上田で荷物を忘れてしまいましたが ⑭
2023-04-22
というわけで、私は河口湖で観光するわけでもないのに河口湖を目指す。あくまで目的は河口湖「駅」だ。そういえば、以前にも鉄道全線を乗り潰そうという過程の中、ディズニーリゾートラインも制覇しなければならないため、私はディズニーランドで遊ぶ目的もなく、ディズニーランドへ行った事がある。その時は妻も同行していたが、どういう気持ちでディズニーリゾートラインを乗っていたのであろう。ミッキーマウスやスペースマウンテンなど、車窓から広がる風景はデートコースにもなろう幻想的な風景ばかりが描かれていたが、私はミッキーの形をしたドアの窓やつり革に興味を抱き、跨座式モノレールのポイント部をホーム先端より確認したりと、恐らくそのモノレールを利用していた乗客とは全く違うことをひとりで考えていたであろう。ATSなどはどうなっているのかとひと通り確認したくなるが、そちら方面はあまり詳しくないので、駅名標へカメラを向けていた私であった。

大月で撮影した富士急行であるが・・・首都圏ではお馴染みの車両であった。もちろん私のような昭和世代であれば懐かしさ満載であるが、ここで第二の人生を送っているのは意外であった。
さて、私が河口湖まで「観光」する要素といえば途中駅を確認する事であるが、意外にも富士急は無人駅が多かった。私の見間違いかも知れないが、途中の都留市も駅員の気配が無い。現在の鉄道シーンにおいて、地方鉄道のワンマンや無人駅は当たり前のイメージであるが、まさかと思いウィキで確認したら、現在は業務委託駅となっていた。つまり、富士急の社員さんではなく、民間より募ったパートさんが駅業務を行ってる事になる!合理化の波もとうとうこのような場所まで押し寄せているとは、時代も変わったものだ。

河口湖「駅」では1分乗り換えのためご覧の写真を撮るのが精一杯であった。発車後、即座に私のところに車掌が飛んできて「乗車券拝見」が行われた。駅舎に行かず、すぐさま上り列車に乗り換えるのだから、そりゃ怪しいよね。
観光要素のイメージが強い富士急であるが、その中で、やはり地域輸送がやや苦戦するのは厳しい材料である。それは富士吉田に着いても感じる事で、以前は大手スーパーが入居していた駅ビルも、現在は大手スーパーが撤退してしまい、以前のような華やかさが少なくなったイメージであった。
高速道路が河口湖まで開通して久しいが、既に鉄道が主役の時代は終わりを告げた現在、地域輸送を軸とした戦略も沿線人口の減少と共に、鉄道に限らず全国の公共交通機関が苦境に立たされている。そんな時代に活路を見いだす術は何処にあるのだろうか。IYカラーが消えた駅ビルを眺めながらついそんな事を考えてしまった。

という訳で、ウィキペディアより富士吉田時代の「富士山駅」の写真を拝借した。かつてはIY系の商業施設が入居していたが、現在は撤退している。私は撤退前と撤退後の両方で訪問した事があるが、やはり富士吉田市の玄関口的イメージをかなりアピールしている。駅前からは富士山がものすごい大きさでそびえ立つ姿が拝める。
ただ、富士吉田の駅構内の配線は素晴らしく複雑で「ターミナル」という雰囲気が満載でありレールファンとしては嬉しい。富士急から分社化され、かつての「富士山麓電気鉄道」に社名が変更されての現在であるが、富士吉田のスイッチバックは今も健在である。駅名も「富士山」に変更され益々観光色が濃くなったイメージであるが、ぜひこれからもバッチリ活躍して欲しいと思う。

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大月で撮影した富士急行であるが・・・首都圏ではお馴染みの車両であった。もちろん私のような昭和世代であれば懐かしさ満載であるが、ここで第二の人生を送っているのは意外であった。
さて、私が河口湖まで「観光」する要素といえば途中駅を確認する事であるが、意外にも富士急は無人駅が多かった。私の見間違いかも知れないが、途中の都留市も駅員の気配が無い。現在の鉄道シーンにおいて、地方鉄道のワンマンや無人駅は当たり前のイメージであるが、まさかと思いウィキで確認したら、現在は業務委託駅となっていた。つまり、富士急の社員さんではなく、民間より募ったパートさんが駅業務を行ってる事になる!合理化の波もとうとうこのような場所まで押し寄せているとは、時代も変わったものだ。

河口湖「駅」では1分乗り換えのためご覧の写真を撮るのが精一杯であった。発車後、即座に私のところに車掌が飛んできて「乗車券拝見」が行われた。駅舎に行かず、すぐさま上り列車に乗り換えるのだから、そりゃ怪しいよね。
観光要素のイメージが強い富士急であるが、その中で、やはり地域輸送がやや苦戦するのは厳しい材料である。それは富士吉田に着いても感じる事で、以前は大手スーパーが入居していた駅ビルも、現在は大手スーパーが撤退してしまい、以前のような華やかさが少なくなったイメージであった。
高速道路が河口湖まで開通して久しいが、既に鉄道が主役の時代は終わりを告げた現在、地域輸送を軸とした戦略も沿線人口の減少と共に、鉄道に限らず全国の公共交通機関が苦境に立たされている。そんな時代に活路を見いだす術は何処にあるのだろうか。IYカラーが消えた駅ビルを眺めながらついそんな事を考えてしまった。

