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鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

SWS(相模線の、私の記憶に残る、車両たち)⑤ 宮山

恐らく撮影をしたのは2012年が最初であろうと思う宮山は、非電化時代からも寒川神社の最寄り駅としてアピールされている。しかしながらその光景は、恐らく開業当時とさほど変わらないであろう駅舎と棒線ホームのシンプルなかたちである。

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上から2021年撮影のスマホ版、2021年デジカメ、そして2012年のデジカメで撮影した宮山駅舎であるが、厚木以北では駅舎がリニューアルされている中、厚木以南ではこうして非電化時代の駅舎が残る駅が多いのもこの相模線の特徴であろう。

開業時から棒線駅であったが、砂利輸送的な駅設置よりもむしろ旅客に特化したものであろう。ウィキを覗いてみると、やはりその旨が記されているので当初から旅客の為の駅設置といえる。しかしながら、現在でも事情を知らない乗客は寒川で下車し寒川神社へ向かう者も少なくなく、更なるアピールが重要になってくるであろう。因みに寒川で下車した場合、寒川神社まではタクシーでは5~6分くらいの距離とだけお伝えしておこう。

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国鉄時代は駅員無配置であったが、JRになってからは駅員が時間帯により配置されていた事もあったらしい。現在は駅員無配置であるが、しっかりとPASMO等の現代社会に対応している。

宮山から寒川神社までは徒歩で5分ほどであるが、目久尻川に懸かる新旧の橋どちらかを渡らなければならない。その橋は県道に懸かる新しい橋より旧道に懸かる橋の方が歩行者にとってはもちろん安全であるが、その旧道の橋はなかなか趣があり、ブリッジファンにはたまらない物件であろうが、新しい橋の懸かる県道さえも現在は旧道になってしまい交通量が激減した。

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2021年10月に撮影したデジカメでの下り列車である。当たり前の風景が当たり前のように時間が経過していく。しかしながら撮影時点ではもう車両更新のタイムリミットは一ヶ月を切っていた。全く実感が湧かないくらいに穏やかなひとときであった。

メインストリートから外れた旧県道沿いにある宮山駅前は穏やかな時間が流れているが、近年には圏央道も開通し、更なる変化がみられる。圏央道のインターが宮山~倉見間にあるが、そのインターを含め現在の圏央道が通っている場所はまさにかつての砂利採取場達を貫いているという相模線所縁の地でもあるのだ。

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今度はほぼ同じイメージでスマホでの撮影である。なぜか宮山に来ると下り列車に遭遇するのはなぜだろうか。

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SWS(相模線の、私の記憶に残る、車両達) ④寒川<後編>

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橋上駅舎はこんな感じ・・・であるが、かつての木造駅舎時代とは違い全く変貌した寒川の改札口。昔の寒川駅を知るものにとってこの光景はほぼ考えられない風景であろう。木造時代では当然ながら対面式の切符販売であったが、当時私はまだ小児料金であったので「小」の赤い文字入りの硬券か、または厚木経由で小田急に乗り換える直通切符を買うと切符の右側の部分を斜めに切り落として小児用の切符として販売するなど、今思えば懐かしき良い思い出をくれた窓口であった。現在はご覧の通り、PASMOやSuicaも対応出来る近代的な面構えになった。

寒川からかつては寒川支線が分岐しており、相模線が電化される前に廃止されてしまった。廃線跡はほぼそのまま辿ることができ、一之宮公園内に至ってはレールまで残されているという素晴らしさだ。廃線マニアのビギナーであれば打って付けの題材となることであろう。
寒川は旅客ホームの1番線側にかつて貨物ホームがあり、2番線側には貨物側線が2~3本あった。現在、その貨物ホームは跨線橋の土台となり消えてしまったが、昭和の相模線を知るものであれば建屋の無い棒線ホームを僅かながらに記憶しているであろう。

