題名の無い鉄道旅 part1 ばんえつ物語号③
2023-05-27
急行「能登」は信越本線経由で唯一日本に残るオール座席の夜行急行列車であったが、更に高崎では先述の寝台特急「北陸」にも抜かれる。「ムーンライトえちご」は実に贅沢な共演を魅せてくれる…素晴らしい!プロレスでいうならば三沢光晴&武藤敬司組のような感じであろうか。いや、ジャイアント馬場&アントニオ猪木のタッグチームのようなイメージであろう。何れにしてもムーンライトと「能登」などの共演は実に感動的であった。

再び登場させていただいた「ムーンライト」と「能登」の共演シーン。とはいえ、ホームが後ろに無いためこれ以上さがっての撮影は困難であり、ムーンライトが切れてしまった。だが、深夜の高崎でまさかの国鉄二重奏が見れるとは!既に幻の風景になってしまったが、23年ぶりくらいにレールファンを復活させこうしてまた国鉄シーンを見れたのは貴重な財産である。
さて、ムーンライトえちごは「快速」であるから主要駅しか停車しない。いや、正確には、深夜の時間帯になるところは主要駅すら停車しない。高崎を出ると、次の停車駅はなんと長岡である。水上や越後湯沢はとりあえず乗務員交代のため運転停車はするが、時刻表上では通過の案内になる。つまり、土合はもちろん、六日町や小千谷などは目もくれずに新潟を目指すわけだ。長岡夜行時代は主要駅はともかく、土合などの途中駅も律儀に停車していた。もちろん、登山等の利用者等が少なからずいたであろうが、そうした乗客は通年に一定の割合でいたとは考えにくく、増して、現在では高速道路や高速バス等の発達により、なおかつ合理化によるコスト削減のため、途中駅の停車は経営者側からすればかえって負担になるだけであろう。つまり「ムーンライトえちご」は必然的に快速列車となったわけである。
さて、長岡に着くとある事を思い出した。以前に寝台特急「北陸」に乗車した時、長岡での運転停車の際に、なんと、トワイライトエクスプレス」と鉢合わせたのだ。朧気ながら方向幕にはしっかり「トワイライトエクスプレス」と表示されていた。つまり深夜の長岡では残り少なくなった寝台特急の共演が見られた訳だ。何れは乗りたいよね~などと心で呟いていたが、結局夢は叶わなかった。

こちらは別の日に撮影した水上の風景である。ムーンライトは乗務員交代のため運転停車するが、こうして昼間に来てみるとまた違った風景が見られた。温泉街として古くからその名を知られてきたが、近年ではやや苦戦気味であり、定期便の在来線特急列車の設定がなくなってしまった。だが、現在も臨時ながらSLが活躍しており、何とか集客の期待が込められているシーンが伺える。
しかしながら寝台特急もいいが、こうしてかつての特急車両による夜行列車も実に良い。近年では夜行高速バスが主流になっているが、列車ならではの解放感と走行音ララバイによる気だるさがたまらない。
新潟の到着時間はなんと未明の4時台である。心地よい気だるさは更に倍増し、身体が重たい。旅の始まりでやや興奮気味のまま夜行列車に乗るので意外に寝付けないものだ。だが、未明の4時台になってくるといよいよ真の意味で眠気が襲ってくる。ムーンライトえちごはちょうどそのタイミングで新潟に到着するのだ。残念だが仕方がない。私はその重たい身体を引きずりながら、向かいのホームにいる白新線のロングシートに雪崩れ込んだ。

