夏色のダイアリー ~寝台特急「富士」の思い出~ もっと細かくリメイク版⑩
2022-08-20
小学生がブルートレインに乗って東京から西鹿児島にやってくる…これは凄い事だ。本当にとんでもない事が始まり、そして終えようとしていた。もちろん、親も同伴だが…
「ご乗車お疲れ様でした。次は終点西鹿児島です。どちら様もお忘れものなどございませんようご注意ください。お乗り換えのご案内をいたします。伊集院、川内方面…」

ようやく西鹿児島に到着した。このブログに再再々登場くらいの写真で申し訳ないがこれは到着翌日に撮影した記憶である。現在は新幹線が到達して駅の様子が全く変わってしまったが、ホームへ行くと意外にも昔の面影が残っている場面も少なくない。
最後のアナウンスが流れた。窓には留置線であろうか、やたらたくさんの列車が停まっている。アナウンスが終わってもなかなか西鹿児島のホームに着かない。波打つレールの分岐は果てしなく広がっていた。やはり西鹿児島はブルートレインの終点なのだから物凄く格式高い大きな駅なのだなと子供ながらに感じた。西鹿児島という駅名はコロタン文庫の書籍にもしょっちゅう出てくる駅だからとても大きく、到達するまでの距離感に納得してしまう。だが、西鹿児島へのプロローグという事は、寝台特急「富士」の終着駅というエピローグでもある。


「富士」を下車した私たち御一行は、更に本日の宿がある指宿へと目指した。指宿枕崎線の当時は冷房等無かった記憶であるが、それほど暑さを感じた記憶が無い。海辺へ出て砂風呂を楽しみたかったが・・・実現したのはそれから32年後の2010年であった。
西鹿児島のホームに生まれて初めて足を踏み入れた。首都圏と比べやや低いホームは車両のステップより更にもう一段降りるイメージで、首都圏の高さあるプラットホームに慣れてしまっている私からすればかなりの違和感を感じる。特に九州に入ってから気付いたのだが、こちらはやたらプラットホームの高さが低い。数々の写真をご覧いただければわかると思うが、車両の下部にある車輪などが見えるくらいしか高さが無い。恐らくSL時代から続く設備であろうが、列車に乗るにはかなり段差があり、現在の鉄道風景とはかなり異なる。もちろんバリアフリーなどの単語をほとんど聞かない時代であるから、当時はかなり大変な思いをされている利用者も少なくなかったであろう。現在は在来線ホームの真上を新幹線が通るようになり、近代的な駅に生まれ変わった。在来線ホームも嵩上げされホームと列車の段差がほぼなくなった。
そんなプラットホームに時代を感じながら私たちの御一行は更に南の「薩摩富士」目指し、指宿枕崎線の待つホームに足を急がせた。

こちらも散々このブログで登場しているが「富士」下車の翌日に撮影したDC版「にちりん」である。今回の旅で私たちは583系の有明に乗り熊本を目指したが、ちょうど向かいのホームに停車していた。その奥には更に583系が留置されており、昼夜問わず活躍していた事を象徴させる。
1978年8月21日、ブルートレインの旅は終わった。あれだけ憧れていたブルートレインに初めて乗車した感動と喜び。茅ヶ崎駅のホーム先端から写真を撮ったり相模線ホームから通過シーンを見ていたり…そしてこの「富士」の体験を皮切りに翌年の583系「ゆうづる」へと発展していき、やがて遠距離を仲間やひとりで旅をする事になっていく事になり私の旅は進化を遂げていった。
一夜明け「富士」から初めて見る九州の風景。車窓からは風光明媚な彩りが私を引き付けて止まなかった。それはもちろん大自然の景色ではなく、鉄道風景である。24時間26分…もし現存したらあなたはこの24時間26分のサバイバルに挑戦したいと思いますか?

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「ご乗車お疲れ様でした。次は終点西鹿児島です。どちら様もお忘れものなどございませんようご注意ください。お乗り換えのご案内をいたします。伊集院、川内方面…」

ようやく西鹿児島に到着した。このブログに再再々登場くらいの写真で申し訳ないがこれは到着翌日に撮影した記憶である。現在は新幹線が到達して駅の様子が全く変わってしまったが、ホームへ行くと意外にも昔の面影が残っている場面も少なくない。
最後のアナウンスが流れた。窓には留置線であろうか、やたらたくさんの列車が停まっている。アナウンスが終わってもなかなか西鹿児島のホームに着かない。波打つレールの分岐は果てしなく広がっていた。やはり西鹿児島はブルートレインの終点なのだから物凄く格式高い大きな駅なのだなと子供ながらに感じた。西鹿児島という駅名はコロタン文庫の書籍にもしょっちゅう出てくる駅だからとても大きく、到達するまでの距離感に納得してしまう。だが、西鹿児島へのプロローグという事は、寝台特急「富士」の終着駅というエピローグでもある。


