蝦夷からアイヌへ、アゲイン 深名線① 沼牛
2022-04-09

深名線と言えば泣く子も黙る赤字ローカル線のワースト常連であり国鉄時代には美幸線等と共に1、2を争った事もある路線であるが、JRになってからも沿線道路未整備ということで90年代まで生き残った数少ないレアな路線であったのは周知の通りであろう。
全線通して直通運転する列車は無く、必ず朱鞠内で乗り換えが発生するのは豪雪地帯を走るためダイヤが乱れるのを防ぐためという公式の理由であったが、実際はどうなのであろうか。
しかしながら沿線人口がどんどん減少し、もともと希少だったと思われる沿線人口が更に減っていくのだから、旅客だけで銭儲けをするには至難の技であろう。

2017年時点で健在であった沼牛駅舎。廃止年月が1995年であるから、私から見たら比較的新しい部類に入る。1980年代には北海道乗り潰し計画を何度も立てたが、この深名線も列車本数の少なさプラス接続の悪さで乗り潰し泣かせの路線でもあった。
例えば深名線に新富という駅があったのだが、利用者僅少という事で国鉄時代に幌加内町へ駅廃止の打診をし町は沿線住民の利用者などに確認をせずにOKしたところ、廃止後に通院で駅を利用していた年配ご夫婦が孤立してしまうという現状が起きてしまったのだ。高齢化社会、過疎化など日本が抱えてる大きな問題を象徴する場面として当時話題になったらしい。
国鉄時代には果たせなかったが、近年に私も実際に現地に訪れる事ができた。もちろん「リバプールの風」になってからであるが、やはりとても山深く、よくぞこの地にレールを敷いたなと、先人の苦労に胸打たれる思いであった。
残念ながら現役時代には訪問できなかった事が悔やまれるが、ある意味深名線の偉大さが無言の叫びで車の車窓からでも伝わって来た感じであった。




昭和の風景満載の駅舎であるが、先輩たちは北国特有の気候からこの建物に何度守られた事であろう。後輩の私たちは単純に古いだけの建物に見えるかも知れないが、先輩達はこの傷だらけの守り神にたくましさを感じる事であろう。
ところで深名線であるが、歴史的には北海道でよく聞く炭鉱などの話を聞いたことがない。いや、正確には羽幌線の築別から分岐し朱鞠内で合流する「名羽(めいう)線」では石炭輸送が目的とされ、名寄~朱鞠内~築別が基本的に名羽線として建設されたので一部区間は石炭輸送も当然ながら視野に入っていたが、深名線では基本、森林資源などが主なお客様であったと思われる。しかし時代は流れ貨物が衰退してからは旅客が「お荷物」となってしまった。それでも数少ない利用者には長距離利用が多く、代行バスになってからもそのままシフトしたと思われ、数ある廃止路線の中でも深名線は長距離旅客が多いのが特徴でもあった。





レールは無いものの、プラットホームは健在であった。車が通ったと思われる轍がある意味レールのあった証のように想像力を高めてくれる。その先には開拓部落の方々の期待がたくさん込められてたはずだ。
かつては北母子里や鷹泊なとにも列車交換設備があったが、晩年は幌加内と朱鞠内のみになり、極力経費削減をしていたイメージであった。しかし時代の波には勝てず、1990年代に入りとうとう力尽きてしまったのは残念な話であろう。ただ、営業最終日までワンマン化されず車掌が乗車していたのは特筆すべき事で、現在の地方鉄道では当たり前の光景であるワンマン運転が赤字ワーストの深名線に導入されなかったのは逆にワンマン化に対応する設備投資を抑える為であろうと考えられる。恐らくCTC化もされず、交換駅である朱鞠内と幌加内は終日職員がポイント操作を行っていたと思われる。つまり昔の国鉄がそのままJR後も続いていたわけなのだ。
さて、沼牛の現在は…ご覧の通り駅舎が現存しホームもあった。ホーム前の轍(わだち)に鉄道の歴史を感じる事ができるのは嬉しい材料であるが、とにかく旅客を主体にする運営には向いている事を否定せざるを得ない風景であった。周囲には若干ながらの集落を形成しているが、使用されていないであろう建物も少なくなく、鉄道の歴史だけが淡々と輝いている沼牛訪問であった。

