上田で荷物を忘れてしまいましたが ⑤
2023-02-25
長野に着いた時に見慣れない車両を見たが、よく見れば見慣れた車両であった。それは、しなの鉄道色に染まった115系であった。そうか、信越本線は新幹線開通後に並走区画が三セク化されたのかとある意味謎が解けた。だが、115系は湘南色でないとどうも私は馴染めずにいたが、茅ヶ崎産まれ、茅ヶ崎育ちの妻は即座に「あっ、東海道線だ!」と反応。もちろん塗装は違うものの、素人ながら妻なりに国鉄を感じ取ったのであろう。まぁ、115系は後程乗る予定なので、私は先に予定していた「ゆけむり」へのお誘いがある方角へむかった。
とりあえず時間的にも昼時なので、これも予定していたそば処へと向かった。やはり「信州しなの」と言えば「あたしゃあなたのそばがいぃ」であろう。実は私の実家もかつてはそば処の飲食店を営んでいたので本場の味が気になるところだ。

長野で撮影した「国鉄車両」である。左側は改造した485系であると思われるが、右側は・・・115系ですよね?国鉄時代は個人的に先頭の塗装の角度とかで113系と115系の区別をしていたが、現在の塗装ではその方法での判別はほぼ不可能である!
空腹も満たし、いよいよ「ゆけむり」に誘われてみようと思い地下へと向かった。そう、これより長野電鉄初体験物語である。長野電鉄の起点である長野は立派な地下駅なのだ。そこにいたのは…レールファンならご存知「マッコウクジラ」と「ハイデッカー」であった。またまた素人の妻が即座に反応。
「あれ、ロマンスカー?」
その通りである。神奈川県民なら一度はお目にかかった事であろう赤とクリーム色の車体。現在はこちらで第二の人生を送っていた。私はかつて厚木に在住期間があるため、東京方面のコンサート会場へはもちろんロマンスだったので、信州信濃のハイデッカーは超違和感である。しかもロマンスでは500円くらいの別料金だったのが、長野ではたった100円をプラスするだけでハイデッカーに乗車できるのである!もちろん一択にて事前準備をしていたので即座に最前列へと向かったのであった。

長野で撮影した我が地元・小田急で活躍した「ハイデッカー」が長野で第二の人生を送っていた。地元では新宿から本厚木までの別料金が550円くらいだったが、こちらでは別料金が何と100円で利用できる!
一旦車両の最前列、つまり展望席に荷物と妻を置き、私は「クジラ」に会いに行った。
東京は台東区三ノ輪に親戚がいるため、小学生の頃散々乗っていた「クジラ」が懐かしく感じる。。もちろん興奮の雨あられであるが、やはり長電の長野は地下駅だからこそマッコウクジラがよく似合う!余生をこの地で過ごせて、何よりも本人がよろこんでいるのではないだろうか。ただ、「クジラ」も後程乗車予定であるため私は再びハイデッカーへと戻った。

そして私が東京は三ノ輪の親戚宅にお邪魔する際によく利用していた「マッコウ」である。長電の長野で見る風景は東京での活躍時代そのものの風景であるが、学年が上がるごとに千代田線なども利用するようになり、親戚宅訪問へのバリエーションが増えた。
ところで日本の法律か何かで、地下鉄の車両は貫通扉でなければならないという主旨の項目があると聞いているが、長電の「ゆけむり」は貫通扉でなないのでは?と思ってしまう。恐らく地下鉄というより「地下区間」「トンネル」という解釈で届け出しているのであろう。かつて東京に地下鉄を敷設する場合、当時は戦時的で複雑な理由からアメリカによりかなり制約されていたらしく、一部の区間で地上に顔を出すことにより地下区間を「トンネル」として申請して地下鉄を敷設したという経緯がある。つまり丸ノ内線など古くからある地下鉄路線はそうした理由から御茶ノ水辺りで現在も地上に顔を出す風景が見られる訳である。
「ゆけむり」の事情もややそれに近いイメージで申請しているのであろうか。何れにしても、神奈川県民の私からしたら地下にハイデッカーがいるのは違和感「大」でならない。

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とりあえず時間的にも昼時なので、これも予定していたそば処へと向かった。やはり「信州しなの」と言えば「あたしゃあなたのそばがいぃ」であろう。実は私の実家もかつてはそば処の飲食店を営んでいたので本場の味が気になるところだ。

