上田で荷物を忘れてしまいましたが ⑧
2023-03-18
さて、いよいよ信越本線改めしなの鉄道に乗車するが、ここでようやくそのタイトルを意味する場面が出てきそうなシチュエーションになってきた。それこそ某歌手の「木綿の~」ではないが、正にこのしなの鉄道で荷物を車内に置き忘れてしまったのであった。

これが「しなの鉄道の車両だ!」とでも紹介したくなる「国鉄型」の車両である。現在は新型車両の導入も進み今後の動向が気になるところである。もちろん、しなの鉄道色に染まった車両は、塗装による113系と115系の区別はつかないが、言わずと知れた115系であるのは周知の通り。
しなの鉄道の中枢である上田であるが、新幹線が開業し新たにホームが新設され面目を一新。更にその真下に上田電鉄の乗場が設置され、かつての上田電鉄のイメージが全く無くなり近代的な駅へと生まれ変わった。
文字通り、ここより上田電鉄に乗り換えるため下車したが…何となく身体か軽い。今乗ってきたしなの鉄道の列車は既にドアが閉まり走り出していた。しなの鉄道のホームをしばらく歩いて気付いたのだ。コロコロバッグとリュックの2種類の荷物を持っていたが、リュックの方の荷物を網棚に置いてきてしまったのであった。金銭的な手荷物はなかったのでとりあえずは安心だったが、ヤバい。まずは改札方面へ向かい駅員に事情を話した。すると直ぐに対応してくれて、どうやらその列車の終点である小諸で預かってくれるらしい。「わかりました、ありがとうございます!」と、予定していた上田電鉄制覇を後回しにして、まずは後続の列車に乗り小諸へ向かった。


画像はウィキペディアよりの紹介である現在のしなの鉄道(上)と上田電鉄(下)の入口である。115系と113系の関係同様、ほとんど一瞬では区別がつかないくらいであるが、首脳陣の間で色々な苦悩や問題もあったのだろう。そのような事を全く感じさせない現場の雰囲気は嬉しい材料ではないか。
シリーズ8章目にしてようやくタイトルが出てきたわけであるが、意外にも当時私は冷静であったのはなぜだろう。荷物の安全が確認され、列車に乗るための本来の姿である「目的」がここで初めて産まれたのであるからであろうか。用事もないのに列車で移動し、ただ列車に乗る事だけを目的とするのとは訳が違う。早く荷物の中身を確認したい逸る気持ちもあるが、まずは電車に乗る目的があって小諸へ移動するのは他の乗客と同じ「目的」を共有できた事での安心感が湧いてくるが、それよりも、昭和のモーター音が響く115系だからこそのときめきが私を宥めてくれたのであろう。

こちらも画像はウィキペディアより引用させていただいた現在の上田駅外観は新幹線が開通し面目を一新した。駅利用者をウィキで確認したところ、なんと上田より佐久平の方が乗車人員が多い事に気付いた。私にしてみたら信じられない事実が告げられた事になったが、いずれにしても、軽井沢辺りで補助機関車が連結されたりしながら峠を越えた「妙高」や「越前」などの夜行急行列車が深夜未明の上田で停車し一時の賑わいを見せる風景は完全に過去の遺産として後世に受け継がねばならない必須事項となってしまった。
小諸に着いたら早速駅舎に向かい荷物を確認しに行く。中身も無事で一安心。しなの鉄道の関係者に丁寧に挨拶をして駅舎を後にした。もう、しなの鉄道のスタッフの皆様には感謝しかない。この場を借りてお礼申し上げます!
荷物も手元に戻り、軽いフットワークで再び上田に向かう。上田からは再び宿泊予定や観光予定も無いのに上田電鉄で別所温泉へ向かうことになる。その上田電鉄ではまたまた事件が発生するのだが…そんなこともつゆ知らず、私は到着した上田で無邪気に115系のドアが開く前から気持ちを逸らせていた。