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コメント
にわか者様
コメントありがとうございます!
そうなんです。白糠線には間に合っているのになぜか深名線は未乗のまま葬り去られてしまいました。
レールファン休業時代が悔やまれますが、それでも深名線は独特の雰囲気を醸し出していますね。
ただ、JRカラーの気動車はややお似合いとは言えないイメージで、やはり国鉄カラーが一番ですね。
ところで…沼牛を利用なされている地元の方のエピソードは、乗務員が車を手配されたということですから恐らくにわか者さんが心配なされている事柄は問題なくクリアできている事と思われます。除雪なども対応がされている上でのお客様対応だと思われますので、きっと明るい結果が待っていた事でしょう。
私の場合も夜行列車での新庄下車を乗り過ごし、運転停車の山形で下車させていただいた経験があるので、当時はかなり叩かれていた国鉄やJR化後でもお客様対応は素晴らしいと思います。もちろん、叩かれていたのは一部の職員対応だと思われそれが国鉄全体なイメージになってしまうのは残念ですが、やはり困った時の対応には感謝ですね。
しかし…本当に無事たどり着いていて欲しいですね。
そうなんです。白糠線には間に合っているのになぜか深名線は未乗のまま葬り去られてしまいました。
レールファン休業時代が悔やまれますが、それでも深名線は独特の雰囲気を醸し出していますね。
ただ、JRカラーの気動車はややお似合いとは言えないイメージで、やはり国鉄カラーが一番ですね。
ところで…沼牛を利用なされている地元の方のエピソードは、乗務員が車を手配されたということですから恐らくにわか者さんが心配なされている事柄は問題なくクリアできている事と思われます。除雪なども対応がされている上でのお客様対応だと思われますので、きっと明るい結果が待っていた事でしょう。
私の場合も夜行列車での新庄下車を乗り過ごし、運転停車の山形で下車させていただいた経験があるので、当時はかなり叩かれていた国鉄やJR化後でもお客様対応は素晴らしいと思います。もちろん、叩かれていたのは一部の職員対応だと思われそれが国鉄全体なイメージになってしまうのは残念ですが、やはり困った時の対応には感謝ですね。
しかし…本当に無事たどり着いていて欲しいですね。
にわか者様
追記です。
文中に出てきました「新庄下車を乗り過ごし・・・」について詳細な記事にさせていただいてます。
ご覧になられたかと思われますが、改めてご紹介いたしましょう。
http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-341.html
文中に出てきました「新庄下車を乗り過ごし・・・」について詳細な記事にさせていただいてます。
ご覧になられたかと思われますが、改めてご紹介いたしましょう。
http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-341.html
これは読んだ覚えがありますね。
しかし、私のコメントなしか…
何らかのコメントを残した記憶があったのですが…
まさか、異次元の世界で貴殿のブログを拝見していたとでも言うのだろうか…
しかし、私のコメントなしか…
何らかのコメントを残した記憶があったのですが…
まさか、異次元の世界で貴殿のブログを拝見していたとでも言うのだろうか…
にわか者様
コメントありがとうございます。
「お分かり頂けただろうか?」
偶然ではありますが、昨日久々に「本当にあった~」を視てしまいました。
「久々に」とあえて言ってしまうくらいに久々でやや懐かしかったのですが、キャストの「うぉんたん」以外は殆ど変わっており、なかなか異動の多い職場だなと感じました。
しかしながら新庄での乗り過ごしは30年以上経った現在でも当時の様子がしっかり記憶があるくらいのインパクトある出来事でした。車掌室に入ってから山形までの時間は恐らく5~10分くらいだたと思いますが私には30分以上の長い時間に感じました。
臨時列車である急行「おが」も運良く運転されていた事もありある意味ラッキーでしたが、当時の国鉄職員に感謝ですね。
「お分かり頂けただろうか?」
偶然ではありますが、昨日久々に「本当にあった~」を視てしまいました。
「久々に」とあえて言ってしまうくらいに久々でやや懐かしかったのですが、キャストの「うぉんたん」以外は殆ど変わっており、なかなか異動の多い職場だなと感じました。
しかしながら新庄での乗り過ごしは30年以上経った現在でも当時の様子がしっかり記憶があるくらいのインパクトある出来事でした。車掌室に入ってから山形までの時間は恐らく5~10分くらいだたと思いますが私には30分以上の長い時間に感じました。
臨時列車である急行「おが」も運良く運転されていた事もありある意味ラッキーでしたが、当時の国鉄職員に感謝ですね。
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さて、沼牛ですが…ちょっとした思い出があります。
JRになってからですが、深川から始発に乗った時のことです。
発車間際に老婆が駆け込み乗車?←実際はヨタヨタと入ったきた(^_^;)してきました。
そして、発車してしばらくして車掌?途中で降りていく駅長?に、「沼牛には、いつつきますか?」と尋ねている…
私は耳を疑った(゚д゚)!沼牛は停まらないよ…
当時は既に始発は各停ではない時代で、しかも季節は真冬…一体どうするんだ???と、他人事ながら老婆の先行きがどうにも気になりまして…車内では、沼牛で降りたい。沼牛で、沼牛でと、繰り返す老婆の声が…JRの人は、沼牛には停まりませんと繰り返すのみ…
で、結局はどこの駅かは覚えてないのですが、タクシーを手配したので、そこで降りてくださいと言っていました。
しかし…私はまたまた疑問が生じてしまいます。
道は除雪されているのか???
本当にタクシーが走れる状態なのか???
タクシーを待つのに何時間かかるのかとか…
もう30年ほど経ちましたが、あの時の老婆、無事に沼牛に着けたのだろうか?と、いまだに気になって仕方がないのです…
それともう一つ、この老婆が沼牛に停車しないことを知っていれば…乗客は私一人だったんだよなあ…