長野で撮影した「国鉄車両」である。左側は改造した485系であると思われるが、右側は・・・115系ですよね?国鉄時代は個人的に先頭の塗装の角度とかで113系と115系の区別をしていたが、現在の塗装ではその方法での判別はほぼ不可能である!
空腹も満たし、いよいよ「ゆけむり」に誘われてみようと思い地下へと向かった。そう、これより長野電鉄初体験物語である。長野電鉄の起点である長野は立派な地下駅なのだ。そこにいたのは…レールファンならご存知「マッコウクジラ」と「ハイデッカー」であった。またまた素人の妻が即座に反応。
「あれ、ロマンスカー?」
その通りである。神奈川県民なら一度はお目にかかった事であろう赤とクリーム色の車体。現在はこちらで第二の人生を送っていた。私はかつて厚木に在住期間があるため、東京方面のコンサート会場へはもちろんロマンスだったので、信州信濃のハイデッカーは超違和感である。しかもロマンスでは500円くらいの別料金だったのが、長野ではたった100円をプラスするだけでハイデッカーに乗車できるのである!もちろん一択にて事前準備をしていたので即座に最前列へと向かったのであった。

長野で撮影した我が地元・小田急で活躍した「ハイデッカー」が長野で第二の人生を送っていた。地元では新宿から本厚木までの別料金が550円くらいだったが、こちらでは別料金が何と100円で利用できる!
一旦車両の最前列、つまり展望席に荷物と妻を置き、私は「クジラ」に会いに行った。
東京は台東区三ノ輪に親戚がいるため、小学生の頃散々乗っていた「クジラ」が懐かしく感じる。。もちろん興奮の雨あられであるが、やはり長電の長野は地下駅だからこそマッコウクジラがよく似合う!余生をこの地で過ごせて、何よりも本人がよろこんでいるのではないだろうか。ただ、「クジラ」も後程乗車予定であるため私は再びハイデッカーへと戻った。

そして私が東京は三ノ輪の親戚宅にお邪魔する際によく利用していた「マッコウ」である。長電の長野で見る風景は東京での活躍時代そのものの風景であるが、学年が上がるごとに千代田線なども利用するようになり、親戚宅訪問へのバリエーションが増えた。
ところで日本の法律か何かで、地下鉄の車両は貫通扉でなければならないという主旨の項目があると聞いているが、長電の「ゆけむり」は貫通扉でなないのでは?と思ってしまう。恐らく地下鉄というより「地下区間」「トンネル」という解釈で届け出しているのであろう。かつて東京に地下鉄を敷設する場合、当時は戦時的で複雑な理由からアメリカによりかなり制約されていたらしく、一部の区間で地上に顔を出すことにより地下区間を「トンネル」として申請して地下鉄を敷設したという経緯がある。つまり丸ノ内線など古くからある地下鉄路線はそうした理由から御茶ノ水辺りで現在も地上に顔を出す風景が見られる訳である。
「ゆけむり」の事情もややそれに近いイメージで申請しているのであろうか。何れにしても、神奈川県民の私からしたら地下にハイデッカーがいるのは違和感「大」でならない。

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上田で荷物を忘れてしまいましたが ④
2023-02-18
塩尻では停車時間が僅かなためじっくりと観察できなかったが、後年にそれを実現させた。
このブログでも紹介しているが、1982年に劇的な改造をしている。それというのも、中央西線対篠ノ井線では進行方向を変えないと塩尻は直通できない配線だったため、例えば特急「しなの」などは塩尻でのスイッチバック運転を余儀なくされた。そのため、当時の国鉄の苦しい財政の中、駅を若干移転させ、客流動の実態に合うように配線が変更されたのだ。これにより篠ノ井線対中央西線のスイッチバックはなくなり、実態に合うように生まれ変わったのだ。また、万が一中央線同士での直通運転が設定された場合は4番線を介せば直通可能であり、仮に塩尻を通過する列車がある場合は、中央西線の旧線を利用した短絡線を使えばスイッチバック無しで直通可能となっている。
ただ、残念ながら私の乗った列車は中津川発松本行きのためこのまま乗っていなければならない。いつか塩尻をじっくり探索したい想いが弾けそうで止まらなかったが、後年にそれは実現させた。その模様はこのブログで「かけめぐる青春」というタイトルで紹介しているので是非!



