国境の長いトンネルを抜けると、そこは「ぐんまちゃん」だった。上越編 ② 土樽(前編)
2023-08-26
日本有数の難所であり、鉄道敷設の際には相当の苦労があったであろう群馬対新潟の国境越えであるが、鉄道は三国峠を嫌い「清水トンネル」「新清水トンネル」で戦いを挑んだ。しかし、後に新幹線専用の「大清水トンネル」が完成し新幹線が開通すると、在来線の清水トンネル、そして新清水トンネルの役割は薄らいでいった。更に新幹線の越後湯沢から先の引き込み線を利用したガーラ湯沢が開業すると、それまでの越後中里や岩原スキー場前など、シーズンには東京から直通できるスキー場もその地位をガーラ湯沢に譲り、更に関越道によるマイカーでの利便性向上など様々な要素が絡み、在来線の役割は徐々にローカル輸送と貨物列車主体の路線へと変化していった。


ご覧の通り、関越道の側面を通じると土樽に到着する。周囲には民家らしきものは見当たらない。私の到着とほぼ同時くらいに他のギャラリーが到着した。
そんな中、上越線の国境越え3駅は非常に頑張っていた印象を受けたので是非紹介してみたい。特に今回紹介する土樽は、3駅の中で最も秘境度を感じる駅であったが、場合によっては、そして時間帯によっては何かが出そうな雰囲気さえ感じた。とは言っても、駅前を関越道が走り抜け24時間クルマの走行音が鳴り響き尾盛や田本的な秘境度はそれほど無いが、当然ながら周囲に民家は見当たらず、通学などの定期客はほぼ皆無の印象なのは誰もが感じる事であろう。
私が到着した時間帯は正午前であったが、上り列車が到着する5分前くらいで、なんと利用者がいた!もちろん、地元の方の印象は薄く、登山者風の出で立ちの方でいらっしゃったので、そうした方の利用者が大半であろうと改めて感じる瞬間でもあった。ただ、私と同業者であろうと思われるギャラリーも若干いらっしゃり、そちらの方もマイカーまたはレンタカーによる訪問であった。

私が生まれて初めて列車以外で到着した今回の土樽である。JRになりかなりリニューアルされていると思われるが、現在は駅員が配置されていない。山小屋風にアレンジされた駅舎が印象的であるが、とにかく暑い!
さて、この土樽であるが、駅前を走る高速道路は関越トンネルの北側入口手前にパーキングエリアがあり、南側のパーキングエリアである谷川岳と共にチェーン脱着場がある。冬季の積雪時には関越トンネル前後で全ての車両が強制的にこのパーキングエリアに寄らされ、タイヤチェーンかスタッドレスかのチェックが入る。もしノーマルタイヤであったならチェーン脱着スペースにてタイヤチェーンの脱着をしなけなければならない。そして関越トンネル内はチェーンを外しての走行となるため、ノーマルタイヤでの往来だとかなりの手間と時間のロスにつながる。ただ、現在はスタッドレスタイヤの普及がかなり進みこうしたやりとりもかなり減ったと思われるが、それでも雪国での交通事情を染々と肌で感じることになる。
もちろん鉄道ではこうした作業を自身がやることはなく、普通に座席に座っていれば簡単に国境越えができてしまうわけだが、それもこれも皆難工事の末に開通し、そして常日頃欠かすことなくメンテナンスをされている運営会社のおかげである。


登山客がほぼシェアしていると思われる利用者向けにインフォメーションもあるが、現在では文明も発達し、スマホのタップひとつで事前にチェックが念入りに入っていることであろう。もちろん、スマホが使えなくなってしまった場合や電波の不十分な場所ではこうしたインフォメーションがとても役に立つ。
ところで今回の土樽の紹介であるが、駅舎とホーム風景を2回に分けて紹介してみたいと思う。まずは駅舎風景をご覧いただきたいのであるが、とにかく駅舎内は国鉄時代のアピールが凄い。私にしてみれば懐かしい限りであるが、やはり時代は変化しても国境越えは人それぞれ特別な思いがあると思われる。私もこの上越の国境越えには以前から鉄道以外で訪問してみたいという思いもあり、今回の実現には実に胸を躍らせてた。ただ、季節的にもっと体に優しい時期での訪問であれば尚更意外な発見ができたかも知れない。