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ほぼ同じ位置からの撮影であるが、デジカメ(上)とスマホ(下)での比較である。我々の知る旅客時代の「西寒川」は本線のホームより発着しており、この場所に寒川支線用の独立ホームがあったわけでは無く、砂利輸送時代の貨物側線が2~3本あったのを撤去したものだ。

そして現在、2番線側の貨物側線はレールが剥がされた痕跡やスペースがあり、そこが「寒川支線(西寒川方面)の跡地」と記されている見解をよく見かけるが、寒川支線の旅客列車は全て本線が使用する島式ホームから発着しており、寒川支線用に独立したホームがあったわけではない。そしてこの貨物側線も含め寒川駅構内付近の橋本寄りにある大山踏切を過ぎてから一旦全て収束し、更にその先より寒川支線を分岐する形っあった。そして寒川神社の鳥居がある県道の踏切付近まで暫く単線並列のような形をとりながら両者が分かれていくイメージである。川寒川は更にその先で本線上より分岐される事になるが、何れにしても砂利輸送が終了し我々が知る旅客時代の、いわゆる「西寒川」の旅客列車は本線ホームより発着していたので、側線の撤去跡地イコール旅客時代の西寒川の名残では無い事を改めてお伝えしておこう。

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以前に紹介した昭和50年頃の寒川である。ご覧の通り、使われなくなった貨物側線に使われなくなった旧型客車が留置されていた。当時私は小学生ながらなぜこの場所に客車が留置されているのかわからなかったが、一度本気で乗せてもらおうかと考えた事もあった。ある情報筋によるとこの客車は大井川鉄道または清水港線辺りで再利用されたと聞いた事があるのだが・・・(写真はミックスマテリアル様提供)

しかしながら砂利輸送時代にはこれらの側線が頻繁に使われており、寒川支線の痕跡と考えていいと思う。恐らく四ノ宮や、川寒川からやって来た砂利を寒川でひとつの編成にまとめ茅ヶ崎に向かったものと思われるための側線であろう。
また、相模線を複線にする案があるような無いようイメージであるが、恐らく用地的に苦戦するのは先述の香川付近であり、その他はつまりその事ひとつとっても相模線の複雑な変遷が見え隠れするではないか。

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この写真は寒川文書館提供の昭和35年頃の寒川である。旧駅舎とは反対側の、いわゆる現在の南口方面から橋本側より茅ヶ崎方面を望んだ風景である。写真中央左側の小さな小屋の中で構内のポイントや恐らく信号機などを切り替えていた。その奥が駅舎になるが、写真中央の島式ホームの更に奥に屋根付きの建家があり、そこにも棒線ホームが一本あった。かつては旅客ホームだったと思われるが、当時は貨物ホームとして使用していた。私が知る寒川は既にこのホームに建家は無く、ホームに看板広告がズラリと並んだ風景からである。

さて、寒川駅の駅舎は現在橋上化されているが、地上時代のいわゆる木造駅舎の時代は先述通りタブレット閉塞であり、駅のポイントも寒川、厚木、後に開業する海老名は駅員がポイント操作を行っていたがそれ以外の駅は、いわゆるスプリング式のポイント固定形であった。寒川の場合、ポイント切り替えは島式ホームの橋本寄りにある小屋で行われていたが、その小屋とホームの間にはホームと駅舎をつなぐ通路があり、構内踏切で駅舎へ伝っていた。
国鉄時代には茅ヶ崎~寒川の区間運転の列車が数本設定されていたが、子供ながらに「それを西寒川まで延長してくれればいいのになぁ~」と思っていた。その理由のひとつとして、茅ヶ崎からやってきた寒川止まりの列車は通常通り下りホームで乗客を降ろす。そして一旦ドアを閉め橋本方面へ向かい大山踏切付近で停車しポイントが切り替わるのを待って今度は上りホームへ侵入していくという工程を経るのだ。最初から上りホームに侵入すればいい事であろうと思うのだが、そこには何か隠された国鉄職員の意図でもあったのであろう。であるから、その作業工程を考えたら寒川支線に侵入させてしまえばと当時の私は思っていたのだ。そして西寒川に来る列車本数も増えるし一石十鳥くらいになる。もちろん経費など経営的な部分など度外視するなど子供の考えであるのだが、やはり寒川止まりの列車が西寒川に入ってこないのは勿体無いと思ってしまっていた。