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再び登場させていただいた「ムーンライト」と「能登」の共演シーン。とはいえ、ホームが後ろに無いためこれ以上さがっての撮影は困難であり、ムーンライトが切れてしまった。だが、深夜の高崎でまさかの国鉄二重奏が見れるとは!既に幻の風景になってしまったが、23年ぶりくらいにレールファンを復活させこうしてまた国鉄シーンを見れたのは貴重な財産である。
さて、ムーンライトえちごは「快速」であるから主要駅しか停車しない。いや、正確には、深夜の時間帯になるところは主要駅すら停車しない。高崎を出ると、次の停車駅はなんと長岡である。水上や越後湯沢はとりあえず乗務員交代のため運転停車はするが、時刻表上では通過の案内になる。つまり、土合はもちろん、六日町や小千谷などは目もくれずに新潟を目指すわけだ。長岡夜行時代は主要駅はともかく、土合などの途中駅も律儀に停車していた。もちろん、登山等の利用者等が少なからずいたであろうが、そうした乗客は通年に一定の割合でいたとは考えにくく、増して、現在では高速道路や高速バス等の発達により、なおかつ合理化によるコスト削減のため、途中駅の停車は経営者側からすればかえって負担になるだけであろう。つまり「ムーンライトえちご」は必然的に快速列車となったわけである。
さて、長岡に着くとある事を思い出した。以前に寝台特急「北陸」に乗車した時、長岡での運転停車の際に、なんと、トワイライトエクスプレス」と鉢合わせたのだ。朧気ながら方向幕にはしっかり「トワイライトエクスプレス」と表示されていた。つまり深夜の長岡では残り少なくなった寝台特急の共演が見られた訳だ。何れは乗りたいよね~などと心で呟いていたが、結局夢は叶わなかった。

こちらは別の日に撮影した水上の風景である。ムーンライトは乗務員交代のため運転停車するが、こうして昼間に来てみるとまた違った風景が見られた。温泉街として古くからその名を知られてきたが、近年ではやや苦戦気味であり、定期便の在来線特急列車の設定がなくなってしまった。だが、現在も臨時ながらSLが活躍しており、何とか集客の期待が込められているシーンが伺える。
しかしながら寝台特急もいいが、こうしてかつての特急車両による夜行列車も実に良い。近年では夜行高速バスが主流になっているが、列車ならではの解放感と走行音ララバイによる気だるさがたまらない。
新潟の到着時間はなんと未明の4時台である。心地よい気だるさは更に倍増し、身体が重たい。旅の始まりでやや興奮気味のまま夜行列車に乗るので意外に寝付けないものだ。だが、未明の4時台になってくるといよいよ真の意味で眠気が襲ってくる。ムーンライトえちごはちょうどそのタイミングで新潟に到着するのだ。残念だが仕方がない。私はその重たい身体を引きずりながら、向かいのホームにいる白新線のロングシートに雪崩れ込んだ。

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題名の無い鉄道旅 part1 ばんえつ物語号②
2023-05-20
時刻表とのにらめっこは私が勝った!
「ばんえつ物語号」に乗るためには、なんと「ムーンライトえちご」が最適だということがわかったのだ。かつては下りのみの「長岡夜行」としてなんと115系で辺りで運転されていた時期もあったが、JRになりムーンライトとして進化、上り列車も登場した。そして首都圏での東北・上越方面の玄関口は上野と決まっていたが、JRになってからは「湘南新宿ライン」などの路線も登場し、ある意味融通が利くようになり新宿発などの列車が格段に増えた。それは国鉄時代に比べたら非常に大きな変化であり、優等列車においても考えられなかった「新宿発新潟行き」が登場したのだ。

このブログで何度か紹介させて頂いた写真で申し訳ないが、高崎で撮影したムーンライトえちごである。こんな車両が「快速」とは、私にしてみたらなんとも贅沢な事である。
さて「ムーンライトえちご」は全席指定なので出発の3時間くらい前から並ばないと座席を確保できないなどという事は無く、むしろ途中駅からでも指定券さえ取れれば確実に乗車でき、そして座る事ができる。もちろん、国鉄時代の長岡夜行に比べたら格段の進歩であることは前述通りである。ということで、私はムーンライトで新潟を目指し、磐越方面の「物語」を制覇する決意をしたのである。
運用車両は489系であるが、特急ではない快速のムーンライトというのは、私にしてみたら得した気分となってしまう。というのも、周知の通りもともと国鉄時代の特急車両であり、快速などでの運用は私にしてみたら信じがたい光景であるからだ。特段の別料金を支払わず、乗車券と座席指定券のみで乗車できてしまうとは、何か世間に対して申し訳ないような気持ちになってしまう。まぁ、先述している国鉄時代のセミロングシートよりは全然良いのだが、何となく構えてしまうようなイメージになってしまうのは私くらいであろうか。