「富士」を下車した私たち御一行は、更に本日の宿がある指宿へと目指した。指宿枕崎線の当時は冷房等無かった記憶であるが、それほど暑さを感じた記憶が無い。海辺へ出て砂風呂を楽しみたかったが・・・実現したのはそれから32年後の2010年であった。
西鹿児島のホームに生まれて初めて足を踏み入れた。首都圏と比べやや低いホームは車両のステップより更にもう一段降りるイメージで、首都圏の高さあるプラットホームに慣れてしまっている私からすればかなりの違和感を感じる。特に九州に入ってから気付いたのだが、こちらはやたらプラットホームの高さが低い。数々の写真をご覧いただければわかると思うが、車両の下部にある車輪などが見えるくらいしか高さが無い。恐らくSL時代から続く設備であろうが、列車に乗るにはかなり段差があり、現在の鉄道風景とはかなり異なる。もちろんバリアフリーなどの単語をほとんど聞かない時代であるから、当時はかなり大変な思いをされている利用者も少なくなかったであろう。現在は在来線ホームの真上を新幹線が通るようになり、近代的な駅に生まれ変わった。在来線ホームも嵩上げされホームと列車の段差がほぼなくなった。
そんなプラットホームに時代を感じながら私たちの御一行は更に南の「薩摩富士」目指し、指宿枕崎線の待つホームに足を急がせた。

こちらも散々このブログで登場しているが「富士」下車の翌日に撮影したDC版「にちりん」である。今回の旅で私たちは583系の有明に乗り熊本を目指したが、ちょうど向かいのホームに停車していた。その奥には更に583系が留置されており、昼夜問わず活躍していた事を象徴させる。
1978年8月21日、ブルートレインの旅は終わった。あれだけ憧れていたブルートレインに初めて乗車した感動と喜び。茅ヶ崎駅のホーム先端から写真を撮ったり相模線ホームから通過シーンを見ていたり…そしてこの「富士」の体験を皮切りに翌年の583系「ゆうづる」へと発展していき、やがて遠距離を仲間やひとりで旅をする事になっていく事になり私の旅は進化を遂げていった。
一夜明け「富士」から初めて見る九州の風景。車窓からは風光明媚な彩りが私を引き付けて止まなかった。それはもちろん大自然の景色ではなく、鉄道風景である。24時間26分…もし現存したらあなたはこの24時間26分のサバイバルに挑戦したいと思いますか?

