風は秋色・・・秘境駅への招待⑤
2022-09-24
某大手飲食店より意外に距離があった豊橋駅に戻った私たちは飯田線のホームへ。国鉄からJRに変わって初めて訪問する豊橋の風景は、ホームなどがリニューアルされているものの、名鉄とJRで共用しているので若干の違和感と昔のままの風景が融合され不思議な空間を産みだしていた。
豊橋では名鉄は普通列車はやって来ない。それは恐らく豊橋の列車処理能力によると思われるが、もし高架化され名鉄とJRが分断されればまた違った方向性になろうが、今はまだ昔の名残を留めたまま時が過ぎていくイメージなので歴史を知る上では非常に貴重な存在であろう。

(再掲載で申し訳ないが、同じ日の同じ時間帯に私が撮影した名鉄の名車である。当時の小田急ロマンスカーにかなり近いデザインであるが、飯田線と肩を並べるとものすごい風景になった。もちろん地元の方にとっては日常の風景であったろうが・・・)
そんな歴史も知らず、ただ秘境駅の訪問を楽しみにしている今回の旅に同行する相方とはバンド活動を通じて知り合ったわけであるが、現在では、いや、もう既にこの飯田線の旅の時点で音楽家同士の絡みはほぼなくなっていた。昔の私を引っ張りだし、私にレールファンを復活させた彼は、そんなことお構い無しに到着した119系の開いた扉に消えていった。
この飯田線車両119系は、私がレールファン全盛期であった1982年頃に当時の旧型車両との置き換えにより新造された車両で、誕生当時は飯田線にセンセーショナルを巻き起こした。当時は水色の車体に白の帯であったが、今回の訪問ではJR東海カラーに染められ新しい印象の119系もいつしかベテランの域に達していた。

飯田線と名鉄は平井信号場まで共用する。共用区間には「鉄道公安官(というドラマが昔ありました!)」のオープニング~後にエンディングに登場する鉄橋がある(にわか者様の情報提供!)が、平井信号場のすぐ手前にある。
既に空は明るく、これから更に強い日差しに進化するだろうと簡単に予測できてしまうほどの晴天に恵まれた豊橋のホームは、「チャレンジ20000km」の時に訪問した時よりかなりきれいにリニューアルされたが、現在も続く名鉄の共用に懐かしさを感じてしまう。やってきた119系の涼しい車内では先程まで滞在していた飲食店でいただいたアルコール入り清涼飲料水のお陰で心地よい眠りについてしまうであろうと思っていたが、何故だか私はある一定量以上飲むと酔いすらまわらない体質のためしっかりと飯田線を堪能できそうだ。いよいよ秘境駅へ向け出発である。ところで…
「いい旅チャレンジ20000km」キャンペーン中に私は飯田線と身延線を制覇した事になっている。しかし私はこのシリーズの冒頭で「飯田線は初めて」と記した。矛盾している表記しているのだが、何故…

飯田線はかつて民営鉄道(現在もであるが)の名残からか駅間距離が短い。某全駅下車トラベルライターはこの飯田線の駅のすべてに下車したという事であるからものすごい精神力と体力である!
告白しよう。「いい旅~」の制覇路線を証明する際には起点と終点の証明写真が必要となる。事務局に証明写真を送れば制覇の証となる路線名と区間が記された赤いシールが送られてくる。もちろん、その時点で制覇となるのだが・・・
おわかりいたたけただろうか。つまり「チャレンジ」では乗る、乗らないは別として証明写真だけあれば良い話なので証明写真のみの「制覇」となっていたのだ。ただ、公的には「制覇」であっても本当の自分は嘘をつけない。やはり心のどこかにずっと引っかかっており、こうした「嘘」を後に引きずるのに嫌気が差していた。そんな事もあって段々と普段の生活にもこのような事を否定する行為を取り入れてきた。すると、何故だかスッキリする自分がいるではないか!