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ご覧の通り、関越道の側面を通じると土樽に到着する。周囲には民家らしきものは見当たらない。私の到着とほぼ同時くらいに他のギャラリーが到着した。
そんな中、上越線の国境越え3駅は非常に頑張っていた印象を受けたので是非紹介してみたい。特に今回紹介する土樽は、3駅の中で最も秘境度を感じる駅であったが、場合によっては、そして時間帯によっては何かが出そうな雰囲気さえ感じた。とは言っても、駅前を関越道が走り抜け24時間クルマの走行音が鳴り響き尾盛や田本的な秘境度はそれほど無いが、当然ながら周囲に民家は見当たらず、通学などの定期客はほぼ皆無の印象なのは誰もが感じる事であろう。
私が到着した時間帯は正午前であったが、上り列車が到着する5分前くらいで、なんと利用者がいた!もちろん、地元の方の印象は薄く、登山者風の出で立ちの方でいらっしゃったので、そうした方の利用者が大半であろうと改めて感じる瞬間でもあった。ただ、私と同業者であろうと思われるギャラリーも若干いらっしゃり、そちらの方もマイカーまたはレンタカーによる訪問であった。

私が生まれて初めて列車以外で到着した今回の土樽である。JRになりかなりリニューアルされていると思われるが、現在は駅員が配置されていない。山小屋風にアレンジされた駅舎が印象的であるが、とにかく暑い!
さて、この土樽であるが、駅前を走る高速道路は関越トンネルの北側入口手前にパーキングエリアがあり、南側のパーキングエリアである谷川岳と共にチェーン脱着場がある。冬季の積雪時には関越トンネル前後で全ての車両が強制的にこのパーキングエリアに寄らされ、タイヤチェーンかスタッドレスかのチェックが入る。もしノーマルタイヤであったならチェーン脱着スペースにてタイヤチェーンの脱着をしなけなければならない。そして関越トンネル内はチェーンを外しての走行となるため、ノーマルタイヤでの往来だとかなりの手間と時間のロスにつながる。ただ、現在はスタッドレスタイヤの普及がかなり進みこうしたやりとりもかなり減ったと思われるが、それでも雪国での交通事情を染々と肌で感じることになる。
もちろん鉄道ではこうした作業を自身がやることはなく、普通に座席に座っていれば簡単に国境越えができてしまうわけだが、それもこれも皆難工事の末に開通し、そして常日頃欠かすことなくメンテナンスをされている運営会社のおかげである。


登山客がほぼシェアしていると思われる利用者向けにインフォメーションもあるが、現在では文明も発達し、スマホのタップひとつで事前にチェックが念入りに入っていることであろう。もちろん、スマホが使えなくなってしまった場合や電波の不十分な場所ではこうしたインフォメーションがとても役に立つ。
ところで今回の土樽の紹介であるが、駅舎とホーム風景を2回に分けて紹介してみたいと思う。まずは駅舎風景をご覧いただきたいのであるが、とにかく駅舎内は国鉄時代のアピールが凄い。私にしてみれば懐かしい限りであるが、やはり時代は変化しても国境越えは人それぞれ特別な思いがあると思われる。私もこの上越の国境越えには以前から鉄道以外で訪問してみたいという思いもあり、今回の実現には実に胸を躍らせてた。ただ、季節的にもっと体に優しい時期での訪問であれば尚更意外な発見ができたかも知れない。

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国境の長いトンネルを抜けると、そこは「ぐんまちゃん」だった。①
2023-08-19
2023年7月、私は久々の鉄道旅に出た。と言ってもまだ感染症が5類に移行してまもなく、完全に収束したわけではなかったので、レールファンでありながら、しかも、いわゆる「乗り鉄」といわれる列車に乗ることがメインとなる私の旅のスタイルをあえて否定するようなマイカーでの旅となった。
行き先は群馬。周囲は山に囲まれ海に接しない自治体の名物は、当然ながら農産物系が多く、ひもかわうどんや蒟蒻、そしてネギなど、魅力的な名産品が盛りだくさんである。私のような神奈川県民だと、特に湘南育ちである私からすると、海産物の特産品やご当地グルメとは違った魅力を感じてしまうが、やはりその土地の気候や数々の条件が揃って、初めてその名物の特性が生まれるわけであるから、何気に感慨深い。

