SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑦門沢橋
2021-12-10

かつては門沢橋~社家間で砂利積み出し線を分岐していた門沢橋は、今やすっかり周辺は住宅街に変わり砂利輸送時代をほとんど感じなくなった。しかし、茅ヶ崎寄りに県道が陸橋で相模線を越え、更にその県道はすぐに戸沢橋へと繋がり相模川を渡るあたり、やはり砂利輸送の時代に一世を風靡した鉄道だなと改めて感じる事ができる。
一応、かつての県道沿いにあるものの、その県道は新たにできた並走する二車線道路にメインの座を譲り、現在は揺ったりとしたひとときが流れている。駅は棒線型であるが、かつては社家との間に先述の砂利採取線を分岐しているが、現在は面影が全く見当たらず、その路線跡は一般道として再スタートを切っている。私の知る限りでは非電化時代より現在まで駅員無配置であるが、国鉄末期付近では利用者も増えてきて、車掌も車内改札で多忙だったであろう。現在はSuicaやPASMOなどの普及によりかなりの負担が軽減されたであろうが、それでも宮山~社家間と入谷、そして西寒川が駅員無配置であった事を考えると、首都圏にありながら異色の鉄道路線であったと改めて感じる事ができる。

私と門沢橋との関わりはやや薄いが、もちろん相模線の駅としてよく知っている。近年では商業施設や飲食店の進出も多く、オーバークロスする県道は渋滞のメッカでもあるが、相模線の存在アピールはその渋滞メッカの直下でひっそりと行われている。


恐らく若干の改築はあった記憶であるが、雰囲気的には非電化時代とほとんど変わらないであろう駅舎。かつては駅舎のすぐ横が踏切だったはずであるが、現在は踏切が無くなり行き止まりである。私の知る一番古い門沢橋とほとんど変わらない現在の姿であるが、最初の写真でもわかるように、現在では車椅子でも対応出来るスロープが設置された。

駅舎内は割とシンプルな設計になっている。国鉄時代は駅員無配置であったが、JR時代は簡易委託で駅員がいたらしい。現在は再び駅員無配置となっている。

近年に見かけるようになった相模線の時刻表。最近はこうして電子による表示になりリアルタイムで運行状況を把握できて便利になった。もちろん門沢橋以外の他の駅でも見られた。






やはり下り列車が侵入してくる。上り列車とはあまり縁が無いのか・・・並走する県道もかつてはメイン道路であったが、現在はその座を新しく開通した並走する二車線道路に譲り、現在駅周辺は時間が止まったかのように穏やかである。

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