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こちらもミックスマテリアル様提供の昭和52年頃の寒川であるが、写真左側にホームが写っているのがお分かりいただけたであろうか。この風景が私が知る最も古い風景である。

今考えたら寒川は非常に趣のある駅であったが、やはり私は「西寒川」の人間だったので寒川「駅」に関しては違う感覚で見ていたのかも知れない。相模線は古くからの鉄道であるのと相模川沿いにある事で貨物輸送が主体だったため場所によっては地形的な制約や市街地から離れた場所にある事など様々な理由もあり、電化こそしたものの、劇的な飛躍ではなく未だローカル色濃い地元密着型の親しみやすい鉄道路線になっている。
新型車両の導入で、また更に変遷の項目がひとつ加わる。寒川支線の復活はあり得ないであろうが、厚木より相鉄への乗り入れは出来なくもない。その件については後程述べたいが、令和にしてまだまだ可能性を秘めた相模線から目が離せないのは気のせいであろうか。

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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ④寒川<前編>

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新しく橋上駅舎に生まれ変わった寒川は、かつての地上駅舎時代に寒川神社をイメージして建てられた跨線橋を取り込んで、更に駅前に小さいながらロータリーも完成。非電化時代とはかなり違う風景と風格になった。

私のかつての地元・寒川町の代表駅である寒川であるが、相模線が相模鉄道として開業したのが茅ヶ崎~寒川間で、当時は終点駅として活躍し主に相模川の砂利輸送が大きな収入源であることは周知の通りである。そしてこの先構内側線扱いで川寒川、そして更に分岐し2キロ位先に四ノ宮という砂利採取場まで伸びる支線があり、後に東河原まで短縮され後年に西寒川として近年まで活躍していた事はこのブログでも一万五千回くらい述べたであろう。

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寒川支線廃止直前に建てられた跨線橋より撮影した。現在は橋上駅舎も完成し駅舎への通路となっているが、跨線橋完成当時は北側にのみ駅舎があり南側からの乗客は駅の両側にある一般道の踏切を利用し駅舎へ向かった。

かつて関東大震災後の復興によるレンガの需要からその材料となる砂利を大量に輸送した事により莫大な経済的恩恵を受けた相模鉄道が橋本まで路線を伸ばし、現在の原型を作りあげた。そんなかつての姿などほとんど感じられないくらい寒川町は発展し、人口も「町」という行政の括りでは区分けできないほど様変わりした。とはいうものの、近年では人口48000人くらいで推移しており、ここ20年くらいは安定期に入っている。駅の利用者も昭和50年代頃に比べ4割増しくらいになっているが、人口に比例するように20年くらい前から一万三千人前後で安定している。

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時間帯を変えて下り列車と上り列車を撮影。「撮影」というほどのテクニックがないのが既に皆様に伝わってしまっているが、やはり動く物体を収める作業は実にムズイですねぇ・・・

さて寒川であるが、かつては駅の構内踏切を渡り貨物車ホーム横にある駅舎に通じていたが、寒川支線の廃止直前に駅の南側から駅舎に通じる跨線橋が完成。更にその後は跨線橋に併設される形で橋上駅舎が完成し地上の駅舎と旧貨物ホームは姿を消した。また、一時期旧形客車が停泊していた貨物側線は整理され、若干ながらスリムになった。
かつてはホーム先端にある小さな小屋の中に転轍機の大きな切り替え装置が並んでおり、子供ながらに操作している姿に興奮したのを覚えている。つまり現在のように橋本でのCTCによる制御では無くタブレット閉塞であり、列車交換駅ではタブレット交換シーンも見られた。交換駅でのポイント制御は基本スプリング式で固定されていたが、途中駅の寒川・厚木は現場で駅員が操作していた。後に開設された海老名もスプリングでは無く海老名駅でポイントを制御していた記憶であるが、もしかしたら厚木で遠隔操作していた可能性が高い。