今回の旅で関越トンネルを抜け、最初に立ち寄った駅は越後湯沢であった。圏央道~関越道のアプローチで海老名ICより一気にここまで来た自分がある意味信じられなかったが、夏真っ只中の越後湯沢は観光客で溢れかえっていた。
さて、日本は国土本体の約70%が森林という山岳国家であるが、特に日本海側と太平洋側の間には大きな山が張り付いているため、両者の往来には必ず険しい山を乗り越えなければならない。古くからそれを難所と呼び、その難所を乗り越えるための苦労は日本人最大のテーマであり、神が与えた試練でもあった。例えば某ローカル路線バス的な旅番組では国境越え…いわゆる県境越えのバスは少なく、峠を歩くシーンは何度も放送された事からも象徴されるように、文明が発達した現在でもその苦労は計り知れない。

今回の旅で最初の宿泊地は意外にも伊勢崎であった。つまり越後湯沢から国境を越え伊勢崎を宿泊地に選んだ私はいささか変わり者だと思われてしまいそうであるが、実は名物のひもかわうどん・ソースカツ丼などを堪能する予定であったのが大きな理由であった。だが、真夏の強い日差しにさらされ、体力的にそのお楽しみは次回に繰り越すこととなってしまった・・・
ところでその国境越えであるが、鉄道は昔から勾配に弱いとされているため、我々の先輩たちは鉄道敷設の際、当時の最先端技術と英知を結集させ勾配との戦いに挑んできた。もちろん、多くの犠牲や苦労が絶えなかったであろう。だが、そうして苦労を重ね敷設された路線も時代が変わり、新しい技術により現在は廃止されたり主役から外されたりして役目を終えてしまった路線も少なくない。

国境越えといえば!この景色を見てピンときたら・・・
今回、私が旅先に選んだ場所は先述通り群馬であるが、その場所を選んだ理由は単純で、伊香保温泉を宿泊地に選んだからであった。そしてそれを基準に訪問先である駅を選定した結果、気がつけば国境越えがテーマになっていたのだ。だが、その国境越えは私が想像していた以上に過酷な戦いであった。もちろんその戦いは、私ひとりが「過酷だったよ!」と言いたい訳ではない。そこに鉄道を敷くために、数多くの計り知れない壮絶なドラマを感じずにはいられなかった・・・つまり、よくこのような場所に鉄道を敷設したなと改めて先人の方々の熱き思いに、ただ脱帽であった。そして鉄道以外の手段でその国境越えに向かうと、その壮絶さを更に肌で感じることができたからだ。だからこそ、鉄道で国境越えをする場合はビールを飲みながら・・・お菓子を食べながら・・・意図も簡単にできてしまうのだなと改めて感謝の気持ちでいっぱいになってしまう自分がいたのだ。
という事で、今回は新潟から群馬への国境越え3駅の紹介になるが、その壮絶さや先人の思いが少しでも伝わったら幸いである。

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行き先は群馬。周囲は山に囲まれ海に接しない自治体の名物は、当然ながら農産物系が多く、ひもかわうどんや蒟蒻、そしてネギなど、魅力的な名産品が盛りだくさんである。私のような神奈川県民だと、特に湘南育ちである私からすると、海産物の特産品やご当地グルメとは違った魅力を感じてしまうが、やはりその土地の気候や数々の条件が揃って、初めてその名物の特性が生まれるわけであるから、何気に感慨深い。

今回の旅で関越トンネルを抜け、最初に立ち寄った駅は越後湯沢であった。圏央道~関越道のアプローチで海老名ICより一気にここまで来た自分がある意味信じられなかったが、夏真っ只中の越後湯沢は観光客で溢れかえっていた。
さて、日本は国土本体の約70%が森林という山岳国家であるが、特に日本海側と太平洋側の間には大きな山が張り付いているため、両者の往来には必ず険しい山を乗り越えなければならない。古くからそれを難所と呼び、その難所を乗り越えるための苦労は日本人最大のテーマであり、神が与えた試練でもあった。例えば某ローカル路線バス的な旅番組では国境越え…いわゆる県境越えのバスは少なく、峠を歩くシーンは何度も放送された事からも象徴されるように、文明が発達した現在でもその苦労は計り知れない。

今回の旅で最初の宿泊地は意外にも伊勢崎であった。つまり越後湯沢から国境を越え伊勢崎を宿泊地に選んだ私はいささか変わり者だと思われてしまいそうであるが、実は名物のひもかわうどん・ソースカツ丼などを堪能する予定であったのが大きな理由であった。だが、真夏の強い日差しにさらされ、体力的にそのお楽しみは次回に繰り越すこととなってしまった・・・
ところでその国境越えであるが、鉄道は昔から勾配に弱いとされているため、我々の先輩たちは鉄道敷設の際、当時の最先端技術と英知を結集させ勾配との戦いに挑んできた。もちろん、多くの犠牲や苦労が絶えなかったであろう。だが、そうして苦労を重ね敷設された路線も時代が変わり、新しい技術により現在は廃止されたり主役から外されたりして役目を終えてしまった路線も少なくない。