こちらも何度か紹介している写真で申し訳ないが、晩年の急行「能登」である。恐らくこの急行「能登」は「ばんえつ物語号」の旅行程での撮影であったはずである。高崎でムーンライトを追い抜くが、乗車率的にはひと桁的イメージが窓の外から伺えた。これが583系で運用されていたらまた違った風景が展開されたであろう。
高崎で長い時間の停車時間があるムーンライトであるが、実はここで急行「能登」と、寝台特急「北陸」に抜かれる。つまり、ここでは優等列車の待避となるわけだが、深夜の1時頃であるにも関わらず、レールファンの血が騒いでしまう。特に「能登」に関しては、恐らく国鉄時代には「とき」などの在来線特急に使用されていたであろう181系又は183系辺りが使われており往年の姿が甦る。
基本的に「能登」は客車による夜行急行列車だったイメージであるが、車両が変わるだけでこんなにもイメージが変わってしまうとは。私は島式ホーム先端へ向かい、JR時代に生まれた国鉄時代の盟友同士の貴重なツーショットを収めるのに無我夢中になっていた。

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「ばんえつ物語号」に乗るためには、なんと「ムーンライトえちご」が最適だということがわかったのだ。かつては下りのみの「長岡夜行」としてなんと115系で辺りで運転されていた時期もあったが、JRになりムーンライトとして進化、上り列車も登場した。そして首都圏での東北・上越方面の玄関口は上野と決まっていたが、JRになってからは「湘南新宿ライン」などの路線も登場し、ある意味融通が利くようになり新宿発などの列車が格段に増えた。それは国鉄時代に比べたら非常に大きな変化であり、優等列車においても考えられなかった「新宿発新潟行き」が登場したのだ。

このブログで何度か紹介させて頂いた写真で申し訳ないが、高崎で撮影したムーンライトえちごである。こんな車両が「快速」とは、私にしてみたらなんとも贅沢な事である。
さて「ムーンライトえちご」は全席指定なので出発の3時間くらい前から並ばないと座席を確保できないなどという事は無く、むしろ途中駅からでも指定券さえ取れれば確実に乗車でき、そして座る事ができる。もちろん、国鉄時代の長岡夜行に比べたら格段の進歩であることは前述通りである。ということで、私はムーンライトで新潟を目指し、磐越方面の「物語」を制覇する決意をしたのである。
運用車両は489系であるが、特急ではない快速のムーンライトというのは、私にしてみたら得した気分となってしまう。というのも、周知の通りもともと国鉄時代の特急車両であり、快速などでの運用は私にしてみたら信じがたい光景であるからだ。特段の別料金を支払わず、乗車券と座席指定券のみで乗車できてしまうとは、何か世間に対して申し訳ないような気持ちになってしまう。まぁ、先述している国鉄時代のセミロングシートよりは全然良いのだが、何となく構えてしまうようなイメージになってしまうのは私くらいであろうか。

こちらも何度か紹介している写真で申し訳ないが、晩年の急行「能登」である。恐らくこの急行「能登」は「ばんえつ物語号」の旅行程での撮影であったはずである。高崎でムーンライトを追い抜くが、乗車率的にはひと桁的イメージが窓の外から伺えた。これが583系で運用されていたらまた違った風景が展開されたであろう。
高崎で長い時間の停車時間があるムーンライトであるが、実はここで急行「能登」と、寝台特急「北陸」に抜かれる。つまり、ここでは優等列車の待避となるわけだが、深夜の1時頃であるにも関わらず、レールファンの血が騒いでしまう。特に「能登」に関しては、恐らく国鉄時代には「とき」などの在来線特急に使用されていたであろう181系又は183系辺りが使われており往年の姿が甦る。
基本的に「能登」は客車による夜行急行列車だったイメージであるが、車両が変わるだけでこんなにもイメージが変わってしまうとは。私は島式ホーム先端へ向かい、JR時代に生まれた国鉄時代の盟友同士の貴重なツーショットを収めるのに無我夢中になっていた。

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題名の無い鉄道旅 part1 ばんえつ物語号①
2023-05-13
「物語」と言っても竹取物語や「何じゃコリャ~」で有名な某俳優が演じていた探偵もののドラマでもない。今回は新潟方面から福島方面へ向けて走るSLの物語である。
2007年にレールファンを復活させた私は、国鉄時代の末期に開催されていたキャンペーン「いい旅チャレンジ20000km」で制覇しきれなかった路線制覇に向け多忙な日々を送っていた。と言っても勝手に多忙にしているだけであって、ほぼ毎日制覇計画を立案するために時刻表が愛読書になっていただけである。

