蝦夷からアイヌへ・アゲイン 広尾線⑤ 幸福(後編)
2022-03-10

前回は幸福駅の駅舎等を紹介したが、今回はホーム風景に的を絞って紹介してみよう。もちろん、今の時代であるからインターネットや実際の訪問などで何度もご覧になっているであろう風景であると思われるが、やはり私のブログも「鉄道」をテーマにしている以上、皆様の仲間入りをしてみたいと欲が出てくる。
という事で、早速幸福「駅」の模様をお届けしたい。


幸福といえば、というか北海道と言えばお馴染みキハ21の改良型、キハ22が停泊している。私は当初1両と思っていたが、何ともう1両いた!

一面一線の棒線形ホームは往年の姿が蘇る。


意外にも車内はしっかりとメンテナンスされていて小奇麗な雰囲気である事ひとつ取っても帯広市など管理していらっしゃる人たちの思いが伝わって来る。

そしてもう一両。こういった車両を見ると、どうしても「相模線!」と思ってしまうのは、私世代の寒川町民他相模線沿線共通の認識であろうか。


私が所有するSL時代の「幸福パネル」と現在を比較してみた。ご覧の通りほぼ当時の面影を残しながら現在に至っている事がおわかりであろう。こうして我々が持つ昭和の記憶が後世に受け継がれていくのは実に嬉しい事である。

