題名の無い鉄道旅 part1 ばんえつ物語号⑨
2023-07-08
喜多方…1983年の夏に来て以来約25年振りくらい(当時)のため何となく懐かしい。「懐かしい」とあえて表現したが、つまり、国鉄当時の面影がたくさん感じられたということだ。当時は旧型客車による普通列車であったが、現在は全て気動車、または電車化された。近い将来、全てが気動車になる日が来るような報道がなされているが、それでも存続して列車が運転されているだけでもある意味貴重なのかも知れない、
私はあえて会津若松へ行かずに喜多方で下車した。この土地の名物と言えばいわずと知れた「麺類」であろう。妻には、いや、表向きにはこのラーメン目的で下車したとする事にしたが、喜多方で下車した本当の意味は「日中線」にあった。

改造されたとはいえ国鉄の名残を感じる事ができる車両であるが、かつては急行列車や団体列車などで活躍した。「八甲田」や「十和田」など、私がお世話になった急行列車の車両がこうして時を経てまた乗車できるとは、ある意味貴重である。
日中線とは、国鉄時代に廃止された喜多方~熱塩を結んでいた路線であったが、延伸予定の日中までたどり着く事無く力尽きてしまったのだ。かつては「赤字83線区」などと称され赤字を少しでも、というより国鉄の赤字というイメージを少しでも無くそうと「努力してますよ」とのアピール材料的な形で挙げられた路線であった。もちろん、その中には日中線も入っていたが、例えこの83線区が全て廃止されても、国鉄の赤字額の一割程度だったらしい。某鉄道作家が「本当に赤字を無くすなら東海道線を廃止すればいい」などと冗談混じりで言っていたが、まさにその通りだったかも知れない。つまり赤字は路線云々よりも国鉄の体質にあったのであろう。恐らくそう言いたかったに違いない。

ラウンジカーも連結されていた。現在、観光列車では欠かせない存在となっているが、国鉄時代ではこうした車両が夢であった時期もあった。特に寝台特急では開放型が主流であったので、こうした車両の連結を各方面から要望が沢山あったであろう。
そんなバックボーンを抱え廃止されていった日中線と、私は再び会ってみたかった。もちろん、そこに現役の線路はない。たが、ホームに降り立つと、中学生時代に初めてひとり旅で来たあの喜多方の風景を即座に思い出した。そしてDLに牽引される旧型客車が私を待っていた風景が甦ってくる。
現在、日中線の証があるのは終点の熱塩のみである。もちろん熱塩までの廃線跡は一部サイクリングロードなどに転用されているのでわかりやすい。残念ながら時間の制約から今回の訪問は見送らせていただいたが、例え「資料館」となっても暫くはその勇姿を魅せてくれる事であろう。
私の「ばんえつ物語」の結末は、熱塩加納町の片隅で起きた小さな出来事であったが、今も大きな思い出として記憶の片隅で眠っている。

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私はあえて会津若松へ行かずに喜多方で下車した。この土地の名物と言えばいわずと知れた「麺類」であろう。妻には、いや、表向きにはこのラーメン目的で下車したとする事にしたが、喜多方で下車した本当の意味は「日中線」にあった。

改造されたとはいえ国鉄の名残を感じる事ができる車両であるが、かつては急行列車や団体列車などで活躍した。「八甲田」や「十和田」など、私がお世話になった急行列車の車両がこうして時を経てまた乗車できるとは、ある意味貴重である。
日中線とは、国鉄時代に廃止された喜多方~熱塩を結んでいた路線であったが、延伸予定の日中までたどり着く事無く力尽きてしまったのだ。かつては「赤字83線区」などと称され赤字を少しでも、というより国鉄の赤字というイメージを少しでも無くそうと「努力してますよ」とのアピール材料的な形で挙げられた路線であった。もちろん、その中には日中線も入っていたが、例えこの83線区が全て廃止されても、国鉄の赤字額の一割程度だったらしい。某鉄道作家が「本当に赤字を無くすなら東海道線を廃止すればいい」などと冗談混じりで言っていたが、まさにその通りだったかも知れない。つまり赤字は路線云々よりも国鉄の体質にあったのであろう。恐らくそう言いたかったに違いない。

