウス!大盛況のまままさか府中までいくのだろうか…そして府中より先もまさか!の展開なのであろうか…流れる車窓が更に不安な思いを募らせる。

1983年に宇部で撮影したと思われる当時新鋭の105系。宇部線の旧型車両の置き換えとして活躍していた当時、同じ時期に電化開業した筑肥線の姪浜~西唐津で運転された103系1500番台とあまり見分けが付かなかった。
そういえば、ご覧の皆様に伝えるのを忘れていた事があった。この旅の日程は夏…つまり全国的に「青春」なのだ。皆が皆というわけでは勿論ないが、18を握りしめた「さすらい人」が、特にこうした「ローカル線」と呼ばれる地方鉄道に出没する可能性が非常に高くなる。つまり府中から先も同じ顔ぶれで三次まで列車にお世話になる確率が高いであろうわけだ。

画像はウィキペディアより、横尾にて列車交換中の105系。現在の福塩線・福山~府中間の主力車両だ。とは言え、国鉄時代の1981年より製造が始まって以来40年が経過している。JR西では既にフェードアウトが始まっているのでこの光景も見れるのは「今でしょう!」かも知れない。
数々の旅を重ねてきた私の予測は当たった。府中より先に進むためには座席の確保に命を掛けなければならない。そのため府中のひとつ手前の駅を過ぎたら座席を捨て下車の準備を整えたのだが「どうせ次で降りるのだから、今さら座席が空いても…」と周囲は感じたかも知れない。ある意味私は悪者になっていたのであろうか。沿線風景よりも座席確保。私は今持っている全ての力を出しながら府中駅のホームの先に待つ福塩線の気動車に向かった。
ただ、私の予測が「跨線橋を渡る」だったので、まさか跨線橋を使わずホームの先端に乗り換え列車が待っているとは思わなかった。私は編成の中央付近にいたため一目散にならざるを得なかった。プライドを捨て、全てを捨て、あの気動車のドアに向かい命をかけている自分がそこに居た。
などと、府中での乗り換えのためにかなりのスペースを割いてしまったが、結論として福山から三次までほぼ同じメンバーにての福塩線ご一行であった。

プロ野球ファンなら誰でも食いつきそうな駅名の「ムードメーカー」は、現役当時は基本ファーストの守備であったが、たまにサードに回ると俄然燃える。もちろんチーム優勝には何度も大きく貢献し人気も高かった。
塩町で芸備線と合流するが、福山側では両者がダブルクロスで処理されている。そして島式ホーム1本で旅客が扱われるため2番線の列車は予め行き先を確認しないとどえらい事になる。というより、地元の利用される方などは既に周知の事象として受け止めていらっしゃるであろうがため行き先を間違えて乗車するということはまず皆無であろう。ただ、私のような首都圏に在住すると、行き先をあまり意識しないで来た列車に乗車してしまう癖があったりする。特に時間が無い時にはそんな場面に遭遇してしまう場合が多い。ある意味塩町はそうしたイリュージョン的な何かが潜んだ、もしかしたらマリック的なハンドパワーよりトリッキーな駅かも知れない。

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広島。そこは素晴らしき鉄道ワンダーランドだった。③
2021-04-15


1982年8月、伯備線電化直後に新見で撮影した381系「やくも」であるが(上)、総社では同じく381系が時代を超えてお出迎えしてくれた(下)。
姫路で姫新線制覇を潔く断念した私は山陽本線で一路岡山に向かった。姫路~岡山間はやや輸送量が少なくなるという事もあるが、特に国鉄時代では姫路以東と以西での列車接続があまり良かったとは言えない印象であり待ち時間が長く、なんとか新幹線に乗ってもらおうという思惑が見え隠れするダイヤ設定であった。現在ではそうした待ち時間も少なくなり、乗り換えは割とスムーズに進行するので利用する側にしてみたら嬉しい事であろう。そのお陰で姫新線制覇断念の落ち込みもやや和らいでくる。

