SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑯上溝
2022-01-30

かつての築堤上駅舎から立派な高架駅に生まれ変わった上溝。改装工事の際に何度か通った事はあったが、その時は交換設備を持つ島式ホームになるのかなと思っていた。しかし完成してみたら非電化時代と同じ棒線形での現在形となっていた。せっかくだからと複線化の将来を見越して・・・と思っていたが、やはり複線化の意思はあまり感じられないイメージである。
相模線沿線も上溝辺りまで来ると一気に開けてくるのは、かつての相模原町の中心部であるからであり、古くからの商店街が軒を連ねるからである。しかしながら、築堤上を列車が走る姿は非電化時代を彷彿させる風景と感じるから不思議なものだ。
上溝付近が築堤から県道と立体交差になっているのは以前にも触れた相武電気鉄道との関係からの名残であるという事である。現在上溝駅の真下を県道が貫いているが、その県道こそが相武電気鉄道の未成線跡地であり、上溝は相模鉄道と相武電気鉄道のジャンクションになる予定だった。相武電気鉄道は結局資金難により計画が頓挫してしまったが、昔の人の思いが現在も名残として私たちに無言で語りかけてくるから面白い。
ただ、相武電気鉄道は頓挫したが、沿線では小田急多摩線を唐木田より延伸して何とか上溝での接続を願っている。もちろん実現したら非常に面白くなるが、その場合、新宿へは橋本または多摩センターで京王線と競合するためあまり現実的ではないかも知れない。


相武電気鉄道が具現化していた名残である上溝の風景。ホームの下を貫く県道こそ、そこにレールが敷かれる予定であったため相模鉄道(当時)は上溝駅を築堤上に設けたが・・・資金難により相武電気鉄道の計画が頓挫。相模鉄道が国に買収され現在に至るが、もし相武電気鉄道が開通していたら上溝の風景はどうなっていただろう・・・
ところで上溝であるが、やはり先述の町の中心部だった名残もあり、相模線の入谷以北の中間駅では最も利用者が多い。
駅前付近の街並みはかなり古い風景を今でも感じる事ができるのだが、上溝本町付近の渋滞は慢性化しており課題も残るイメージである。非電化時代は築堤上を登りきった所に駅舎があったが、現在はホーム下に駅舎が移り利用しやすくなった。駅改装の際に何度か上溝を通過していた時に島式ホームになるのかと子供ながらに思っていたが、完成してみれば非電化時代と同じ棒線形の駅となった。しかしながら駅舎もホームの下に移り近代的な駅に生まれ変わった。



県道の上には歩道橋が設置され、上溝駅のホームに直結している・・・かのように思えるが、実際はホームが歩道橋とは線路を越して向こう側にあるため、一旦歩道橋を降りて駅舎に向かい改札を通過してホームにあがるというイメージである。
ただ、せっかくリニューアルするなら島式ホームにして交換可能駅にすれば後の複線化が万が一決まった場合でも即座に対応しやすいはずなのにあえて棒線形にこだわったのには特別な理由があったのだろうか。
どちらにせよこの辺りにレールを敷くという事は、砂利よりもむしろ旅客を意識したルートであり、先人の相模鉄道(当時)首脳陣は砂利輸送の終焉をある程度予測していたのだろう。相武電気鉄道の構想は頓挫してしまったが、名残として先人の夢が、ある意味形として今も残っているのが実に微笑ましい上溝である。

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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑮ 番田
2022-01-25

隣の原当麻と番田は相模線内で唯一交換駅が連続する。厳密に言えば橋本~南橋本や茅ヶ崎~北茅ヶ崎、そして社家~海老名も連続しているが「厳密に言えば」と但し書きしなければ原当麻~番田がわかりやすい。
番田も近年に駅舎が立て替えられモダンな作りとなったが、駅員の配置も無くなり淋しくなった。非電化時代のタブレット閉塞だった時は列車交換できる駅にはもちろん駅員が配置されていた。倉見・社家も公式上は無人駅であったが、旅客扱いしない運転上の職員は配置され、列車交換などタブレットのやりとりの際には必ず顔を出していたのが懐かしい。番田は非電化時代旅客扱いする駅員もいたので現在の駅員無配置がやや信じられないイメージである。もちろん列車交換など運転上のシステムは非電化時代と比べ格段に進化しているが、それゆえの合理化という企業として当然のスタイルの裏には昔のようなアナログ的情緒は完全に過去のものになってしまっていて私のイメージしている相模線はそこには無かったのだが、それは仕方の無い事。これからの新しい相模線に大いに期待しなければならない。

