1982年「青春18のびのびきっぷ」の旅①
2019-02-20
節分も過ぎ、寒さもいささかやわらいできた今日この頃、そろそろ「青春」のシーズンになってきた。
私が青春18きっぷを使い旅に出たのは1982年の春である。そう、それこそ青春18きっぷがこの世に登場した時であった。
既に以前紹介した今回の旅であるが、改めてバックナンバーを引っ張り出してみて紹介してみようと思う。と言っても当時はまだ国鉄時代。民営化がささやかれ赤字ローカル線廃止の話題に盛り上がる中「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーンも重なり「18」を握りしめたレールファンが全国に犇めいていた。もう35年以上前になるが、当時の模様を再現しながら紹介してみよう。もちろん、当時はまだ産まれていない方もおられる事であろうし知らない駅名や列車名が出てくるかも知れない。そんな方も「こんな旅があったんだ」みたいな発見を少しでもしてもらえたら本望である。

旅の始まりはいつも西寒川から。もちろん、新しいレールファンにとってこの駅は伝説的な存在であろう。だが、こうした伝説を少しでも共感していただけたら幸いである。
1982年の春、新しいフリー切符が発売された。その名も「青春18のびのびきっぷ」だ。現在は「のびのび」が無くなり「青春18きっぷ」としてお馴染みとなっている。普通・快速列車と一部区間は特急列車に乗車でき、JR線各社の路線で乗降り自由。登場初期は8000円で一日有効が3枚と二日間有効が1枚の計4枚で合計5日間有効であった。最後の二日間有効の一枚の意味は不明であるが、一日有効と同じ一枚2000円であるのが特徴である。その後いろいろ変更され、現在は5日間有効で11500円。学生の長期休暇に合わせて発売される。
私は登場したシーズンに初・18きっぷを使用して旅に出た。既に先述している「鉄道研究クラブ」という中学校のクラブ活動の一環として春休みを利用しての出陣だ。
「鉄道研究クラブ」と名乗っているが、別に朝練などは無く(朝から何を練習するのか?)、所属選手はそれなりにいたが、いつも決まったメンバーが出席している、いわゆる「帰宅部」と化していると言っても過言ではない。というより、授業が終わった放課後などに何を活動すれば?という、テーマもなく専用の部屋もない状態で果たして活動できるのか。だが、写真部と顧問が同じの為若干写真部とグルで活動していた時期も。時には理科室、時には放送室と「居場所」の固定が無いまま細々と活動していた。しかし休日になると東京方面などに繰り出し「撮り」に出向。その時は「お前、いたの?」という所属選手まで参戦してくるという、何とも特殊な部活であった。

1982年春に登場した18きっぷ。発売当初は「のびのび」であったが、しばらくして現在のネーミングになった。発売当初は2日間有効の切符が一枚あった。その真意は不明であるが、8000円で5日間有効であったのでお買い得であった。
さて、前置きが長くなってしまったが、鉄道研究クラブの「部活」として旅に出ることになったメンバーは私を含め5人である。プラス顧問の教諭を入れ合計6人での旅になった。だが実際は我々仲間内で旅に出る予定であったが「未成年者のみの行動は危ない!」との理由から教諭が参戦する事になったのだ。
というより、我々の計画が教諭の耳に入り見て見ぬ振りができなくなったのであろう。ある意味、学校の、教諭の面子を保つためかも知れないが、何れにせよ、この「大人の事情」が後に役立つ事になろうとは思いもしなかった。
ところで既に、行程は私が計画したのは「木次恋しぐれ」で先述したが、この時「いい旅チャレンジ20000km」の真っ最中であり、踏破こそ乗車の証でもあった。乗り潰しも含め計画していったが、今その行程を見てみると、なかなか無駄が多く🔰若葉マークが見え隠れしている。ここをこう乗れば制覇(当時のいい旅チャレンジ20000kmでは踏破と表現)できるのになぁ~みたいな部分が多々あるが、何しろ「初」の為、しかも全行程を普通列車に制限しなければならないため自身の全ての英知を出し切って時刻表を駆使しながらの計画立案であった。ようやく教諭からOKがでたのでいよいよ実行である。私の出発駅はもちろん「西寒川」だ!

西寒川の末期はキハ30であった。ロングシートで通勤用としては重宝したであろうが、キハ20に思い入れがあった私は、キハ20からキハ30に順次入れ替わっていく相模線のシーンにかなり辛い思いをした。
相模線・西寒川より19時15分発の最終列車に乗る。もちろん、西寒川から旅に出るメンバーは私一人の記憶。他のメンバーは「寒川」より乗車することになっている。教諭は確か茅ヶ崎からだったと思った。そして東海道線上りに乗り東京へ。東京で約3時間程待って「大垣行き」の夜行列車で西へ向かう行程だ。
さて、いよいよ出発の時が来た!東京発23時25分の大垣行き。3時間待たないと座れない・・・「ムーンライトながら」のように座席指定は無く、座席指定できるのはグリーン車のみである。もちろん全員のメンバーが3時間待ち普通座席に着席した。そしてタイフォンが鳴り響くと、我々を乗せた165系は大垣目指して西へ向かうのであった・・・

