上田で荷物を忘れてしまいましたが ⑮
2023-04-29
富士吉田を過ぎ、いよいよ終点の河口湖に着いた。その前に富士急ハイランド「駅」も通ったが、妻は何を勘違いしたか「寄りたい」と言い出した。普通の一般ならここへ来る目的としては目の前の遊園地になろうが、私の場合はその最寄り駅への訪問が目的となる。でも別に寄りたければ寄ればいい。どうせ河口湖で折り返し、また富士急ハイランド「駅」にやってくるのだから、その間だけでも遊べるぞ?的な思いであった。ただ、河口湖「駅」では何と1分乗り換えである!島式ホーム2面3線ということは事前に調査済みであるので恐らく同一ホームでの乗り換えであろうと予測がつく。つまりハイランドの滞在時間はおおよそ5分から10分程度であろう。もちろんハイランドでのお遊戯など無理難題のため妻は速攻諦めムードであった。

今回の旅では写真が少ないため、申し訳ないがウィキペディアよりの引用が多くなってしまった。ご覧の通り、現在富士急で活躍している元・小田急ロマンスカーである。ご存知、このロマンスカーはJRへの乗り入れ用である「あさぎり」として使用されていた。だが・・・私は新宿~本厚木間でよく利用していたのである意味ラッキーであったが、いつしか小田原で見かけたこともあった記憶だ。
さて、河口湖駅であるが、やはり観光色豊かであり、駅前も華やかである。しかしながら鉄道だけに焦点を絞った場合ローカル色豊かな駅であり、構内の様子もじっくりと見てみたい駅であった。だが、私は先述通り1分乗り換えであるから駅舎にも出られず、ただひたすら隣に停まる列車に「フジサン特急」にダッシュするのみであった。もちろん、自身が乗車している車両も撮影する余地がない。なんとも慌ただしい富士急の制覇となってしまった。
乗り換えてすぐに「フジサン特急」が河口湖をでると、早速アテンダント風の職員が私の方に向け歩み寄ってきた。
「いま、向かいの列車からご乗車されましたよね?乗車券拝見します。」

そしてこちらも「あさぎり」の運用で使用されていたロマンスカーであるが、正確にはご存知、JR東海の車両である371系であるため「ロマンスカー」とは言わないのか・・・いずれにしても、この車両も新宿~本厚木間でよく利用していた。だが、結局富士急行でのロマンスカー乗車が現在も実現していない。
それゃそうだよな。みんなは観光目的で河口湖などへ行くためにこの駅で下車するのに、ひとりだけ改札も出ず、いきなり列車に飛び込んで来たのだから普通に怪しい人物だよな、と私は妙に納得した。それは当然の事であるから私は丁寧に事情を説明し、フリー切符を見せた。確か特急券は大月で事前に購入していた記憶であるが、何しろ怪しいと思われては仕方がない。もちろん私は料金を誤魔化したりするのは嫌いだし、ちゃんとした正々堂々の料金で制覇したい。まぁ、アテンダント氏は料金を払ったか払わなかったかが重要な主題であるため安易に私が余計な事を長々と語ると嫌われそうだったので、言葉少なげに対応し、再び大月を目指した。

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今回の旅では写真が少ないため、申し訳ないがウィキペディアよりの引用が多くなってしまった。ご覧の通り、現在富士急で活躍している元・小田急ロマンスカーである。ご存知、このロマンスカーはJRへの乗り入れ用である「あさぎり」として使用されていた。だが・・・私は新宿~本厚木間でよく利用していたのである意味ラッキーであったが、いつしか小田原で見かけたこともあった記憶だ。
さて、河口湖駅であるが、やはり観光色豊かであり、駅前も華やかである。しかしながら鉄道だけに焦点を絞った場合ローカル色豊かな駅であり、構内の様子もじっくりと見てみたい駅であった。だが、私は先述通り1分乗り換えであるから駅舎にも出られず、ただひたすら隣に停まる列車に「フジサン特急」にダッシュするのみであった。もちろん、自身が乗車している車両も撮影する余地がない。なんとも慌ただしい富士急の制覇となってしまった。
乗り換えてすぐに「フジサン特急」が河口湖をでると、早速アテンダント風の職員が私の方に向け歩み寄ってきた。
「いま、向かいの列車からご乗車されましたよね?乗車券拝見します。」