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スマホでの撮影はやや露光高めであるが、これはこれで何となく油絵チックでいい感じなので公開してみた。ちなみに写真では分からないが、写真右上方面にある商業施設は忠実屋⇒ダイエー⇒ユータカラヤ⇒なかやと七変化している。

現在はその駅舎はなくなり、先述通り橋上駅舎に生まれ変わった。そして駅前も再開発が行われ、県道がやや後退し駅前にロータリーが出現した。駅前にあった川上書店やコーヒー店のコロラドも撤退し昔の面影は残っていない。しかしながら旧駅舎あった場所とは反対側の出口は昔の面影をやや残している。
と色々書いているのだが、今回の寒川は旧地元という思いもあり少し内容多め、写真多めになってしまったので2回に分けて紹介してみたい。

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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち③ 香川

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かつての三角屋根の駅舎は既に国鉄時代に現在の駅舎に改築されJRに受け継がれた。駅前のスペースに制約がある中、ご覧のようなスロープも新設され優しい駅に変身し、自転車置き場であったスペースもロータリーに転用され意外に風景が変わっているが、例えば後述する南橋本や原当麻のような劇的変化は無く昔の面影をかなり保っている。

茅ヶ崎を出て2つ目の香川であるが、かつては相鉄時代に二俣川から来るいずみ野線が平塚まで延伸された暁には相模線と連絡駅になるという壮大な計画があった駅である!
基本的には現在の香川の位置からは若干移転または地下化しなければならないであろうが、何れにしても実現していたら香川駅前の風景も現在とは相当違うイメージであったろう。相模線自体も駅の改良を強いられるので現実的ではないのだが、やはりやや上か下かに動かさないと、現在の位置ではまず無理であろう。

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上記の写真よりやや後退して撮影してみた。ご覧のようにバス乗り場も設置され駅前らしくはなったが、先述通り駅前のスペースに制約が有り、大胆な区画変更が出来ない状況となっている。そのお陰である意味昔の風景を現在も保っている事が出来るのかも知れない。

実際に近年まで免許を持っていたと聞いた現在の香川駅付近に所有していた相鉄延伸線の土地の一部は「湘南みずき」という住宅街に開発されて平塚までの延伸はほぼ無くなった。免許も既に失効しているはずであるが、恐らく更新がなされているであろう。というのも、実は湘南台から先は後述する倉見付近に設置される東海道新幹線の新横浜~小田原間に予定されている新駅「新相模」構想に合わせ、相鉄を新相模まで延伸する構想が出てきた。とりあえずは湘南台の西にある慶應義塾大学のキャンパス付近かイトーヨーカ堂湘南台店付近に途中駅を設置する構想が有り、かなり具現化していると聞いているが、実際にそのような工事や工事予定を示す表示的な何かを目撃した事は今のところ無い。香川に向かうとしても倉見に向かうとしてもこの慶應義塾大学付近を通る事になるが、特に慶應義塾大学付近ではまだまだ開発の余地は十分に有り、将来的に目が離せないであろう。

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下り列車の侵入風景であるが、ホームに注目してもらいたい。非電化時代のホームをかさ上げした様子がお分かり頂けただろうか。当然ながら相模線の全駅が電化と同時にホームをリニューアルしているが、こうして非電化時代の面影を確認出来ると嬉しくなる。