JRになってからの改造では無く、国鉄時代に改造された車両もJRになってから活躍していたものもあった。寝台特急から普通列車に変身した画期的車両であったが、主に交流区間での活用が多かった。もちろん交直両用なので北陸本線などの活用は大いに有効であるが、元々座席特急としても設計されていたため、リクライニングこそできないものの、普通列車の活用としてはゆったりしておりかなり贅沢な乗り心地であろう。
国鉄からJRに変わり多彩な列車が登場したが、イベント列車等は意外にも国鉄車両を使用する場合が多かった。つまり、古くなった国鉄車両を改造して延命し、再利用しているわけだ。今回紹介する「ばんえつ物語号」もSL型の臨時列車であるが、牽引される車両はなんと12系の改造車であった。12系といえば、かつては客車急行などで活躍したが、後にリクライニングできる14系に置き換えられたり、また、急行そのものがフェードアウトして活躍の場面が少なくなっていった。そしてJRになり、やがて客車そのものがフェードアウトしていき現在に至っているが、臨時列車などで使用されながら生き残っているという事は、それだけでも嬉しい材料である。

こちらは「奥出雲おろち」であるが、ご覧の通り牽引されている車両は国鉄時代の12系車両を改造したものである。こうして第二の人生を送っているものの、日数の経過とともに老朽化が進み、やがてフェードアウトしていくものも少なくない。実在しているうちに体験しておくのがベターであろう。
そうした車両は「SLやまぐち号」や、わたらせ渓谷のトロッコ列車など、多彩な形で国鉄を楽しめるわけだが、今回は未制覇路線であった磐越西線の喜多方~新津を制覇するわけである。たが、私がかつて全国を駆け巡っていた当時の国鉄時代には考えられない事がおきており、なんと、磐越西線にSLが運転されているというのだ。正直いって私はSLにさほど興味を示さないが、鉄道知識には全く明るくない妻も同伴する事だし、せめて観光気分でも味あわせないと後でクレームが来そうなので、私は新潟よりSLに乗るための行程作りに少々時刻表とにらめっこの日々が続いた。

そしてこちらは無煙化後に復活した、いわゆる動態保存の元祖・大井川鐵道に対し、こちらは「本家」やまぐち号である。こちらも牽引車両は国鉄時代からの車両を使用しているが、長年にわたり一般にも認知されており、大井川鐵道とともに観光度がかなり高い。
SLというと先述した「SLやまぐち号」が一般にも浸透しており有名であるが、SLを運転するとなるとターンテーブルが必須となってくる。SLを磐越西線に走らせる場合、もちろん会津若松には昔からあったであろうが、新潟は…恐らく沼垂辺りにあるはずだろうと勝手に想像していた私である。もちろん新潟なら新幹線との連絡もあり大きな需要が見込める事と、会津若松からは福島へ抜けれぱ東京方面へとリターンできるし、会津鉄道などを経由すれば湯西川温泉や、更にその先の鬼怒川方面へと道が開ける。当然ながら新潟では万代橋や、日本を代表する米処としてのグルメも楽しめよう。
大きな夢を乗せた「ばんえつ物語」は、私の頭のなかで、いや、時刻表上の数字の羅列の中で大きな汽笛を鳴らし始めた。

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2007年にレールファンを復活させた私は、国鉄時代の末期に開催されていたキャンペーン「いい旅チャレンジ20000km」で制覇しきれなかった路線制覇に向け多忙な日々を送っていた。と言っても勝手に多忙にしているだけであって、ほぼ毎日制覇計画を立案するために時刻表が愛読書になっていただけである。

JRになってからの改造では無く、国鉄時代に改造された車両もJRになってから活躍していたものもあった。寝台特急から普通列車に変身した画期的車両であったが、主に交流区間での活用が多かった。もちろん交直両用なので北陸本線などの活用は大いに有効であるが、元々座席特急としても設計されていたため、リクライニングこそできないものの、普通列車の活用としてはゆったりしておりかなり贅沢な乗り心地であろう。
国鉄からJRに変わり多彩な列車が登場したが、イベント列車等は意外にも国鉄車両を使用する場合が多かった。つまり、古くなった国鉄車両を改造して延命し、再利用しているわけだ。今回紹介する「ばんえつ物語号」もSL型の臨時列車であるが、牽引される車両はなんと12系の改造車であった。12系といえば、かつては客車急行などで活躍したが、後にリクライニングできる14系に置き換えられたり、また、急行そのものがフェードアウトして活躍の場面が少なくなっていった。そしてJRになり、やがて客車そのものがフェードアウトしていき現在に至っているが、臨時列車などで使用されながら生き残っているという事は、それだけでも嬉しい材料である。