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これが「しなの鉄道の車両だ!」とでも紹介したくなる「国鉄型」の車両である。現在は新型車両の導入も進み今後の動向が気になるところである。もちろん、しなの鉄道色に染まった車両は、塗装による113系と115系の区別はつかないが、言わずと知れた115系であるのは周知の通り。
しなの鉄道の中枢である上田であるが、新幹線が開業し新たにホームが新設され面目を一新。更にその真下に上田電鉄の乗場が設置され、かつての上田電鉄のイメージが全く無くなり近代的な駅へと生まれ変わった。
文字通り、ここより上田電鉄に乗り換えるため下車したが…何となく身体か軽い。今乗ってきたしなの鉄道の列車は既にドアが閉まり走り出していた。しなの鉄道のホームをしばらく歩いて気付いたのだ。コロコロバッグとリュックの2種類の荷物を持っていたが、リュックの方の荷物を網棚に置いてきてしまったのであった。金銭的な手荷物はなかったのでとりあえずは安心だったが、ヤバい。まずは改札方面へ向かい駅員に事情を話した。すると直ぐに対応してくれて、どうやらその列車の終点である小諸で預かってくれるらしい。「わかりました、ありがとうございます!」と、予定していた上田電鉄制覇を後回しにして、まずは後続の列車に乗り小諸へ向かった。


画像はウィキペディアよりの紹介である現在のしなの鉄道(上)と上田電鉄(下)の入口である。115系と113系の関係同様、ほとんど一瞬では区別がつかないくらいであるが、首脳陣の間で色々な苦悩や問題もあったのだろう。そのような事を全く感じさせない現場の雰囲気は嬉しい材料ではないか。
シリーズ8章目にしてようやくタイトルが出てきたわけであるが、意外にも当時私は冷静であったのはなぜだろう。荷物の安全が確認され、列車に乗るための本来の姿である「目的」がここで初めて産まれたのであるからであろうか。用事もないのに列車で移動し、ただ列車に乗る事だけを目的とするのとは訳が違う。早く荷物の中身を確認したい逸る気持ちもあるが、まずは電車に乗る目的があって小諸へ移動するのは他の乗客と同じ「目的」を共有できた事での安心感が湧いてくるが、それよりも、昭和のモーター音が響く115系だからこそのときめきが私を宥めてくれたのであろう。

こちらも画像はウィキペディアより引用させていただいた現在の上田駅外観は新幹線が開通し面目を一新した。駅利用者をウィキで確認したところ、なんと上田より佐久平の方が乗車人員が多い事に気付いた。私にしてみたら信じられない事実が告げられた事になったが、いずれにしても、軽井沢辺りで補助機関車が連結されたりしながら峠を越えた「妙高」や「越前」などの夜行急行列車が深夜未明の上田で停車し一時の賑わいを見せる風景は完全に過去の遺産として後世に受け継がねばならない必須事項となってしまった。
小諸に着いたら早速駅舎に向かい荷物を確認しに行く。中身も無事で一安心。しなの鉄道の関係者に丁寧に挨拶をして駅舎を後にした。もう、しなの鉄道のスタッフの皆様には感謝しかない。この場を借りてお礼申し上げます!
荷物も手元に戻り、軽いフットワークで再び上田に向かう。上田からは再び宿泊予定や観光予定も無いのに上田電鉄で別所温泉へ向かうことになる。その上田電鉄ではまたまた事件が発生するのだが…そんなこともつゆ知らず、私は到着した上田で無邪気に115系のドアが開く前から気持ちを逸らせていた。