新しく生まれ変わった番田駅舎。とは言え、相武台下や下溝のような簡素なタイプになっており、これからの相模線にはこうしたタイプの駅舎が増えていくのであろうか。


やや前後左右の異なりはあるがほぼ同じ位置からの2021年(上)と2013年頃(下)の駅舎比較。何気なく撮影した駅舎も今のタイミングで貴重なものになるとは当時は全く考えなかった。




何気に以前の番田とは全く異なるイメージに変身していた番田のホーム。周囲にも住宅が増え非電化時代(1980年頃)と比べ利用者が何と3倍近くまで増えた!バリアフリーなどの設備も整い、利用者に優しい駅に生まれ変わった。

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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑭ 原当麻
2022-01-20

相模線の中で最も激変した駅は?との問いに対し、恐らくベストスリーに入るであろう原当麻であるが、国鉄時代に比べ利用者がグンと激増した。かつては砂利側線も備えていたが、現在は島式ホーム一面のみになり、旅客オンリーの必要最低限の設備を有する配線になり、それまであった木造駅舎はなくなり立派な橋上駅舎が完成。駅前にロータリーも出現した。
下溝からは相模川とやや距離を置くように離れ山の中へと入っていくが、その山もすっかり開発され住宅地や商業施設に変わった。そしてやや離れているが北里病院や先述のレトロ自販機の聖地などもあり駅前はすっかりベットタウンの様相を成してきた。


2021年に撮影した原当麻駅舎。立派な橋上駅舎ん生まれ変わったが、駅構内にはかつての勇姿が写し出されていたが、ひと目見てその激変具合だお分かりいただけるであろう。
原当麻と書いて「はらたいま」と読むが、この辺りから段々と開けてくるので橋本方面への利用者がグッと増える。非電化時代では原当麻から橋本方面へ向かって単行ではあるが区間列車が数本設定されていた事を考えると、やはりこの原当麻はひとつの要衝という事である。国道129号線からはやや距離があるのだが、塩田付近には圏央道のインターもあり車においても交通の要衝であり、塩田方面から北里方面は常に慢性的な渋滞に悩まされている。原当麻付近にある踏み切りも大きなひとつの原因でもあるため、立体交差かアンダーパスがのぞまれているであろうがなかなか難しい相談だ。こうして相模線沿線が大きく変化した中、やはり単線では輸送力不足が懸念される中、近年の新型肺炎による影響で利用者が3割程度落ち込んだ。新型車両の投入は実現したものの、複線化はやはり慎重にならざるを得ない状況だ。


そして駅舎内にはお馴染みの時刻表が。そして切符売場は券売機が当たり前の時代になったが、どうやら小田急とのやりとりはこの駅ではされていない模様である。
さて、先述通り原当麻は橋上駅舎に生まれ変わり近代的な駅に変身したが、橋本~原当麻間の区間運転は現在運転されていないための全ての列車が茅ヶ崎または橋本方面へと向かう。そして何より電化されてからずっと続いてる朝夕の八王子乗り入れは見逃せないであろう。茅ヶ崎寄りも、例えば平塚等に乗り入れると面白そうだが、恐らく実現しないであろう。
ただ、原当麻付近ではまだまだ開発の余地があるのでこれからも風景が更に変化すれば、相模線複線化の可能性がやや右上に傾くかも知れない。





私の訪問した時間帯では列車交換は無かった。しかしながらこの駅が橋本方面への要衝である事には変わらない。

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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑬下溝
2022-01-15