井原鉄道の起点となっている総社。実際の分岐点は清音であるため清音~総社間はJRと線路を共用する形となる。
さて、姫路より先は相生より赤穂線を使ってもよかったのだが、山陽本線経由の方が後の乗り換えによく響く。という事で山陽本線の列車に乗り岡山に向かった。岡山より約25年振りになる吉備線に乗車し総社より初訪となる井原鉄道のホームに向かう。井原鉄道の分岐点は清音なのだが、起点は総社にはちゃんと独立した井原鉄道の改札がある。レールに関しては総社~清音間はJRに間借りしている事になるのだが、それより何より敷設工事凍結路線が井原鉄道として、更に第三セクターとしてスタートを切ったという事は実に大きな意味があるのではなろうか。かつては井笠鉄道矢掛線が北川から分岐されて矢掛に至っていた。矢掛といえばレールファンにはお馴染みの、矢掛鉄道時代の矢掛「駅」の駅舎が現在もバスターミナルの建家として利用されているのは周知の通りであろう。井原鉄道の一部はこの井笠鉄道の転用又は並走するが、そういう経緯が四国の阿佐東線に何となく似ている部分もあり、私にしてみたら興味津々である。

沿線最大の都市・井原。井笠鉄道時代の駅は現在の位置より若干北側にありスイッチバックのような形をとっていた。井原を境に別会社だった歴史があった理由となるが、後に複雑な変遷を経て合併し廃止に至る。そして現在の形に姿を変え鉄道復活となる。
そして井原から神辺間であるが、こちらも私の地元・神奈川にある相模線と同じように複雑な変遷があるのでその追求に関しては時間がいくらあっても足りないくらい興味ありすぎなイメージである。つまり現在の井原鉄道の原型が既に井笠鉄道時代に存在していたという事になり、一部の時期に鉄道の存在が無かったものの、軽便鉄道から第三セクターに形は変われど古い歴史がこの鉄道路線に存在する事になる。特に沿線最大の都市でもある井原は井笠鉄道時代とはかなり異なる位置に駅が移動した事になるのだが、その中心的役割は変わらないであろう。かつての井原駅は農協などに転用されているが、それでも周辺には若干ながらも当時の面影を感じる事ができる箇所もあり、一度下車してみたいものである。そんな井原鉄道に揺られながら広島に向けまだまだ旅は進行する。

総社に停車中の井原線DC。総社~清音間はJRを走るのだが、井原鉄道はいわゆる第2種鉄道事業者である。もちろん清音~総社間はどちらを利用しても料金は同じだ。

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広島。そこは素晴らしき鉄道ワンダーランドだった。②
2021-04-10
2009年8月、広島地区限定という初の試みの乗り潰しは、寝台特急「サンライズ」からの幕開けとなる。早朝の姫路より姫新線や芸備線を乗り継いで広島に向かい、翌日に路面電車と新都市交通を制覇、更にその翌日にはスカイレールを乗り潰す計画となっている。ところが…
さて、久々サンライズの乗車になるが、今回は可部サンライズツイン」を利用。やはり昭和世代の私にとって寝台特急の個室は特別なものを感じる。開放型寝台が主流だった国鉄時代は、個室寝台こそ「夢の寝台特急」であったが、平成の時代では個室寝台はむしろ常識であり、開放型寝台は、というより寝台とって自体の減少により姿を見る機会がメッキリ減ってしまった。それどころか、現在では国内唯一になってしまった定期便の寝台特急は今や貴重な存在である。
そんな思いを秘めながら横浜より折れながら開く扉をくぐり抜け広島への第一歩を踏み出した。

高松で撮影した「サンライズ」。現在では国内で唯一の定期便寝台特急となってしまった貴重な存在。しかも国鉄時代には考えられなかった本州から四国への列車乗り入れが実現。客車寝台特急「瀬戸」から受け継いでの「サンライズ」は583系とは全く異なる形での電車寝台が実現し現在に至る。
期待に胸を膨らませ、順風満帆な旅となる予定であったが…
早朝の姫路で下車し姫新線に乗り換えるのだが、とりあえず朝食を摂らねば。駅前を探していると意外にもこんな時間からなどと言っては失礼かもしれないが、早朝より営業している喫茶店を発見!時間もある事だし、とりあえずこちらに身を潜めることにした。
モーニングセットを一瞬で平らげ姫新線に乗るために駅に戻りホームに向かう。すると…なにやらおかしい。発車時刻確認のため案内板を見たら、何と水害で不通になっていたのであった!事前情報を持たないまま現地入りしていたので唖然。もちろん代行バスなど運転の案内はされてはいるが、代行バスでは制覇にならない。
「うわっ、マジかっ!」
姫新線→芸備線のパターンは脆くも崩れ去った。いや、私のようなイレギュラーの乗客ならまだしも、レギュラーのお客様はどれだけの不便を強いられているかを考えたらやはりレギュラーのお客様に少しでも迷惑がかからぬよう復旧していただけたらこれ幸いであろう。