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コメント
にわか者様
コメントありがとうございます。
幸い中身は衣類だったので、万が一なくなってしまっても翌日着る服が無かっただけなので不幸中の幸いだった事でしょう。
もしかしたら最寄の駅まで届けてくれたかも知れませんが、時間帯的にも運転本数的にも、小諸まで取りにいっても上田で待っていても上田で荷物を手にする時間は同じだったと思われます。
また、係員に「これからどちらへ?」と聞かれて「別所温泉」と答えましたが、まさか温泉に入らずに乗った電車で折り返すとは思わなかったでしょうから「小諸で預かる」というアンサーだったのではないでしょうか。
別所温泉行ってすぐに戻ってきますので、上田駅で預かっていてくださいなどと言えませんし、温泉も入らずにもどってきたなら逆に不審者と思われそうで、変な気を使ってしまいますね。
レールファンというのは変なところで面倒臭いといいますか…
ただ、行程的には松本で宿泊だったので、松本到着が2時間くらいの遅れで翌日の行程には当然ながら響かなかったので全然問題ありませんでした。まぁ、かつての東北の旅に比べたらこの程度のアクシデントは可愛いものですね。
幸い中身は衣類だったので、万が一なくなってしまっても翌日着る服が無かっただけなので不幸中の幸いだった事でしょう。
もしかしたら最寄の駅まで届けてくれたかも知れませんが、時間帯的にも運転本数的にも、小諸まで取りにいっても上田で待っていても上田で荷物を手にする時間は同じだったと思われます。
また、係員に「これからどちらへ?」と聞かれて「別所温泉」と答えましたが、まさか温泉に入らずに乗った電車で折り返すとは思わなかったでしょうから「小諸で預かる」というアンサーだったのではないでしょうか。
別所温泉行ってすぐに戻ってきますので、上田駅で預かっていてくださいなどと言えませんし、温泉も入らずにもどってきたなら逆に不審者と思われそうで、変な気を使ってしまいますね。
レールファンというのは変なところで面倒臭いといいますか…
ただ、行程的には松本で宿泊だったので、松本到着が2時間くらいの遅れで翌日の行程には当然ながら響かなかったので全然問題ありませんでした。まぁ、かつての東北の旅に比べたらこの程度のアクシデントは可愛いものですね。
年度末にて激務状態であります(T_T)
なかなか心休まる時間がない状態が続いております。
さて、しなの鉄道ですね…
我々世代としては、信越本線ですね!
特に碓氷峠は、就職後にしばらく休テツ状態だった私が沿線に呼び戻されるきっかけとなった場所でもあります。
もちろん急行越前に乗車した際、興奮して全く寝られなかった路線でもあります。
もしも戻れるならば、もう一度乗ってみたいですね。
ただし…今の自分の体力ならば、爆睡かもしれないですね(^_^;)
なかなか心休まる時間がない状態が続いております。
さて、しなの鉄道ですね…
我々世代としては、信越本線ですね!
特に碓氷峠は、就職後にしばらく休テツ状態だった私が沿線に呼び戻されるきっかけとなった場所でもあります。
もちろん急行越前に乗車した際、興奮して全く寝られなかった路線でもあります。
もしも戻れるならば、もう一度乗ってみたいですね。
ただし…今の自分の体力ならば、爆睡かもしれないですね(^_^;)
にわか者様
コメントありがとうございます。
碓氷峠を急行越前とは何とも贅沢な経験ですね。私なんか「18」ですよ!つまり普通列車の経験しかありませんでした。
横川軽井沢間の廃止は少々もったいない気もしますが、特急列車が通らなくなってしまった以上、維持するのは困難ですよね。昭和の時代にあれだけ苦労した区間が、新幹線の開通と共にあっさり捨てられてしまうとは、何とも言えない気持ちになりますね。
私も年度末で忙しいのですが、国鉄時代には年度末こそ我々は18であちこち行ってましたね。
ただ、車両撮影に関して私は駅専門なので碓氷峠へ出向いての撮影は経験してないのですが、現在は車での訪問も可能になり環境的には整ってますね。もし国鉄時代に免許を持っていたなら、例えば明延鉱山の一円電車や下津井電鉄など国鉄て連絡を持たない鉄道を制覇してみたかったです。
碓氷峠を急行越前とは何とも贅沢な経験ですね。私なんか「18」ですよ!つまり普通列車の経験しかありませんでした。
横川軽井沢間の廃止は少々もったいない気もしますが、特急列車が通らなくなってしまった以上、維持するのは困難ですよね。昭和の時代にあれだけ苦労した区間が、新幹線の開通と共にあっさり捨てられてしまうとは、何とも言えない気持ちになりますね。
私も年度末で忙しいのですが、国鉄時代には年度末こそ我々は18であちこち行ってましたね。