塩尻は、篠ノ井線と中央西線の直通列車に対するスイッチバック解消のため大改造が行われ、昭和57年に移転し現在の姿になった。中央東線と中央西線の直通列車は定期便では運転されておらず、「名」より「実」を選んだ形になった。万が一両線の直通列車が運転される場合は4番線を介せば直通可能となる。もちろんその際はスイッチバックを要する事になる。
ということで久々の篠ノ井線であるが、要衝駅となる松本に着くと乗り換えが発生するため、大垣駅ではないがダッシュしなければならない。というのも、意外にも混雑度が高く、何気に地元以外と思われる利用者が多い。結果的にダッシュしてもしても立ち席客のひとりとなってしまったが、これが鉄道本来の姿だろう。
ただ、私にもある程度の計算はあった。
もちろん地元の方も利用されているわけであるから、恐らく聖高原までには着席できるであろう。その読みはバッチリ的中し、鉄道運営会社には申し訳無いが、明科辺りからようやく理想の鉄道旅らしい風景が彩られた。


姨捨は日本三大車窓としては周知の通りで、善光寺平を見下ろすホームからのビューは圧巻である。篠ノ井線に唯一の旅客駅によるスイッチバック駅であるが、私の訪問時には何と貨物列車が律儀にスイッチバックをしていった!
途中の姨捨ではご存知スイッチバック駅であり、ホームから眺める善光寺平は私が説明するまでもないであろうくらい有名な名所であろう。ここ姥捨でも後年に下車しているが、本線とホームがある駅構内部分との高低差が激しく、スイッチバックであるが故の鉄道の醍醐味を肌で感じる事ができる。残念ながら塩尻はスイッチバックが解消されたが、こちらはそのまま残留であった。お陰で我々は「鉄道三大車窓をじっくりと楽しむ事ができる。
そんなスイッチバックを堪能し、善光寺平の雄大な景色に圧倒されながらしばらくすると篠ノ井に着いた。信越本線としなの鉄道のジャンクションであるが、例えば同じく信越本線と上越線のジャンクションである宮内ほどの派手さは少ない。そして駅ホームも時間帯が外れている事もあるが、利用者がやや疎らで静寂に包まれていた。路線名にもなっている篠ノ井は意外にも地味なイメージであった。
篠ノ井を過ぎようやく長野に着いたか、そのホームの傍らには、何やら見慣れない車両が停車していた。だが、どこかで見たような…

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このブログでも紹介しているが、1982年に劇的な改造をしている。それというのも、中央西線対篠ノ井線では進行方向を変えないと塩尻は直通できない配線だったため、例えば特急「しなの」などは塩尻でのスイッチバック運転を余儀なくされた。そのため、当時の国鉄の苦しい財政の中、駅を若干移転させ、客流動の実態に合うように配線が変更されたのだ。これにより篠ノ井線対中央西線のスイッチバックはなくなり、実態に合うように生まれ変わったのだ。また、万が一中央線同士での直通運転が設定された場合は4番線を介せば直通可能であり、仮に塩尻を通過する列車がある場合は、中央西線の旧線を利用した短絡線を使えばスイッチバック無しで直通可能となっている。
ただ、残念ながら私の乗った列車は中津川発松本行きのためこのまま乗っていなければならない。いつか塩尻をじっくり探索したい想いが弾けそうで止まらなかったが、後年にそれは実現させた。その模様はこのブログで「かけめぐる青春」というタイトルで紹介しているので是非!



塩尻は、篠ノ井線と中央西線の直通列車に対するスイッチバック解消のため大改造が行われ、昭和57年に移転し現在の姿になった。中央東線と中央西線の直通列車は定期便では運転されておらず、「名」より「実」を選んだ形になった。万が一両線の直通列車が運転される場合は4番線を介せば直通可能となる。もちろんその際はスイッチバックを要する事になる。
ということで久々の篠ノ井線であるが、要衝駅となる松本に着くと乗り換えが発生するため、大垣駅ではないがダッシュしなければならない。というのも、意外にも混雑度が高く、何気に地元以外と思われる利用者が多い。結果的にダッシュしてもしても立ち席客のひとりとなってしまったが、これが鉄道本来の姿だろう。
ただ、私にもある程度の計算はあった。
もちろん地元の方も利用されているわけであるから、恐らく聖高原までには着席できるであろう。その読みはバッチリ的中し、鉄道運営会社には申し訳無いが、明科辺りからようやく理想の鉄道旅らしい風景が彩られた。


