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鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑩海老名

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超大都会!ここ数年で激変した海老名であるが、相模線の中で一番新しい駅である。駅前にはららぽーとも進出し、小田急もロマンスカーを停車させるなど、近年では本厚木を抜いてしまうのではという勢いである(2019年の小田急の統計ではとうとう本厚木を抜いてしまった)。

先述通り発展著しく、相模線の中で最も激変した駅である海老名であるが、実は相模線の中で一番新しい駅である。つい最近までは小田急と相鉄の海老名からやや離れ田んぼの中に孤立したイメージであったが、小田急との連絡通路にも商業施設ができて面目を一新した。
撮影のため日曜に訪れたが、昔のイメージとは程遠く、人でごった返していた。実は今回の相模線の撮影は南橋本からスタートし厚木で終了した。社家~北茅ヶ崎は別の日に設定してあったので、ブログで更新している順番とは逆の行程であった。つまり、海老名の撮影は南橋本から順に行われ入谷の次だったので、尚更大都会感の洗礼を浴び、人混みに紛れ撮影する自分に少々違和感を感じた。
だが、こうして発展していく、イコール利用者が増えるということでもある。現に、近年には駅前にららぽーとも進出し、小田急ではロマンスカーも停車するようになった。また、相鉄も羽沢経由でJRを介し新宿方面へ乗り入れるようになり、更なる可能性と飛躍が期待される。

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相模線の駅舎はそれほど変わっていないが、バックの建物がこうも違うとこんなにも大都会風に見えてしまう!国鉄時代には相模線のホームすら無かったこの場所に、誰が現在の姿を想像した事であろうか!休日ともなれば人流も半端ない!

さて、相模線の海老名であるが、国鉄末期に開業した駅であり、当然ながら小田急との乗り換えを考慮され設置されたわけであるが、厚木と海老名で乗り換えが競合するのにあえて海老名を設置した理由のひとつに「小田急の急行が停車する」であった。
現在はなんとロマンスカーも停車するまでに成長した海老名であるが、もうひとつは相鉄との相互乗り換えもあったであろう。
例えば私の子供の頃で国鉄時代に寒川から相鉄経由で横浜へ行く場合、厚木までは180円であったが、海老名までは190円である。厚木で小田急に乗り換え海老名までいった場合には小田急の運賃が別途130円かかっていた。つまり海老名が出来たことによって120円がマイナスになったわけだ。利用者からすればこれは大きな事ではあるが、小田急にとってもある意味大きな事である。

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駅舎入り口自体はそれほど変化が無いと思われるが、改良・拡大された連絡通路から見ると立派な佇まいに見えるのが不思議だ。

現在、相模線の中間駅で厚木を抜いて一番利用者が多い駅となった事を考えると、この駅の設置は成功であろう。そしてこれからまだまだ飛躍すると考えられる。
相鉄厚木線と相模線との単線並列が厚木から海老名まて続いている。昔の相模鉄道と神中鉄道の原形がそこにはあるが、相模線の新型車両導入を期に、何とか相鉄厚木線を活用できないかと何故か思ってしまうのは私だけであろうか。

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見よ!これが相模線の風景か?いつの間に海老名周辺はこれほど大都会になってしまったのか・・・相模線の4両編成がややアンマッチに写って見えるのは私の思い違いか?


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SWS(相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑨厚木(後編)

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ところでここ厚木であるが、砂利輸送時代はかなりの要衝駅であった事がよくわかる。神中鉄道との接続駅であった事もあるが、かつては相模川方面への貨物引き込み線かあり、旧相模興業へと繋がっており頻繁に砂利採取が行われたとイメージできる。さらに相模線との分岐点と相模興業との間には列車が何本か留置できる側線があり、昭和50年代前半くらいまではその引き込み線を見ることができた。
また、小田急との短絡線もあったが、それは砂利輸送というよりはむしろ軍事目的で国から要請を受けたものであった。その証として先述の砂利輸送引き込み線と小田急との短絡線は至近距離にありながら繋がっておらず、全く繋げる意志が無いかのように別物の線路が分岐されている様子が当時の航空写真で確認できる。