そしてこちらも「あさぎり」の運用で使用されていたロマンスカーであるが、正確にはご存知、JR東海の車両である371系であるため「ロマンスカー」とは言わないのか・・・いずれにしても、この車両も新宿~本厚木間でよく利用していた。だが、結局富士急行でのロマンスカー乗車が現在も実現していない。
それゃそうだよな。みんなは観光目的で河口湖などへ行くためにこの駅で下車するのに、ひとりだけ改札も出ず、いきなり列車に飛び込んで来たのだから普通に怪しい人物だよな、と私は妙に納得した。それは当然の事であるから私は丁寧に事情を説明し、フリー切符を見せた。確か特急券は大月で事前に購入していた記憶であるが、何しろ怪しいと思われては仕方がない。もちろん私は料金を誤魔化したりするのは嫌いだし、ちゃんとした正々堂々の料金で制覇したい。まぁ、アテンダント氏は料金を払ったか払わなかったかが重要な主題であるため安易に私が余計な事を長々と語ると嫌われそうだったので、言葉少なげに対応し、再び大月を目指した。

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上田で荷物を忘れてしまいましたが ⑭
2023-04-22
というわけで、私は河口湖で観光するわけでもないのに河口湖を目指す。あくまで目的は河口湖「駅」だ。そういえば、以前にも鉄道全線を乗り潰そうという過程の中、ディズニーリゾートラインも制覇しなければならないため、私はディズニーランドで遊ぶ目的もなく、ディズニーランドへ行った事がある。その時は妻も同行していたが、どういう気持ちでディズニーリゾートラインを乗っていたのであろう。ミッキーマウスやスペースマウンテンなど、車窓から広がる風景はデートコースにもなろう幻想的な風景ばかりが描かれていたが、私はミッキーの形をしたドアの窓やつり革に興味を抱き、跨座式モノレールのポイント部をホーム先端より確認したりと、恐らくそのモノレールを利用していた乗客とは全く違うことをひとりで考えていたであろう。ATSなどはどうなっているのかとひと通り確認したくなるが、そちら方面はあまり詳しくないので、駅名標へカメラを向けていた私であった。

大月で撮影した富士急行であるが・・・首都圏ではお馴染みの車両であった。もちろん私のような昭和世代であれば懐かしさ満載であるが、ここで第二の人生を送っているのは意外であった。
さて、私が河口湖まで「観光」する要素といえば途中駅を確認する事であるが、意外にも富士急は無人駅が多かった。私の見間違いかも知れないが、途中の都留市も駅員の気配が無い。現在の鉄道シーンにおいて、地方鉄道のワンマンや無人駅は当たり前のイメージであるが、まさかと思いウィキで確認したら、現在は業務委託駅となっていた。つまり、富士急の社員さんではなく、民間より募ったパートさんが駅業務を行ってる事になる!合理化の波もとうとうこのような場所まで押し寄せているとは、時代も変わったものだ。

河口湖「駅」では1分乗り換えのためご覧の写真を撮るのが精一杯であった。発車後、即座に私のところに車掌が飛んできて「乗車券拝見」が行われた。駅舎に行かず、すぐさま上り列車に乗り換えるのだから、そりゃ怪しいよね。
観光要素のイメージが強い富士急であるが、その中で、やはり地域輸送がやや苦戦するのは厳しい材料である。それは富士吉田に着いても感じる事で、以前は大手スーパーが入居していた駅ビルも、現在は大手スーパーが撤退してしまい、以前のような華やかさが少なくなったイメージであった。
高速道路が河口湖まで開通して久しいが、既に鉄道が主役の時代は終わりを告げた現在、地域輸送を軸とした戦略も沿線人口の減少と共に、鉄道に限らず全国の公共交通機関が苦境に立たされている。そんな時代に活路を見いだす術は何処にあるのだろうか。IYカラーが消えた駅ビルを眺めながらついそんな事を考えてしまった。

という訳で、ウィキペディアより富士吉田時代の「富士山駅」の写真を拝借した。かつてはIY系の商業施設が入居していたが、現在は撤退している。私は撤退前と撤退後の両方で訪問した事があるが、やはり富士吉田市の玄関口的イメージをかなりアピールしている。駅前からは富士山がものすごい大きさでそびえ立つ姿が拝める。
ただ、富士吉田の駅構内の配線は素晴らしく複雑で「ターミナル」という雰囲気が満載でありレールファンとしては嬉しい。富士急から分社化され、かつての「富士山麓電気鉄道」に社名が変更されての現在であるが、富士吉田のスイッチバックは今も健在である。駅名も「富士山」に変更され益々観光色が濃くなったイメージであるが、ぜひこれからもバッチリ活躍して欲しいと思う。