姨捨は日本三大車窓としては周知の通りで、善光寺平を見下ろすホームからのビューは圧巻である。篠ノ井線に唯一の旅客駅によるスイッチバック駅であるが、私の訪問時には何と貨物列車が律儀にスイッチバックをしていった!
途中の姨捨ではご存知スイッチバック駅であり、ホームから眺める善光寺平は私が説明するまでもないであろうくらい有名な名所であろう。ここ姥捨でも後年に下車しているが、本線とホームがある駅構内部分との高低差が激しく、スイッチバックであるが故の鉄道の醍醐味を肌で感じる事ができる。残念ながら塩尻はスイッチバックが解消されたが、こちらはそのまま残留であった。お陰で我々は「鉄道三大車窓をじっくりと楽しむ事ができる。
そんなスイッチバックを堪能し、善光寺平の雄大な景色に圧倒されながらしばらくすると篠ノ井に着いた。信越本線としなの鉄道のジャンクションであるが、例えば同じく信越本線と上越線のジャンクションである宮内ほどの派手さは少ない。そして駅ホームも時間帯が外れている事もあるが、利用者がやや疎らで静寂に包まれていた。路線名にもなっている篠ノ井は意外にも地味なイメージであった。
篠ノ井を過ぎようやく長野に着いたか、そのホームの傍らには、何やら見慣れない車両が停車していた。だが、どこかで見たような…

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上田で荷物を忘れてしまいましたが ③
2023-02-11
初めての中央西線であるが、次の金山では国鉄時代には無かった東海道線のホームができて乗り換えにたいへん便利になった。やや駅自体も移転して名鉄も乗り換えられるようになり国鉄時代とはイメージが一新、いずれにしてもドデカイ存在になった。
愛知県の中心部にほど近い千種を過ぎ、多治見や中津川を過ぎると旅情溢れる風景になってくる。そして中仙道らしい風景がさらに深まっていくが、南木曽や上松など、渋い駅が私を向かえてくれるのでどうしても下車したい衝動にかられてしまう。というのも、以前に家族旅行で嬬恋~南木曽などを訪れているが、どうやら我が家の家系のルーツがあるらしく、父がノリノリで中仙道を徒歩で探索した記憶があるが、私は鉄道設備が見当たらないため割りとクールだった印象だ。しかも現地までは自家用車で向かった記憶で、中央道などは恐らく全通していなかった記憶では途中の塩尻辺りでは一般道だった記憶だ。もちろん、そのような記憶はあるものの、南木曽や上松に下車したい思いというのは駅舎や鉄道設備を確認したいという思いである。

今回の旅の写真であるが、デジカメ購入前でアナログ式のキャノンAE-1プログラムでの参戦となった。そのため写真の保存が少ないため、この南木曽を始め、今後に登場する写真もウィキのお世話になる事になってしまう。という事で、この画像はウィキより拝借したものである南木曽。国鉄からJRになり、昔のイメージとは打って変わって中山道の宿場町の雰囲気を充分に醸し出す駅舎に変身している。
恐らくそのクールさから翌年のブルートレイン「富士」による九州の旅に繋がり私のご機嫌を取ろうという作戦だったのかも知れないか、いずれにしても中仙道よりも当然ながら「富士」の方が俄然テンションが上がったわけだから、父にしたら大成功と感じたであろう。理由はどうあれ、寝台特急に人生初で乗車させていただいたのだから感謝しなければならない。
そんな記憶のある中仙道~木曽福島辺りを列車ではあっという間に過ぎてしまう。もちろん「しなの」であれば瞬であろうが、普通列車ではその歩みも緩やかになり懐かしい思い出が甦る。ただ、外国人観光客にも人気のある妻籠付近を私は電車でスルーしなければならないのは・・・そう、旅の目的は観光ではなく鉄道路線を制覇する事だ。