利用者的には入谷の次くらいにワーストであろう下溝であるが、近年にモダンな簡易タイプの次に立て替えられかつての木造駅舎は既に無い。駅前は相模川に制約され開発するにはかなり厳しい戦いとなる環境の中、新型車両はこの風景にどう馴染んでいくであろうか。相武台下を過ぎた辺りから段々と山の風景へと変わっていき、下溝に着く頃には既に私が日頃から馴染んでいる茅ヶ崎~海老名間にくらいの平地を走る相模線とは違った趣を醸し出してくる。
相模線の中では割りと地味な部類に入る駅であろうが、実は今回の取材で初めて下溝のホームに立ってみた。前回訪問の時は外から駅舎のみの撮影であったが、まだ木造駅舎が健在であったので今回は新駅舎になり初の訪問となる。とは言っても、つい最近までは通勤途中に下溝付近を至近距離で通りすぎていたのだが、やはりこの辺りは坂が多く山深い印象である。ただ、下溝の駅は県道沿いにあるのだが、ナビなどが無ければ非常にわかりづらい。ロータリーなど駅前広場なども無いが、もし駅前を整備するとしたらかなり大規模な開発となるであろう。駅前は段差や東側の相模川に制約を受け、かなりのリスクを負わなければならない。何れにしても現状維持のまま将来を向かえるであろうが、逆にこのローカル色豊かな下溝に新型車両がどう溶け込んで行くか楽しみである。


2021年と2013年での駅舎風景比較。現在は相武台下以北で見られる簡素なタイプに生まれ変わった。非電化時代からのホームに伝う階段風景は現在も健在であるが、駅員も無配置になりやや寂しさ感。

非電化時代には無かった設備も増え、色々な人が利用しやすくなった。ただ、駅前のスペースは昔と殆ど変わっておらず、昔ながらの昭和のイメージが残る。

非電化時代と変わらずの棒線駅。列車交換は隣の相武台下or原当麻にて。ここ下溝は砂利輸送のイメージは殆ど無く、最初から旅客駅として開業したのであろう。





205系の勇姿が見れるのも今シーズン限りかと思うと胸に迫り来るものがある。私の相模線はキハ10から始まりキハ20、キハ30~205系⇒E131系と変遷した。非電化時代の車両は混結が多かったが、電化前にはキハ30で統一され、更に電化直前では塗装も変更された。

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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑫ 相武台下
2022-01-10

恐らくかつての高座郡座間町の中心部であっただろと私が勝手に予測している場所に近い相武台下も、やはり砂利輸送の名残がたっぷりと感じる事が出来る。相武台下から弧を描き西へ分岐する砂利線跡が現在も一般道になって健在であるし、相模川に架かる座架依橋からもその周辺を臨む事ができるが、やはり砂利とは切っても切れない縁みたいなものが風景から確認できる。
相武台下といえば私の少年時代には車を輸送する「ク5000」がしばらく停泊していた。キハ10やキハ20あたりの時代からも停泊していた記憶なので、やや長い期間停泊していたと思われる。もちろん現在は既にいないが、その側線こそかつての砂利線跡なのだ。
相模線全線の中で一番輸送力が減少するのは海老名~原当麻間であるが、寒川からこの辺りまでが相模川に寄り添うような形になりどうしても西側の集客に制約があるため、現在でもローカル色豊かな鉄道路線の雰囲気を醸し出す理由のひとつになっている事であろう。
国鉄時代から続いた駅舎は既に取り壊されモダンな簡易タイプの駅舎に生まれ変わったが、駅員配置が無くなりやや寂しいイメージになった気がする。とは言え、駅前はほぼ昔とそれほど変わらないであろ長閑な風景は、将来的にもさほど変化なく続いていきそうだ。
相武台下では過去にも紹介しているのでそちらも参考にしていただけると幸いである。
http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-887.html

2013年頃に撮影した相武台下駅舎。国鉄時代から続いた風景が今は懐かしく感じる。特に海老名以北はJRになってから駅設備の改良が著しい。

2021年に撮影した現在の相武台下駅舎。駅員は無配置になり入口にはPASMOの機械が設置された。国鉄時代から続いた駅舎に比べ簡素になったが、化粧室なども改装され新たな時代を迎えた感がある。

駅名を表す石像イコールすぐに跨線橋とは実に驚いた。木造駅舎時代よりやや後退したイメージの現在は旅客のみを扱う駅であるが、かつては側線に「ク5000」が留置されていた。もちろん砂利輸送とはかけ離れているので廃車をしばらく留置していたイメージであったろう。

