1983年・春爛漫<青春18>①
2019-04-20
鹿児島交通廃止!の情報を風の噂で察知した私は、早速訪問予定を組むことにした。廃止予定日は1983年3月31日と発表された。後に記すが、結果的に沿線住民などとのやり取りもあり廃止は延期されたのだが、あくまで「延期」であり、結果的に後日その運命を免れない「Xデー」がやって来る事になる。私は延期の事実を知らされないまま「Xデー」に鹿児島に着くよう予定を組むが、なんと「青春18」で鹿児島入りするという無謀な計画を立案した!参加者は私と「鉄道研究クラブ」の部員1名の合計2名での出陣である。前回紹介した「何も言えなくて・・・夏」に登場したあのメンバーである。ということで、中学2年から3年にステップアップする春休みに「部活」ではなくあくまで「個人」の旅が始まった。

画像はウィキより拝借した鹿児島交通。廃止直前は台風による被害を受けて一部で不通区間が出た。その後復旧することなく全線廃止となったが、私の訪問時は最初に発表された廃止日である1983年3月31日であった。
さて、あくまでも「個人の旅」の為、相方といつものように「西寒川駅」より出発し「大垣夜行」に乗る恒例の行程となった。もちろん、前回紹介したように現在のような「ムーンライトながら」的な風景ではなく、グリーン車以外は全て自由席のため東京駅で約3時間待ち座席を確保する。たが今回も二人旅の為、ボックス席には面識のない二人と同席となる。

(現在はJR東海の所属となった静岡。いわゆる「大垣夜行」の到着の際は「べんと~~っ!」の掛け声とともに駅弁を売りに来るのは地味に有名かも知れない光景であった。)
ということで、いつものように東京を出発した165系の大垣夜行であるが、途中、東海地区は「快速」となり主要駅のみの停車となる。だが「18」による長旅は既に3回目となり大垣夜行の勝手もわかるようになってきたし旅の術も身につけ慣れたものになってきた。全く生意気になったものだ。
大垣夜行は先述通り、途中、東海地区では主要駅のみ停車する快速的運転となるが、名古屋付近にちょうど良い時間に到着するよう途中駅で時間調整する。そのため静岡や浜松等での停車時間が長い。そしてその停車時間に「フレートライナー」等の貨物列車にガンガン抜かれる。私たちは旅の初日の為、夜行列車では当然興奮状態で熟睡できないが、特に途中の静岡では深夜の時間帯なのになぜか「駅弁」を売りに来る!この駅弁は私にとって憧れのアイドル的存在だ。たが、当時中学生の私にはかなりの高嶺の花のため今一歩が踏み出せない。そう思うと尚更腹の虫が泣いてくる。それと一緒に売っているプラスチック容器に入った暖かいお茶もまた美味い!であろう。残念ながら静岡の駅弁購入は夢に破れてしまったが、誰もが憧れる(?)素敵な駅弁であろう。

(「大垣ダッシュ」の次に乗り換えがやってくる米原。ただ、ここでは北陸方面への乗り換えもあるためいささかリスクは分散されるイメージであるが、実際はいかに・・・)
やがて名古屋を過ぎ終点大垣に着くと、恒例の「大垣ダッシュ」を初めて経験する事になる。レールファンならご存じの光景であるが、レールファン以外の方のために「タイムボカン」風に説明しよう。大垣より先、米原方面へ乗り換えるため、次の列車目指し座席確保に皆命を懸ける。だが次の列車の乗り場が同一ホームではないため跨線橋を大勢の乗り換え客が「ダッシュ」するという光景がみられるのだ。それは現在も「ムーンライトながら」に引き継がれていたが、その「ムーンライト」も臨時化されて久しい。しかも本数が減少しているので「フェードアウト」もしかねない状況ではあるのだが、これからも是非走り続けてほしいのだ。しかし、なぜ大垣での乗り換が同一ホームではないのだろうか。JRがわざわざ意図的に同一ホームにしないのだろうか。これはある意味「いじめ」ではないのか。やはり同一ホームで乗り換えは必要事項であろう。