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大月で撮影した富士急行であるが・・・首都圏ではお馴染みの車両であった。もちろん私のような昭和世代であれば懐かしさ満載であるが、ここで第二の人生を送っているのは意外であった。
さて、私が河口湖まで「観光」する要素といえば途中駅を確認する事であるが、意外にも富士急は無人駅が多かった。私の見間違いかも知れないが、途中の都留市も駅員の気配が無い。現在の鉄道シーンにおいて、地方鉄道のワンマンや無人駅は当たり前のイメージであるが、まさかと思いウィキで確認したら、現在は業務委託駅となっていた。つまり、富士急の社員さんではなく、民間より募ったパートさんが駅業務を行ってる事になる!合理化の波もとうとうこのような場所まで押し寄せているとは、時代も変わったものだ。

河口湖「駅」では1分乗り換えのためご覧の写真を撮るのが精一杯であった。発車後、即座に私のところに車掌が飛んできて「乗車券拝見」が行われた。駅舎に行かず、すぐさま上り列車に乗り換えるのだから、そりゃ怪しいよね。
観光要素のイメージが強い富士急であるが、その中で、やはり地域輸送がやや苦戦するのは厳しい材料である。それは富士吉田に着いても感じる事で、以前は大手スーパーが入居していた駅ビルも、現在は大手スーパーが撤退してしまい、以前のような華やかさが少なくなったイメージであった。
高速道路が河口湖まで開通して久しいが、既に鉄道が主役の時代は終わりを告げた現在、地域輸送を軸とした戦略も沿線人口の減少と共に、鉄道に限らず全国の公共交通機関が苦境に立たされている。そんな時代に活路を見いだす術は何処にあるのだろうか。IYカラーが消えた駅ビルを眺めながらついそんな事を考えてしまった。

という訳で、ウィキペディアより富士吉田時代の「富士山駅」の写真を拝借した。かつてはIY系の商業施設が入居していたが、現在は撤退している。私は撤退前と撤退後の両方で訪問した事があるが、やはり富士吉田市の玄関口的イメージをかなりアピールしている。駅前からは富士山がものすごい大きさでそびえ立つ姿が拝める。
ただ、富士吉田の駅構内の配線は素晴らしく複雑で「ターミナル」という雰囲気が満載でありレールファンとしては嬉しい。富士急から分社化され、かつての「富士山麓電気鉄道」に社名が変更されての現在であるが、富士吉田のスイッチバックは今も健在である。駅名も「富士山」に変更され益々観光色が濃くなったイメージであるが、ぜひこれからもバッチリ活躍して欲しいと思う。

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上田で荷物を忘れてしまいましたが ⑬
2023-04-15
岡谷の配線は意外とシンプルだという事は予めわかっていたが、やはり実際に確認作業になると童心に返った感じになる。しかも115系による運用のためモーター音が懐かしいので、その童心感は更に倍増する。
東海道線で中京地区からの帰郷の際、静岡付近ではロングシートの車両が多く、更に要衝駅においては階段を使う乗り換えが多い。しかも18シーズンとなると乗り換えてからもほとんど同じ顔ぶれの乗客を占めるため、長距離利用者も少なくなく、かなりの修行を強いられる事になる。だが、今回の旅においての中央線では、そろそろ終焉を迎えるであろうと予想していた115系の運用もあり、セミクロスシートのためかなり負担が軽減される。しかも、先述通り普通列車は長距離運用が多く乗り換えが少なくて済む。もちろん、予想通り甲府前後での利用者は膨らむが、なんだかんだで全体通して長旅らしい風景を展開してくれた。お陰で大月で富士急行に乗り換えるのを躊躇って(ためらって)しまいそうなほど素晴らしい時間が流れていた。