厚木拡大
以前にも紹介した厚木駅界隈の航空写真。昭和30年代頃の東海道新幹線開通前であるが、相模線から小田急の短絡線と相模興業へと続く引き込み線の様子がハッキリとわかる。しかしながらこの両者はまるで水と油のように交わる事を拒んでいるかのような配線となっている。両者の目的が全く違う事がこの写真からもしっかりと読み取れる。(写真は地理院地図より)

現在、これらの枝線はもちろん撤去されているが、特に砂利引き込み線に関してはそのスペースをほぼそのまま再利用した坂本祭典付近に面影を見ることができる。相模線から枝分かれしたスペースが弧を描き県道に向け駐車場になっており、さらに旧相模興業の入り口付近に到達する姿など、まさに引き込み線そのものではないか。
以外に奥が深い相模線の歴史、そして現在の姿は、こうしてひと駅ひと駅たどっていくと、更に奥が深くなるから面白い。

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JR化後に新設されたホームより茅ヶ崎寄りを望む。ご覧の通り、元貨物側線上にホームが新設されたが、ホーム以外の場所は未だレールが残る場面(右側)も。そのレールがかつては右に折れ相模興業へと続いていた。私の小学校時代までは確かにレールが相模興業の門までつながっていた記憶がある。

さて厚木の駅前であるが、もちろん厚木の中心街へは相模大橋を渡らなければならないが、比較的近い距離にある。恐らく以前は相模大橋を渡りきってすぐの場所が中心街であったであろう名残を今でも感じるが、小田急が開通し相模厚木(現在の本厚木)が開設されてから徐々に中心部がそちらへ移管したイメージで現在に至る。たた、最近は後述する海老名の発展が著しく、立場が逆転してしまいそうな勢いで、ロマンスカーも停車するようになり、これからも一層飛躍するであろう。
たた、相模線の厚木駅前は地形的な制約もありなかなか開けず昔の面影がかなりうかがえるが、最近は駅の西側にロータリー設置の工事が行われているなど、改良の動きも出ている。

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ミックスマテリアル様提供の昭和50年代の厚木である。橋本寄りを臨んだものであるが、ご覧の通り広いヤードは現在もそのイメージをほぼそのまま残す。当然ながら国鉄時代のためまだホームは東側にあるが、かつては神中鉄道と相模鉄道とで島式ホームの乗り換え駅であった名残を残している。小田急開通以前は広いヤードの場所に2面4線のホームがあったらしいが、この写真が撮影された当時は既にそのホームは無い。

ただ、利用者的には海老名が開業してやや減ったイメージもあるが、基本的には小田急との乗り換え客が殆どを占めていると思われ、仮に海老名が未開業だと考えた場合、小田急との乗り換え客は私が小児切符を利用していた頃と比較して恐らく倍くらいに増えていると思われる。ただ、隣の海老名の方に乗り換え客がやや傾いている事から、厚木に関しては昔を感じさせる時間がまだまだ続いているイメージが残っているのが嬉しい。また、駅前は西側にすぐ相模川が流れているため地形的な制約が多く駅前の整備、再開発に制限がある事もひとつの要因となっている事であろう。
更に対岸には本厚木が、そして隣には発展著しい海老名の間に挟まれ、ある意味時が止まったような厚木は、恐らくこれからも現状維持的な発展にとどまりそうな雰囲気が漂っている。


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SWS(相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑨厚木(前編)

海老名市にあるのになぜ厚木と名乗っているかは以前にも紹介しているのでここで記すと私の述べたい事のスペースがせまくなるためあえて割愛させていただくが、要するに千葉県浦安市にあるのに東京ディズニーランドと名乗っているのと同じような意味合いである。

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蛍光灯の遮りがあるがあえてアップしてみたJR化後の厚木。2013年頃に撮影したが、当時、この厚木での撮影にはある目的があった。もちろん後述するのだが、この時には既にまた別の変化が厚木で起きていた。

