1982年「青春18のびのびきっぷ」の旅④
2019-03-10
私たち御一行は、高松より「中村夜行」こと731Dに乗り高知を目指す。先程も触れたが、この列車にはリクライニングシート車両が連結されている。中村で折り返し急行「あしずり」に変身するため車両自体はグリーン車マークが入っているが、実際には急行に変身してもグリーン車としては運用されておらず、指定席としての運用だ。やるなっ、国鉄四国支部!かなりの太っ腹でないか。さらに中村夜行こと731Dもこの「指定席」の車両にも特別な料金設定をしておらず、普通に解放!トーカ堂の北さんではないが、これはかなりお買い得である。しかしながら皆考えることは同じ。この車両ばかり「満員御礼」であるのはある意味常識か。

近年に高架化された高知。こちらは当然高架化前の撮影になるが、隣の駅が小さく表記されているのは実際に隣にある駅で、大きく表記されているのは利用者が多い隣の駅である。
さて、我々は未明の高知で731Dを乗り捨てる。もちろん我々が去った席は即座に埋まる事であろう。高知に着いたのは4時20分。ここで高松に折り返す列車は高知4時58分、始発のDLが牽引するPCだが、旧型客車ではなく、なんと新しく置き換わった50系であった。少々残念であったが、今考えたら50系の乗車はある意味貴重であったのではなかろうか。全国の旧型客車を置き換えるために造られたであろう50系であるが、国鉄がJRに移管されてからは急激に客車列車の運用が減ったと思う。そのため、せっかく製造された50系も活躍の場が減っていき、ある意味短命だった印象なのだが、皆様はどうお感じになられただろう。

列車交換のためのわずかな停車時間であったが、なかなか魅力のある駅を発見したものだ。こうした駅は私が最も好む部類であるが、近年ではこうした駅舎を持つ駅も少なくなってきた。
しかし、高知から乗り換えなしで高松に行けるのはとても楽ではあるが、高松着が10時34分の為、約5時間乗りっ放しである。逆に後半は修業的な精神的ダメージを受ける覚悟をしなければならないであろう。
とはいいながら途中の豊永など私か知らなかった駅なのに、列車交換のため少々停車していたらなぜか愛着が湧き出しそうな感情になってしまう。意外に四国はこうした駅の宝庫でなかろうか。
そんな発見に喜ぶ中学生を乗せた列車は、頭端式の櫛形ホームにDCが顔を連ねる高松に着くと、改札口横には「讃岐うどん」の文字。香川と言えばこれだろう!私達は一目散にその文字の見える「空間」へと向かった。この時が「初」讃岐うどんであるが、高松では連絡船に乗り換える事になっている。だが約一時間ほどの待ち合わせのため少々時間がある。うどんで体を温めてから本州に上陸しよう!そんな重大な決意を胸に箸を動かす。そういえば先述した通り瀬戸大橋はまだ無い。本州へ上陸するには「宇高」か「仁掘」の連絡船に乗らなければならない。連絡船というとどうしても「北へ帰る人の群れは誰も無口」で「凍えそうなカモメ」でも出てきそうな寒々しい風景をイメージしてしまうが全くそんな事はなく、むしろ甲板でかっぱえびせんを天高く翳せば元気なカモメが群れをなす。そんなアットホームな乗り物であるが、もちろん本州へは民間のフェリーでも上陸できる。しかし基本「船」しかない。
高松では連絡船乗り場に向かう通路がホームに対し斜めになっている。現在ではホームに対し約90度でうどん店があるのだが、当時は斜め45度くらいに連絡船への連絡通路があり、それにあわせてうどん店もホームから見ると斜め45度になっていた。
食事を終了し宇高航路に乗り換え。実は青春18で「連絡船」も乗船可能であるため、もちろん別料金なしで本州入りできる。切符の機能をフルに使っての行程だ。
宇野で船から列車にチェンジして岡山より山陽本線の「普通列車」に乗り換え、いよいよ最終の行程に近付く。
途中、神戸で東海道線に変わるが、今で言う上野・東京ラインが東京をスルーするように神戸も何気なく途中駅の様に過ぎ何のアクセントも無い。

実質的に徳島線との乗り換え駅である阿波池田。実際にはとなりの佃で分岐するが、土讃線の要衝駅である事は今も昔も変わらない。
そんな列車で姫路から大垣行きに乗り換えるのだが、途中岡山辺りでアクシデントがあった。それは岡山発姫路行き普通列車で姫路に向かうのだが、メンバーの若干名が乗っていなかった・・・顧問の教諭が慌てて折りかえし岡山に向かうが、私を含め乗車していたグループは予定通りそのまま姫路まで向かう事になった。
どこの駅だか忘れたが、新幹線停車駅で我々に追いついた顧問の教諭はしっかりとはぐれたメンバーを連れていた。どうやって見つけだしたかは忘れてしまったが、何れにせよ無事メンバー全員揃って大垣まで向かう事ににり教諭も面子が保てたろう。だが、ある意味予想外の出費にいささか怒りのやり場も無いまま大垣に向け列車に身を預けていた。しかしながら「携帯電話」等無い時代。どのようにして探し出したのだろう。