であるから、こうした過去の自分を悔み、そして深い反省と共に今回の旅においてそうした自分を精算する意味でもこの旅は必要だったのであろう。ある意味、相方は私の救世主だったのかも知れない。

意外にも飯田線沿線には温泉場も少なくない。別府や熱海ほど派手ではないが、一人旅などでひっそりと過ごすには最適なのかも知れない。
そんな思いを胸に、本当に意味での私の飯田線制覇はここから始まる。当然ながら「初」飯田線に見る風景はもちろん新鮮。まだ夜が明けきらぬ空の向こうでは太陽が今か今かと出番を待っているように僅かな光を見せ始めた。ただ、残念ながら旧型車両の宝庫全盛期に訪問しなかった自分を悔やむところであるが、今更過去は取り戻せない。せめて現在の飯田線が魅せてくれる風景を存分に楽しまなければ未来の自分が後悔する事であろう。
共用区間を過ぎ飯田線らしい駅名が続く中、途中の水窪で暫くの停車時間があった。というよりなかなか出発しない。一体何があったのか…

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
豊橋では名鉄は普通列車はやって来ない。それは恐らく豊橋の列車処理能力によると思われるが、もし高架化され名鉄とJRが分断されればまた違った方向性になろうが、今はまだ昔の名残を留めたまま時が過ぎていくイメージなので歴史を知る上では非常に貴重な存在であろう。

(再掲載で申し訳ないが、同じ日の同じ時間帯に私が撮影した名鉄の名車である。当時の小田急ロマンスカーにかなり近いデザインであるが、飯田線と肩を並べるとものすごい風景になった。もちろん地元の方にとっては日常の風景であったろうが・・・)
そんな歴史も知らず、ただ秘境駅の訪問を楽しみにしている今回の旅に同行する相方とはバンド活動を通じて知り合ったわけであるが、現在では、いや、もう既にこの飯田線の旅の時点で音楽家同士の絡みはほぼなくなっていた。昔の私を引っ張りだし、私にレールファンを復活させた彼は、そんなことお構い無しに到着した119系の開いた扉に消えていった。
この飯田線車両119系は、私がレールファン全盛期であった1982年頃に当時の旧型車両との置き換えにより新造された車両で、誕生当時は飯田線にセンセーショナルを巻き起こした。当時は水色の車体に白の帯であったが、今回の訪問ではJR東海カラーに染められ新しい印象の119系もいつしかベテランの域に達していた。

飯田線と名鉄は平井信号場まで共用する。共用区間には「鉄道公安官(というドラマが昔ありました!)」のオープニング~後にエンディングに登場する鉄橋がある(にわか者様の情報提供!)が、平井信号場のすぐ手前にある。
既に空は明るく、これから更に強い日差しに進化するだろうと簡単に予測できてしまうほどの晴天に恵まれた豊橋のホームは、「チャレンジ20000km」の時に訪問した時よりかなりきれいにリニューアルされたが、現在も続く名鉄の共用に懐かしさを感じてしまう。やってきた119系の涼しい車内では先程まで滞在していた飲食店でいただいたアルコール入り清涼飲料水のお陰で心地よい眠りについてしまうであろうと思っていたが、何故だか私はある一定量以上飲むと酔いすらまわらない体質のためしっかりと飯田線を堪能できそうだ。いよいよ秘境駅へ向け出発である。ところで…
「いい旅チャレンジ20000km」キャンペーン中に私は飯田線と身延線を制覇した事になっている。しかし私はこのシリーズの冒頭で「飯田線は初めて」と記した。矛盾している表記しているのだが、何故…

飯田線はかつて民営鉄道(現在もであるが)の名残からか駅間距離が短い。某全駅下車トラベルライターはこの飯田線の駅のすべてに下車したという事であるからものすごい精神力と体力である!
告白しよう。「いい旅~」の制覇路線を証明する際には起点と終点の証明写真が必要となる。事務局に証明写真を送れば制覇の証となる路線名と区間が記された赤いシールが送られてくる。もちろん、その時点で制覇となるのだが・・・
おわかりいたたけただろうか。つまり「チャレンジ」では乗る、乗らないは別として証明写真だけあれば良い話なので証明写真のみの「制覇」となっていたのだ。ただ、公的には「制覇」であっても本当の自分は嘘をつけない。やはり心のどこかにずっと引っかかっており、こうした「嘘」を後に引きずるのに嫌気が差していた。そんな事もあって段々と普段の生活にもこのような事を否定する行為を取り入れてきた。すると、何故だかスッキリする自分がいるではないか!