画像はウィキより拝借させていただいた岡谷である。駅舎は改装前であるが、改札は現在の姿だ。ご覧の通り、自動改札でいかにも現在の鉄道風景を象徴しているが、改札がホームに接するこの姿はかつての国鉄式の典型的な造りであり、全国の主要駅で数多く見られた風景だ。
大月で長らく乗車してきた115系に別れを告げ富士急行のホームへ向かう。富士急行は意外にもローカル線らしい雰囲気を醸し出しており、一気に私のやる気スイッチがオンされた。乗り換え途中にある駅そばの誘惑には勝てなかったが、初めて生で見る富士急の意外な風景に私は胸を踊らせた。

ダイナミック✡トナカイ(・・・説明しよう。中学時代に所属していたクラブ活動「鉄道研究クラブ」の一年後輩である。)が撮影した中央線でお馴染みの優等列車である。恐らくJR化後の撮影であると思われるが、当時ではかなり斬新なペイントであった印象だ。
東京方面から優等列車が乗り入れていた時代もあったほど、富士急は伊豆急と同じく観光色を前面に押し出すイメージであるが、地域輸送にも定評があるであろう風景はやはり鉄道本来の姿であろう。そして、なんといっても「フジサン特急」の存在が大きい。というのも、どこかで見た車両…そう、我が地元の小田急ロマンスカーがここでも活躍していたのだ。新宿と御殿場、沼津を結ぶ「あさぎり」がこちらで第二の人生を送っており、ジモティの私にしてみたらその活躍ぶりが気になるので会いに来たのだ。
もちろん、既に富士急カラーに染まっており小田急の列車ではないなとひと目でわかるが、車内の変化はそれほど無いであろう。そんな予想を頭に描きながら、普通列車に乗り込み一路河口湖へ向かった。

そして同じくダイナミック✡トナカイ撮影の優等列車である。「あずさ」より後発の名称である特急列車だが、急行「アルプス」が全廃された際に「あずさ」を補足する意味での登場であると思われる。基本的に東京方面より松本方面まで行く特急を「あずさ」、甲府付近までの運転を「かいじ」と使い分けられ現在に至っている。片方の「目」が開いているという事は、撮影時には音響的に相当の苦労があったであろうと推測。
富士急というと、割りと首都圏から近いため何となく都市近郊の鉄道風景を想像してしまいそうだが、起点の大月から既にローカル色豊かな景色となっている。もちろん、朝晩は学生諸君の利用が主体となりそうな、いわゆる地方の典型的な鉄道風景が見られる事であろうから、恐らく平日と週末ではまったくカラーが異なりそうなイメージである。ただ、私の乗車時期は「18」のシーズンであるため地元の方以外の乗客も少なくないであろうが、富士急の始発駅である大月、そして富士急行線内に入って河口湖までも普通列車に揺られながらたどり着こうと最初から考えてるのは私と18キッパーくらいであろう。もちろん富士急行線内は別料金となるが、私の着地は他の乗客と同じ富士吉田方面であり、終点の河口湖である。ただ、河口湖「駅」を出て「さぁ、河口湖へ観光だ!」とはならないのは確実に私のみであろう。その証拠に、河口湖「駅」に着くとちょっとした事件があったからだ。だがしかし、異色の目的とはいえ己を貫くしかない。と、変な理屈を見つけながら私は河口湖を目指した。

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東海道線で中京地区からの帰郷の際、静岡付近ではロングシートの車両が多く、更に要衝駅においては階段を使う乗り換えが多い。しかも18シーズンとなると乗り換えてからもほとんど同じ顔ぶれの乗客を占めるため、長距離利用者も少なくなく、かなりの修行を強いられる事になる。だが、今回の旅においての中央線では、そろそろ終焉を迎えるであろうと予想していた115系の運用もあり、セミクロスシートのためかなり負担が軽減される。しかも、先述通り普通列車は長距離運用が多く乗り換えが少なくて済む。もちろん、予想通り甲府前後での利用者は膨らむが、なんだかんだで全体通して長旅らしい風景を展開してくれた。お陰で大月で富士急行に乗り換えるのを躊躇って(ためらって)しまいそうなほど素晴らしい時間が流れていた。


画像はウィキより拝借させていただいた岡谷である。駅舎は改装前であるが、改札は現在の姿だ。ご覧の通り、自動改札でいかにも現在の鉄道風景を象徴しているが、改札がホームに接するこの姿はかつての国鉄式の典型的な造りであり、全国の主要駅で数多く見られた風景だ。
大月で長らく乗車してきた115系に別れを告げ富士急行のホームへ向かう。富士急行は意外にもローカル線らしい雰囲気を醸し出しており、一気に私のやる気スイッチがオンされた。乗り換え途中にある駅そばの誘惑には勝てなかったが、初めて生で見る富士急の意外な風景に私は胸を踊らせた。