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コメント
にわか者様
コメントありがとうございます。
なるほど、21世紀生まれですか。当然ながら「国鉄」という単語は知らない世界だったのではないでしょうか。「夜に走る列車」の免疫も恐らく無いであろうと思われ「サンライズ」が異質に感じるのではないでしょうか。
もちろん、現代においては「瑞風」などの豪華寝台列車は存在しますが、あくまで定期便にこだわって、彼には「24時間26分」をぜひ挑戦してもらいたいですね。
ちなみに私は北斗星のロイヤルも体験してますが、やはり彼には「二段ハネ」または寝台車の583系中段辺りをお勧めします❕
なるほど、21世紀生まれですか。当然ながら「国鉄」という単語は知らない世界だったのではないでしょうか。「夜に走る列車」の免疫も恐らく無いであろうと思われ「サンライズ」が異質に感じるのではないでしょうか。
もちろん、現代においては「瑞風」などの豪華寝台列車は存在しますが、あくまで定期便にこだわって、彼には「24時間26分」をぜひ挑戦してもらいたいですね。
ちなみに私は北斗星のロイヤルも体験してますが、やはり彼には「二段ハネ」または寝台車の583系中段辺りをお勧めします❕
もう定期列車で24時間を超えて走るのは出てこないでしょうね。
これに乗れた貴殿が羨ましすぎます!
さらに白糠線まで乗車されているとは…
まさに同い年のレジェンドであります。
これに乗れた貴殿が羨ましすぎます!
さらに白糠線まで乗車されているとは…
まさに同い年のレジェンドであります。
にわか者様
コメントありがとうございます。
そうですね、24時間走る列車が現存したら逆に怖いですよね。もちろん豪華列車とかではなくて定期便の列車という事で。
確かに私は白糠線には行きましたが、それ以上ににわか者さんは国鉄時代に私の乗っていない路線もたくさん訪問されていてとても素敵な、そして貴重な経験されていると思いますよ。
ただ、お互いに当時は若かったですから、それこそ当時の車両や駅風景が将来貴重になるとはなんとなくわかっていたものの、今になって改めて貴重だったんだなと肌身で感じますね。
そうですね、24時間走る列車が現存したら逆に怖いですよね。もちろん豪華列車とかではなくて定期便の列車という事で。
確かに私は白糠線には行きましたが、それ以上ににわか者さんは国鉄時代に私の乗っていない路線もたくさん訪問されていてとても素敵な、そして貴重な経験されていると思いますよ。
ただ、お互いに当時は若かったですから、それこそ当時の車両や駅風景が将来貴重になるとはなんとなくわかっていたものの、今になって改めて貴重だったんだなと肌身で感じますね。
富士が宮崎止まりになってしまった時の衝撃がいまだに忘れられません…
私にとっては大きな出来事でありました。
白糠線については、何かの誌面でみた北進駅の風景に魅了され、絶対に行きたいと思ったのですが…これも果たすことができず…
車両に興味を持って行動していた私が、たった一枚の写真を見たことで、まったく趣味の対象でなかったこの終着駅へ行きたいと思ってしまったワケです。
これぞプロのウデとでもいうのだろうか…
自分もこういう写真が撮りたいと思ったのですが…
いまだに駄作を量産しに全国へでかけております…
富士と白糠線は叶えられなかった永遠の夢であります。
私にとっては大きな出来事でありました。
白糠線については、何かの誌面でみた北進駅の風景に魅了され、絶対に行きたいと思ったのですが…これも果たすことができず…
車両に興味を持って行動していた私が、たった一枚の写真を見たことで、まったく趣味の対象でなかったこの終着駅へ行きたいと思ってしまったワケです。
これぞプロのウデとでもいうのだろうか…
自分もこういう写真が撮りたいと思ったのですが…
いまだに駄作を量産しに全国へでかけております…
富士と白糠線は叶えられなかった永遠の夢であります。
にわか者様
コメントありがとうございます。
なるほど、宮崎止まりですか。懐かしいですが、確かその頃に「彗星」も都城止まりが南宮崎止まりに変更されたような記憶があります。しかし「富士」は伝統を守りしばらくの間宮崎止まりを貫いたイメージでしたね。JR化後は南宮崎に変更されましたが、その後は我々が想像もしなかった「はやぶさ」との併結で晩年を迎え大分止まりに変更されたのは意外にも記憶に新しいイメージです。
一方の白糠線ですが、正直、詳細な記憶がそれほど多くなく、むしろ当時開通して間もない石勝線に俄然興味があり、夕張線に特急が走る姿と超秘境区間に連なる信号場の数々がとても斬新で、白糠線制覇後「おおぞら」に乗り昼間の新得~新夕張を確認できた喜びの方が当時は大きかったです。
白糠線は営業期間的に短命だったので、地元の方で乗車経験がある方ってとても貴重だと思いますし、白糠線以外に北海道の数々の廃止路線を経験なされたにわか者さんもかなりの強者ですよ!
なるほど、宮崎止まりですか。懐かしいですが、確かその頃に「彗星」も都城止まりが南宮崎止まりに変更されたような記憶があります。しかし「富士」は伝統を守りしばらくの間宮崎止まりを貫いたイメージでしたね。JR化後は南宮崎に変更されましたが、その後は我々が想像もしなかった「はやぶさ」との併結で晩年を迎え大分止まりに変更されたのは意外にも記憶に新しいイメージです。
一方の白糠線ですが、正直、詳細な記憶がそれほど多くなく、むしろ当時開通して間もない石勝線に俄然興味があり、夕張線に特急が走る姿と超秘境区間に連なる信号場の数々がとても斬新で、白糠線制覇後「おおぞら」に乗り昼間の新得~新夕張を確認できた喜びの方が当時は大きかったです。
白糠線は営業期間的に短命だったので、地元の方で乗車経験がある方ってとても貴重だと思いますし、白糠線以外に北海道の数々の廃止路線を経験なされたにわか者さんもかなりの強者ですよ!
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ところで、今年度から職場に新人が入ったんですが、まさかの21世紀生まれ!
彼はテツなのでテツ談議もよくするのですが、ジェネレーションギャップがアリアリでして…
恐る恐る九州ブルトレの話をしたら…知らない…
まさかと思い、西鹿児島駅の話をしたら…これまた知らないとのこと…
こんな時代になってしまったとは…