長良川艶歌 (後編)
2021-10-30
名湯「子宝温泉」で入浴まで済ませ心身ともに蘇った私は、再び列車で北濃方面へ向かう。というのも、残念ながら子宝温泉に宿泊施設は無く、美濃白鳥にある宿を素泊まりでインターネットで予約する事にした。
民宿をインターネットで予約する・・・私の「いい旅チャレンジ20000km」時代では民宿ガイドや時刻表の巻末辺りの宿の羅列を上から下まで見ながら探していたので、クリックひとつで、などありえなかった、というよりそんな概念など全く無い時代だ。私の旅に新しい息吹を吹き込んだ宿はほぼ割烹旅館。確か料金前払いで予め女将に「明日は朝一で出発で~す」と伝えたので本当に寝るだけ!超素泊まりであった。
ところでこちらの割烹旅館、私の寝る部屋は4枚くらいの障子にロックが掛かるシステムであったが、今考えたら普段は宴会場として使用しているのであろう。そして宿泊希望者がいたらその宴会場が宿部屋に早変わりする…そんなシステムになっているようだ。

終点の北濃であるが、とうとう右側に駅名が書かれる事はなかった。地形的には美濃白鳥からの方が九頭竜湖方面への延伸は自然であるが、北濃から先は白川郷などへのバス連絡も考えられていたのであろうか。
翌朝6時に起床。素泊まりのため朝食などはない。しかしながらその事は予定通りであり、この長良川鉄道の特長を充分に発揮させるべくあえて朝食を後回しにした訳は後程詳しく紹介しよう。
6時59分の美濃白鳥発北濃行に乗車するため身支度を急いだ。宿の女将に丁寧にあいさつをした後、日曜日ではなかったが、田中星児氏のように爽やかでビューティフルな朝を迎え美濃白鳥駅界隈を歩く。夜は暗くて分からなったが、こうして歩いてみるとなかなか風情ある街並みではないか!旅の疲れも一気に吹き飛んでしまうような素敵な街並みは、素泊まりで素通りするには勿体ない風景!だが、素通りしなければならないのは乗り潰しの宿命でもあろう。
早速美濃白鳥駅に着いたら既に駅には列車がいた。昨日の美濃白鳥止まりの最終列車が停泊していたのだ。もちろん美濃白鳥始発のため座って北濃まで行ける、というより北濃発の上りの始発となるための回送をわざわざ旅客扱いしているのであろうが、私たち以外の乗客は皆無に等しかったのは仕方がない。

北濃からの一番列車は美濃白鳥始発の下り北農行き一番列車がそのまま折り返す。北濃発の上り一番列車を美濃白鳥より回送しているわけであるが、営業運転として開放しているので利用者にとってはありがたい。
昔の私なら美濃白鳥で一泊するなどという発想というか概念が無かった。もちろん駅寝等はしたくなかったし、専ら夜行列車を宿代わりにしていたので途中駅で切るという発想が無かった。とはいえ、既に紹介している東北の旅では駅寝の連続であったが・・・だからこそ、こうして年齢を重ね新たなチャレンジを試みながら北濃へ向かうのは実に新鮮だ。
さっきまで美濃白鳥駅で改札をしていた初老の紳士が、今度はマスコンを持って運転席へ。そう、朝一の美濃白鳥での改札員は、実は運転手だったのだ。地方交通線ならではの「一人何役」であるが、現在は本当に合理化がドラスティックにシステム化されている。1970年代では鉄道のワンマン化など考えられなかったので、現在のワンマン化が当たり前の時代は改めてその確立されたシステムに感心してしまう。