こちらは「奥出雲おろち」であるが、ご覧の通り牽引されている車両は国鉄時代の12系車両を改造したものである。こうして第二の人生を送っているものの、日数の経過とともに老朽化が進み、やがてフェードアウトしていくものも少なくない。実在しているうちに体験しておくのがベターであろう。
そうした車両は「SLやまぐち号」や、わたらせ渓谷のトロッコ列車など、多彩な形で国鉄を楽しめるわけだが、今回は未制覇路線であった磐越西線の喜多方~新津を制覇するわけである。たが、私がかつて全国を駆け巡っていた当時の国鉄時代には考えられない事がおきており、なんと、磐越西線にSLが運転されているというのだ。正直いって私はSLにさほど興味を示さないが、鉄道知識には全く明るくない妻も同伴する事だし、せめて観光気分でも味あわせないと後でクレームが来そうなので、私は新潟よりSLに乗るための行程作りに少々時刻表とにらめっこの日々が続いた。

そしてこちらは無煙化後に復活した、いわゆる動態保存の元祖・大井川鐵道に対し、こちらは「本家」やまぐち号である。こちらも牽引車両は国鉄時代からの車両を使用しているが、長年にわたり一般にも認知されており、大井川鐵道とともに観光度がかなり高い。
SLというと先述した「SLやまぐち号」が一般にも浸透しており有名であるが、SLを運転するとなるとターンテーブルが必須となってくる。SLを磐越西線に走らせる場合、もちろん会津若松には昔からあったであろうが、新潟は…恐らく沼垂辺りにあるはずだろうと勝手に想像していた私である。もちろん新潟なら新幹線との連絡もあり大きな需要が見込める事と、会津若松からは福島へ抜けれぱ東京方面へとリターンできるし、会津鉄道などを経由すれば湯西川温泉や、更にその先の鬼怒川方面へと道が開ける。当然ながら新潟では万代橋や、日本を代表する米処としてのグルメも楽しめよう。
大きな夢を乗せた「ばんえつ物語」は、私の頭のなかで、いや、時刻表上の数字の羅列の中で大きな汽笛を鳴らし始めた。

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上田で荷物を忘れてしまいましたが ⑮
2023-05-06
大月で再び中央線と合流し東京方面へ乗る列車は見慣れた車体であるがペイントが違うのでやや違和感漂う。しかしながら国鉄時代から馴染みある115系のため懐かしさと同時に乗り慣れた雰囲気により安心感が湧いてくる。
ただ、全く個人的感覚として115系と113系のくべつをつける時に車両正面の塗装でライト下に角度が有るか無いかで判別していた記憶であるが、JRになり個性豊かな塗装が増えたためそうした判定がしにくくなった。特にしなの鉄道の車両などは私のような判定の仕方だとほぼ判別不可能である。そうした中でも国鉄車両が健在なのは嬉しい材料であるので贅沢を言ってはいけないであろう。

吾妻線・大前で撮影した115系であるが、113系との区別をつける際に、前面の塗装で見分けていた記憶だ。こうした車両もだんだんと見られなくなっていくのは寂しい限りであるが、やはり旧い者ばかりでもよくないのかも知れない。しかしながら、やはり新しいものも取り入れてこそ、こうした旧い者がもっと輝きを増す事であろう。
藤野や相模湖などの駅名標を見るといよいよ帰郷したイメージとなる。普段はこうした駅を利用する機会がないはずなのに何故か我が家に戻ってきた雰囲気になるから不思議なものだ。しかも藤野と相模湖の両駅は中央線にたったふたつの神奈川県内にある駅のため尚更愛着が湧く。マイカーでは過去に何度か来ている相模湖であるが、藤野はほとんど縁が無かった。こういう機会がないと来る事が無いのである意味ラッキーであろう。