これは私が撮影した特急「しなの」であるが、上の南木曽と比べてもらえば一目瞭然、こちらの写真は「Canon AE-1プログラム」というアナログ式のカメラで撮影したものである。国鉄時代は日本初の振り子式特急電車として381系で運転され話題となった。その後紀勢本線での「くろしお」や、伯備線の「やくも」などで活躍していた381系であるが、現在の「しなの」はご覧の383系に変わり、いかにもJR東海っぽい姿に変った。
さて、木曽福島より先は更に山深くなり、国鉄時代には381系の振り子式電車の提案、開発した意味が納得できるような景色が車窓を賑わせていた。日本は意外にも山岳国家であるため、太平洋側と日本海側との間には大きな山が蔓延っている。その間を移動する際には必ず山越えをしなければならない。これは我々日本人に与えられた試練なのであろうか。先人の方々は、特に鉄道を敷設する際にはスイッチバックやループ線など、勾配に弱い鉄道を何とか活かそうと必死であったに違いない。特に上越線や肥薩線などは、上から来る要求や指令に現場は応えなければならない訳であるから設計も敷設もなみなみならぬ苦労があった事であろう。更に北海道などは厳しい環境や気候にも耐えなければならず、現在のように重機や技術も発達していない時代での「鉄道を敷く」という作業は、まさに命懸けであろう。
そんな歴史を噛み締めていると、なんだか鉄道という文化や歴史が偉大に見えてきた。まもなく塩尻到着のアナウンスが聞こえてきたが、国鉄末期に大改造ビフォー・アフターを敢行した駅だ。何度か紹介しているが、当時、鉄道技術の集大成を全面に押し出したイメージで迎えた現在の姿は、30年以上経った現在でも活きている。その姿は、まさにかつての格闘アニメの如く、一子相伝的に現在まで受け継がれ、そして活躍している。

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愛知県の中心部にほど近い千種を過ぎ、多治見や中津川を過ぎると旅情溢れる風景になってくる。そして中仙道らしい風景がさらに深まっていくが、南木曽や上松など、渋い駅が私を向かえてくれるのでどうしても下車したい衝動にかられてしまう。というのも、以前に家族旅行で嬬恋~南木曽などを訪れているが、どうやら我が家の家系のルーツがあるらしく、父がノリノリで中仙道を徒歩で探索した記憶があるが、私は鉄道設備が見当たらないため割りとクールだった印象だ。しかも現地までは自家用車で向かった記憶で、中央道などは恐らく全通していなかった記憶では途中の塩尻辺りでは一般道だった記憶だ。もちろん、そのような記憶はあるものの、南木曽や上松に下車したい思いというのは駅舎や鉄道設備を確認したいという思いである。

今回の旅の写真であるが、デジカメ購入前でアナログ式のキャノンAE-1プログラムでの参戦となった。そのため写真の保存が少ないため、この南木曽を始め、今後に登場する写真もウィキのお世話になる事になってしまう。という事で、この画像はウィキより拝借したものである南木曽。国鉄からJRになり、昔のイメージとは打って変わって中山道の宿場町の雰囲気を充分に醸し出す駅舎に変身している。
恐らくそのクールさから翌年のブルートレイン「富士」による九州の旅に繋がり私のご機嫌を取ろうという作戦だったのかも知れないか、いずれにしても中仙道よりも当然ながら「富士」の方が俄然テンションが上がったわけだから、父にしたら大成功と感じたであろう。理由はどうあれ、寝台特急に人生初で乗車させていただいたのだから感謝しなければならない。
そんな記憶のある中仙道~木曽福島辺りを列車ではあっという間に過ぎてしまう。もちろん「しなの」であれば瞬であろうが、普通列車ではその歩みも緩やかになり懐かしい思い出が甦る。ただ、外国人観光客にも人気のある妻籠付近を私は電車でスルーしなければならないのは・・・そう、旅の目的は観光ではなく鉄道路線を制覇する事だ。