国鉄時代の高松の画像はウィキより。ご覧頂いてわかると思うが、手前のうどん店がホームに向かって斜めになっている。これは画像手前に連絡船乗り場に繋がる通路があるためで、現在この通路はない。そしてうどん店もホームに対し垂直になった。
既に疲労困憊の皆の衆であるが、こういう時こそやたら腹が減るものだ。列車に乗っていると、結局「食う」か「寝る」かの選択肢しかない。または車両や駅の風景を楽しむ・・・とはいえ、レールファンでない方にはこの「駅を見て楽しむ」という行為はなかなか理解してもらえないかも知れないのだが・・・
さて、旅も終焉に近づきもう帰るのみの行程であるが、それより何より「風呂」に入りたい。今回の旅行程は4泊5日なのだが、お風呂タイムなど無い!乗り換え優先、制覇優先であるため宿は夜行列車だ。もちろん寝台などではなく普通に座席だ。たまにはふとんの中で寛ぎたい。いや、こういうシーンだからこそ布団のありがたみがわかるものだ。

これが大垣駅の入場券であるが料金に注目していただきたい。ご覧の通り、他の駅に比べ破格の料金設定である!その理由は・・・
そんな普段の幸せやありがたみが身に染みてわかった中学生を乗せた「湘南色」はようやく大垣に着いた。とりあえず待ち時間がたっぷりあるので入場券を買いに行く。大垣の入場券はなんと80円!国鉄の入場券は120円なのだがこの「入場セール」に、惜しげもなく10枚以上購入。なぜこんなに破格なのかというと、大垣には近鉄(現・養老鉄道)が乗り入れており国鉄と改札が共同であったのでこんな破格な入場券が提供される仕組みだったのだ。
さて、一瞬であるが入場券のブームが到来したあと、いよいよ上り「大垣夜行」に乗り帰郷する。とはいえ、もちろん東京行きだ。座席確保はもう手慣れたものだ。東京寄りでは恐らく急行「東海」とペアで運用されているであろうお馴染みの165系であるので勝手はわかっている。
電留線から入線してきた「大垣夜行」は普通列車なのに妙に風格があった。車内に乗り込むと、早速リクライニングできない固定ボックスシートに男同士身を寄せながら出発の時間を待っていた。

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近年に高架化された高知。こちらは当然高架化前の撮影になるが、隣の駅が小さく表記されているのは実際に隣にある駅で、大きく表記されているのは利用者が多い隣の駅である。
さて、我々は未明の高知で731Dを乗り捨てる。もちろん我々が去った席は即座に埋まる事であろう。高知に着いたのは4時20分。ここで高松に折り返す列車は高知4時58分、始発のDLが牽引するPCだが、旧型客車ではなく、なんと新しく置き換わった50系であった。少々残念であったが、今考えたら50系の乗車はある意味貴重であったのではなかろうか。全国の旧型客車を置き換えるために造られたであろう50系であるが、国鉄がJRに移管されてからは急激に客車列車の運用が減ったと思う。そのため、せっかく製造された50系も活躍の場が減っていき、ある意味短命だった印象なのだが、皆様はどうお感じになられただろう。