ラウンジカーも連結されていた。現在、観光列車では欠かせない存在となっているが、国鉄時代ではこうした車両が夢であった時期もあった。特に寝台特急では開放型が主流であったので、こうした車両の連結を各方面から要望が沢山あったであろう。
そんなバックボーンを抱え廃止されていった日中線と、私は再び会ってみたかった。もちろん、そこに現役の線路はない。たが、ホームに降り立つと、中学生時代に初めてひとり旅で来たあの喜多方の風景を即座に思い出した。そしてDLに牽引される旧型客車が私を待っていた風景が甦ってくる。
現在、日中線の証があるのは終点の熱塩のみである。もちろん熱塩までの廃線跡は一部サイクリングロードなどに転用されているのでわかりやすい。残念ながら時間の制約から今回の訪問は見送らせていただいたが、例え「資料館」となっても暫くはその勇姿を魅せてくれる事であろう。
私の「ばんえつ物語」の結末は、熱塩加納町の片隅で起きた小さな出来事であったが、今も大きな思い出として記憶の片隅で眠っている。

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コメント
にわか者様
コメントありがとうございます。
そうなんです、SLは喜多方で下車し「名物」をいただきました。ただ、本来の目的は日中線探しでしたが、全く面影を感じなかったので、やはり完全に過去のものだと実感しました。元路線の一部はサイクリングロードに転用され、熱塩駅は記念館になったことは周知の通りですが、我々の知るDL牽引による旧型客車の運用での日中線がそこに無いのは寂しい限りですり
ただ、12系客車も現在は旧型客車の部類になってしまうのでしょうか。しかもJRではなく国鉄ですからね。
そうなんです、SLは喜多方で下車し「名物」をいただきました。ただ、本来の目的は日中線探しでしたが、全く面影を感じなかったので、やはり完全に過去のものだと実感しました。元路線の一部はサイクリングロードに転用され、熱塩駅は記念館になったことは周知の通りですが、我々の知るDL牽引による旧型客車の運用での日中線がそこに無いのは寂しい限りですり
ただ、12系客車も現在は旧型客車の部類になってしまうのでしょうか。しかもJRではなく国鉄ですからね。
熱塩駅は記念館になっているんですよね。
私は廃線には興味がないのですが、それでも熱塩駅となると…
いつかは行ってみたいですね。
私は廃線には興味がないのですが、それでも熱塩駅となると…
いつかは行ってみたいですね。
にわか者様
コメントありがとうございます。
残念ながら、私は廃線や更に未成線には俄然興味がありまして、いつか行ってみたい未成線は美幸線と興浜線です。特に美幸線の歌登付近と、更に深名線の湖畔や名羽線など、死ぬまでに必ず行きたいです。
ところで日中線の熱塩ですが、先述の通り記念館になっており、駅舎もそのままに近い形で残っているようです。私は現役時代しか行ったことはないですが、管理状態は現役時代よりむしろ良いらしく、今になっても行ってみる価値はあると思います。
しかし、もし日中線が現存していたらどうなっていたでしょうか…恐らくレールバスか何かに切り替えられ、駅などもモダンな造りに変わっているかも知れませんね。ちょっと日中線のイメージからかけはなれてしまいますが…
残念ながら、私は廃線や更に未成線には俄然興味がありまして、いつか行ってみたい未成線は美幸線と興浜線です。特に美幸線の歌登付近と、更に深名線の湖畔や名羽線など、死ぬまでに必ず行きたいです。
ところで日中線の熱塩ですが、先述の通り記念館になっており、駅舎もそのままに近い形で残っているようです。私は現役時代しか行ったことはないですが、管理状態は現役時代よりむしろ良いらしく、今になっても行ってみる価値はあると思います。
しかし、もし日中線が現存していたらどうなっていたでしょうか…恐らくレールバスか何かに切り替えられ、駅などもモダンな造りに変わっているかも知れませんね。ちょっと日中線のイメージからかけはなれてしまいますが…
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しかし…今どきのNOWでヤングなテツたちには、到底ご理解いただけないかと…
それにしても…ばんえつ物語を喜多方で下車してしまったんですか???