かつてはこの側線に「ク5000」がしばらく留置されていた。その側線もかつては砂利輸送に使われ、いわゆるナベトロ線として相模川方面へと弧を描いていた。

記憶は薄いが、かつてはここより構内踏切を渡り駅舎に向かった。プラットホームの高さの違いが非電化時代と違う事が確認できる貴重な名残であろう。


かつてはスプリング式のポイントも、現在は橋本よりCTCの集中制御によりポイント操作が行われている。




205系同士の交換風景も貴重な風景となっていく事であろう。ただ、ホームでの撮影で両者を収めるにはやや苦労した。次回改めてチャレンジしてみよう。

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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑪入谷
2022-01-05

相模線の駅で利用者が最もワーストなのが入谷である。パッと見周囲は田畑が多くある意味秘境っぽいイメージでもあるが、意外にも少し離れると民家が多い。また、北側には相模線を跨ぐ県道の陸橋を行くとユニー→ドン・キホーテや座間警察署などがあり意外にも繁栄している事に気付く。


入谷の利用者はご覧の通り、駅に通じる道も狭く駅前にロータリーなども存在しないため交通手段が限定されてしまう。ただ、その駐輪空間をよく観察すると・・・何やら怪しげな空間と石畳がある。これはかつての砂利輸送時代に関係するものであろうか・・・
なんでこのような場所に駅があるのかと私のような世代から新しい世代は不思議に思うが、やはりそこには歴史があった。入谷からは通称「ナベトロ」と呼ばれる砂利線を分岐し、入谷は言わばナベトロで運ばれてきた砂利を集約する役目をしていた。そのためかつては数本の貨物側線があり、構内も現在より広い事が当時の航空写真からわかる。そして駅付近の道沿いに砂利線跡が幾つも確認できる。現在は一般道になっている場所もあるので当時の面影を辿る事が出来るのだが、更に入谷駅構内でもその痕跡が現在でも確認できる。茅ヶ崎方面から橋本方面に向けヤードが広がって行く感じや駅前の自転車置場(正式な自転車置場かどうかは不明だが)辺りは昔の名残が感じられる。また、橋本方面では県道の陸橋から見るとよくわかるが、完全に線路と平行して不自然な空間がある。将来に向けての複線用地ともとれるが、実際は砂利線など貨物側線の跡であろう。



そして将来を見据えての複線用地である・・・と言いたいところであるが、恐らく砂利輸送時代の貨物側線などがあった空間であり、レールのみ撤去されJRが現在も土地を所有する的なイメージだと思う。もちろん将来的に複線用地としても活用できるであろうが恐らく単線のまま、例えば駅ロータリーなど駅前再開発的なイメージをJRは持っているのかも知れない。ただ、ウィキを覗くと「駅敷地の周囲は農業振興地域に指定され、農地以外での土地利用(農地転用)が厳しく制限されている」との但し書きがあるため恐らく現状維持のまま将来を迎える事であろう。
入谷もその気になれば再開発などの名目で駅前ロータリー等の設置は可能であろう。ただ、駅前付近は法律上の規制がかかっており、昔のイメージ~現在のイメージで将来を迎える事になるであろう。
ただ、私自身は茅ヶ崎~寒川間、寒川~厚木間、厚木~橋本間の順での利用頻度のため、特に国鉄時代の海老名・入谷以北は数えるほどしか利用したことがない。つまり寒川以北、厚木以北は私にとってアドベンチャー的な感覚であったのだ。倉見に住むようになってからは運転免許取得もあり殆どを相模線を利用する事は無かった。であるからこうして改めて全駅を巡ってみると、新たな発見と新鮮さが同時にやってくる。特に入谷は今回の訪問で初めて砂利線の痕跡をしっかりと確認できたし、更にその歴史を肌で感じとる事ができたのが何よりの収穫であった。


「厳しく制限されている」とは言うものの、かなり昔と風景が変わってきた。制限が解除されれば飛躍的に開発が進むであろうが、やはりこのままの方が入谷らしいかも知れない。

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2022年のご挨拶
2022-01-01
新年明けましておめでとうございます。
今年も「鉄道全線完全制覇の旅」をよろしくお願いいたします。
さて、私のブログタイトルにもある「鉄道全線」の「制覇」は実に偉そうな能書きを発しているが、実際は現時点で「完全制覇」はなし得てない。消化率でいうと、恐らく98%くらいであろう。もちろんその気になれば、いや、実際に行動すれば今年中にも達成できるであろう。ただ、終わらしてしまうと次なる目標に対し楽しさが半減してしまいそうで、あえて私は全線制覇としていない部分がある。ちなみに未制覇区間は先述通り北陸新幹線の長野~金沢間、富山地方鉄道・富山港線の電鉄富山駅・エスタ前停留場~富山駅北間、ゆいレールの全線、仙台市交通局の東西線全線、そして何とJR・相鉄直通線の西谷~羽沢横浜国大~鶴見は全くの地元区間であるし毎日のように車の窓からかしわ台付近を走るJR車両を見ているが「未乗!!!」となっている。