であるから、こうした過去の自分を悔み、そして深い反省と共に今回の旅においてそうした自分を精算する意味でもこの旅は必要だったのであろう。ある意味、相方は私の救世主だったのかも知れない。

意外にも飯田線沿線には温泉場も少なくない。別府や熱海ほど派手ではないが、一人旅などでひっそりと過ごすには最適なのかも知れない。
そんな思いを胸に、本当に意味での私の飯田線制覇はここから始まる。当然ながら「初」飯田線に見る風景はもちろん新鮮。まだ夜が明けきらぬ空の向こうでは太陽が今か今かと出番を待っているように僅かな光を見せ始めた。ただ、残念ながら旧型車両の宝庫全盛期に訪問しなかった自分を悔やむところであるが、今更過去は取り戻せない。せめて現在の飯田線が魅せてくれる風景を存分に楽しまなければ未来の自分が後悔する事であろう。
共用区間を過ぎ飯田線らしい駅名が続く中、途中の水窪で暫くの停車時間があった。というよりなかなか出発しない。一体何があったのか…

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
にわか者様
コメントありがとうございます。
飯田線制覇の件について、このブログに載せるかどうか迷いましたが、やはり過去の自分に対する戒めと精算の意味もありあえて掲載しました。恐らく時効だとは思いますが、そういう事ではなく、あえて載せることにより、今の自分はちゃんとやってますよという事をしっかりとお伝えする意味もあったのです。
要するに、偽造のお陰で旧型国電時代の飯田線を体験出来なかったわけですから、こうして今になりしっぺ返しが来ているわけですね。
さて、清水港線に関しては私も片道のみですが間違いなく制覇しています。三保からは、今でいう「しずてつジャストライン」での帰郷となりましたが、にわか者さんは「ケンメリのGTーR仕様」という事で、これまた他に無い体験だと思います。
ただ「もし本物だったら」というところがやや気になる部分ではありますが、まさかの…
そういえば先月だったか、スタンドで給油していたら道路の向かいの建物前の駐車場で爆音たてている車がいたのですが、何とカウンタックでした❕塾の教室の前だったのでまさか先生が生徒を送って行くのではと思ってましたが、恐らくですが同僚の女性先生でした。
いかにも燃費が良いとは思えないイメージでガルウィング的に上に押し上げる形の独特のカウンタック仕様のドアを開けたまま何やら話し込んでましたが、相当塾が潤っているのでしょうか、近所迷惑もお構い無しでしたね。
などとジェラシーを感じながら地域で最安値のスタンドでレギュラーをいれてましたが…
飯田線制覇の件について、このブログに載せるかどうか迷いましたが、やはり過去の自分に対する戒めと精算の意味もありあえて掲載しました。恐らく時効だとは思いますが、そういう事ではなく、あえて載せることにより、今の自分はちゃんとやってますよという事をしっかりとお伝えする意味もあったのです。
要するに、偽造のお陰で旧型国電時代の飯田線を体験出来なかったわけですから、こうして今になりしっぺ返しが来ているわけですね。
さて、清水港線に関しては私も片道のみですが間違いなく制覇しています。三保からは、今でいう「しずてつジャストライン」での帰郷となりましたが、にわか者さんは「ケンメリのGTーR仕様」という事で、これまた他に無い体験だと思います。
ただ「もし本物だったら」というところがやや気になる部分ではありますが、まさかの…
そういえば先月だったか、スタンドで給油していたら道路の向かいの建物前の駐車場で爆音たてている車がいたのですが、何とカウンタックでした❕塾の教室の前だったのでまさか先生が生徒を送って行くのではと思ってましたが、恐らくですが同僚の女性先生でした。
いかにも燃費が良いとは思えないイメージでガルウィング的に上に押し上げる形の独特のカウンタック仕様のドアを開けたまま何やら話し込んでましたが、相当塾が潤っているのでしょうか、近所迷惑もお構い無しでしたね。
などとジェラシーを感じながら地域で最安値のスタンドでレギュラーをいれてましたが…
まず飯田線の件ですが、文字ですとなかなか伝わらないかもですが、貴殿を非難するものではありません。
クルマで駅に乗り付けて、写真だけ撮って乗車証明の件もそうですが、当時の私には考えつかなかった方法でして…
色んな抜け道があるんだなと思った次第です。
次にケンメリGTーR“仕様”とは、ニセモノという意味です(^_^;)
グリル交換、オーバーフェンダーとエンブレムを付ければできあがりというものです!
私はずっと本物と思っていました(^_^;)
後に私がGTーRを購入した際、父親の従兄弟が遊びにきて「やっぱり本物は違う!」と言われ、真相を知った次第(^_^;)
あと、カウンタックですか!!