ただ、車両撮影に関して私は駅専門なので碓氷峠へ出向いての撮影は経験してないのですが、現在は車での訪問も可能になり環境的には整ってますね。もし国鉄時代に免許を持っていたなら、例えば明延鉱山の一円電車や下津井電鉄など国鉄て連絡を持たない鉄道を制覇してみたかったです。
以前にもカキコしたかも?ですが、私は明延の一円電車には沿線で撮影中に出会った優しいお兄さん?に連れられて行ってきました。
いまなら絶対にありえない行為かと…見知らぬ人の誘いについて行ってしまったなんて…一歩間違えれば取り返しのつかない事態に巻き込まれたかもしれなかったのですから…
実は大学生ぐらいまでは、沿線の撮影で偶然一緒になった人に車に乗せていただいたことは何度かありました…
犯罪に巻き込まれず、今こうして無事に生きていられるのは奇跡的なことなのかもしれません…
同じ趣味を持つもの同士ではありますが、それでもこのような軽率な行為が果たしてよかったのかどうか…
大いに反省しております…😓
いまなら絶対にありえない行為かと…見知らぬ人の誘いについて行ってしまったなんて…一歩間違えれば取り返しのつかない事態に巻き込まれたかもしれなかったのですから…
実は大学生ぐらいまでは、沿線の撮影で偶然一緒になった人に車に乗せていただいたことは何度かありました…
犯罪に巻き込まれず、今こうして無事に生きていられるのは奇跡的なことなのかもしれません…
同じ趣味を持つもの同士ではありますが、それでもこのような軽率な行為が果たしてよかったのかどうか…
大いに反省しております…😓
にわか者様
コメントありがとうございます。
そういえば以前にも明延鉱山の件についてはコメント頂いてましたね。
絶対に経験してみたかったです。当時私は中学生・小学生くらいだったので、どうやったら一円電車に乗れるのかとかそこまでどうやって行くのかとか、恐らく時刻表にも掲載されていなかったと思うので本当にあるのかとか全くわからなかったので実現できませんでした。もちろん
現在ならインターネットの発達によりそれら全ての問題は恐らく解決できている事でしょう。
しかしながら、我々が子供の頃は本当に贅沢な時代に生まれ、そして生きていたのですね。あれだけ味のある鉄道路線が全国各地にあったなど、それを体験された先輩方が羨ましい限りです。
尾小屋鉄道やドリーム交通など、本当に体験したい鉄道路線ばかりがリアルタイムだった事でしょうから本当に羨ましい限りです。
私も以前にお話した通り、東北の旅において自称お医者さんの方と三陸・岩泉線などを一緒に行動したりしましたが、やはりそうした出会いは一つ間違えば犯罪に巻き込まれるというリスクを背負うという事自体残念ですが、結果的に素敵な出会いとして記憶に残りますね。そしてそうした出会いになった事に感謝しなければいけませんね。
逆に我々がもしそういう出会いを現在にした場合、ほぼ我々がそうした素晴らしい記憶を提供する側になったのですから、是非とも少年の記憶の1ページになるようになれるようにしなければいけませんね。
そういえば以前にも明延鉱山の件についてはコメント頂いてましたね。
絶対に経験してみたかったです。当時私は中学生・小学生くらいだったので、どうやったら一円電車に乗れるのかとかそこまでどうやって行くのかとか、恐らく時刻表にも掲載されていなかったと思うので本当にあるのかとか全くわからなかったので実現できませんでした。もちろん
現在ならインターネットの発達によりそれら全ての問題は恐らく解決できている事でしょう。
しかしながら、我々が子供の頃は本当に贅沢な時代に生まれ、そして生きていたのですね。あれだけ味のある鉄道路線が全国各地にあったなど、それを体験された先輩方が羨ましい限りです。
尾小屋鉄道やドリーム交通など、本当に体験したい鉄道路線ばかりがリアルタイムだった事でしょうから本当に羨ましい限りです。
私も以前にお話した通り、東北の旅において自称お医者さんの方と三陸・岩泉線などを一緒に行動したりしましたが、やはりそうした出会いは一つ間違えば犯罪に巻き込まれるというリスクを背負うという事自体残念ですが、結果的に素敵な出会いとして記憶に残りますね。そしてそうした出会いになった事に感謝しなければいけませんね。
逆に我々がもしそういう出会いを現在にした場合、ほぼ我々がそうした素晴らしい記憶を提供する側になったのですから、是非とも少年の記憶の1ページになるようになれるようにしなければいけませんね。
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国鉄時代、忘れ物は最寄りの駅まで運んでもらえたような記憶がありますが…真偽はどうなんですかね?
あと、地元の百貨店で、国鉄忘れもの市なるものがよく開催されてましたよ。傘、カメラ、時計とか売られていましたが、カメラや時計みたいな高額商品でも結構わすれられてしまうんですね…
それにしても、わざわざ小諸まで取りに行ったとなると、後々の工程に支障が生じなかったですか???