今年は2021年に定期運用を終了した185系をコレクションしてみた。まずは2013年頃に撮影した伊豆急行の富戸を通過する「日光型バージョン」(上)と稲梓を通過する「157バージョン」(下)。いわゆる157系特急「あまぎ」仕様であるが、私の知る「あまぎ」は既に183系の時代からであった。後に153系の急行「伊豆」と統合され185系の特急「踊り子」が誕生したのが1981年であった。
ところで昨年の夏、私はかねてから念願であった「鉄道公安官」のDVDを購入した!「鉄道公安官」といわれても、一体なんの事だかわからず若い世代にはなかなか伝わりにくい表現であったかも知れないので…
説明しよう。
この「鉄道公安官」とは1979年から1980年にかけて放送されたテレビドラマで、文字通り、撮影は華の国鉄時代、しかもブルトレ全盛期の時代の中、ブルートレインはもちろん、0系新幹線や、中には急行「もりおか」や鳴子線の普通列車まで登場するというレールファンにはたまらない作品であった。
シリーズ前半はブルートレインなどの在来線特急の登場が多かったが、後半は新幹線が主に登場し食堂車や、特に乗務員室などでも撮影され、当時は子供であった私が普段見れないような場所が毎回登場し、ドラマの内容は別はとして、毎回見るのが楽しみで楽しみで仕方なかった。
もちろんオンエア当時は一般家庭にはビデオレコーダー等は普及しておらず、当然ながら私の家もビデオが無かったので、今回DVDを購入した段階でなんと42年振りに視た事になる!

上野で見かけた「日光型」は実に新鮮であった。国鉄時代の車両がリニューアルして新たな塗装車両が数々登場したが、特に185系に関しては塗装ひとつでこうも変わるものかと感心してしまった。
キャストは主役の「榊主任」を演じる石立鉄男を初め「あぶない刑事」でお馴染み中条静夫や室長を演じる三橋達也、そして新幹線や特急列車など日本全国の鉄道ダイヤが頭の中にインプットされている通称「コンピューター」と呼ばれる役の五十嵐めぐみや若くして他界された夏目雅子(全て敬称略)など、登場する列車以上に懐かしく貴重な俳優陣達で構成されていた。そしてゲスト陣も豪華で、例えば若き日の「ダ・カーポ」や「太陽にほえろ!」でお馴染みの長谷直美、そしてまだ20代であったろう早乙女愛など、私より先輩の方なら懐かしくて涙が出てしまうほど素晴らしいメンバーだった。

そしてこちらは2013年に乗車前に撮影した特急「踊り子」は湘南メッシュであった。私はこの時始めて「踊り子」に乗車したが、登場してから実に30年以上の時間が経過していた。親戚が下田にいるのは先述しているが、伊豆方面から列車で帰郷するのは恐らくこの時が始めてであったろう。伊豆方面へは父が自家用車で行く場合が殆どであったので、行きは列車でも帰りは車の場合が多かった。そのため実に新鮮であった。
そして主題歌は「アメリカンフィーリング」などのヒットで知られるコーラスグループ「サーカス」が歌うホームタウン急行(エクスプレス)である。実はアメリカンフィーリングのB面にこの主題歌である「ホームタウン急行」が収録されていて、小学生ながら私はこのシングルレコードを購入している!レコード屋さんで「鉄道公安官の主題歌ください」と言ったが、もちろん店員さんはそのドラマを視てなかったであろうがためにかなり探すのに難航したが、結局見つかり万事休す。しかしながらA面ならともかく、B面のタイトルで探してもらったのは、今考えたら非常に申し訳無い思いである。