ダイナミック✡トナカイ(・・・説明しよう。中学時代に所属していたクラブ活動「鉄道研究クラブ」の一年後輩である。)が撮影した中央線でお馴染みの優等列車である。恐らくJR化後の撮影であると思われるが、当時ではかなり斬新なペイントであった印象だ。
東京方面から優等列車が乗り入れていた時代もあったほど、富士急は伊豆急と同じく観光色を前面に押し出すイメージであるが、地域輸送にも定評があるであろう風景はやはり鉄道本来の姿であろう。そして、なんといっても「フジサン特急」の存在が大きい。というのも、どこかで見た車両…そう、我が地元の小田急ロマンスカーがここでも活躍していたのだ。新宿と御殿場、沼津を結ぶ「あさぎり」がこちらで第二の人生を送っており、ジモティの私にしてみたらその活躍ぶりが気になるので会いに来たのだ。
もちろん、既に富士急カラーに染まっており小田急の列車ではないなとひと目でわかるが、車内の変化はそれほど無いであろう。そんな予想を頭に描きながら、普通列車に乗り込み一路河口湖へ向かった。

そして同じくダイナミック✡トナカイ撮影の優等列車である。「あずさ」より後発の名称である特急列車だが、急行「アルプス」が全廃された際に「あずさ」を補足する意味での登場であると思われる。基本的に東京方面より松本方面まで行く特急を「あずさ」、甲府付近までの運転を「かいじ」と使い分けられ現在に至っている。片方の「目」が開いているという事は、撮影時には音響的に相当の苦労があったであろうと推測。
富士急というと、割りと首都圏から近いため何となく都市近郊の鉄道風景を想像してしまいそうだが、起点の大月から既にローカル色豊かな景色となっている。もちろん、朝晩は学生諸君の利用が主体となりそうな、いわゆる地方の典型的な鉄道風景が見られる事であろうから、恐らく平日と週末ではまったくカラーが異なりそうなイメージである。ただ、私の乗車時期は「18」のシーズンであるため地元の方以外の乗客も少なくないであろうが、富士急の始発駅である大月、そして富士急行線内に入って河口湖までも普通列車に揺られながらたどり着こうと最初から考えてるのは私と18キッパーくらいであろう。もちろん富士急行線内は別料金となるが、私の着地は他の乗客と同じ富士吉田方面であり、終点の河口湖である。ただ、河口湖「駅」を出て「さぁ、河口湖へ観光だ!」とはならないのは確実に私のみであろう。その証拠に、河口湖「駅」に着くとちょっとした事件があったからだ。だがしかし、異色の目的とはいえ己を貫くしかない。と、変な理屈を見つけながら私は河口湖を目指した。

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上田で荷物を忘れてしまいましたが ⑫
2023-04-08
松本へ戻ってきた私は「東へと向かう列車」に乗り帰郷のゾーンに入るが、とにかく中央線、特に中央東線の普通列車は運転距離の長いものが多い。中央本線は運転系統が塩尻で分かれるため全線通しでの直通列車は定期便では無いが、篠ノ井線を経由して松本発着の列車が多く、甲府や、中には高尾などから松本方面までやってくる列車も少なくない。そうした中、18キッパーにとっては乗り換えが少なくて利便性が高いであろうと思われるが、今回は富士急行の制覇が待っているので途中の大月で下車しなければならない。

駅で列車を待っているとこんな列車に出会ったが、現在は既に「あずさ」での運用が終了し、貴重な画像となってしまった。まさか「2号」ではないと思うが・・・などと言ってピンときたあなたは昭和世代であろう!
しかしながら、中央東線は東海道線とはやはりパイが違うため、静岡付近のような混雑度や階段を使う乗り換えが少なく、しかも115系クロスシートのため(当時)、申し訳ないが利用する側は非常に心地が良い。もちろん、甲府付近での乗降はあるものの、全体として穏やかな時間が流れる印象である。
つまり中央本線は山間部を貫くため沿線人口は東海道線と比較するとそれほど多くなく、しかもSL時代はかなりの数でスイッチバック駅が存在していたため敷設の苦労が伺えるということだ。戦時下では東海道線の代替え迂回路線としての使命も担っていたが、現在はスイッチバックがほぼ解消され、唯一残る初狩も旅客ホームは勾配上に作られているので列車はスムーズに運転されている。