これは私が撮影した特急「しなの」であるが、上の南木曽と比べてもらえば一目瞭然、こちらの写真は「Canon AE-1プログラム」というアナログ式のカメラで撮影したものである。国鉄時代は日本初の振り子式特急電車として381系で運転され話題となった。その後紀勢本線での「くろしお」や、伯備線の「やくも」などで活躍していた381系であるが、現在の「しなの」はご覧の383系に変わり、いかにもJR東海っぽい姿に変った。
さて、木曽福島より先は更に山深くなり、国鉄時代には381系の振り子式電車の提案、開発した意味が納得できるような景色が車窓を賑わせていた。日本は意外にも山岳国家であるため、太平洋側と日本海側との間には大きな山が蔓延っている。その間を移動する際には必ず山越えをしなければならない。これは我々日本人に与えられた試練なのであろうか。先人の方々は、特に鉄道を敷設する際にはスイッチバックやループ線など、勾配に弱い鉄道を何とか活かそうと必死であったに違いない。特に上越線や肥薩線などは、上から来る要求や指令に現場は応えなければならない訳であるから設計も敷設もなみなみならぬ苦労があった事であろう。更に北海道などは厳しい環境や気候にも耐えなければならず、現在のように重機や技術も発達していない時代での「鉄道を敷く」という作業は、まさに命懸けであろう。
そんな歴史を噛み締めていると、なんだか鉄道という文化や歴史が偉大に見えてきた。まもなく塩尻到着のアナウンスが聞こえてきたが、国鉄末期に大改造ビフォー・アフターを敢行した駅だ。何度か紹介しているが、当時、鉄道技術の集大成を全面に押し出したイメージで迎えた現在の姿は、30年以上経った現在でも活きている。その姿は、まさにかつての格闘アニメの如く、一子相伝的に現在まで受け継がれ、そして活躍している。

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上田で荷物を忘れてしまいましたが ②
2023-02-04
今回の旅は既に先述した通り信州方面へ向かうが、ムーンライト信州が運転されていなかった事と、中央西線を制覇するためわざわざムーンライトながらで名古屋へ向かい、そして名古屋から中央西線へ入る予定を組んだ。東京から信州方面へ行く場合、一般的に考えてわざわざ名古屋経由で信州へと向かうのはもの好きである私くらいであろうが、名古屋からも「しなの」など特急は使わず、なんと普通列車のみで向かうというのだから一般から除外されるような人格に見られても仕方がない。しかしながら、これは18シーズンであるが故の宿命なのだ、いや、それは表向きの理由で、実は・・・
「本線」とよばれる大動脈の幹線を普通列車で旅する醍醐味は、速達列車では見えない何かが沢山詰まっている事であろう。特に「秘境駅」とよばれる利用者がそう多くない駅が「本線」と呼ばれる鉄道路線にも数多く点在する中、そうした駅にも丁寧に停車していくのである意味下車もできる。私の場合、無計画で咄嗟にフラッと下車してしまうなどという行為は皆無であるが、逆にそうした旅を好む方もおられるであろう。それが普通列車なら融通が効くので小回りの効く旅ができる、それが普通列車ならではのカラーであろう。そんな旅は18シーズンでないとなかなか難しい。私は好んで普通列車に乗車する事にした。

探せば出てくるものだ。小田原で撮影した「ムーンライトながら」であるが、使い捨てアナログカメラで撮影したのもなのでどこかに行ってしまったかと思っていたが、なんとアルバムの片隅に眠っていた。なぜ今まで気付かなかったのであろうか・・・
そういえば前章の冒頭に出てきた木綿的なハンカチの唄では「東へと向かう列車」に乗り恋人の元から離れて行く様を描いているが、という事はつまり西方面に暮らしているイメージになるが、私は残念ながら東京近郊のため、基本的にこれ以上東へは進めない。つまり旅立つ時は西か北だ。だが、今回は一般的には考えられないような旅行程のため名古屋から「東へと向かう列車」に乗ることになる。
ということで、名古屋ではいつものように寝不足のまま中央線のホームを目指すが、東へと向かう列車に乗り換えるにはこのシチュエーションだと非常に修行的な何かを感じる。コアラのような姿をしながら一夜を列車内で明かしたうえ、完全に熟睡できたわけでもない。恐らく中央線の道中では間違いなく睡魔に襲われるであろう。ただ、それは優等列車ならその睡魔に拍車をかけるであろうが、私がこれから乗車するのは普通列車である。つまりその拍車の部分にいくらかのブレーキになるであろう風景が今から広がっていくわけだ。ただ、かつては高速道路の無い時代や、更に昔は徒歩による移動の時代から比べれば、普通列車でも塩尻までは半日有れば着いてしまうの。そう考えると普通列車での旅も悪くはないではないか。いや、遥かに良いであろう。江戸時代などに比べたら見違えるような進歩である。それでも21世紀の現代社会では前近代的な、というより地域密着型の移動手段他ならない。すでに軽い疲労を隠せない中、決して軽いとはいえないフットワークで地下通路を潜った。