列車交換のためのわずかな停車時間であったが、なかなか魅力のある駅を発見したものだ。こうした駅は私が最も好む部類であるが、近年ではこうした駅舎を持つ駅も少なくなってきた。
しかし、高知から乗り換えなしで高松に行けるのはとても楽ではあるが、高松着が10時34分の為、約5時間乗りっ放しである。逆に後半は修業的な精神的ダメージを受ける覚悟をしなければならないであろう。
とはいいながら途中の豊永など私か知らなかった駅なのに、列車交換のため少々停車していたらなぜか愛着が湧き出しそうな感情になってしまう。意外に四国はこうした駅の宝庫でなかろうか。
そんな発見に喜ぶ中学生を乗せた列車は、頭端式の櫛形ホームにDCが顔を連ねる高松に着くと、改札口横には「讃岐うどん」の文字。香川と言えばこれだろう!私達は一目散にその文字の見える「空間」へと向かった。この時が「初」讃岐うどんであるが、高松では連絡船に乗り換える事になっている。だが約一時間ほどの待ち合わせのため少々時間がある。うどんで体を温めてから本州に上陸しよう!そんな重大な決意を胸に箸を動かす。そういえば先述した通り瀬戸大橋はまだ無い。本州へ上陸するには「宇高」か「仁掘」の連絡船に乗らなければならない。連絡船というとどうしても「北へ帰る人の群れは誰も無口」で「凍えそうなカモメ」でも出てきそうな寒々しい風景をイメージしてしまうが全くそんな事はなく、むしろ甲板でかっぱえびせんを天高く翳せば元気なカモメが群れをなす。そんなアットホームな乗り物であるが、もちろん本州へは民間のフェリーでも上陸できる。しかし基本「船」しかない。
高松では連絡船乗り場に向かう通路がホームに対し斜めになっている。現在ではホームに対し約90度でうどん店があるのだが、当時は斜め45度くらいに連絡船への連絡通路があり、それにあわせてうどん店もホームから見ると斜め45度になっていた。
食事を終了し宇高航路に乗り換え。実は青春18で「連絡船」も乗船可能であるため、もちろん別料金なしで本州入りできる。切符の機能をフルに使っての行程だ。
宇野で船から列車にチェンジして岡山より山陽本線の「普通列車」に乗り換え、いよいよ最終の行程に近付く。
途中、神戸で東海道線に変わるが、今で言う上野・東京ラインが東京をスルーするように神戸も何気なく途中駅の様に過ぎ何のアクセントも無い。

実質的に徳島線との乗り換え駅である阿波池田。実際にはとなりの佃で分岐するが、土讃線の要衝駅である事は今も昔も変わらない。
そんな列車で姫路から大垣行きに乗り換えるのだが、途中岡山辺りでアクシデントがあった。それは岡山発姫路行き普通列車で姫路に向かうのだが、メンバーの若干名が乗っていなかった・・・顧問の教諭が慌てて折りかえし岡山に向かうが、私を含め乗車していたグループは予定通りそのまま姫路まで向かう事になった。
どこの駅だか忘れたが、新幹線停車駅で我々に追いついた顧問の教諭はしっかりとはぐれたメンバーを連れていた。どうやって見つけだしたかは忘れてしまったが、何れにせよ無事メンバー全員揃って大垣まで向かう事ににり教諭も面子が保てたろう。だが、ある意味予想外の出費にいささか怒りのやり場も無いまま大垣に向け列車に身を預けていた。しかしながら「携帯電話」等無い時代。どのようにして探し出したのだろう。

国鉄時代の高松の画像はウィキより。ご覧頂いてわかると思うが、手前のうどん店がホームに向かって斜めになっている。これは画像手前に連絡船乗り場に繋がる通路があるためで、現在この通路はない。そしてうどん店もホームに対し垂直になった。
既に疲労困憊の皆の衆であるが、こういう時こそやたら腹が減るものだ。列車に乗っていると、結局「食う」か「寝る」かの選択肢しかない。または車両や駅の風景を楽しむ・・・とはいえ、レールファンでない方にはこの「駅を見て楽しむ」という行為はなかなか理解してもらえないかも知れないのだが・・・
さて、旅も終焉に近づきもう帰るのみの行程であるが、それより何より「風呂」に入りたい。今回の旅行程は4泊5日なのだが、お風呂タイムなど無い!乗り換え優先、制覇優先であるため宿は夜行列車だ。もちろん寝台などではなく普通に座席だ。たまにはふとんの中で寛ぎたい。いや、こういうシーンだからこそ布団のありがたみがわかるものだ。

これが大垣駅の入場券であるが料金に注目していただきたい。ご覧の通り、他の駅に比べ破格の料金設定である!その理由は・・・
そんな普段の幸せやありがたみが身に染みてわかった中学生を乗せた「湘南色」はようやく大垣に着いた。とりあえず待ち時間がたっぷりあるので入場券を買いに行く。大垣の入場券はなんと80円!国鉄の入場券は120円なのだがこの「入場セール」に、惜しげもなく10枚以上購入。なぜこんなに破格なのかというと、大垣には近鉄(現・養老鉄道)が乗り入れており国鉄と改札が共同であったのでこんな破格な入場券が提供される仕組みだったのだ。
さて、一瞬であるが入場券のブームが到来したあと、いよいよ上り「大垣夜行」に乗り帰郷する。とはいえ、もちろん東京行きだ。座席確保はもう手慣れたものだ。東京寄りでは恐らく急行「東海」とペアで運用されているであろうお馴染みの165系であるので勝手はわかっている。
電留線から入線してきた「大垣夜行」は普通列車なのに妙に風格があった。車内に乗り込むと、早速リクライニングできない固定ボックスシートに男同士身を寄せながら出発の時間を待っていた。

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