私はこちらの列車に乗って帰郷する。中央東線は普通列車の一本が長い区間を運転するので乗り換えが少ないイメージだ。失礼ながら、東海道よりも鉄道旅らしい風景が流れる車窓を眺めながら乗車する115系は実に素敵な時間が過ぎていく。
さて、既に紹介した塩尻を過ぎ、私の乗った普通列車は岡谷に着いたが、みどり湖への分岐線が開通し、配線がやや変わった。あの塩尻の二股に分かれるダイナミックさは無いが、それでも飯田線が乗り入れたり特急の停車が増えたりと、駅の重要性が感じ取れる。国鉄時代は東京方面から続く複線区間が上諏方の先にある普門寺信号場より単線になり松本方面へとつづいたが、塩嶺トンネル開通以降は岡谷からみどり湖経由の塩尻までは複線化された。国鉄末期ではこうした中央東線の改革がかなり進められたが、改革されてから既に30年以上経過したので配線も少々変更あるであろう。だが、全体として将来を見越し進めた改革が現在も活かされ、そして成功しているのだから素晴らしい。そんな革命のドラマを、ガラス越しに映る二本のレールが無言で語りかけてきた気がした。

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駅で列車を待っているとこんな列車に出会ったが、現在は既に「あずさ」での運用が終了し、貴重な画像となってしまった。まさか「2号」ではないと思うが・・・などと言ってピンときたあなたは昭和世代であろう!
しかしながら、中央東線は東海道線とはやはりパイが違うため、静岡付近のような混雑度や階段を使う乗り換えが少なく、しかも115系クロスシートのため(当時)、申し訳ないが利用する側は非常に心地が良い。もちろん、甲府付近での乗降はあるものの、全体として穏やかな時間が流れる印象である。
つまり中央本線は山間部を貫くため沿線人口は東海道線と比較するとそれほど多くなく、しかもSL時代はかなりの数でスイッチバック駅が存在していたため敷設の苦労が伺えるということだ。戦時下では東海道線の代替え迂回路線としての使命も担っていたが、現在はスイッチバックがほぼ解消され、唯一残る初狩も旅客ホームは勾配上に作られているので列車はスムーズに運転されている。

私はこちらの列車に乗って帰郷する。中央東線は普通列車の一本が長い区間を運転するので乗り換えが少ないイメージだ。失礼ながら、東海道よりも鉄道旅らしい風景が流れる車窓を眺めながら乗車する115系は実に素敵な時間が過ぎていく。
さて、既に紹介した塩尻を過ぎ、私の乗った普通列車は岡谷に着いたが、みどり湖への分岐線が開通し、配線がやや変わった。あの塩尻の二股に分かれるダイナミックさは無いが、それでも飯田線が乗り入れたり特急の停車が増えたりと、駅の重要性が感じ取れる。国鉄時代は東京方面から続く複線区間が上諏方の先にある普門寺信号場より単線になり松本方面へとつづいたが、塩嶺トンネル開通以降は岡谷からみどり湖経由の塩尻までは複線化された。国鉄末期ではこうした中央東線の改革がかなり進められたが、改革されてから既に30年以上経過したので配線も少々変更あるであろう。だが、全体として将来を見越し進めた改革が現在も活かされ、そして成功しているのだから素晴らしい。そんな革命のドラマを、ガラス越しに映る二本のレールが無言で語りかけてきた気がした。

