夏色のダイアリー ~寝台特急「富士」の思い出~ もっとワイドにリメイク版⑤
2022-07-16
下関ではこれより海底トンネルを通過するため、専用の電気機関車に交換する作業が発生する、という表現は既に時代を感じる部類となってしまったが、もちろん乗客や地元の方々のギャラリー多数によりセレモニーは敢行されるわけである。関門トンネルで付け替えられる機関車は主に2種類の専用機関車がいた。EF81とEF30である。

画像はウィキペディアより。関門トンネル専用のEF30は数々の列車を牽引してきた。1978年に私が乗車した「富士」を牽引したのもこのEF30であった。
正確にいえばEF81は300番台であるが、あのステンレス的なきらめきが何ともたまらなかった。特に70年代後半まで活躍した14系客車のオール座席夜行急行列車「阿蘇」「くにさき」がEF81に牽引されている姿がえらいカッコよくコロタン文庫に掲載されていのを見てメチャクチャ感動していた当時小学生だったので、その想いもかなり深い。もちろん私はEF81がやって来るのが当たり前田のクラッカーだったのだが…姿を現したのは何とEF30であった…
別にEF30が嫌いとかではないのだが、期待し過ぎていただけに、若干の落胆を隠せずにいただけなのだ。私は気を取り直して被写体に向けシャッターを切り続けたのであった(EF30ファンの方、ごめんなさいネ)。

画像はウィキペディアより。こちらがEF30とともに活躍したEF81。コロタン文庫発行の鉄道書籍に急行「阿蘇」を牽引する写真が載っていたのが小学生当時もの凄く印象的であった。関門トンネル専用は300番台で、ステンレス製のボディがかっこいい!「富士」乗車当日はこちらのEF81が来るのを期待していたのだが・・・
ところで今回の旅は先述通り夏休みのため平日でもギャラリーの年齢層は低いのだが、それでも当時の私と同世代のギャラリーたちは私より遥かに高価なイメージのカメラを持っており、キャノンデミEE28の私はやや引けをとってしまった・・・が、間もなく機関車付け替えがはじまり、有名タレントの記者会見のようなフラッシュの数々を浴びながら、私も記者会見クルーのひとりとなりシャッターを切り続けた。
さて、関門トンネルを抜けると門司に着く。関門トンネル、下関、門司、九州…何もかもが初体験なので休む暇がない。ただ、小学生だったので地方の鉄道に関しての知識はそれほど無く、また古い駅舎や車両の価値なども全くわからないのだが、とにかく今乗っている「富士」が楽しくて仕方がない。下関や門司ではトンネル前後の果てしなく複雑な配線を解読するのにいそがしかった。

画像はダイナミック✡トナカイ提供のED76である。恐らく門司での撮影と思われるが、現在は新幹線の愛称として親しまれている列車名もかつてはブルートレインとして活躍していた。私の乗った「富士」も門司でED76に機関車を交換し、小倉より日豊本線経由で西鹿児島を目指す。
門司でも勿論機関車交換が行われギャラリーたちは休む暇が無いのだが、その前に、確か門司ではデッドセクションがあったはず。まぁ、電源車が連結されているので一瞬証明が消える的な事は起こらないであろうが、せっかくなので体験してみたかった。そう、九州に入ると電化区間が直流から交流に変わるのだ。つまり門司からは交流機関車のED76になるのだ!もちろん、当時相模線沿線住民だった私にはほとんど馴染みがない交流区間のため興味津々だ。などと言っても電気的な知識はほとんど無いため車体のデザインや首都圏ではお目にかかれない珍しさでつい興奮してしまう。そんな機関車に引かれながら、小倉より日豊本線経由で西鹿児島へ目指す事になる。

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村

画像はウィキペディアより。関門トンネル専用のEF30は数々の列車を牽引してきた。1978年に私が乗車した「富士」を牽引したのもこのEF30であった。
正確にいえばEF81は300番台であるが、あのステンレス的なきらめきが何ともたまらなかった。特に70年代後半まで活躍した14系客車のオール座席夜行急行列車「阿蘇」「くにさき」がEF81に牽引されている姿がえらいカッコよくコロタン文庫に掲載されていのを見てメチャクチャ感動していた当時小学生だったので、その想いもかなり深い。もちろん私はEF81がやって来るのが当たり前田のクラッカーだったのだが…姿を現したのは何とEF30であった…
別にEF30が嫌いとかではないのだが、期待し過ぎていただけに、若干の落胆を隠せずにいただけなのだ。私は気を取り直して被写体に向けシャッターを切り続けたのであった(EF30ファンの方、ごめんなさいネ)。

画像はウィキペディアより。こちらがEF30とともに活躍したEF81。コロタン文庫発行の鉄道書籍に急行「阿蘇」を牽引する写真が載っていたのが小学生当時もの凄く印象的であった。関門トンネル専用は300番台で、ステンレス製のボディがかっこいい!「富士」乗車当日はこちらのEF81が来るのを期待していたのだが・・・
ところで今回の旅は先述通り夏休みのため平日でもギャラリーの年齢層は低いのだが、それでも当時の私と同世代のギャラリーたちは私より遥かに高価なイメージのカメラを持っており、キャノンデミEE28の私はやや引けをとってしまった・・・が、間もなく機関車付け替えがはじまり、有名タレントの記者会見のようなフラッシュの数々を浴びながら、私も記者会見クルーのひとりとなりシャッターを切り続けた。
さて、関門トンネルを抜けると門司に着く。関門トンネル、下関、門司、九州…何もかもが初体験なので休む暇がない。ただ、小学生だったので地方の鉄道に関しての知識はそれほど無く、また古い駅舎や車両の価値なども全くわからないのだが、とにかく今乗っている「富士」が楽しくて仕方がない。下関や門司ではトンネル前後の果てしなく複雑な配線を解読するのにいそがしかった。