「E257系」というネーミングからして民営化後に製造された車両である事が伺える。形式の数値からして185系的な使い道の目論見が感じ取れるが、ご覧のようにホームライナーと併用されていた時期もあった。現在は「あずさ」からの運用は外れたが、「踊り子」で185系の置き換えとして現在も活躍している。
それは隣の高尾でも言えることかも知れない。高尾は通勤電車と中距離列車のボーダーラインの駅であり、塩尻、松本方面からやってくる普通列車の終点でもある。つまり、普通列車の利用の際は乗り換えが必要となるわけだ。かつては新宿まで中距離列車が乗り入れていたが、現在は高尾になったので新宿では中央線の中距離列車が見られなくなった。
ライバルの京王線も直通で新宿まで行くため高尾で境界を引くのは何となく勿体ないイメージは私の個人的な意見であるが皆様はどう思われるであろうか。
例えば湘南新宿ラインと連携すれば「古河発大月行」とか「籠原発甲府行」など面白そうではないか。または韮崎発君津行」など、未知の可能性が広がり、利用者の乗り換え回数が減り利用価値が高まるであろう。特急の運用では東京を通り越して千葉までの運用はあるが、やはり普通列車で思いきって「平塚発甲府行」などが出現したら「横浜線や相模線を経由すれば早いのでは?」などの声を頂きそうであるが、無限の可能性を秘めているので高尾で終わらすのは勿体ない❕
など考えながらいわゆる「国電」に乗り換えるために足早にホームを移動した。上田で忘れた荷物を背負いながら…

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ただ、全く個人的感覚として115系と113系のくべつをつける時に車両正面の塗装でライト下に角度が有るか無いかで判別していた記憶であるが、JRになり個性豊かな塗装が増えたためそうした判定がしにくくなった。特にしなの鉄道の車両などは私のような判定の仕方だとほぼ判別不可能である。そうした中でも国鉄車両が健在なのは嬉しい材料であるので贅沢を言ってはいけないであろう。

吾妻線・大前で撮影した115系であるが、113系との区別をつける際に、前面の塗装で見分けていた記憶だ。こうした車両もだんだんと見られなくなっていくのは寂しい限りであるが、やはり旧い者ばかりでもよくないのかも知れない。しかしながら、やはり新しいものも取り入れてこそ、こうした旧い者がもっと輝きを増す事であろう。
藤野や相模湖などの駅名標を見るといよいよ帰郷したイメージとなる。普段はこうした駅を利用する機会がないはずなのに何故か我が家に戻ってきた雰囲気になるから不思議なものだ。しかも藤野と相模湖の両駅は中央線にたったふたつの神奈川県内にある駅のため尚更愛着が湧く。マイカーでは過去に何度か来ている相模湖であるが、藤野はほとんど縁が無かった。こういう機会がないと来る事が無いのである意味ラッキーであろう。

「E257系」というネーミングからして民営化後に製造された車両である事が伺える。形式の数値からして185系的な使い道の目論見が感じ取れるが、ご覧のようにホームライナーと併用されていた時期もあった。現在は「あずさ」からの運用は外れたが、「踊り子」で185系の置き換えとして現在も活躍している。
それは隣の高尾でも言えることかも知れない。高尾は通勤電車と中距離列車のボーダーラインの駅であり、塩尻、松本方面からやってくる普通列車の終点でもある。つまり、普通列車の利用の際は乗り換えが必要となるわけだ。かつては新宿まで中距離列車が乗り入れていたが、現在は高尾になったので新宿では中央線の中距離列車が見られなくなった。
ライバルの京王線も直通で新宿まで行くため高尾で境界を引くのは何となく勿体ないイメージは私の個人的な意見であるが皆様はどう思われるであろうか。
例えば湘南新宿ラインと連携すれば「古河発大月行」とか「籠原発甲府行」など面白そうではないか。または韮崎発君津行」など、未知の可能性が広がり、利用者の乗り換え回数が減り利用価値が高まるであろう。特急の運用では東京を通り越して千葉までの運用はあるが、やはり普通列車で思いきって「平塚発甲府行」などが出現したら「横浜線や相模線を経由すれば早いのでは?」などの声を頂きそうであるが、無限の可能性を秘めているので高尾で終わらすのは勿体ない❕
など考えながらいわゆる「国電」に乗り換えるために足早にホームを移動した。上田で忘れた荷物を背負いながら…

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