さて、ここ厚木は私の思い過ごしかも知れないが、ここ厚木が旧相模鉄道時代や神中鉄道時代の面影を一番残している感じがする。そして相鉄厚木線もこの構内まで乗り入れているが、旅客の扱いは無いものの、当時のイメージと殆ど変わらないであろう構造となっている。厚木の複雑な変遷もここでは割愛するが、砂利輸送時代はこの広い構内に相当の貨物列車が行き来したはずだ。関東大震災の復興のため神中鉄道(現在の相模鉄道)経由で横浜方面へ頻繁に砂利が運ばれたであろうが、かつてはその広い構内の中に旅客ホームがあった。小田原急行電鉄(現在の小田急)開通時には乗り換え駅として旅客ホームを現在の位置に設置したのが厚木の原形となり現在に至っているが、相模線がJRに移管されてからは駅舎側にホームが新設され乗り換えが便利になった。しかしながら旧ホームも取り壊さずに残っており2面1線の形をとるが、旧ホームには通常は侵入できないようになっている。

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随分前であるが、新設された歩道橋より撮影した厚木駅構内。右側が国鉄時代から続く旧ホームで、左側がJRになり近年に新設された新旅客ホーム。左側の新ホーム側と小田急への連絡通路、そして駅舎へと繋がっているが、かつての旧ホーム時代では相模線の線路を構内踏切で渡ってから小田急との連絡通路又は駅舎へ向かわなければならず、場合によっては乗り換え列車に先を越される事もシバシバあった。地元の方なら何度か経験されているであろう。

そして相鉄厚木線であるが、先述通り旅客扱いは無いが、電留線として使用されており、時間帯や日にちによっては相模線ホームから相鉄車両を拝む事ができる。その気になれば、恐らく相模線旧ホームを島式ホームに変身させ片側を相鉄専用にすれば一大連絡駅に変身するではないか❕と勝手に想像してしまうくらい相鉄厚木線と相模線の位置関係が何かと深い。つまり、現在も砂利輸送時代の相模鉄道と神中鉄道との関係を今も引き継ぎ名残を感じる事ができるというわけだ。

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かつての旧ホームは現在も残っているが、ご覧のように通常は侵入出来ない仕組みとなっている。もちろんすぐの取り壊しも出来ると思うのだが、予算の都合か、それとも神中鉄道時代のように旅客を復活させ島式ホームで利用しようとしているのか・・・後者はほぼありえないにしても、近い将来にその答えがわかるであろう。

国鉄末期も相模鉄道経由で貨物列車が運転され、私も何度か目撃してるし、厚木駅構内には小野田セメントの工場があり、セメント関連の貨物列車も運転されていたはずだ。
そして何より私が想い出深いのは、寒川より東京方面へ行く場合、それまで茅ヶ崎に住んでいた関係から茅ヶ崎経由が当たり前であったが、近所の知らせにより厚木より小田急に乗り換えれば運賃が安いと教わり、以来厚木経由を頻繁に利用し出した事だ。
しかも寒川らか「厚木経由」と言えば小田急との直通切符が買えたのだ。ただ、小児料金のため切符の右側を斜めにハサミで切り取られてしまうのでそれが非常に気になったが、それでも茅ヶ崎経由の約束半額で東京方面へ行けるのだからこれほどお得な切符は無い!私は当時、何かに取りつかれたかのように厚木経由の切符を頻繁に使っていたのだ。
(後半へ続く・・・)

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1971年には小田急の相模川に架かる橋梁が付け替えられた際に小田急のホームが若干北側にズレた。その時の名残が現在でも残る。


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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑧社家

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2021年に撮影した最新の社家駅舎。相変わらずのコンクリート製駅舎は創業当時とほぼ変わらないまま現在に至る。関東大震災復興による砂利輸送により経済的恩恵を受けた相模鉄道が倉見から延伸した際に誕生したが、駅舎の材料はもちろん貨物の主体であった自社の砂利である。近年まで駅前は自転車置き場になっていたのでなんだかスッキリしたイメージになった。