以前、カキコしたかもですが、私はカウンタック購入寸前までいったんですよね…
欲をかいて、2度と手に入らない値段になってしまいましたが…
いかんいかん!またまた鉄道と関係ない話題に…
そういえば、昨日BSで999やってましたね…あっ!また話題がそれました😥
ダメだこりゃ…某リーダー談
クルマで駅に乗り付けて、写真だけ撮って乗車証明の件もそうですが、当時の私には考えつかなかった方法でして…
色んな抜け道があるんだなと思った次第です。
次にケンメリGTーR“仕様”とは、ニセモノという意味です(^_^;)
グリル交換、オーバーフェンダーとエンブレムを付ければできあがりというものです!
私はずっと本物と思っていました(^_^;)
後に私がGTーRを購入した際、父親の従兄弟が遊びにきて「やっぱり本物は違う!」と言われ、真相を知った次第(^_^;)
あと、カウンタックですか!!
以前、カキコしたかもですが、私はカウンタック購入寸前までいったんですよね…
欲をかいて、2度と手に入らない値段になってしまいましたが…
いかんいかん!またまた鉄道と関係ない話題に…
そういえば、昨日BSで999やってましたね…あっ!また話題がそれました😥
ダメだこりゃ…某リーダー談
にわか者様
コメントありがとうございます。
まずは上記の件に関して、私自身はご意見いただいた内容でしっかりと伝わってましたが、私の表現の足りなさでそちらに伝わらなかったようで、まだまだ私の勉強不足のようですね。
ただ、飯田線の件に関しては、ある意味覚悟を決めての掲載でしたので、いろいろなご意見いただいて当然の事でした。
もちろん、にわか者さんにより上記のコメントいただいた件は重々承知しておりますが、それ以前に、自身のそうした行為により貴重な体験が出来なかった事、そしてそれにより自身が後悔している部分を伝えたかったので、もし気になされているようであれば、全然気になさらなくて大丈夫です。非難以前にあくまでも自身の精算ですのでご理解いただければと思います。
さて999ですが、よく考えてみたら蒸気機関車が宇宙空間へ飛び出して星から星へと運転されるわけですから、ある意味かなりレベルの高いハイテクですよね。宇宙空間ではATSとか作動するのか不安になりますし、大気圏の行き来で燃料の石炭が燃え尽きてしまわないかと心配してしまうので、それをクリアできているわけですから素晴らしいです。
そして何より、地球以外に駅があるというのが凄いですね。
私のような乗りつぶし派でも、それこそ宇宙の全線制覇は無理な話だと思います。
まずは上記の件に関して、私自身はご意見いただいた内容でしっかりと伝わってましたが、私の表現の足りなさでそちらに伝わらなかったようで、まだまだ私の勉強不足のようですね。
ただ、飯田線の件に関しては、ある意味覚悟を決めての掲載でしたので、いろいろなご意見いただいて当然の事でした。
もちろん、にわか者さんにより上記のコメントいただいた件は重々承知しておりますが、それ以前に、自身のそうした行為により貴重な体験が出来なかった事、そしてそれにより自身が後悔している部分を伝えたかったので、もし気になされているようであれば、全然気になさらなくて大丈夫です。非難以前にあくまでも自身の精算ですのでご理解いただければと思います。
さて999ですが、よく考えてみたら蒸気機関車が宇宙空間へ飛び出して星から星へと運転されるわけですから、ある意味かなりレベルの高いハイテクですよね。宇宙空間ではATSとか作動するのか不安になりますし、大気圏の行き来で燃料の石炭が燃え尽きてしまわないかと心配してしまうので、それをクリアできているわけですから素晴らしいです。
そして何より、地球以外に駅があるというのが凄いですね。
私のような乗りつぶし派でも、それこそ宇宙の全線制覇は無理な話だと思います。
飯田線のコメに戻りますよ!