こちらも2013年に伊豆熱川で撮影した湘南メッシュ。「女子旅」を終え帰郷すると思われるグループが185系に乗車する風景が、現在は日常の風景では無くなってしまった。「女子旅」は実に憧れのフレーズであるが「男子旅」と聞いて意見が分かれるところであろうか・・・
そんなサーカスも、デビュー以来40年以上経った今でもメンバーチェンジが若干あったとは言え活動を続けているのは素晴らしい。インターネットが発達した現在、その勇姿を確認することが容易にできるのも実に素晴らしいが、40年以上経った現在の方が何となく歌声にまろやかさがでており聞いていて心地よいハーモニーがストレートに伝わってくる。これは若い頃と比較してもらえるとわかるが、何というか、のびのびと歌っているイメージが凄く伝わってくるのだが皆様はどうお感じになられるであろうか。ぜひとも動画サイトなどで確認していただけたら幸いである。

こちらは藤沢の小田急ホームより咄嗟に撮影した「踊り子」の通過シーンである。踊り子の停車駅は大船を出ると次は小田原であるが、横浜~小田原間は大船・藤沢・茅ヶ崎・平塚の4駅を列車によって振り分けて停車させるのも面白いと思う。それなりに需要が見込めると思うのだが・・・
さて、私も鉄道歴は40年以上になるが、23年のブランクがあるので通算では20年くらいになると思う。確かに子供の頃はブルートレインやL特急などの撮影にがむしゃらであったが、近年では車を使った駅訪問が多くなってきた。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があるが、私にとっての鉄道は「ものの上手」にはならない。技術が向上するわけでもなく、シンプルに年月だけが過ぎて行く。ただ、頭の中に鉄道路線図が入っているので、例えば電車での通勤時に事故等による代替輸送時にはわざわざ駅員等に聞いたりNAVITIMEなどで経路を調べなくても代替えルートを即座にイメージする事ができる。だが、それはある意味「トレビアの泉」的な感覚に過ぎないかも知れないので「技術」とはまた違った一面であろう。
「鉄道公安官」のキャストで現在も活躍していらっしゃる方は加納竜と五十嵐めぐみ(敬称略)であるが、昭和の時代から現在まで俳優を続けていらっしゃるのは実に素晴らしい。主題歌を歌う「サーカス」を含め「続ける事の素晴らしさ」が無言のアピールで伝わってくるようだ。

1983年頃に撮影した特急「谷川」は、新幹線リレー号との運用であっただろう。確か特急「あかぎ」も185系で運用されていた記憶であるのだが、個人的に185系の特急運用は当時、何となく風格的な何かが足りないイメージであったが、普通列車の運用の時はお得感を感じていた。
私のブログは鉄道を主題としているが、一体いつまでこのブログを更新できるのであろうか。かつてジャイアント馬場が日本武道館の天井を見上げながら練習をしている際に「俺はいつまでこの天井を見ることが出来るのか」的な発言をしていたが、最近になって私もこの意味がようやく身近にわかってきた気がする。
ここ数年は新型コロナウイルス関連で列車に乗る事さえ特殊な行動と思えるような日々が続いた。ウイルスは人間の体だけでなく、生活様式や今までの常識さえも変えてしまい、我々が過去に経験した事のない特殊なウイルスであるがために対応も一苦労である。
私は定年したら「フルムーン」でも使い一気に全線制覇を成し遂げてしまおうと計画してる。体力的にどうかは別として、目標があれば何かと生活にハリがでてくる。であるが・・・コロナ関連がこうして長く続いた現在、こうした夢も実現できるかわからない時代になった。
私の場合、鉄道路線に乗ってこそその価値がでてくる趣旨であるから、車で未制覇路線の駅などを訪問してもあまり意味がない。もちろんそれにより「点」を中心とした旅はできるが、やはり「線」を完結させないと中途半端では終わらす事が出来ないのである。ただ、未完結とはいえ全線制覇の模様については蔵の中に紹介していない旅がたくさんあるのでこれからも順次この、ブログで紹介していきたい。
そして完全にコロナ関連が収束したら是非定年後の夢に向かって目標を実現させたい。そして皆様に「全線制覇しました!」とこのブログで報告ができる事が楽しみでもある。いつかその日がくる日まで、是非私のブログをご覧いただけたら幸いである。