北濃は越美北線と繋がった暁には当然ながら島式ホームの列車交換駅となっていたであろう。かつては九頭竜湖まで国鉄バスが連絡していたが、現在は途中で途切れてしまっている。ある意味「太川・蛭子コンビ泣かせ」の徒歩区間は8キロくらいの道のりであるらしい。
やがて北濃に到着した。途中から乗車して来た若干の乗客も下車。私は事前に運転手に同じ列車で折り返す旨を伝えてあったため切符回収等は無く、運転手も「あいつはその道を極める最重要人物であろう」とお察しいただいていたであろうが為、私は遠慮なくホーム等の駅設備にシャッターを切る事ができた。
驚いたのは北濃にはまだ「ターンテーブル」がいた事だ!もし使えるのなら、観光用にSLを走らせるのも夢ではないであろうが・・・しかし、ターンテーブルの横にあるレールはその先で途切れ、越美線の「過去の未来」が閉ざされていた。無理してでも九頭竜湖まで繋げたらまた違った運命を辿っていたろうが、線形が悪く、所要時間等を考えても全線通しての利用はまず無いと思われる。何せ旅客だけでは企業として利益を産むには至難の業であろう。既に叶わぬ夢となってしまったが、それでも夢だけは見ていたい。そんな思いを抱きながらレールの先にある何かを振りほどき、北濃を後にした。
郡上踊りで有名な郡上八幡をほぼ無関心に、いや、とても関心はあるのだが乗りつぶしの宿命上、どうしても無関心を装わなければならず辛いところであるが、二つ先の「深戸」に向かった。そう、ここでようやく朝食の「後述」が出てくるのだ。深戸では駅舎に食堂「ステーション深戸」が併設されており、地元民の憩いの場になっている。「後述」とは深戸で朝食をいただく計画だったのだ。

北濃より折り返し深戸で遅い朝食を頂く。そう、ここの駅舎には飲食店「ステーション深戸」が入居しているので超便利!
深戸で朝食をいただく・・・こんな概念も「いい旅チャレンジ20000km」時代の私には無かったプログラムである。頼んだモーニングセットはコーヒーにパン、そしてなぜか素麺がセットになっている優れものだ。暫くして我々以外にもお客様が入ってきたため冷房のスイッチオン。昭和の冷風が風鈴を鳴らす長閑な風景。駅直結の「ステーション深戸」は長良川鉄道最大の特長であろう❗
ここで1時間半のインターバルの後、美濃太田に向い帰路についた。

同じく深戸のホームより撮影。駅舎を出てすぐの場所で撮影したのだが、列車乗り場はホームの先端方面にあるようだ。
朝の越美南線は新鮮であった。既に夢敗れ、越美北線と繋がり「越美線」となる日は永遠に無いであろう。だが、今もこうして地元民に愛されながら活躍している鉄道がそこにはある。私はこんな風景を求めるために旅に出るのかなと自身に問いながら、寄り添う長良川のせせらぎの反射に瞳を細める時、私の「いい旅チャレンジ20000km・第2章」は既に始まっていた。

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民宿をインターネットで予約する・・・私の「いい旅チャレンジ20000km」時代では民宿ガイドや時刻表の巻末辺りの宿の羅列を上から下まで見ながら探していたので、クリックひとつで、などありえなかった、というよりそんな概念など全く無い時代だ。私の旅に新しい息吹を吹き込んだ宿はほぼ割烹旅館。確か料金前払いで予め女将に「明日は朝一で出発で~す」と伝えたので本当に寝るだけ!超素泊まりであった。
ところでこちらの割烹旅館、私の寝る部屋は4枚くらいの障子にロックが掛かるシステムであったが、今考えたら普段は宴会場として使用しているのであろう。そして宿泊希望者がいたらその宴会場が宿部屋に早変わりする…そんなシステムになっているようだ。

終点の北濃であるが、とうとう右側に駅名が書かれる事はなかった。地形的には美濃白鳥からの方が九頭竜湖方面への延伸は自然であるが、北濃から先は白川郷などへのバス連絡も考えられていたのであろうか。
翌朝6時に起床。素泊まりのため朝食などはない。しかしながらその事は予定通りであり、この長良川鉄道の特長を充分に発揮させるべくあえて朝食を後回しにした訳は後程詳しく紹介しよう。
6時59分の美濃白鳥発北濃行に乗車するため身支度を急いだ。宿の女将に丁寧にあいさつをした後、日曜日ではなかったが、田中星児氏のように爽やかでビューティフルな朝を迎え美濃白鳥駅界隈を歩く。夜は暗くて分からなったが、こうして歩いてみるとなかなか風情ある街並みではないか!旅の疲れも一気に吹き飛んでしまうような素敵な街並みは、素泊まりで素通りするには勿体ない風景!だが、素通りしなければならないのは乗り潰しの宿命でもあろう。
早速美濃白鳥駅に着いたら既に駅には列車がいた。昨日の美濃白鳥止まりの最終列車が停泊していたのだ。もちろん美濃白鳥始発のため座って北濃まで行ける、というより北濃発の上りの始発となるための回送をわざわざ旅客扱いしているのであろうが、私たち以外の乗客は皆無に等しかったのは仕方がない。