国境越えといえば!この景色を見てピンときたら・・・
今回、私が旅先に選んだ場所は先述通り群馬であるが、その場所を選んだ理由は単純で、伊香保温泉を宿泊地に選んだからであった。そしてそれを基準に訪問先である駅を選定した結果、気がつけば国境越えがテーマになっていたのだ。だが、その国境越えは私が想像していた以上に過酷な戦いであった。もちろんその戦いは、私ひとりが「過酷だったよ!」と言いたい訳ではない。そこに鉄道を敷くために、数多くの計り知れない壮絶なドラマを感じずにはいられなかった・・・つまり、よくこのような場所に鉄道を敷設したなと改めて先人の方々の熱き思いに、ただ脱帽であった。そして鉄道以外の手段でその国境越えに向かうと、その壮絶さを更に肌で感じることができたからだ。だからこそ、鉄道で国境越えをする場合はビールを飲みながら・・・お菓子を食べながら・・・意図も簡単にできてしまうのだなと改めて感謝の気持ちでいっぱいになってしまう自分がいたのだ。
という事で、今回は新潟から群馬への国境越え3駅の紹介になるが、その壮絶さや先人の思いが少しでも伝わったら幸いである。

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題名の無い鉄道旅 part2 奥久慈風っ子号④
2023-08-12
水郡線制覇の旅であるが、臨時列車の恩恵も受けまた違った価値観が産まれてくる事に気づいた。いままではこうした臨時列車やイベント列車にはあまり縁が無かったイメージの私であるが、平成になり、そして国鉄からJRに変わり世の中の仕組みや風景も一段と変化してくる。ただひとり、変わっていないのは浦島太郎状態の私だけであろうか。水郡線は観光スポットで有名な袋田も通るが、そのような滝など目もくれずに上菅谷で乗り換え常陸太田へ向かうあたり、やはり昔と変わっていないのであろう。

一応「快速」の表示があった「奥久慈風っこ号」であるが、この後、快速という名のスピードだとかえって困りそうな光景が見えてくる。「快速」という格付けにも鉄道会社によって解釈が多彩であり、JRでは普通列車と急行列車の間で、指定席券以外に快速料金等の特別な料金が基本発生しない列車である。ただ、停車駅の数やパターンでは鉄道会社により特急より格上だったりする場面も多く、日本の鉄道会社による快速の位置付けを追求していくだけでも面白いかも知れない。
上菅谷に着くと、早速常陸太田方面への乗り換え準備を始めた。水戸まで行く「風っ子」を見送り、そしてまもなく私は常陸太田へ向かった。風っ子からの乗り換え客は私たちが唯一あったが、水戸方面から来た常陸太田行きにはそれなりに乗客がいたのでさすがと思ったが、常陸太田に到着したらその意味が何となくわかった気がした。


つまり「風っこ」とはトロッコ風の列車である事が判明した。雨の日にはどうするんだ~とかスピード出したままトンネル入ったらどうなるんだ~とか考えてはいけない。一応「快速」を名乗っているが、あまりスピードを出してはいけないイメージである。
というのも、かつてこの地には日立電鉄が乗り入れており「常北太田」と名乗り駅が隣接していた。私がこの時に見た光景は既に廃止後であったが、レールが剥がされ砂利と駅舎のみがそのまま残った状態であった。もう少しレールファンの復活が早ければ、私も日立電鉄の最終に間に合ったであろう。だが、残念ながらアフターザフェスティバルであった。もったいない事をしてしまったが、我々の記憶より消えることはないであろう。

車内では終始和やかなムードが流れていた。こうした雰囲気なら一般に混ざってのレールファンでは無く、堂々としたレールファンとして活動する事ができるのが最大のメリットである。
そんな哀愁漂う風景を後に水戸へ向かった私は、普段の列車で普段の風景を眺めながら普段の生活へと戻っていった。ただ、こうして「普段」があるということは実に素晴らしい。だが、その素晴らしい普段には「前提」がある事を改めて教えてくれた。
奥久慈を離れ、いつしか景色が更に普段になってきた。もちろん、東京を越え湘南方面に着く頃には更にその風景は深くなる事であろう。