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
にわか者様
コメントありがとうございます。
あの頃に戻れるなら・・・私もそう思う時があります。特に国鉄時代に撮影した写真などは引っ越した際に結構処分してしまったので、今思えば貴重な写真もかなりありました。レールファン休業中だったのですが、処分の際に少々ためらいもあったのでそこでとどまっておけば良かったと思います。
もちろんデジカメなど無い時代でしたからフィルムや写真が膨大な数でしたので仕方ないですが、今みたいにスキャンしてHDDに保存できたら恐らく処分していなかったでしょう。
1983年の東北の旅ではフィルムの現像代だけで1万円オーバーでしたので、相当の写真を撮影していたと思います。確か24枚撮りのフィルムを10~12本くらい現像した記憶です。今でしたらSDカード一枚で済みそうですが・・・
そんな中でも当時の残った写真とかを見ると微笑ましくなりますよね。お互いに当時はまだ子供でしたから仕方ないのですが、私も今考えたら東京の三ノ輪に親戚がいてよく遊びに行っていたのだからもっと頭を働かせて上野に寝台特急とかを撮影しに行けば良かったなと思います。まぁ、親戚の叔父とかが許可を出すかどうかは別として・・・
ちなみに叔父は都の職員で、路面電車の運転手をやっていたと父に聞いた事あります。
あの頃に戻れるなら・・・私もそう思う時があります。特に国鉄時代に撮影した写真などは引っ越した際に結構処分してしまったので、今思えば貴重な写真もかなりありました。レールファン休業中だったのですが、処分の際に少々ためらいもあったのでそこでとどまっておけば良かったと思います。
もちろんデジカメなど無い時代でしたからフィルムや写真が膨大な数でしたので仕方ないですが、今みたいにスキャンしてHDDに保存できたら恐らく処分していなかったでしょう。
1983年の東北の旅ではフィルムの現像代だけで1万円オーバーでしたので、相当の写真を撮影していたと思います。確か24枚撮りのフィルムを10~12本くらい現像した記憶です。今でしたらSDカード一枚で済みそうですが・・・
そんな中でも当時の残った写真とかを見ると微笑ましくなりますよね。お互いに当時はまだ子供でしたから仕方ないのですが、私も今考えたら東京の三ノ輪に親戚がいてよく遊びに行っていたのだからもっと頭を働かせて上野に寝台特急とかを撮影しに行けば良かったなと思います。まぁ、親戚の叔父とかが許可を出すかどうかは別として・・・
ちなみに叔父は都の職員で、路面電車の運転手をやっていたと父に聞いた事あります。
そうそう、現像代で万単位かかりましたね。
私は父親もテツだったので、機材は小学生のスーパーカーやブルトレブームの時からキヤノンFー1を使っておりましたが、フィルムはどうにもならず…
周遊券を買うだけで、予算オーバー(ToT)
フィルムは亡き祖母にどんだけ援助してもらったことか…
あの頃、デジだったら…
でも、車両の画像がふえるだけで、駅や旅先のスナップ写真が増えたかどうかは、何とも言えないですがね(^_^;)
私は父親もテツだったので、機材は小学生のスーパーカーやブルトレブームの時からキヤノンFー1を使っておりましたが、フィルムはどうにもならず…
周遊券を買うだけで、予算オーバー(ToT)
フィルムは亡き祖母にどんだけ援助してもらったことか…
あの頃、デジだったら…
でも、車両の画像がふえるだけで、駅や旅先のスナップ写真が増えたかどうかは、何とも言えないですがね(^_^;)
にわか者様
コメントありがとうございます。
私のカメラはキャノンAE-1プログラムでしたが、それまで使っていたキャノンデミEE-28も併用していました。
デミはフィルム節約型のカメラで、私が生まれる前の昭和40年前後のフィルムが高価だった時代に発売されたカメラで、24枚撮りが倍の48枚撮影できるスグレモノでした。望遠などの機能は無かったので使い勝手が悪かったのですが、駅名標を撮影する時には併用してましたね。
私が生まれてからはフィルムの価格もかなり落ち着いてきたらしく、デミのようなカメラは徐々になくなっていったみたいです。
ただ、フィルム代は節約できても撮影枚数が多ければ現像代がかかるのは当然なので、現在のようなデジカメだと非常に経済的でありしかも劣化しにくいのでいいですね。
現在はデミも故障してしまい某通販サイト経由で手放しましたが、専門家にお買い上げしていただいたので、現在は復活して更に転売されたようです。
もちろん、復活して必要な人に使用して頂ければ嬉しい限りなので購入していただいた方に感謝ですね。
ちなみにスーパーカーブームの時には父がカウンタックとデトマソパンテーラのパネルをどこかから取り寄せてくれましたし、デトマソパンテーラのラジコンも買ってもらいましたね。今考えたらかなりの出費だったと思いますが、そんな期待に答えられなかった自分がやや不憫に思います・・・
私のカメラはキャノンAE-1プログラムでしたが、それまで使っていたキャノンデミEE-28も併用していました。
デミはフィルム節約型のカメラで、私が生まれる前の昭和40年前後のフィルムが高価だった時代に発売されたカメラで、24枚撮りが倍の48枚撮影できるスグレモノでした。望遠などの機能は無かったので使い勝手が悪かったのですが、駅名標を撮影する時には併用してましたね。
私が生まれてからはフィルムの価格もかなり落ち着いてきたらしく、デミのようなカメラは徐々になくなっていったみたいです。
ただ、フィルム代は節約できても撮影枚数が多ければ現像代がかかるのは当然なので、現在のようなデジカメだと非常に経済的でありしかも劣化しにくいのでいいですね。
現在はデミも故障してしまい某通販サイト経由で手放しましたが、専門家にお買い上げしていただいたので、現在は復活して更に転売されたようです。
もちろん、復活して必要な人に使用して頂ければ嬉しい限りなので購入していただいた方に感謝ですね。
ちなみにスーパーカーブームの時には父がカウンタックとデトマソパンテーラのパネルをどこかから取り寄せてくれましたし、デトマソパンテーラのラジコンも買ってもらいましたね。今考えたらかなりの出費だったと思いますが、そんな期待に答えられなかった自分がやや不憫に思います・・・
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/1038-0d91cde7
覚えているだけで、記録は全く無いんですよ…
あの頃は、当然フィルム時代であり、好きな車両を撮るだけしかしてなくて…
あの頃に戻れるならば、もっと色々なモノにカメラをむけたいですね。