何かと相鉄の話題でスペースの半分近くを使用してしまったので現在の香川を少々紹介してみよう。
現在の香川は非電化時代とほとんど風景が変わってなく、昔のまま現在に至るといっても過言ではない。一面一線の棒線型は現在も変わらず駅員も配置はされているが、現在は民間委託となっている。私の父がかつて香川駅前付近で働いていた事もありDC時代から馴染みのある場所であるが、駅前は弱冠ながら整備され駅前の町並みも若干の変化はあるが、大分類で見た場合は昔のままを充分に保っている風景である。新しい車両はこの香川にどう溶け込んで行くのか楽しみである。

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香川の205系風景がこれで最後になると思うと・・・だが、あまり実感がないのも正直なところ。やはり相鉄延伸時に駅を作るスペースが無く、当然ながら移転か地下化になるであろう。地下化は現実的ではないのでやや寒川寄りへの移転となるであろうが、実現する可能性はかなり低く、現状維持の状態で将来を迎える事であろう。

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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち)② 北茅ヶ崎

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非電化時代からのエッセンスを受け継ぐ木造駅舎が今も残る貴重な存在の北茅ケ崎は、茅ヶ崎から何とひとつ目の駅である!

茅ヶ崎よりJR東日本一、いや、日本一かもしれない急カーブを越え国道1号線をアンダーパスするとすぐに踏切からレールが枝分かれする。そこが北茅ヶ崎である。かつては周辺に工場が多く引き込み線も多数分岐していたが、現在は付近の工場もかなり減ってしまい貨物列車の引き込み線も無い。
その工場は商業施設などに変わり新たな賑わいを見せているが、商業施設にはマイカーの利用がほとんどなため利用者は付近の工場や市役所方面の施設、又は高田付近の住民などの通勤通学利用がかなりを占めると思われる。

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若干位置は異なるものの、かつては跨線橋とほぼ同じ位置に構内踏切があった。非電化時代は茅ケ崎と橋本を除く相模線全駅に跨線橋は無く、新たに海老名が誕生した時くらいから各駅に跨線橋が付きだした記憶であった。

大きく変わった所といえば跨線橋が設置された事と先述の貨物引き込み線が撤去された事くらいであるが、周辺の風景は先述通り大きく様変わりしている。つまり北茅ケ崎は、時空が止まったかのようなコントラストを描き出しており、ある意味非電化時代を彷彿させるような面影をかなり残して現在に至る空間でもあるのだ。

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ポールが入ってしまったが、あえて公開してみた北茅ケ崎の駅舎と反対側から繋がる踏切にての撮影。駅周辺ではかつて工場が多く存在したが、現在はその存在も商業施設などに生まれ変わり新たな風景を展開している。

それを最も象徴しているのが非電化時代から変わらぬ木造駅舎が現在も健在である事であろう。あのひっそり感は昔も今も変わらないが、相模線の各駅にリニューアル化が進む中、特に非電化時代からの駅舎が残る北茅ケ崎の風景は、今や貴重な存在であろう。


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SWS(相模線の、私の記憶に残る、車両たち)①

既に先述しているが、いよいよ相模線の車両更新の日がやって来る。1991年の電化開業以来約30年ぷりの更新となるが、ある意味JR側も前回の更新ほど重い作業ではないであろう。前回は非電化から電化への対応だったので各所で運休による代行バスの運転があったが、今回は既に電化工事が終了しているため車両更新のみでの対応となる。もちろん新型車両導入による若干の変更箇所はあろうが、それでも切り替えは割りとスムーズに行くに違いない。相鉄では西谷からJRへの乗り入れが実現しているのだから、これを期に厚木線を活用していただいて茅ヶ崎方面から相鉄への乗り入れを復活してもらいたいのだが、厚木からも茅ヶ崎からも都心に向かうには既存路線の方が時間的に早いので恐らく旅客列車の定期便ではほぼ永遠に実現しないであろう。とはいえ、無限の可能性を秘める相模線と相鉄の関係はもともと同じ会社が運営していたのだから、令和になった現在でもその面影が受け継がれているのはある意味奇跡に近いかも知れない。

