題名の無い鉄道旅 part1 ばんえつ物語号 ④
2023-06-03
私の想像していた、いや、かつて私が制覇した時の白新線のイメージを覆し、飛び乗った車両はロングシートであった。
どちらかというと、白新線は新潟近郊の通勤通学路線のイメージが強いが「いなほ」や、かつての「白鳥」などが水原を経由せず、新潟から白新線を使っているため短絡線のイメージも強い。いや、短絡線という表現はおかしくて、かえって遠回りになるが新潟に寄るためのひとつの手段としての役割が大きい。ただ、新潟の市街地から沿線が急激に発展してきたため、国鉄時代の白新線に比べかなり役割も変化してきており、現在の「近郊形」「通勤形」のイメージが強くなってきたわけだ。その代表的なのが東新潟であろう。

私の能書きよりも図を見ていただく方が早いであろう。とはいえ、大変芸術的な配線図で申し訳ないが、これが新旧の東新潟駅である。国鉄時代は白新線が貨物ヤードを挟む形でホームがあったため、特に利用者の多い南側・・・つまり上りホーム側からの利用者は下り列車に乗る場合、又は上り列車から降りる場合は長い通路を歩く事になり非常に労力のいる作業であった。現在はご覧のような形になり、駅南側の利用者には大変便利になった。
国鉄時代では東新潟構内に大きなヤードがあり、上下のホームがヤードを挟む形で離れていた。現在では上りホームが移動する形でひとつの構内に収まり、ヤードも若干整理された。利用者にとっても経営する側にとっても非常にスリムになり多くのご利益があったであろう。更に、豊栄の利用者増や越後線の電化も併せて、新潟界隈はかなり賑やかになった。その根元となっているのはやはり新幹線の開通で、その恩恵も大きい。

JR職員が若干、大阪・難波の風景によく似たウイニングラン的ポーズを決めているが、こちらは運転終了が発表されてすぐの寝台特急「あけぼの」である。私はこの列車で改めて新発田~坂町間を制覇した。
さて、万代橋こそ眺められなかったが、深夜未明の新潟を去り、私は羽越線未制覇部分の新発田~坂町間の制覇に乗り出した。坂町~酒田は1983年に制覇しているが、その時は特急「白鳥」で、2014年には酒田~秋田を寝台特急「あけぼの」での制覇だったため一瞬で過ぎてしまい何となく味気ないものとして現在も心の片隅に残っている。いつかは普通列車又はレンタカーなどで各駅を訪問してみたいが、まだまだ先になるであろう。ただ新発田から坂町まで普通列車となり、何となく国鉄の面影と風情が残る羽越線を少しは堪能できたイメージであるが、ムーンライトから白新線を挟み、羽越線の道のりはまだまだ朝早い。ロングシートで振り返る窓の景色はやや三沢光晴式のフェースロック気味に首が決まっているが、いつしかじっくりと訪れてみたい駅が沢山鏤められているようだ。特急列車では見えなかった新たな何かを発見し、更に確認するために私は心に誓う何かを車窓から見つけた思いであった。

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どちらかというと、白新線は新潟近郊の通勤通学路線のイメージが強いが「いなほ」や、かつての「白鳥」などが水原を経由せず、新潟から白新線を使っているため短絡線のイメージも強い。いや、短絡線という表現はおかしくて、かえって遠回りになるが新潟に寄るためのひとつの手段としての役割が大きい。ただ、新潟の市街地から沿線が急激に発展してきたため、国鉄時代の白新線に比べかなり役割も変化してきており、現在の「近郊形」「通勤形」のイメージが強くなってきたわけだ。その代表的なのが東新潟であろう。