今回の旅では制覇の実現ができなかった姫新線。一日も早い復旧が望まれたが・・・やはり地元の方に利用されてこそ、という本来の使命が果たされて初めてその存在意義を知る事となる。
では、私のこれからの旅の予定はどうしようか。その場で即興の立案をする。まず岡山に出て再訪となる吉備線に乗り総社で井原鉄道、神辺で福塩線に乗り換え一旦福山まで出て折り返し福塩線で御代志まで出てみよう。そんな構図が瞬時に浮かび上がった。では時刻表と照らし合わせてみると…これがドンピシャでものの見事にハマったのであった!当時未乗車の福塩線も府中から先の三次まで、少ない列車本数ながらちゃんと接続されている。よし、急遽予定変更!姫新線は次回になったものの、初訪の福塩線と井原鉄道を含め広島地区制覇へのアプローチが始まった。

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さて、久々サンライズの乗車になるが、今回は可部サンライズツイン」を利用。やはり昭和世代の私にとって寝台特急の個室は特別なものを感じる。開放型寝台が主流だった国鉄時代は、個室寝台こそ「夢の寝台特急」であったが、平成の時代では個室寝台はむしろ常識であり、開放型寝台は、というより寝台とって自体の減少により姿を見る機会がメッキリ減ってしまった。それどころか、現在では国内唯一になってしまった定期便の寝台特急は今や貴重な存在である。
そんな思いを秘めながら横浜より折れながら開く扉をくぐり抜け広島への第一歩を踏み出した。

高松で撮影した「サンライズ」。現在では国内で唯一の定期便寝台特急となってしまった貴重な存在。しかも国鉄時代には考えられなかった本州から四国への列車乗り入れが実現。客車寝台特急「瀬戸」から受け継いでの「サンライズ」は583系とは全く異なる形での電車寝台が実現し現在に至る。
期待に胸を膨らませ、順風満帆な旅となる予定であったが…
早朝の姫路で下車し姫新線に乗り換えるのだが、とりあえず朝食を摂らねば。駅前を探していると意外にもこんな時間からなどと言っては失礼かもしれないが、早朝より営業している喫茶店を発見!時間もある事だし、とりあえずこちらに身を潜めることにした。
モーニングセットを一瞬で平らげ姫新線に乗るために駅に戻りホームに向かう。すると…なにやらおかしい。発車時刻確認のため案内板を見たら、何と水害で不通になっていたのであった!事前情報を持たないまま現地入りしていたので唖然。もちろん代行バスなど運転の案内はされてはいるが、代行バスでは制覇にならない。
「うわっ、マジかっ!」
姫新線→芸備線のパターンは脆くも崩れ去った。いや、私のようなイレギュラーの乗客ならまだしも、レギュラーのお客様はどれだけの不便を強いられているかを考えたらやはりレギュラーのお客様に少しでも迷惑がかからぬよう復旧していただけたらこれ幸いであろう。

今回の旅では制覇の実現ができなかった姫新線。一日も早い復旧が望まれたが・・・やはり地元の方に利用されてこそ、という本来の使命が果たされて初めてその存在意義を知る事となる。
では、私のこれからの旅の予定はどうしようか。その場で即興の立案をする。まず岡山に出て再訪となる吉備線に乗り総社で井原鉄道、神辺で福塩線に乗り換え一旦福山まで出て折り返し福塩線で御代志まで出てみよう。そんな構図が瞬時に浮かび上がった。では時刻表と照らし合わせてみると…これがドンピシャでものの見事にハマったのであった!当時未乗車の福塩線も府中から先の三次まで、少ない列車本数ながらちゃんと接続されている。よし、急遽予定変更!姫新線は次回になったものの、初訪の福塩線と井原鉄道を含め広島地区制覇へのアプローチが始まった。