北濃からの一番列車は美濃白鳥始発の下り北農行き一番列車がそのまま折り返す。北濃発の上り一番列車を美濃白鳥より回送しているわけであるが、営業運転として開放しているので利用者にとってはありがたい。
昔の私なら美濃白鳥で一泊するなどという発想というか概念が無かった。もちろん駅寝等はしたくなかったし、専ら夜行列車を宿代わりにしていたので途中駅で切るという発想が無かった。とはいえ、既に紹介している東北の旅では駅寝の連続であったが・・・だからこそ、こうして年齢を重ね新たなチャレンジを試みながら北濃へ向かうのは実に新鮮だ。
さっきまで美濃白鳥駅で改札をしていた初老の紳士が、今度はマスコンを持って運転席へ。そう、朝一の美濃白鳥での改札員は、実は運転手だったのだ。地方交通線ならではの「一人何役」であるが、現在は本当に合理化がドラスティックにシステム化されている。1970年代では鉄道のワンマン化など考えられなかったので、現在のワンマン化が当たり前の時代は改めてその確立されたシステムに感心してしまう。

北濃は越美北線と繋がった暁には当然ながら島式ホームの列車交換駅となっていたであろう。かつては九頭竜湖まで国鉄バスが連絡していたが、現在は途中で途切れてしまっている。ある意味「太川・蛭子コンビ泣かせ」の徒歩区間は8キロくらいの道のりであるらしい。
やがて北濃に到着した。途中から乗車して来た若干の乗客も下車。私は事前に運転手に同じ列車で折り返す旨を伝えてあったため切符回収等は無く、運転手も「あいつはその道を極める最重要人物であろう」とお察しいただいていたであろうが為、私は遠慮なくホーム等の駅設備にシャッターを切る事ができた。
驚いたのは北濃にはまだ「ターンテーブル」がいた事だ!もし使えるのなら、観光用にSLを走らせるのも夢ではないであろうが・・・しかし、ターンテーブルの横にあるレールはその先で途切れ、越美線の「過去の未来」が閉ざされていた。無理してでも九頭竜湖まで繋げたらまた違った運命を辿っていたろうが、線形が悪く、所要時間等を考えても全線通しての利用はまず無いと思われる。何せ旅客だけでは企業として利益を産むには至難の業であろう。既に叶わぬ夢となってしまったが、それでも夢だけは見ていたい。そんな思いを抱きながらレールの先にある何かを振りほどき、北濃を後にした。
郡上踊りで有名な郡上八幡をほぼ無関心に、いや、とても関心はあるのだが乗りつぶしの宿命上、どうしても無関心を装わなければならず辛いところであるが、二つ先の「深戸」に向かった。そう、ここでようやく朝食の「後述」が出てくるのだ。深戸では駅舎に食堂「ステーション深戸」が併設されており、地元民の憩いの場になっている。「後述」とは深戸で朝食をいただく計画だったのだ。

北濃より折り返し深戸で遅い朝食を頂く。そう、ここの駅舎には飲食店「ステーション深戸」が入居しているので超便利!
深戸で朝食をいただく・・・こんな概念も「いい旅チャレンジ20000km」時代の私には無かったプログラムである。頼んだモーニングセットはコーヒーにパン、そしてなぜか素麺がセットになっている優れものだ。暫くして我々以外にもお客様が入ってきたため冷房のスイッチオン。昭和の冷風が風鈴を鳴らす長閑な風景。駅直結の「ステーション深戸」は長良川鉄道最大の特長であろう❗
ここで1時間半のインターバルの後、美濃太田に向い帰路についた。

同じく深戸のホームより撮影。駅舎を出てすぐの場所で撮影したのだが、列車乗り場はホームの先端方面にあるようだ。
朝の越美南線は新鮮であった。既に夢敗れ、越美北線と繋がり「越美線」となる日は永遠に無いであろう。だが、今もこうして地元民に愛されながら活躍している鉄道がそこにはある。私はこんな風景を求めるために旅に出るのかなと自身に問いながら、寄り添う長良川のせせらぎの反射に瞳を細める時、私の「いい旅チャレンジ20000km・第2章」は既に始まっていた。

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