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「続きを読む」におまけあり!
今年も「鉄道全線完全制覇の旅」をよろしくお願いいたします。
さて、私のブログタイトルにもある「鉄道全線」の「制覇」は実に偉そうな能書きを発しているが、実際は現時点で「完全制覇」はなし得てない。消化率でいうと、恐らく98%くらいであろう。もちろんその気になれば、いや、実際に行動すれば今年中にも達成できるであろう。ただ、終わらしてしまうと次なる目標に対し楽しさが半減してしまいそうで、あえて私は全線制覇としていない部分がある。ちなみに未制覇区間は先述通り北陸新幹線の長野~金沢間、富山地方鉄道・富山港線の電鉄富山駅・エスタ前停留場~富山駅北間、ゆいレールの全線、仙台市交通局の東西線全線、そして何とJR・相鉄直通線の西谷~羽沢横浜国大~鶴見は全くの地元区間であるし毎日のように車の窓からかしわ台付近を走るJR車両を見ているが「未乗!!!」となっている。


今年は2021年に定期運用を終了した185系をコレクションしてみた。まずは2013年頃に撮影した伊豆急行の富戸を通過する「日光型バージョン」(上)と稲梓を通過する「157バージョン」(下)。いわゆる157系特急「あまぎ」仕様であるが、私の知る「あまぎ」は既に183系の時代からであった。後に153系の急行「伊豆」と統合され185系の特急「踊り子」が誕生したのが1981年であった。
ところで昨年の夏、私はかねてから念願であった「鉄道公安官」のDVDを購入した!「鉄道公安官」といわれても、一体なんの事だかわからず若い世代にはなかなか伝わりにくい表現であったかも知れないので…
説明しよう。
この「鉄道公安官」とは1979年から1980年にかけて放送されたテレビドラマで、文字通り、撮影は華の国鉄時代、しかもブルトレ全盛期の時代の中、ブルートレインはもちろん、0系新幹線や、中には急行「もりおか」や鳴子線の普通列車まで登場するというレールファンにはたまらない作品であった。
シリーズ前半はブルートレインなどの在来線特急の登場が多かったが、後半は新幹線が主に登場し食堂車や、特に乗務員室などでも撮影され、当時は子供であった私が普段見れないような場所が毎回登場し、ドラマの内容は別はとして、毎回見るのが楽しみで楽しみで仕方なかった。
もちろんオンエア当時は一般家庭にはビデオレコーダー等は普及しておらず、当然ながら私の家もビデオが無かったので、今回DVDを購入した段階でなんと42年振りに視た事になる!

上野で見かけた「日光型」は実に新鮮であった。国鉄時代の車両がリニューアルして新たな塗装車両が数々登場したが、特に185系に関しては塗装ひとつでこうも変わるものかと感心してしまった。
キャストは主役の「榊主任」を演じる石立鉄男を初め「あぶない刑事」でお馴染み中条静夫や室長を演じる三橋達也、そして新幹線や特急列車など日本全国の鉄道ダイヤが頭の中にインプットされている通称「コンピューター」と呼ばれる役の五十嵐めぐみや若くして他界された夏目雅子(全て敬称略)など、登場する列車以上に懐かしく貴重な俳優陣達で構成されていた。そしてゲスト陣も豪華で、例えば若き日の「ダ・カーポ」や「太陽にほえろ!」でお馴染みの長谷直美、そしてまだ20代であったろう早乙女愛など、私より先輩の方なら懐かしくて涙が出てしまうほど素晴らしいメンバーだった。

そしてこちらは2013年に乗車前に撮影した特急「踊り子」は湘南メッシュであった。私はこの時始めて「踊り子」に乗車したが、登場してから実に30年以上の時間が経過していた。親戚が下田にいるのは先述しているが、伊豆方面から列車で帰郷するのは恐らくこの時が始めてであったろう。伊豆方面へは父が自家用車で行く場合が殆どであったので、行きは列車でも帰りは車の場合が多かった。そのため実に新鮮であった。
そして主題歌は「アメリカンフィーリング」などのヒットで知られるコーラスグループ「サーカス」が歌うホームタウン急行(エクスプレス)である。実はアメリカンフィーリングのB面にこの主題歌である「ホームタウン急行」が収録されていて、小学生ながら私はこのシングルレコードを購入している!レコード屋さんで「鉄道公安官の主題歌ください」と言ったが、もちろん店員さんはそのドラマを視てなかったであろうがためにかなり探すのに難航したが、結局見つかり万事休す。しかしながらA面ならともかく、B面のタイトルで探してもらったのは、今考えたら非常に申し訳無い思いである。