画像はダイナミック✡トナカイ提供のED76である。恐らく門司での撮影と思われるが、現在は新幹線の愛称として親しまれている列車名もかつてはブルートレインとして活躍していた。私の乗った「富士」も門司でED76に機関車を交換し、小倉より日豊本線経由で西鹿児島を目指す。
門司でも勿論機関車交換が行われギャラリーたちは休む暇が無いのだが、その前に、確か門司ではデッドセクションがあったはず。まぁ、電源車が連結されているので一瞬証明が消える的な事は起こらないであろうが、せっかくなので体験してみたかった。そう、九州に入ると電化区間が直流から交流に変わるのだ。つまり門司からは交流機関車のED76になるのだ!もちろん、当時相模線沿線住民だった私にはほとんど馴染みがない交流区間のため興味津々だ。などと言っても電気的な知識はほとんど無いため車体のデザインや首都圏ではお目にかかれない珍しさでつい興奮してしまう。そんな機関車に引かれながら、小倉より日豊本線経由で西鹿児島へ目指す事になる。

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
にわか者様
コメントありがとうございます。
き、貴重な体験でしたか!確かに・・・
それでも当時はEF81ではなかった機関車にやや落胆を隠せなかったですね・・・
あの「特急・急行大百科」に掲載されていた急行「阿蘇」のキラキラ光るEF81の車体を見てしまった当時は、ウルトラマンや仮面ライダーよりも格好良く力強く見えました!もはやEF81は私にとって「ヒーロー」でしたから。
それでも現在も現役でいらっしゃるという事はとても素敵ですよね?
ローズピンクは似合わない、キンキラのステンレスでないとやはり「ヒーロー」の貫禄がやや薄く感じますね。
き、貴重な体験でしたか!確かに・・・
それでも当時はEF81ではなかった機関車にやや落胆を隠せなかったですね・・・
あの「特急・急行大百科」に掲載されていた急行「阿蘇」のキラキラ光るEF81の車体を見てしまった当時は、ウルトラマンや仮面ライダーよりも格好良く力強く見えました!もはやEF81は私にとって「ヒーロー」でしたから。
それでも現在も現役でいらっしゃるという事はとても素敵ですよね?
ローズピンクは似合わない、キンキラのステンレスでないとやはり「ヒーロー」の貫禄がやや薄く感じますね。
特急急行大百科を見てみました。
たしかにピカピカの姿が掲載されていますね。
貴殿は81派なんですね。実は…私は30派なんですよ(^_^;)
ただ、近年になりますと81の銀釜が撮りたくて、九州まで出かけていますがね。
たしかにピカピカの姿が掲載されていますね。
貴殿は81派なんですね。実は…私は30派なんですよ(^_^;)
ただ、近年になりますと81の銀釜が撮りたくて、九州まで出かけていますがね。
にわか者様
いつもコメントありがとうございます❕
なるほど、九州までわざわざ足を伸ばされるとは、さすがですね。そういえば10年くらい前に門司港のトロッコ乗った時だったかで、懐かしい車両や機関車が停まっていたところを通りましたが、もちろんステンレス81もいましたよ。帰りに寄りたかったのですが、私も次の汽車の時間か何かありまして…
やはり関門トンネルの機関車交換はレールファンにとってはどの機関車が来てもスペシャルな時間でしたね。経営者側からすれば経費と稼働がかかってしまい、それこそ経営的につらい部分だったでしょう…と、大人になったらこうした余計な事をかんがえてしまうので、変な雑念が無くピュアに楽しめないのかも知れませんね。
しかしながら、やはり今になってこうして81や30など昭和の風景を見ると時の経つのを忘れてしまうということは、やはり理屈抜きで国鉄が好きだという事でしょうかね。
なるほど、九州までわざわざ足を伸ばされるとは、さすがですね。そういえば10年くらい前に門司港のトロッコ乗った時だったかで、懐かしい車両や機関車が停まっていたところを通りましたが、もちろんステンレス81もいましたよ。帰りに寄りたかったのですが、私も次の汽車の時間か何かありまして…
やはり関門トンネルの機関車交換はレールファンにとってはどの機関車が来てもスペシャルな時間でしたね。経営者側からすれば経費と稼働がかかってしまい、それこそ経営的につらい部分だったでしょう…と、大人になったらこうした余計な事をかんがえてしまうので、変な雑念が無くピュアに楽しめないのかも知れませんね。
しかしながら、やはり今になってこうして81や30など昭和の風景を見ると時の経つのを忘れてしまうということは、やはり理屈抜きで国鉄が好きだという事でしょうかね。
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/1060-890d7049
EF81の300番台ですが、今でも1両ではありますが、九州内で貨物を牽引してますよ。
一方EF30はもう残っていません。
それを考えると、貴殿は貴重な体験をしたかと?
私もはやぶさや富士はEF30でしたよ。
ホームで撮影した写真が残っています。
あと、EF30の前にEF10のステンレスのヤツがいたのですが、後に茶色に塗られて我が飯田線で活躍してましたよ。
EF81の300番台もローズピンクに塗られて常磐線に転属したのもいましたね。