私の能書きよりも図を見ていただく方が早いであろう。とはいえ、大変芸術的な配線図で申し訳ないが、これが新旧の東新潟駅である。国鉄時代は白新線が貨物ヤードを挟む形でホームがあったため、特に利用者の多い南側・・・つまり上りホーム側からの利用者は下り列車に乗る場合、又は上り列車から降りる場合は長い通路を歩く事になり非常に労力のいる作業であった。現在はご覧のような形になり、駅南側の利用者には大変便利になった。
国鉄時代では東新潟構内に大きなヤードがあり、上下のホームがヤードを挟む形で離れていた。現在では上りホームが移動する形でひとつの構内に収まり、ヤードも若干整理された。利用者にとっても経営する側にとっても非常にスリムになり多くのご利益があったであろう。更に、豊栄の利用者増や越後線の電化も併せて、新潟界隈はかなり賑やかになった。その根元となっているのはやはり新幹線の開通で、その恩恵も大きい。

JR職員が若干、大阪・難波の風景によく似たウイニングラン的ポーズを決めているが、こちらは運転終了が発表されてすぐの寝台特急「あけぼの」である。私はこの列車で改めて新発田~坂町間を制覇した。
さて、万代橋こそ眺められなかったが、深夜未明の新潟を去り、私は羽越線未制覇部分の新発田~坂町間の制覇に乗り出した。坂町~酒田は1983年に制覇しているが、その時は特急「白鳥」で、2014年には酒田~秋田を寝台特急「あけぼの」での制覇だったため一瞬で過ぎてしまい何となく味気ないものとして現在も心の片隅に残っている。いつかは普通列車又はレンタカーなどで各駅を訪問してみたいが、まだまだ先になるであろう。ただ新発田から坂町まで普通列車となり、何となく国鉄の面影と風情が残る羽越線を少しは堪能できたイメージであるが、ムーンライトから白新線を挟み、羽越線の道のりはまだまだ朝早い。ロングシートで振り返る窓の景色はやや三沢光晴式のフェースロック気味に首が決まっているが、いつしかじっくりと訪れてみたい駅が沢山鏤められているようだ。特急列車では見えなかった新たな何かを発見し、更に確認するために私は心に誓う何かを車窓から見つけた思いであった。

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コメント
にわか者様
コメントありがとうございます。
新潟界隈は鉄道にとってはとても複雑で、ある意味経営者泣かせの部分もあったのではないでしょうか。
特に、特急列車の運転には苦労している印象があり、新潟に寄る「白鳥」は白新線を使いますが、新潟でスイッチバックしなければなりませんね。その解決策として無理に越後線経由にすると長岡に寄れず、大きな痛手となります。
もちろん、新幹線では既に解決してますが「羽越新幹線」の構想では在来線直通型の案がありましたから、当然白新線を遣使う事になると思います。
ただ、羽越線自体の輸送量が落ちてますから、恐らく実現は難しいと思われます。
確かに国鉄時代に白新線ではDCが運用されてましたね。村上から先にある交流区間の対応策と車両不足の対応策だと思われますが、我々にしてみれば「大人の事情」などわからないですから不思議な感じがしますよね。
白新線を経由しない羽越線では旧型客車の運用もあり、「らしさ」を感じることが出来ますね。
新潟界隈は鉄道にとってはとても複雑で、ある意味経営者泣かせの部分もあったのではないでしょうか。
特に、特急列車の運転には苦労している印象があり、新潟に寄る「白鳥」は白新線を使いますが、新潟でスイッチバックしなければなりませんね。その解決策として無理に越後線経由にすると長岡に寄れず、大きな痛手となります。
もちろん、新幹線では既に解決してますが「羽越新幹線」の構想では在来線直通型の案がありましたから、当然白新線を遣使う事になると思います。
ただ、羽越線自体の輸送量が落ちてますから、恐らく実現は難しいと思われます。
確かに国鉄時代に白新線ではDCが運用されてましたね。村上から先にある交流区間の対応策と車両不足の対応策だと思われますが、我々にしてみれば「大人の事情」などわからないですから不思議な感じがしますよね。
白新線を経由しない羽越線では旧型客車の運用もあり、「らしさ」を感じることが出来ますね。
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あとはDCですね。
“白鳥”もそうですが、電車も走っていたのに…何故かDC…