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2021年9月撮影の寒川。久々の相模線撮影であったが、パッと思いついて行動したためスマホでの撮影であった。しかしながら近年のスマホは当たり前のように電話としての機能をはるかに超越している。少々露光を高めに設定して撮影したが、携帯での撮影とは思えぬほどの画像に少々驚いた。いや、今更ながらであるが。

さて、今回の相模線車両更新の情報についてであるが、会社帰りにラジオ番組から流れるDJから得たものであたった。確か8月の終わり頃であったのである意味ラッキーであったし取材期間に余裕がある。だからなるべく全ての駅をまわって「今しか見れない鉄道風景」を満遍なく収めようと何気なく考えていたが…9月に入った途端に空模様が一転、なかなか撮影日和のタイミングが合わない事態となっていた。それでもある程度収める事ができたので、この風景が永遠に残されていくと思うと嬉しい気持ちになる。とはいえ、撮影テクニック的には皆様に期待される程のものではないのは一目瞭然であるが、非電化時代から馴染みのある相模線がこうして時代と共に発展していく姿は微笑ましい限りだ。とはいえ、砂利輸送時代を知る方にとって新しい相模線の風景はどう映り、そしてどう感じておられるのであろうか。

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相模線沿線には30年以上住んでいた事になるが、宮山で撮影したのは恐らく初めてかあっても記憶が薄い。かつて駅前に「宮山温泉」があったが現在は撤退している。しかしながら非電化時代の木造駅舎は今も健在であったのが嬉しい。

私の場合、相模線の始まりはキハ10の時代であるから昭和50年頃になる。西寒川駅がまだ健在であり、夜に時間帯では茅ヶ崎より橋本方面へ1両編成の列車も見れた時代であった。西寒川方面へは全ての列車が茅ヶ崎からの直通であったが、朝は4両、夕方は3両であった。今思えば寒川~西寒川間は単行にしてしまえば厚木方面へ向かう乗車の誤乗車がもっと防げたのではないかと思う。あくまで個人の感想であるが、その時代から思えば相模線に電車が走るなど全く考えられない事であった。ただ、車両は変われど設備は非電化時代のまま単線で列車交換駅も変わらないのでさほどスピードアップされたイメージは無い。

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かなり露光高めになってしまったが、あえて公開してみた倉見に侵入中の上り列車。非電化時代では茅ケ崎寄りの構内踏切により駅舎に伝ったが、電化後の現在は橋本寄りに跨線橋ができて安全になった。

であるが、その気になればかなりの区間で複線化の用地であろう空間がいくつも存在するためいつでも複線化が可能であろう。特に茅ヶ崎~寒川or海老名辺りまででも複線にすればかなりの時間短縮になるかも知れない。ただ、近年は沿線人口もやや上げ止まりの部分を否定できず、複線化に一歩踏み切れない想いもあるかもしれない。
これまでに駅舎のリニューアル化や跨線橋やPASMOの設置など、利用者増加に合わせて様々な対応がなされた中、今後どう変化していくか注目である。では早速次章より「各駅停車」で紹介してみよう。

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ダイヤモンド✡トナカイ

Author:ダイヤモンド✡トナカイ
✩2022年4月より毎週土曜日更新になります✩


昭和・国鉄の話題を中心に紹介しています。


2013年に長野新幹線の長野駅にて「いい旅チャレンジ20000km」よりスタートした国鉄時代の制覇を含めJR全線制覇を、そしてゆいレール以外の鉄道全線制覇を達成いたしました。


以降、北陸新幹線と北海道新幹線などの開業によりタイトルは返上しています。

JR以外の私鉄を含む鉄道未制覇路線は北陸新幹線(長野~金沢)・北海道新幹線・仙台地下鉄東西線・仙石東北ライン・富山地方鉄道延伸部分・ゆいレール・相鉄直通線(相鉄新横浜線)、そして新規開業の西九州新幹線や宇都宮に開業したライトレールも新たに加わりますます未制覇路線が増えてしまいました・・・

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