題名の無い鉄道旅 part2 奥久慈風っ子号③
2023-07-29
横須賀線が東京方面へ向かう際に大船から先、東海道貨物線を利用し(実際は線路を増設し)横浜羽沢方面から新鶴見を経由し品川へと向かうルートになるため、一旦東海道線を乗り越えなければならない。それを大船~保土ヶ谷間で実現させ、大船~戸塚間で上り線が、戸塚~保土ヶ谷間で下り線が乗り越える形を取り、間にある戸塚にホームを新設して方向別の乗換駅として活用させたのだ。文章だと伝わりにくいので前章で芸術的な図を記したが、このプロジェクトにより戸塚は東海道線が停車するようになり乗換駅として活用されるようになったのだ。


戸塚の駅周辺はかなり整備された。市営地下鉄も乗り入れるようになり益々利用者が増えたが、東海道線と横須賀線の乗り換え駅としての機能もしっかりと活かされている。
かつて戸塚では、東京寄りのホーム先端部に「開かずの踏切」があり、さらに小田原寄りには川がながれており、ホームが川の上まで延長されており改良の苦労が伺えたが、現在は開かずの踏切は解消され駅前もスッキリした。
奥久慈風っ子号の紹介のはずなのに東海道線でかなりのスペースを割いてしまったが、この東海道線と横須賀線の分離運転は私にとって非常に大きな革命として子供心を揺さぶられた事件であった。

戸塚の改良により、現在では乗り入れる列車もバラエティになった。総武線・横須賀線直通運転開始当時、大船に「わかしお」等の特急が乗り入れる風景が実に新鮮であったが、現在はこうした活用も出てきた。ブログに載せるような写真では無く申し訳ないが・・・
その分離運転のタイミングで戸塚~保土ヶ谷間に新しく東戸塚が開設されたが、開設前は山深く発展途上の雰囲気満載で、本当に駅ができるのかと、駅設置予定の看板がやたら眩しかった印象であった。開設後も暫くは発展途上の風景が続きかつての新百合ヶ丘的なイメージであったが、現在は周知の通り、以前のイメージなど全く無いくらいに成長した。
そんな思い出深い風景を眺めながら、昭和の国鉄時代にのように、律儀に東京まで東海道線をのり山手線又は京浜東北線に乗り換え上野まで出て、13番線ではないものの地上ホームの15番線辺りから出る東北本線普通列車に乗り換える。
「18」のため乗車できる列車が制限されてしまうが、可能な限り「18」で乗れる列車を使い黒磯までやって来た。レールファンはご存じであるかと思われるが、黒磯は交流、直立電化区間の境界線であり、国鉄時代で黒磯から先の東北本線では交流機関車が牽引する旧型客車による普通列車が頻繁に運転されていた。そのため、東北新幹線開業当時は福島や郡山辺りでは既に新幹線と旧型客車による共演が当たり前の時代であったのだ。

湘南新宿ラインの活用により、東海道線からこのような駅へ乗り換えなしで行けるようになったのは実に新鮮であり驚きでもあった。逆に言うと、茅ヶ崎あたりから東京方面へ向かう際、しっかりと行き先と経由を確認しないと、例えば寝過ごしてしまった場合、とんでもない駅で目が覚める可能性があるであろう。
私が福島は飯坂温泉で自動車免許の合宿が終了して帰郷する際、交通費の節約のため普通列車のみで帰郷した。もちろん、それまでの数々の経験からそのような行動は既に慣れたものであったが、当時はレールファン休業中であったので、写真などの記録は全くしていなかった。今思えば残念でもあるが、その際も黒磯まで旧型客車に揺られ帰郷したのたがからとても思い出深い。
水郡線一路線を制覇するだけなのに、そのプロセスで色々な思い出が甦ってくる。やはりあえてこのような表現をするが、汽車旅は良い!などと思い出に浸っていたら、とんでもないちょっとした事件がおこったのだ。

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戸塚の駅周辺はかなり整備された。市営地下鉄も乗り入れるようになり益々利用者が増えたが、東海道線と横須賀線の乗り換え駅としての機能もしっかりと活かされている。
かつて戸塚では、東京寄りのホーム先端部に「開かずの踏切」があり、さらに小田原寄りには川がながれており、ホームが川の上まで延長されており改良の苦労が伺えたが、現在は開かずの踏切は解消され駅前もスッキリした。
奥久慈風っ子号の紹介のはずなのに東海道線でかなりのスペースを割いてしまったが、この東海道線と横須賀線の分離運転は私にとって非常に大きな革命として子供心を揺さぶられた事件であった。

戸塚の改良により、現在では乗り入れる列車もバラエティになった。総武線・横須賀線直通運転開始当時、大船に「わかしお」等の特急が乗り入れる風景が実に新鮮であったが、現在はこうした活用も出てきた。ブログに載せるような写真では無く申し訳ないが・・・
その分離運転のタイミングで戸塚~保土ヶ谷間に新しく東戸塚が開設されたが、開設前は山深く発展途上の雰囲気満載で、本当に駅ができるのかと、駅設置予定の看板がやたら眩しかった印象であった。開設後も暫くは発展途上の風景が続きかつての新百合ヶ丘的なイメージであったが、現在は周知の通り、以前のイメージなど全く無いくらいに成長した。
そんな思い出深い風景を眺めながら、昭和の国鉄時代にのように、律儀に東京まで東海道線をのり山手線又は京浜東北線に乗り換え上野まで出て、13番線ではないものの地上ホームの15番線辺りから出る東北本線普通列車に乗り換える。
「18」のため乗車できる列車が制限されてしまうが、可能な限り「18」で乗れる列車を使い黒磯までやって来た。レールファンはご存じであるかと思われるが、黒磯は交流、直立電化区間の境界線であり、国鉄時代で黒磯から先の東北本線では交流機関車が牽引する旧型客車による普通列車が頻繁に運転されていた。そのため、東北新幹線開業当時は福島や郡山辺りでは既に新幹線と旧型客車による共演が当たり前の時代であったのだ。

湘南新宿ラインの活用により、東海道線からこのような駅へ乗り換えなしで行けるようになったのは実に新鮮であり驚きでもあった。逆に言うと、茅ヶ崎あたりから東京方面へ向かう際、しっかりと行き先と経由を確認しないと、例えば寝過ごしてしまった場合、とんでもない駅で目が覚める可能性があるであろう。
私が福島は飯坂温泉で自動車免許の合宿が終了して帰郷する際、交通費の節約のため普通列車のみで帰郷した。もちろん、それまでの数々の経験からそのような行動は既に慣れたものであったが、当時はレールファン休業中であったので、写真などの記録は全くしていなかった。今思えば残念でもあるが、その際も黒磯まで旧型客車に揺られ帰郷したのたがからとても思い出深い。
水郡線一路線を制覇するだけなのに、そのプロセスで色々な思い出が甦ってくる。やはりあえてこのような表現をするが、汽車旅は良い!などと思い出に浸っていたら、とんでもないちょっとした事件がおこったのだ。

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