こちらも2013年に伊豆熱川で撮影した湘南メッシュ。「女子旅」を終え帰郷すると思われるグループが185系に乗車する風景が、現在は日常の風景では無くなってしまった。「女子旅」は実に憧れのフレーズであるが「男子旅」と聞いて意見が分かれるところであろうか・・・
そんなサーカスも、デビュー以来40年以上経った今でもメンバーチェンジが若干あったとは言え活動を続けているのは素晴らしい。インターネットが発達した現在、その勇姿を確認することが容易にできるのも実に素晴らしいが、40年以上経った現在の方が何となく歌声にまろやかさがでており聞いていて心地よいハーモニーがストレートに伝わってくる。これは若い頃と比較してもらえるとわかるが、何というか、のびのびと歌っているイメージが凄く伝わってくるのだが皆様はどうお感じになられるであろうか。ぜひとも動画サイトなどで確認していただけたら幸いである。

こちらは藤沢の小田急ホームより咄嗟に撮影した「踊り子」の通過シーンである。踊り子の停車駅は大船を出ると次は小田原であるが、横浜~小田原間は大船・藤沢・茅ヶ崎・平塚の4駅を列車によって振り分けて停車させるのも面白いと思う。それなりに需要が見込めると思うのだが・・・
さて、私も鉄道歴は40年以上になるが、23年のブランクがあるので通算では20年くらいになると思う。確かに子供の頃はブルートレインやL特急などの撮影にがむしゃらであったが、近年では車を使った駅訪問が多くなってきた。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があるが、私にとっての鉄道は「ものの上手」にはならない。技術が向上するわけでもなく、シンプルに年月だけが過ぎて行く。ただ、頭の中に鉄道路線図が入っているので、例えば電車での通勤時に事故等による代替輸送時にはわざわざ駅員等に聞いたりNAVITIMEなどで経路を調べなくても代替えルートを即座にイメージする事ができる。だが、それはある意味「トレビアの泉」的な感覚に過ぎないかも知れないので「技術」とはまた違った一面であろう。
「鉄道公安官」のキャストで現在も活躍していらっしゃる方は加納竜と五十嵐めぐみ(敬称略)であるが、昭和の時代から現在まで俳優を続けていらっしゃるのは実に素晴らしい。主題歌を歌う「サーカス」を含め「続ける事の素晴らしさ」が無言のアピールで伝わってくるようだ。

1983年頃に撮影した特急「谷川」は、新幹線リレー号との運用であっただろう。確か特急「あかぎ」も185系で運用されていた記憶であるのだが、個人的に185系の特急運用は当時、何となく風格的な何かが足りないイメージであったが、普通列車の運用の時はお得感を感じていた。
私のブログは鉄道を主題としているが、一体いつまでこのブログを更新できるのであろうか。かつてジャイアント馬場が日本武道館の天井を見上げながら練習をしている際に「俺はいつまでこの天井を見ることが出来るのか」的な発言をしていたが、最近になって私もこの意味がようやく身近にわかってきた気がする。
ここ数年は新型コロナウイルス関連で列車に乗る事さえ特殊な行動と思えるような日々が続いた。ウイルスは人間の体だけでなく、生活様式や今までの常識さえも変えてしまい、我々が過去に経験した事のない特殊なウイルスであるがために対応も一苦労である。
私は定年したら「フルムーン」でも使い一気に全線制覇を成し遂げてしまおうと計画してる。体力的にどうかは別として、目標があれば何かと生活にハリがでてくる。であるが・・・コロナ関連がこうして長く続いた現在、こうした夢も実現できるかわからない時代になった。
私の場合、鉄道路線に乗ってこそその価値がでてくる趣旨であるから、車で未制覇路線の駅などを訪問してもあまり意味がない。もちろんそれにより「点」を中心とした旅はできるが、やはり「線」を完結させないと中途半端では終わらす事が出来ないのである。ただ、未完結とはいえ全線制覇の模様については蔵の中に紹介していない旅がたくさんあるのでこれからも順次この、ブログで紹介していきたい。
そして完全にコロナ関連が収束したら是非定年後の夢に向かって目標を実現させたい。そして皆様に「全線制覇しました!」とこのブログで報告ができる事が楽しみでもある。いつかその日がくる日まで、是非私のブログをご覧いただけたら幸いである。

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