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上田で荷物を忘れてしまいましたが ⑪
2023-04-01
いよいよ松本よりアルピコ交通初体験であるが、かつては周知の通り松本電鉄と名乗り島々までの路線であった。ただ、新島々~島々間で災害があり、復旧しないまま現在に至っているが、もともと同区間は不採算だったらしく、いずれ廃止になっていたであろうと思われる。私は松本電鉄時代を含め今回の訪問が初めてであるが、懐かしの「京王帝都」井の頭線が出てきたのでこれまた興味津々となる。
若い世代のヤングでナウなレールファンはこの「京王帝都」という単語に馴染みが薄いであろが、京王電鉄はかつて「京王帝都電鉄」と名のり「京王電鉄」と「帝都電鉄」という別会社の合併によりできた会社であった。帝都電鉄は小田原急行鉄道、つまり現在の小田急に合併され、更にその後東京横浜電鉄に合併されて、いわゆる「大東急」となった。一方、旧・京王電鉄もいわゆる「大東急」に合併されたが、再び分社化され「京王帝都電鉄」が発足したわけである。ちなみに小田急電鉄の下北沢は、現在小田急が地下化され井の頭線との乗り換えは中間改札が入るが、地下化前の地上時代は京王とは中間改札無しで乗り換えができた。それこそ「大東急」「小田原急行鉄道」の名残であり、小田急電鉄も京王電鉄もかつてはいわゆる「大東急」であり同じ会社だったのだ。ただ、地下化されたのは近年であるため、小田急が地上時代の下北沢の風景をご存じの方も少なくないであろう。
そして「五島」と聞いてピンときた方は東急を知り尽くしたレールファンか東急の関係者であろうと思われるが、既に歴史上の人物であり、その功績は計り知れないほど素晴らしい事を、私はアルピコの車両を見た瞬間に思い出してしまった。。

松本より現在の社名であるアルピコ交通で新島々へ行く。私のような昭和の人間には「松本電鉄」の方が通り名であろう。首都圏に在住の方なら、この車両をひと目見て懐かしい~と感じる方も多々おられると思うが、こうして第二の人生を送っている姿を見ると、何だか嬉しくなってくる。
さて、アルピコ交通のホームはJRの敷地内にあり駅舎とホームを共用しているので、相互の乗り換えはスムーズである。ただ、私は上高地方面に用事があるわけでなく、単純作業としてアルピコ交通に制覇の証を刻むために往復するに過ぎない。ある意味上高地に対して失礼な乗客かもしれないが、一応アルピコ交通には貢献させていただいたのでご了承いただきたい。
松本を出発するとしばらくJRと並走するが、やがて右手にJRに別れを告げ己の道を貫く。JRと比較すると若干ながら華奢に感じる上高地線であるが、多くの地方私鉄路線が廃止されてきた中で、今でも生き残っている上高地線に力強さを感じる。もちろん、経営的には決して楽ではないであろうが、地方私鉄独特の懐かしいカラーをここ上高地線でも感じることが出来るので、例え用事がなく往復しようとも来た甲斐はある。

新島々は何となく駅名標が立派に見える。さすが上高地の玄関口である。昭和ほどの賑わいを感じる場面はそう多く感じられないが、それでも駅前はバス乗り場などのターミナル機能がしっかりと役目を果たしている。
ところで松本電鉄であるが、昭和の時代には上高地へのベースとして活躍した。終点の島々ではバスターミナルが併設され盛栄したが、利用者の増加によりターミナルを拡張しなければならなくなった。しかし島々駅前付近ではそのスペースが少なく、その機能を新島々に移し現在に至っている。だがその影響もあってか、新島々~島々間の利用者が急激に減少したため、そのまま復旧する事無く廃止されてしまった経緯がある。私の小学生時代にはコロタン文庫の「私鉄全百科」にはちゃんと島々までの路線が記されていたので松本電鉄イコール松本~島々としての馴染みがある。
この書物に記されているが、既にこの時期にCTC、いわゆる集中制御が完成されており、地元の足として、更に観光の足として昭和の時期の潤いがはっきりと感じることができる。ちなみにこの書物を見ると、現在の江ノ電は、旧社名である「江ノ島鎌倉観光」となっていた。

新島々のホーム先端より伸びるレールは、ご存知島々へと通じる鉄路である。ご覧の通り、まだまだ現役っぽい姿を見せているのだが、途中で崖崩れによりレールが寸断されているのであろう。すでに島々の駅は面影を感じる場面が少ないようだ。
昭和の名残を探していると、終点の新島々に着いた。リニューアルしているのであろう、私のイメージしていた新島々とはやや違った雰囲気であったが、今でも島々まで繋がっているかのような2本のレールがかつての「松本電鉄」を無言で語り掛けていた。本当はこの先にある島々の残骸を確認したかったのだが、時間の制約もあり、いずれの将来に確認してみようと心に誓った。