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広島。そこは素晴らしき鉄道ワンダーランドだった。①
2021-04-05
私のブログタイトルは、ご存知「鉄道全線完全制覇の旅」という事で「全線制覇の旅」を題材にし主力としている。そしてその「全線制覇」の部分に関しては昭和の、国鉄の時代からスタートし「いい旅チャレンジ20000km」の参加により完全な形となったのが原点となる。「いい旅~」の時には100線区を超え150線区辺りまで制覇した記憶であるが、当時のキャンペーン中に全線制覇の夢は達成されなかった。そして平成の時代になり、自身独自のルールのもと、現在では北陸新幹線の金沢開通前にJR線の全線制覇を達成した。ただ、以降は新幹線の金沢延伸や仙石東北ラインのの開通など、更に富山付近や仙台付近も含め全線制覇のベルトは返上となった。ただ、全線制覇への夢は進行中であり、活動テーマの中心でもある。そんな中、私の旅としては比較的最近となる広島地区制覇の旅を紹介しよう。といっても既に10年以上も経過しているので時間の経過を早く感じる今日この頃である。
さて、広島といえば国民的某ロック歌手の出身地であるが、そして非常に残念であるが、他界してしまった西城秀樹の出身地でもあった。そんな広島にやって来る列車達は路面電車や芸備線などの気動車、可部線の通勤電車や山陽本線による近郊型列車、更には新都市交通やスカイレールも加わりバラエティー豊富な都市となっている。もちろん、忘れてはならない新幹線もすべての列車が停車し、国鉄時代には寝台特急も頻繁にやって来た。

井原鉄道のとある駅であるが、普通に読めないでしょう!宇野線にも「妹尾(せのお)」がある事からもお分かりのように、岡山県では妹を「せ」と読む場合もあるらしい。
鉄道の街・広島は、私が鉄道路線乗り潰しに全力を注いでいた時代には全く想像しなかった事であったが、広島地区は意外に通りすがりだけではなかなか制覇路線を増やせないなと立案時点で何度も痛感していた。国鉄時代では、特に可部線に関しては末端までの往復で半日以上費やすイメージであったし、特に末端部は運転本数が少なくなり乗り潰し派泣かせな路線であった。ただ、廃止された可部以北であるが、周知の通り一部区間が近年に復活し、広島県における鉄道の重要性を改めて思い知らされる事となった。

福塩線の要衝となる府中。電化・非電化の境界線となるのはもちろん、非電化区間では運転本数もグッと減る。
という事で、今回紹介する旅は広島地区に限定して制覇計画をした、私自身にとっては前例の無い旅となり新たなチャレンジとなる。果たしてどんな旅となるのであろうか。次章より「素晴らしきワンダーランド」の数々を紹介してみよう。

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さて、広島といえば国民的某ロック歌手の出身地であるが、そして非常に残念であるが、他界してしまった西城秀樹の出身地でもあった。そんな広島にやって来る列車達は路面電車や芸備線などの気動車、可部線の通勤電車や山陽本線による近郊型列車、更には新都市交通やスカイレールも加わりバラエティー豊富な都市となっている。もちろん、忘れてはならない新幹線もすべての列車が停車し、国鉄時代には寝台特急も頻繁にやって来た。

井原鉄道のとある駅であるが、普通に読めないでしょう!宇野線にも「妹尾(せのお)」がある事からもお分かりのように、岡山県では妹を「せ」と読む場合もあるらしい。
鉄道の街・広島は、私が鉄道路線乗り潰しに全力を注いでいた時代には全く想像しなかった事であったが、広島地区は意外に通りすがりだけではなかなか制覇路線を増やせないなと立案時点で何度も痛感していた。国鉄時代では、特に可部線に関しては末端までの往復で半日以上費やすイメージであったし、特に末端部は運転本数が少なくなり乗り潰し派泣かせな路線であった。ただ、廃止された可部以北であるが、周知の通り一部区間が近年に復活し、広島県における鉄道の重要性を改めて思い知らされる事となった。

福塩線の要衝となる府中。電化・非電化の境界線となるのはもちろん、非電化区間では運転本数もグッと減る。
という事で、今回紹介する旅は広島地区に限定して制覇計画をした、私自身にとっては前例の無い旅となり新たなチャレンジとなる。果たしてどんな旅となるのであろうか。次章より「素晴らしきワンダーランド」の数々を紹介してみよう。

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