先述した門沢橋~社家間で砂利積み出し引き込み線を分岐していたと述べたが、ここ社家からも相模川方面へ砂利線を分岐していた。私の知る一番古い社家の姿は恐らく小学生時代に見た風景で、駅西側は更地になっており荒涼とした風景が続いていた。かつてその荒涼とした場所は貨物側線であった場所で、そこから茅ヶ崎寄りに弧を描き相模川方面へ向かっていた。現在その側線があった場所はマンションに変わり社家駅の利用者数値に貢献しているが、駅東側はまだまだ田園風景が残る。だが、その田園風景の中、社家~門沢橋間の中間地点くらいにある有馬高校も相模線の利用者数に貢献しているが、基本的には社家の方が近く利用者が殆どを占めると思われる。

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こちらは2014年頃に撮影した社家であるが、ご覧の通り自転車が無数に有り雑然としていた。現在は写真右側に若干ながらロータリーができた。

そして社家といえばコカ・コーラの工場がある。ここの建家がまた歴史を感じる事ができ、福利厚生のグラウンドや、特に体育館みたいな建家はかつてのウルトラマンに出て来る科学特捜隊の基地みたいな入り口付近に時代を感じる素敵な趣を感じる事ができる。ただ、近年には付近に圏央道と東名高速のジャンクションもできたりして風景もかなり変わってきた。

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相模線は全線単線であるが、砂利輸送の名残からか列車交換駅での有効長が長い。国鉄時代、社家のポイントはスプリング式で固定されていたが、現在はCTCにより橋本で制御されている。

ところで冒頭に述べた貨物側線であるが、日本地理院による航空写真だとその様子がハッキリとわかる。以前にもこのブログで紹介しているが、改めて相模線は砂利輸送とともに歴史を歩んできたのだなと納得させられてしまう。ただ、逆に言えば相模川沿いにレールが敷かれているのでどうしても路線西側からの利用者には制約が有り、特に朝の時間帯では相模川を渡るどの橋も渋滞とは切っても切れない縁となる。そのため場所によっては対岸に駅があるのに相模川が制約となり、利用しにくいと考えてる平塚や厚木、そして相模原市民も少なくないであろう。


以前にも紹介したが、日本地理院による1961年頃の社家付近の航空写真である。一見してお分かりのように、写真中央の社家駅から西側に大きく弧を描く土地がひと目でわかるが、これこそかつての砂利側線跡である。写真撮影時には既に砂利輸送も終焉していた頃であろうが、これほどハッキリと痕跡がわかるとかえって嬉しくなる。写真は可動式であるので是非縮小拡大していただき確認していただきたい。

とは言え、倉見と同じイメージの設計である駅舎が特徴の社家は、当時の砂利輸送で如何に会社が潤ったかがお分かりいただけると思う。もちろん材料は自社で運んでいる砂利で賄われたわけであるから、同時は尚更モダンに、いや「ナウい」駅舎に見えていた事と思う。その駅舎とホームはかつて橋本寄りで構内踏切にてつながっていた。ホームの先がスロープになっていて、ホームの先にはタブレット受けがグルグルとぐろを巻いて立っていて、貨物通過の際には機関車の運転手がタブレットの輪っかをとぐろにめがけているシーンをよく見かけた。何気に風情ある社家であるが、今訪問してみると普段は気づかないシーンや忘れていた記憶が素敵な風景として改めて蘇ってくる思いであった。

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列車交換は無く上り列車のみが侵入して来た。かつては島式ホーム先端のスロープから構内踏切を渡り駅舎へ伝わっていたが、現在は跨線橋で繋がっている。跨線橋から見る205系は、見慣れた風景であるがこの時はなぜか新鮮に映った。


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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑦門沢橋

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かつては門沢橋~社家間で砂利積み出し線を分岐していた門沢橋は、今やすっかり周辺は住宅街に変わり砂利輸送時代をほとんど感じなくなった。しかし、茅ヶ崎寄りに県道が陸橋で相模線を越え、更にその県道はすぐに戸沢橋へと繋がり相模川を渡るあたり、やはり砂利輸送の時代に一世を風靡した鉄道だなと改めて感じる事ができる。
一応、かつての県道沿いにあるものの、その県道は新たにできた並走する二車線道路にメインの座を譲り、現在は揺ったりとしたひとときが流れている。駅は棒線型であるが、かつては社家との間に先述の砂利採取線を分岐しているが、現在は面影が全く見当たらず、その路線跡は一般道として再スタートを切っている。私の知る限りでは非電化時代より現在まで駅員無配置であるが、国鉄末期付近では利用者も増えてきて、車掌も車内改札で多忙だったであろう。現在はSuicaやPASMOなどの普及によりかなりの負担が軽減されたであろうが、それでも宮山~社家間と入谷、そして西寒川が駅員無配置であった事を考えると、首都圏にありながら異色の鉄道路線であったと改めて感じる事ができる。