これは何度か紹介した写真であるが、別の日に撮影した「ムーンライト信州」であるが、こちらも使い捨てアナログカメラでの撮影であるため少々画像がよろしくない。普通の一般なら首都圏発の場合この列車を利用するが、私は「ながら」での出陣であったので普通の一般ではないスタートであった。まぁ、たまにはこういう変化球での旅も有りであろう。
ムーンライトから名古屋で乗り換える列車はほぼ下り列車的な役割のため「大垣ダッシュ」のような乗り換えは殆ど皆無であるため一定の余裕がある。ただ、近年はロングシートが増えたせいか旅情が薄れてしまうが、それでも運転があるだけラッキーと思わなければならない。しかも今回は中央西線で塩尻まで行くので、その道中で朝食も調達できるであろう。中央線でとりあえず座席を確保しホッとした車内では、食事の事など忘れ、駅設備に向けシャッターを切るのに夢中になっていた。

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「本線」とよばれる大動脈の幹線を普通列車で旅する醍醐味は、速達列車では見えない何かが沢山詰まっている事であろう。特に「秘境駅」とよばれる利用者がそう多くない駅が「本線」と呼ばれる鉄道路線にも数多く点在する中、そうした駅にも丁寧に停車していくのである意味下車もできる。私の場合、無計画で咄嗟にフラッと下車してしまうなどという行為は皆無であるが、逆にそうした旅を好む方もおられるであろう。それが普通列車なら融通が効くので小回りの効く旅ができる、それが普通列車ならではのカラーであろう。そんな旅は18シーズンでないとなかなか難しい。私は好んで普通列車に乗車する事にした。

探せば出てくるものだ。小田原で撮影した「ムーンライトながら」であるが、使い捨てアナログカメラで撮影したのもなのでどこかに行ってしまったかと思っていたが、なんとアルバムの片隅に眠っていた。なぜ今まで気付かなかったのであろうか・・・
そういえば前章の冒頭に出てきた木綿的なハンカチの唄では「東へと向かう列車」に乗り恋人の元から離れて行く様を描いているが、という事はつまり西方面に暮らしているイメージになるが、私は残念ながら東京近郊のため、基本的にこれ以上東へは進めない。つまり旅立つ時は西か北だ。だが、今回は一般的には考えられないような旅行程のため名古屋から「東へと向かう列車」に乗ることになる。
ということで、名古屋ではいつものように寝不足のまま中央線のホームを目指すが、東へと向かう列車に乗り換えるにはこのシチュエーションだと非常に修行的な何かを感じる。コアラのような姿をしながら一夜を列車内で明かしたうえ、完全に熟睡できたわけでもない。恐らく中央線の道中では間違いなく睡魔に襲われるであろう。ただ、それは優等列車ならその睡魔に拍車をかけるであろうが、私がこれから乗車するのは普通列車である。つまりその拍車の部分にいくらかのブレーキになるであろう風景が今から広がっていくわけだ。ただ、かつては高速道路の無い時代や、更に昔は徒歩による移動の時代から比べれば、普通列車でも塩尻までは半日有れば着いてしまうの。そう考えると普通列車での旅も悪くはないではないか。いや、遥かに良いであろう。江戸時代などに比べたら見違えるような進歩である。それでも21世紀の現代社会では前近代的な、というより地域密着型の移動手段他ならない。すでに軽い疲労を隠せない中、決して軽いとはいえないフットワークで地下通路を潜った。

これは何度か紹介した写真であるが、別の日に撮影した「ムーンライト信州」であるが、こちらも使い捨てアナログカメラでの撮影であるため少々画像がよろしくない。普通の一般なら首都圏発の場合この列車を利用するが、私は「ながら」での出陣であったので普通の一般ではないスタートであった。まぁ、たまにはこういう変化球での旅も有りであろう。
ムーンライトから名古屋で乗り換える列車はほぼ下り列車的な役割のため「大垣ダッシュ」のような乗り換えは殆ど皆無であるため一定の余裕がある。ただ、近年はロングシートが増えたせいか旅情が薄れてしまうが、それでも運転があるだけラッキーと思わなければならない。しかも今回は中央西線で塩尻まで行くので、その道中で朝食も調達できるであろう。中央線でとりあえず座席を確保しホッとした車内では、食事の事など忘れ、駅設備に向けシャッターを切るのに夢中になっていた。

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