という訳で、ウィキペディアより富士吉田時代の「富士山駅」の写真を拝借した。かつてはIY系の商業施設が入居していたが、現在は撤退している。私は撤退前と撤退後の両方で訪問した事があるが、やはり富士吉田市の玄関口的イメージをかなりアピールしている。駅前からは富士山がものすごい大きさでそびえ立つ姿が拝める。
ただ、富士吉田の駅構内の配線は素晴らしく複雑で「ターミナル」という雰囲気が満載でありレールファンとしては嬉しい。富士急から分社化され、かつての「富士山麓電気鉄道」に社名が変更されての現在であるが、富士吉田のスイッチバックは今も健在である。駅名も「富士山」に変更され益々観光色が濃くなったイメージであるが、ぜひこれからもバッチリ活躍して欲しいと思う。

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コメント
にわか者様
コメントありがとうございます。
なるほど、国鉄が乗り入れていた私鉄路線には足を運ばれたという事で、やはり国鉄と接続を持つと遠方からのお客様も期待できるので収益にも影響しそうですね。そして「その道の人」もある意味見込める訳ですし、しかも沿線には観光名所もあるのでメリットも大きいと思われます。
ただ、あの頃とは時代が変わり、高速道路が飛躍的に充実している現在、鉄道の存在意義の位置的なものも変化してしまい、国鉄~JRから私鉄への乗り入れもかなり減ってしまいましたし、私鉄路線そのものが無くなってしまう事象もありましたね。
大井川鐵道に関しては、恐らく現在はレールが繋がっていないか、繋がっていたとしても車両搬入時に使用される程度かと思われます。つまり乗入れは現在行っていないということになりますね。富士急行に関しては確か週末限定とかで通勤電車的な車両が乗り入れているのを近年にみています。
伊豆急に関してはご存知の通りですが、かつては伊豆急1000系等でグリーン車を連結していた時代もあったことが現在では信じられないですね。
そして私事ですが、下田に親戚がいる関係から、駅付近の踏み切りとかで155系の修学旅行色急行「伊豆」をよく見かけましたが、残念なから乗車する事ができませんでした。
しかしながら私が乗った急行「伊豆」は153系だと近年まで思っていましたが、恐らく湘南色に染まった155系だと思います。できれば修学旅行カラーの時に乗ってみたかったですね。
なるほど、国鉄が乗り入れていた私鉄路線には足を運ばれたという事で、やはり国鉄と接続を持つと遠方からのお客様も期待できるので収益にも影響しそうですね。そして「その道の人」もある意味見込める訳ですし、しかも沿線には観光名所もあるのでメリットも大きいと思われます。
ただ、あの頃とは時代が変わり、高速道路が飛躍的に充実している現在、鉄道の存在意義の位置的なものも変化してしまい、国鉄~JRから私鉄への乗り入れもかなり減ってしまいましたし、私鉄路線そのものが無くなってしまう事象もありましたね。
大井川鐵道に関しては、恐らく現在はレールが繋がっていないか、繋がっていたとしても車両搬入時に使用される程度かと思われます。つまり乗入れは現在行っていないということになりますね。富士急行に関しては確か週末限定とかで通勤電車的な車両が乗り入れているのを近年にみています。
伊豆急に関してはご存知の通りですが、かつては伊豆急1000系等でグリーン車を連結していた時代もあったことが現在では信じられないですね。
そして私事ですが、下田に親戚がいる関係から、駅付近の踏み切りとかで155系の修学旅行色急行「伊豆」をよく見かけましたが、残念なから乗車する事ができませんでした。
しかしながら私が乗った急行「伊豆」は153系だと近年まで思っていましたが、恐らく湘南色に染まった155系だと思います。できれば修学旅行カラーの時に乗ってみたかったですね。
修学旅行色とはうらやましい😭
伊豆ですと、修学旅行で訪れる生徒が多かったかもですね。
あの頃、今みたいに手軽に写真か撮れたなら…と、思いますね…
伊豆ですと、修学旅行で訪れる生徒が多かったかもですね。
あの頃、今みたいに手軽に写真か撮れたなら…と、思いますね…
にわか者様
コメントありがとうございます。
確かに、伊豆方面へは修学旅行も多かったと思われ、その関係から155系や159系を下田でよく見かけたと思います。
ただ、時代は新幹線にシフトしていく中で、修学旅行列車の余剰となった155系などは急行「伊豆」としてオリジナルカラーで見られたのはかなり貴重でしたが、写真を撮らなかった私は大馬鹿者ですね。
やがて、全てが湘南色に染まってしまいましたが、結局は急行自体が廃止されていく流れの中、最終的に行き場を失ってしまったようなイメージでしたね。
博物館に行けばいつでも見れそうな感じですが、やはり現役時代でこそ!という想いが募ります。
確かに、伊豆方面へは修学旅行も多かったと思われ、その関係から155系や159系を下田でよく見かけたと思います。
ただ、時代は新幹線にシフトしていく中で、修学旅行列車の余剰となった155系などは急行「伊豆」としてオリジナルカラーで見られたのはかなり貴重でしたが、写真を撮らなかった私は大馬鹿者ですね。
やがて、全てが湘南色に染まってしまいましたが、結局は急行自体が廃止されていく流れの中、最終的に行き場を失ってしまったようなイメージでしたね。
博物館に行けばいつでも見れそうな感じですが、やはり現役時代でこそ!という想いが募ります。
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大井川鐵道も国鉄からの乗り入れがありましたが、今はどうなんですかね?