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私と門沢橋との関わりはやや薄いが、もちろん相模線の駅としてよく知っている。近年では商業施設や飲食店の進出も多く、オーバークロスする県道は渋滞のメッカでもあるが、相模線の存在アピールはその渋滞メッカの直下でひっそりと行われている。

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恐らく若干の改築はあった記憶であるが、雰囲気的には非電化時代とほとんど変わらないであろう駅舎。かつては駅舎のすぐ横が踏切だったはずであるが、現在は踏切が無くなり行き止まりである。私の知る一番古い門沢橋とほとんど変わらない現在の姿であるが、最初の写真でもわかるように、現在では車椅子でも対応出来るスロープが設置された。

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駅舎内は割とシンプルな設計になっている。国鉄時代は駅員無配置であったが、JR時代は簡易委託で駅員がいたらしい。現在は再び駅員無配置となっている。

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近年に見かけるようになった相模線の時刻表。最近はこうして電子による表示になりリアルタイムで運行状況を把握できて便利になった。もちろん門沢橋以外の他の駅でも見られた。

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やはり下り列車が侵入してくる。上り列車とはあまり縁が無いのか・・・並走する県道もかつてはメイン道路であったが、現在はその座を新しく開通した並走する二車線道路に譲り、現在駅周辺は時間が止まったかのように穏やかである。


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SWS(相模線の、私の記憶に残る、車両たち)⑥ 倉見

後述する社家と共に大正時代から続く駅舎を現在も持つ倉見は、何かと変遷や話題が多い駅である。と私個人の見解であるが、16~17年くらいの間、私の最寄り駅として活躍した場所でもあるが、残念ながら倉見在住時はレールファン休業中であったため、駅や列車を撮影したり深く追究したりする事は殆ど無く、むしろ「一般市民」としての利用に過ぎなかった。

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2021年(上)と2012年(下)に撮影した倉見駅舎。間違い探しではないが、違いがお分かりであろうか。大きな変更点のひとつ目としては駅舎入口まで>形スロープが付き車椅子等の利用では優しい造りになった事。そしてふたつ目はバックに圏央道が出現した事。そして最後は何とエレベータが設置された事だ!倉見にエレベーター等私からすれば考えられない風景であったが、現在の風景には最も適しているであろう。

大きな話題としては、出ては消え行く「新相模駅」の構想である。新相模とはご存知、東海道新幹線の新横浜~小田原間に予定されている新駅の事で、相模線との交点である倉見付近が一番の有力候補地となっている。実は我が家がその区画にかかるということで立ち退き話が出たり消えたりしていたが、実際のところ未だ進展がない。ただ、本当に倉見付近に新幹線の新駅が設置された場合、湘南台で終点となっている相鉄いずみ野線を倉見まで延伸する構想もあるようで、まさに本気を出したら目が離せない状況だ。ただ、仮に新駅が開業したとしても「のぞみ」の停車や所要時間に懸念の声が出てくるであろうし、リニア新幹線の開通なども将来的に控えている中、具現化する可能性はかなり低いと思われ、恐らく現在の穏やかな風景が将来的にも末長く続くであろうと予測する。

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跨線橋下は使われなくなった非電化時代の名残を感じるホームが未だに残っている。倉見は列車交換ができるが、かつて砂利輸送の貨物列車が走っていた関係からすれ違い区間の有効長がとても長い。特に倉見や社家等は関東大震災後に開通した路線の為、復興に使うレンガやコンクリートなどの材料となる砂利が大量に必要になり貨物列車の編成も長かったのであろう事が予測される