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私が青春18きっぷを使い旅に出たのは1982年の春である。そう、それこそ青春18きっぷがこの世に登場した時であった。
既に以前紹介した今回の旅であるが、改めてバックナンバーを引っ張り出してみて紹介してみようと思う。と言っても当時はまだ国鉄時代。民営化がささやかれ赤字ローカル線廃止の話題に盛り上がる中「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーンも重なり「18」を握りしめたレールファンが全国に犇めいていた。もう35年以上前になるが、当時の模様を再現しながら紹介してみよう。もちろん、当時はまだ産まれていない方もおられる事であろうし知らない駅名や列車名が出てくるかも知れない。そんな方も「こんな旅があったんだ」みたいな発見を少しでもしてもらえたら本望である。

旅の始まりはいつも西寒川から。もちろん、新しいレールファンにとってこの駅は伝説的な存在であろう。だが、こうした伝説を少しでも共感していただけたら幸いである。
1982年の春、新しいフリー切符が発売された。その名も「青春18のびのびきっぷ」だ。現在は「のびのび」が無くなり「青春18きっぷ」としてお馴染みとなっている。普通・快速列車と一部区間は特急列車に乗車でき、JR線各社の路線で乗降り自由。登場初期は8000円で一日有効が3枚と二日間有効が1枚の計4枚で合計5日間有効であった。最後の二日間有効の一枚の意味は不明であるが、一日有効と同じ一枚2000円であるのが特徴である。その後いろいろ変更され、現在は5日間有効で11500円。学生の長期休暇に合わせて発売される。
私は登場したシーズンに初・18きっぷを使用して旅に出た。既に先述している「鉄道研究クラブ」という中学校のクラブ活動の一環として春休みを利用しての出陣だ。
「鉄道研究クラブ」と名乗っているが、別に朝練などは無く(朝から何を練習するのか?)、所属選手はそれなりにいたが、いつも決まったメンバーが出席している、いわゆる「帰宅部」と化していると言っても過言ではない。というより、授業が終わった放課後などに何を活動すれば?という、テーマもなく専用の部屋もない状態で果たして活動できるのか。だが、写真部と顧問が同じの為若干写真部とグルで活動していた時期も。時には理科室、時には放送室と「居場所」の固定が無いまま細々と活動していた。しかし休日になると東京方面などに繰り出し「撮り」に出向。その時は「お前、いたの?」という所属選手まで参戦してくるという、何とも特殊な部活であった。

1982年春に登場した18きっぷ。発売当初は「のびのび」であったが、しばらくして現在のネーミングになった。発売当初は2日間有効の切符が一枚あった。その真意は不明であるが、8000円で5日間有効であったのでお買い得であった。
さて、前置きが長くなってしまったが、鉄道研究クラブの「部活」として旅に出ることになったメンバーは私を含め5人である。プラス顧問の教諭を入れ合計6人での旅になった。だが実際は我々仲間内で旅に出る予定であったが「未成年者のみの行動は危ない!」との理由から教諭が参戦する事になったのだ。
というより、我々の計画が教諭の耳に入り見て見ぬ振りができなくなったのであろう。ある意味、学校の、教諭の面子を保つためかも知れないが、何れにせよ、この「大人の事情」が後に役立つ事になろうとは思いもしなかった。
ところで既に、行程は私が計画したのは「木次恋しぐれ」で先述したが、この時「いい旅チャレンジ20000km」の真っ最中であり、踏破こそ乗車の証でもあった。乗り潰しも含め計画していったが、今その行程を見てみると、なかなか無駄が多く🔰若葉マークが見え隠れしている。ここをこう乗れば制覇(当時のいい旅チャレンジ20000kmでは踏破と表現)できるのになぁ~みたいな部分が多々あるが、何しろ「初」の為、しかも全行程を普通列車に制限しなければならないため自身の全ての英知を出し切って時刻表を駆使しながらの計画立案であった。ようやく教諭からOKがでたのでいよいよ実行である。私の出発駅はもちろん「西寒川」だ!

西寒川の末期はキハ30であった。ロングシートで通勤用としては重宝したであろうが、キハ20に思い入れがあった私は、キハ20からキハ30に順次入れ替わっていく相模線のシーンにかなり辛い思いをした。
相模線・西寒川より19時15分発の最終列車に乗る。もちろん、西寒川から旅に出るメンバーは私一人の記憶。他のメンバーは「寒川」より乗車することになっている。教諭は確か茅ヶ崎からだったと思った。そして東海道線上りに乗り東京へ。東京で約3時間程待って「大垣行き」の夜行列車で西へ向かう行程だ。
さて、いよいよ出発の時が来た!東京発23時25分の大垣行き。3時間待たないと座れない・・・「ムーンライトながら」のように座席指定は無く、座席指定できるのはグリーン車のみである。もちろん全員のメンバーが3時間待ち普通座席に着席した。そしてタイフォンが鳴り響くと、我々を乗せた165系は大垣目指して西へ向かうのであった・・・

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