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若い世代のヤングでナウなレールファンはこの「京王帝都」という単語に馴染みが薄いであろが、京王電鉄はかつて「京王帝都電鉄」と名のり「京王電鉄」と「帝都電鉄」という別会社の合併によりできた会社であった。帝都電鉄は小田原急行鉄道、つまり現在の小田急に合併され、更にその後東京横浜電鉄に合併されて、いわゆる「大東急」となった。一方、旧・京王電鉄もいわゆる「大東急」に合併されたが、再び分社化され「京王帝都電鉄」が発足したわけである。ちなみに小田急電鉄の下北沢は、現在小田急が地下化され井の頭線との乗り換えは中間改札が入るが、地下化前の地上時代は京王とは中間改札無しで乗り換えができた。それこそ「大東急」「小田原急行鉄道」の名残であり、小田急電鉄も京王電鉄もかつてはいわゆる「大東急」であり同じ会社だったのだ。ただ、地下化されたのは近年であるため、小田急が地上時代の下北沢の風景をご存じの方も少なくないであろう。
そして「五島」と聞いてピンときた方は東急を知り尽くしたレールファンか東急の関係者であろうと思われるが、既に歴史上の人物であり、その功績は計り知れないほど素晴らしい事を、私はアルピコの車両を見た瞬間に思い出してしまった。。

松本より現在の社名であるアルピコ交通で新島々へ行く。私のような昭和の人間には「松本電鉄」の方が通り名であろう。首都圏に在住の方なら、この車両をひと目見て懐かしい~と感じる方も多々おられると思うが、こうして第二の人生を送っている姿を見ると、何だか嬉しくなってくる。
さて、アルピコ交通のホームはJRの敷地内にあり駅舎とホームを共用しているので、相互の乗り換えはスムーズである。ただ、私は上高地方面に用事があるわけでなく、単純作業としてアルピコ交通に制覇の証を刻むために往復するに過ぎない。ある意味上高地に対して失礼な乗客かもしれないが、一応アルピコ交通には貢献させていただいたのでご了承いただきたい。
松本を出発するとしばらくJRと並走するが、やがて右手にJRに別れを告げ己の道を貫く。JRと比較すると若干ながら華奢に感じる上高地線であるが、多くの地方私鉄路線が廃止されてきた中で、今でも生き残っている上高地線に力強さを感じる。もちろん、経営的には決して楽ではないであろうが、地方私鉄独特の懐かしいカラーをここ上高地線でも感じることが出来るので、例え用事がなく往復しようとも来た甲斐はある。

新島々は何となく駅名標が立派に見える。さすが上高地の玄関口である。昭和ほどの賑わいを感じる場面はそう多く感じられないが、それでも駅前はバス乗り場などのターミナル機能がしっかりと役目を果たしている。
ところで松本電鉄であるが、昭和の時代には上高地へのベースとして活躍した。終点の島々ではバスターミナルが併設され盛栄したが、利用者の増加によりターミナルを拡張しなければならなくなった。しかし島々駅前付近ではそのスペースが少なく、その機能を新島々に移し現在に至っている。だがその影響もあってか、新島々~島々間の利用者が急激に減少したため、そのまま復旧する事無く廃止されてしまった経緯がある。私の小学生時代にはコロタン文庫の「私鉄全百科」にはちゃんと島々までの路線が記されていたので松本電鉄イコール松本~島々としての馴染みがある。
この書物に記されているが、既にこの時期にCTC、いわゆる集中制御が完成されており、地元の足として、更に観光の足として昭和の時期の潤いがはっきりと感じることができる。ちなみにこの書物を見ると、現在の江ノ電は、旧社名である「江ノ島鎌倉観光」となっていた。

新島々のホーム先端より伸びるレールは、ご存知島々へと通じる鉄路である。ご覧の通り、まだまだ現役っぽい姿を見せているのだが、途中で崖崩れによりレールが寸断されているのであろう。すでに島々の駅は面影を感じる場面が少ないようだ。
昭和の名残を探していると、終点の新島々に着いた。リニューアルしているのであろう、私のイメージしていた新島々とはやや違った雰囲気であったが、今でも島々まで繋がっているかのような2本のレールがかつての「松本電鉄」を無言で語り掛けていた。本当はこの先にある島々の残骸を確認したかったのだが、時間の制約もあり、いずれの将来に確認してみようと心に誓った。

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