ところで砂利輸送時代はというと、これがまたかなりの活躍をしていたようで、枝分かれする各採取場からのトロッコ線から集められた砂利をまとめる役割をする重要な駅であった。相模線全通以前は4ヶ月くらいであるが終点駅であった時代もあり、相模線の中ではかなり「要注意駅」としてのポジションであろう。

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最新(2021年)の倉見駅画像。またも下り列車であるが、相模線と交差するのは新幹線・・・は更に奥に有り写真ではほとんど見えていない。手前に見えているのは新幹線ではなく、何と圏央道だ。私の小学生時代はこんな道路ができるなどと予想もしなかったが、倉見に住むようになってからその話がかなり具現化して来た。圏央道が開通する前にその住まいは退去したが、かつての我が家の近くにインターが設置されたというのは何とも複雑な気持ちである。

さて、倉見といえば先述のコンクリート製駅舎であろう。関東大震災の復興に砂利を大量に輸送した事で会社が潤い、寒川より先の延伸が可能になったわけであるが、その関東大震災を教訓に建てられた駅舎が倉見と社家のコンクリート駅舎であるのだ。もちろん材料は自社で輸送している相模川の砂利という事になるが、その駅舎が現在も続いているということは、如何に当時の設計や技術が優れていたかが伝わってくるであろう。
そして立地であるが、現在も砂利採取時代の面影がかなり残っている。特に駅の西側はすぐに相模川なので開発の余地が無く、河川敷がそのまま駅になったイメージでもある。駅西側の相模川との間には日本鉱業の工場と従業員駐車場があり、その駐車場の更に南西には倉見スポーツ公園がある。そして圏央道もありやや景色が変化しているものの、まだまだ昔の面影を感じずにはいられない。先述の日本鉱業従業員駐車場は、かつて砂利採取のホッパー車が活躍していた側線があり頻繁に砂利積み出しが行われていたであろうが、私が知る倉見の姿は既に現在の姿の原型であった。

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そして私の知る非電化時代には無かった跨線橋より撮影した2021年の下り列車。開業当時、ホームから駅舎に伝う通路は島式ホームの真ん中くらいに切り込みが有りそこから駅舎につながっていたが、私が初めて見た倉見駅では茅ヶ崎寄りのホーム先端がスロープになっており、構内踏切を渡り橋本方面へ戻る形で駅舎に伝っていた。現在は橋本寄りに跨線橋がある。

現在は島式ホーム1面2線であるが、DC時代までは側線が数本あった記憶で、新幹線との交点辺りで分岐しカーブを描き暫く並走していた。その新幹線との交点付近には現在も相模興業があり、砂利輸送時代を今も受け継ぐ貴重な存在となっている。
現在その側線はないが、河川敷のような風景と、日鉱従業員駐車場が駅に沿い長方形のスペースになっている事により砂利輸送時代の面影を感じる事ができる。そしてここ倉見も橋本寄りに跨線橋が設置されたが、以前は茅ヶ崎寄りにスロープがあり、そこから構内踏切を渡り橋本方面へ戻るような形で駅舎に伝う通路があった。橋本寄りに乗車している乗客はかなりの徒歩を要する事になるが、そうした記憶も懐かしくなるほど私のレール人生も時間が経過してしまった事になるのであろう。

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プロフィール

ダイヤモンド✡トナカイ

Author:ダイヤモンド✡トナカイ
✩2022年4月より毎週土曜日更新になります✩


昭和・国鉄の話題を中心に紹介しています。


2013年に長野新幹線の長野駅にて「いい旅チャレンジ20000km」よりスタートした国鉄時代の制覇を含めJR全線制覇を、そしてゆいレール以外の鉄道全線制覇を達成いたしました。


以降、北陸新幹線と北海道新幹線などの開業によりタイトルは返上しています。

JR以外の私鉄を含む鉄道未制覇路線は北陸新幹線(長野~金沢)・北海道新幹線・仙台地下鉄東西線・仙石東北ライン・富山地方鉄道延伸部分・ゆいレール・相鉄直通線(相鉄新横浜線)、そして新規開業の西九州新幹線や宇都宮に開業したライトレールも新たに加わりますます未制覇路線が増えてしまいました・・・

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