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一応「快速」の表示があった「奥久慈風っこ号」であるが、この後、快速という名のスピードだとかえって困りそうな光景が見えてくる。「快速」という格付けにも鉄道会社によって解釈が多彩であり、JRでは普通列車と急行列車の間で、指定席券以外に快速料金等の特別な料金が基本発生しない列車である。ただ、停車駅の数やパターンでは鉄道会社により特急より格上だったりする場面も多く、日本の鉄道会社による快速の位置付けを追求していくだけでも面白いかも知れない。
上菅谷に着くと、早速常陸太田方面への乗り換え準備を始めた。水戸まで行く「風っ子」を見送り、そしてまもなく私は常陸太田へ向かった。風っ子からの乗り換え客は私たちが唯一あったが、水戸方面から来た常陸太田行きにはそれなりに乗客がいたのでさすがと思ったが、常陸太田に到着したらその意味が何となくわかった気がした。


つまり「風っこ」とはトロッコ風の列車である事が判明した。雨の日にはどうするんだ~とかスピード出したままトンネル入ったらどうなるんだ~とか考えてはいけない。一応「快速」を名乗っているが、あまりスピードを出してはいけないイメージである。
というのも、かつてこの地には日立電鉄が乗り入れており「常北太田」と名乗り駅が隣接していた。私がこの時に見た光景は既に廃止後であったが、レールが剥がされ砂利と駅舎のみがそのまま残った状態であった。もう少しレールファンの復活が早ければ、私も日立電鉄の最終に間に合ったであろう。だが、残念ながらアフターザフェスティバルであった。もったいない事をしてしまったが、我々の記憶より消えることはないであろう。

車内では終始和やかなムードが流れていた。こうした雰囲気なら一般に混ざってのレールファンでは無く、堂々としたレールファンとして活動する事ができるのが最大のメリットである。
そんな哀愁漂う風景を後に水戸へ向かった私は、普段の列車で普段の風景を眺めながら普段の生活へと戻っていった。ただ、こうして「普段」があるということは実に素晴らしい。だが、その素晴らしい普段には「前提」がある事を改めて教えてくれた。
奥久慈を離れ、いつしか景色が更に普段になってきた。もちろん、東京を越え湘南方面に着く頃には更にその風景は深くなる事であろう。

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題名の無い鉄道旅 part2 奥久慈風っ子号③
2023-08-05
郡山でいよいよ水郡線に乗り換える。郡山からの水郡線は、普段は設定されていない臨時列車で常陸大子まで向かう事になっている。常陸大子より「奥久慈風っ子号」に乗るわけであるが、奥久慈風っ子号の運転日にやや合わせて運転される普通列車のため、ただでさえ運転本数が少ないのだから乗り遅れるわけにはいかない。
私は同行している妻に「先に行って席を取っておくから」と、東北本線の列車を降りた瞬間から水郡線に向けダッシュし始めたのであった。

かつて水郡線で運用されていたキハ110。現在、水郡線での運用は無くなり貴重な画像となってしまったが、JR化後に製造された車両であるため私にしてみたら新しい部類に感じる。とはいえ、初登場より既に30年以上経過しており、今後の進退が注目される事になるであろう。
とりあえず座席は確保できたが妻がなかなかやって来ない。もちろん携帯電話を持っているのでかけてみたが出ない。後から気付いたが、妻の携帯電話は私が妻の荷物と一緒に持っていたので出るわけがない。列車の出発時間が迫るなか、ようやく妻がやって来た。何でも水郡線の乗り場がわからなかったらしい。一応妻には「水郡線」と伝えてあったのでそれを頼りに駅員などに聞いたらしいが、水郡線の発着ホームである4番線がなかなか見つからない。3番線の次が5番線で、4番線は切り欠きホームとなる特殊構造であるので、鉄道素人の妻には4番線を探すのにものすごい労力があったそうだ。何とか間に合い無事郡山に別れを告げたが、まさかこんな所に落とし穴があるとは思いもしなかった。やはり中学の頃のような鉄道仲間と旅するのとは勝手が違う。私はある意味反省をしながら奥久慈の山深い風景を眺めていた。