(画像はウィキより拝借した大垣夜行。JRになってからはご覧のような「ムーンライトながら」として全席指定となり、国鉄時代の特急車両が充てられるようになった。レギュラーはJR東海の車両であったが、現在は定期便がなくなり、国鉄時代にデビューした185系が充てられ、臨時列車ながら生き残っている。)
さて、座席は無事確保できこれより只管西へ向かう。かつては「ザ・ビートルズ(ずーとるびではない!)」の前座も務めた事のある超ビッグバンド(?)の「ゴー・ウエスト」というタイトルの曲にでも乗った気分で私は「門司港」を目指した。

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画像はウィキより拝借した鹿児島交通。廃止直前は台風による被害を受けて一部で不通区間が出た。その後復旧することなく全線廃止となったが、私の訪問時は最初に発表された廃止日である1983年3月31日であった。
さて、あくまでも「個人の旅」の為、相方といつものように「西寒川駅」より出発し「大垣夜行」に乗る恒例の行程となった。もちろん、前回紹介したように現在のような「ムーンライトながら」的な風景ではなく、グリーン車以外は全て自由席のため東京駅で約3時間待ち座席を確保する。たが今回も二人旅の為、ボックス席には面識のない二人と同席となる。

(現在はJR東海の所属となった静岡。いわゆる「大垣夜行」の到着の際は「べんと~~っ!」の掛け声とともに駅弁を売りに来るのは地味に有名かも知れない光景であった。)
ということで、いつものように東京を出発した165系の大垣夜行であるが、途中、東海地区は「快速」となり主要駅のみの停車となる。だが「18」による長旅は既に3回目となり大垣夜行の勝手もわかるようになってきたし旅の術も身につけ慣れたものになってきた。全く生意気になったものだ。
大垣夜行は先述通り、途中、東海地区では主要駅のみ停車する快速的運転となるが、名古屋付近にちょうど良い時間に到着するよう途中駅で時間調整する。そのため静岡や浜松等での停車時間が長い。そしてその停車時間に「フレートライナー」等の貨物列車にガンガン抜かれる。私たちは旅の初日の為、夜行列車では当然興奮状態で熟睡できないが、特に途中の静岡では深夜の時間帯なのになぜか「駅弁」を売りに来る!この駅弁は私にとって憧れのアイドル的存在だ。たが、当時中学生の私にはかなりの高嶺の花のため今一歩が踏み出せない。そう思うと尚更腹の虫が泣いてくる。それと一緒に売っているプラスチック容器に入った暖かいお茶もまた美味い!であろう。残念ながら静岡の駅弁購入は夢に破れてしまったが、誰もが憧れる(?)素敵な駅弁であろう。

(「大垣ダッシュ」の次に乗り換えがやってくる米原。ただ、ここでは北陸方面への乗り換えもあるためいささかリスクは分散されるイメージであるが、実際はいかに・・・)
やがて名古屋を過ぎ終点大垣に着くと、恒例の「大垣ダッシュ」を初めて経験する事になる。レールファンならご存じの光景であるが、レールファン以外の方のために「タイムボカン」風に説明しよう。大垣より先、米原方面へ乗り換えるため、次の列車目指し座席確保に皆命を懸ける。だが次の列車の乗り場が同一ホームではないため跨線橋を大勢の乗り換え客が「ダッシュ」するという光景がみられるのだ。それは現在も「ムーンライトながら」に引き継がれていたが、その「ムーンライト」も臨時化されて久しい。しかも本数が減少しているので「フェードアウト」もしかねない状況ではあるのだが、これからも是非走り続けてほしいのだ。しかし、なぜ大垣での乗り換が同一ホームではないのだろうか。JRがわざわざ意図的に同一ホームにしないのだろうか。これはある意味「いじめ」ではないのか。やはり同一ホームで乗り換えは必要事項であろう。

(画像はウィキより拝借した大垣夜行。JRになってからはご覧のような「ムーンライトながら」として全席指定となり、国鉄時代の特急車両が充てられるようになった。レギュラーはJR東海の車両であったが、現在は定期便がなくなり、国鉄時代にデビューした185系が充てられ、臨時列車ながら生き残っている。)
さて、座席は無事確保できこれより只管西へ向かう。かつては「ザ・ビートルズ(ずーとるびではない!)」の前座も務めた事のある超ビッグバンド(?)の「ゴー・ウエスト」というタイトルの曲にでも乗った気分で私は「門司港」を目指した。

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