貴殿が飯田線に乗車された2007年は、沿線がかなり熱かった年ですね。
この年はJR東海のEF58最後の年でして…
晩年は牽引する客車もなく、工臨で細々とレール運搬をしておりました。
しかし、EF58が走る日は、平日も沿線は熱気につつまれました(^_^;)こんなにも平日の早朝から人が集まるのか?という状態でした。
私もこの年は有給をフルに使って、最後の活躍を撮りに出撃しておりました(^_^;)
余談ですが、あまりに有給を取りすぎて?次年度からは平日休みの部署に異動となりました…
江島駅の近くには有名な撮影ポイントがあり、何回も通いましたよ。
懐かしいです。
ただ、本音を言えばEF58は東海道本線を颯爽と走ってほしかったですね…
飯田線の電気機関車は、私にとってはEF10ですね(^_^;)
貴殿が飯田線に乗車された2007年は、沿線がかなり熱かった年ですね。
この年はJR東海のEF58最後の年でして…
晩年は牽引する客車もなく、工臨で細々とレール運搬をしておりました。
しかし、EF58が走る日は、平日も沿線は熱気につつまれました(^_^;)こんなにも平日の早朝から人が集まるのか?という状態でした。
私もこの年は有給をフルに使って、最後の活躍を撮りに出撃しておりました(^_^;)
余談ですが、あまりに有給を取りすぎて?次年度からは平日休みの部署に異動となりました…
江島駅の近くには有名な撮影ポイントがあり、何回も通いましたよ。
懐かしいです。
ただ、本音を言えばEF58は東海道本線を颯爽と走ってほしかったですね…
飯田線の電気機関車は、私にとってはEF10ですね(^_^;)
にわか者様
コメントありがとうございます。
「JR東海の」EF58が終焉だった年に私がレールファンを復活させたとは、ある意味因果ですね。
ちなみにEF58はプラレールで所有してましたが、コロタン文庫か何かで見た朝日に照らされる急行「銀河」がEF58に牽引されキラキラ青々としている姿が実に印象的で、とても格好良かったです。
そしてにわか者さんの飯田線はEF10というご意見はとてもわかります!私も飯田線で活躍していた印象がとても強いですから、にわか者さんはある意味とても恵まれた環境の中で過ごされてるのですね。旧型国電も乗り放題での日常だったと思われますからとても羨ましいですね。
ちなみに私が1980年代に青梅線制覇時に奥多摩で貨車の入れ替え作業をしていた機関車を見ましたが、これってEF10でよろしかったでしょうか?
http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-57.html
まさか東京でこのような機関車を見るとは思わなかったので思わずシャッターを切りましたが、似たような機関車が急行「八甲田」を牽引する勇姿をコロタン文庫の書籍で見た記憶です。
ちなみに私の印象深い機関車は、茅ヶ崎でよく見かけたEH10です!EH10イコール東海道線・茅ヶ崎ですね。
あのおすぎとピーコのような、ザ、タッチのような、マナちゃん・カナちゃんのような、ポップコーン正一・正二のような双子の連結がとても印象的で、私が耳鼻科の通院のため茅ヶ崎に行くとほぼいつも入れ替えや、貨物線を通過したりしてましたから、機関車といえばEH10です!
「JR東海の」EF58が終焉だった年に私がレールファンを復活させたとは、ある意味因果ですね。
ちなみにEF58はプラレールで所有してましたが、コロタン文庫か何かで見た朝日に照らされる急行「銀河」がEF58に牽引されキラキラ青々としている姿が実に印象的で、とても格好良かったです。
そしてにわか者さんの飯田線はEF10というご意見はとてもわかります!私も飯田線で活躍していた印象がとても強いですから、にわか者さんはある意味とても恵まれた環境の中で過ごされてるのですね。旧型国電も乗り放題での日常だったと思われますからとても羨ましいですね。
ちなみに私が1980年代に青梅線制覇時に奥多摩で貨車の入れ替え作業をしていた機関車を見ましたが、これってEF10でよろしかったでしょうか?
http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-57.html
まさか東京でこのような機関車を見るとは思わなかったので思わずシャッターを切りましたが、似たような機関車が急行「八甲田」を牽引する勇姿をコロタン文庫の書籍で見た記憶です。
ちなみに私の印象深い機関車は、茅ヶ崎でよく見かけたEH10です!EH10イコール東海道線・茅ヶ崎ですね。
あのおすぎとピーコのような、ザ、タッチのような、マナちゃん・カナちゃんのような、ポップコーン正一・正二のような双子の連結がとても印象的で、私が耳鼻科の通院のため茅ヶ崎に行くとほぼいつも入れ替えや、貨物線を通過したりしてましたから、機関車といえばEH10です!
いや〜懐かしい車輌の数々…素晴らしいですね!