そしてこちらが現在水郡線で運用されているキハE130と名乗っている車両である。JR化後の車両については申し訳ないが、形式等の番号では即座に「こんな車両だ」と頭に浮かばなく、しかも「E」などアルファベットが付属しているから尚更馴染みが無かった。だが、車内はもちろん新しく清潔感が漂っていたので、昔の水郡線のようなイメージは少ない。郡山での撮影であるが、この時に事件が起こった・・・
常陸大子に着くと暫くして「奥久慈風っ子号」が入線してきた。SLが似合いそうな水郡線の風景であるが、やって来た列車はひと目でわかる国鉄車両で、トロッコ風に改造されたDCである。時間が逆戻りし一気に国鉄モードとなった私は、少年時代に戻ったかのように、アナログカメラを被写体に向けていた。

常陸大子よりいよいよ「奥久慈風っこ号」に乗車する。私にとっては見慣れた車両であったが、ある意味塗装がJRらしくそれほど違和感を感じなかった。だが、列車が入線すると、そのイメージはものすごい勢いで覆されたのであった。
記憶は曖昧だが、こうしたイベント的な臨時列車に乗車するのは恐らくこの時が初めてであろう私であるが、普段の鉄道旅で駅や列車内外の撮影においては一般の乗客もいるためやや気を使ったり、時には「変なおじさん」と間違えられたら嫌だなと撮影をためらう場面も少なくない。しかし、こうしたイベント的列車はある意味周りも「同業者」のため堂々と撮影できるのが良い。解放されたウインドウも何故だかいつもより心地よい風が入ってくる。文字通り風になびかされながら時を忘れてしまいそうな鉄道風景に、持参した缶酎ハイの数がいつしか減る速度が早まっていた。

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私は同行している妻に「先に行って席を取っておくから」と、東北本線の列車を降りた瞬間から水郡線に向けダッシュし始めたのであった。

かつて水郡線で運用されていたキハ110。現在、水郡線での運用は無くなり貴重な画像となってしまったが、JR化後に製造された車両であるため私にしてみたら新しい部類に感じる。とはいえ、初登場より既に30年以上経過しており、今後の進退が注目される事になるであろう。
とりあえず座席は確保できたが妻がなかなかやって来ない。もちろん携帯電話を持っているのでかけてみたが出ない。後から気付いたが、妻の携帯電話は私が妻の荷物と一緒に持っていたので出るわけがない。列車の出発時間が迫るなか、ようやく妻がやって来た。何でも水郡線の乗り場がわからなかったらしい。一応妻には「水郡線」と伝えてあったのでそれを頼りに駅員などに聞いたらしいが、水郡線の発着ホームである4番線がなかなか見つからない。3番線の次が5番線で、4番線は切り欠きホームとなる特殊構造であるので、鉄道素人の妻には4番線を探すのにものすごい労力があったそうだ。何とか間に合い無事郡山に別れを告げたが、まさかこんな所に落とし穴があるとは思いもしなかった。やはり中学の頃のような鉄道仲間と旅するのとは勝手が違う。私はある意味反省をしながら奥久慈の山深い風景を眺めていた。

そしてこちらが現在水郡線で運用されているキハE130と名乗っている車両である。JR化後の車両については申し訳ないが、形式等の番号では即座に「こんな車両だ」と頭に浮かばなく、しかも「E」などアルファベットが付属しているから尚更馴染みが無かった。だが、車内はもちろん新しく清潔感が漂っていたので、昔の水郡線のようなイメージは少ない。郡山での撮影であるが、この時に事件が起こった・・・
常陸大子に着くと暫くして「奥久慈風っ子号」が入線してきた。SLが似合いそうな水郡線の風景であるが、やって来た列車はひと目でわかる国鉄車両で、トロッコ風に改造されたDCである。時間が逆戻りし一気に国鉄モードとなった私は、少年時代に戻ったかのように、アナログカメラを被写体に向けていた。

常陸大子よりいよいよ「奥久慈風っこ号」に乗車する。私にとっては見慣れた車両であったが、ある意味塗装がJRらしくそれほど違和感を感じなかった。だが、列車が入線すると、そのイメージはものすごい勢いで覆されたのであった。
記憶は曖昧だが、こうしたイベント的な臨時列車に乗車するのは恐らくこの時が初めてであろう私であるが、普段の鉄道旅で駅や列車内外の撮影においては一般の乗客もいるためやや気を使ったり、時には「変なおじさん」と間違えられたら嫌だなと撮影をためらう場面も少なくない。しかし、こうしたイベント的列車はある意味周りも「同業者」のため堂々と撮影できるのが良い。解放されたウインドウも何故だかいつもより心地よい風が入ってくる。文字通り風になびかされながら時を忘れてしまいそうな鉄道風景に、持参した缶酎ハイの数がいつしか減る速度が早まっていた。

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