茶色の電気機関車は、ED16だと思います。
当時の国鉄最古参の電気機関車だったと思います。私はこれを目当てで出かけましたよ。
あと、豊橋駅でのEF61!これも懐かしいてすね。
急行荷物列車はEF58が担当していたのですが、一本だけはEF61だったんですよ。
最後の20系ですが、これもしかして原車はパンタが搭載されていたヤツでは?
パンタが撤去された箇所は、屋根がぶった切られたように見えますので…
いやはや、こりゃ貴重な写真を見させていただきました。
ありがとうございましたm(_ _)m
それと、私もEH10好きですよ。
名古屋駅で撮った写真があります。
あの黒い塗装、迫力ありましたね!
茶色の電気機関車は、ED16だと思います。
当時の国鉄最古参の電気機関車だったと思います。私はこれを目当てで出かけましたよ。
あと、豊橋駅でのEF61!これも懐かしいてすね。
急行荷物列車はEF58が担当していたのですが、一本だけはEF61だったんですよ。
最後の20系ですが、これもしかして原車はパンタが搭載されていたヤツでは?
パンタが撤去された箇所は、屋根がぶった切られたように見えますので…
いやはや、こりゃ貴重な写真を見させていただきました。
ありがとうございましたm(_ _)m
それと、私もEH10好きですよ。
名古屋駅で撮った写真があります。
あの黒い塗装、迫力ありましたね!
にわか者様
コメントありがとうございます。
やはりEH10はとても印象出来ですよね。「北斗星」や「カシオペア」などを牽引していたらもっと印象が変わっていた事でしょう。
ちなみにご覧いただいた豊橋で撮影したEF61は解説通りなんと1号機なのです!
もちろん撮影後に気づいたわけですが、これは清水港線制覇後に二俣線の列車を待ち合わせしていた時にやってきました。
長崎の「あかつき」は前回紹介した「富士」に乗って旅行した時のもので、このあと「かもめ」に乗り博多まで行き新幹線で帰郷しました。
当時の新幹線は博多から東京まで7時間近くかかりましたからさぞかし記憶に残っているかと思うのですが、残念ながら「富士」のインパクトがありすぎて新幹線の事はほとんど記憶にありません。
「あかつき」も記憶が薄いのですが、写真から察するに、やはりご意見いただいたパンタ式を改造したものですよね。首都圏在住ではほとんど見ることができない寝台特急ですから慌てて撮影しましたが、背景を見てみるとリニューアルしたばかりの印象がある長崎駅のホームが見えますね。
しかしながら現在はその駅風景自体全てが貴重なものとなってしまいましたので、やはり写真は撮れる時に撮っておくべきですね。
やはりEH10はとても印象出来ですよね。「北斗星」や「カシオペア」などを牽引していたらもっと印象が変わっていた事でしょう。
ちなみにご覧いただいた豊橋で撮影したEF61は解説通りなんと1号機なのです!
もちろん撮影後に気づいたわけですが、これは清水港線制覇後に二俣線の列車を待ち合わせしていた時にやってきました。
長崎の「あかつき」は前回紹介した「富士」に乗って旅行した時のもので、このあと「かもめ」に乗り博多まで行き新幹線で帰郷しました。
当時の新幹線は博多から東京まで7時間近くかかりましたからさぞかし記憶に残っているかと思うのですが、残念ながら「富士」のインパクトがありすぎて新幹線の事はほとんど記憶にありません。
「あかつき」も記憶が薄いのですが、写真から察するに、やはりご意見いただいたパンタ式を改造したものですよね。首都圏在住ではほとんど見ることができない寝台特急ですから慌てて撮影しましたが、背景を見てみるとリニューアルしたばかりの印象がある長崎駅のホームが見えますね。
しかしながら現在はその駅風景自体全てが貴重なものとなってしまいましたので、やはり写真は撮れる時に撮っておくべきですね。
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/1072-fdf4fe7b
クルマで回って写真だけ撮った人の話はキャンペーン終了後によく聞きましたが、いやはや…まさか貴殿が…
私が清水港線に初めて乗った時、父親の従兄弟のクルマを利用しましたが、片道は乗っているのでセーフ(^_^;)
ちなみにその人のクルマがケンメリのGTーR!仕様😅
でも、当時の私は本物と思っていました。
本物ならば、今では2000万円オーバーのクルマですね。