1983年・春爛漫<青春18>②
2019-04-25
東京より恒例の「大垣夜行」に乗った私は予定通り人生で初めて「大垣ダッシュ」を経験し、そして東海道線と山陽本線を駆使して只管西へ向かう。途中神戸、姫路、岡山、広島、小郡、門司と乗り換える。「神戸」の乗り換えは「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するためであるが、先発の列車でも神戸で一本遅らせても姫路から乗り換える列車が同じになるのでわざわさ神戸で下車し証明写真を撮影したわけだ。

1978年に撮影した防府駅。寝台特急「富士」に乗車時に撮影したが、当時、東京発の寝台特急で「富士」は西日本ではなかなか渋い駅に停車した。
岡山を過ぎ広島付近ではちょうど帰宅時間帯にぶつかり、私達の座席も他の乗客と相席になりやや狭苦しい思いもしたが、概ね相席になることは無かった。
そして小郡では39分の待ち時間があり、なんとか新幹線に乗ってもらおうという魂胆が見え隠れするが、私は頑なに普通列車に拘った。というか「18」なのだから選択肢が限定されてしまうので普通列車に乗らざるを得ないのだが・・・


2012年に訪問した新山口こと小郡。国鉄時代には観光用にSL運転され話題になり現在に至っている。、行政的には山口市が小郡町と合併する事により現在の駅名となったが、かつての小郡駅時代は現在よりも更に複雑な構内配線であった。
39分待って小郡より普通列車に揺られ関門トンネルを抜けるといよいよ九州入りを果たすが、現地の「門司」に着いたのは22時01分。夜10時の到着だ。門司港発の「ながさき」に乗るのは22時40分である。果てして座れるのか・・・と思いきや、意外と待っている乗客は少なく、密かな読み通り、待ち時間を少なくして効率の良い計画・行程となった。
門司港に着いたのは22時16分なのでインターバルは30分を切った約25分。待ち時間中、退屈する時間は無かったが、普段見れない列車達に些かの興奮も隠しきれない。
例えば、別のホームには夜行急行「かいもん」とボンネット仕様の特急「有明」、更には夜行急行の「日南」など、いつかは乗ってみたいと思う列車ばかり。もちろん「収め」に取り掛かるが、写真だけでは物足りない。・・・
自慢のカメラを被写体に向けるが、二人旅の為、一人は「座席確保」の為に列に並ぶ。やはり旅はチームワークが大切であろう。

「ながさき」の待ち時間に門司港で撮影した特急「有明」。門司港に有明が姿を現すのはある意味時間帯が限られているので珍しい部類であるかも知れないが、そういった意味ではグッドタイミングであったかも知れない。隣には分かり辛いが、夜行急行「かいもん」が出発を待っていた。
いっそ急行「かいもん」に本当は乗りたかったが、きっぷがそれを許さない。私たちは予定通り「ながさき」に乗り込まなければならなかった。ところで普通列車なのに「ながさき」という愛称が冠されているが、その理由は「寝台車の連結」があるからだ。僅か1両であるが、普通列車に寝台車が連結されているのは、今考えたらすごい違和感!しかも20系以前の客車・・・10系の客車寝台である!
しかし私たちは当然ながら寝台車ではない普通座席である。寝台を利用する場合、寝台料金はもちろんだが、別途運賃を払わなければならないからだ。つまり「18」を持っているにもかかわらず運賃を払わなければならないという、なんとも不経済な旅となってしまうのだ。当時中学生だった私には一円たりとも無駄にできないのであった。

同じく門司港発の夜行急行列車「日南」。日豊本線経由で西鹿児島(当時)を目指すが宮崎~西鹿児島間はなんと普通列車に変身してしまう!確か20系客車での運用であったのでこれは完全に儲け物であろう。
さて、定刻に門司港を出発した「ながさき」は途中、博多までは眉毛の無い「へんなおじさん」に絡まれていささか嫌な思いをしたが、それ以降は「寝る体勢」になる。「ながさき」は文字通り長崎行であるが、途中早岐で佐世保行を切り離す。「途中早岐で切り離す・・・」この「早岐で切り離す」がポイントで、この「ながさき」は大村線経由で長崎に向かう事になる。つまり昔の「長崎本線」のルートをそのまま再現している事になるのだ!これは大変貴重であり、古式ゆかしき伝統的な列車であるのだ!だが私達は長崎まで向かわず、途中の肥前山口でこの伝統的な列車を捨てる事になる予定だ。なぜ・・・レールファンなら既にお気付きと思われるが、果してその真相は・・・

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

1978年に撮影した防府駅。寝台特急「富士」に乗車時に撮影したが、当時、東京発の寝台特急で「富士」は西日本ではなかなか渋い駅に停車した。
岡山を過ぎ広島付近ではちょうど帰宅時間帯にぶつかり、私達の座席も他の乗客と相席になりやや狭苦しい思いもしたが、概ね相席になることは無かった。
そして小郡では39分の待ち時間があり、なんとか新幹線に乗ってもらおうという魂胆が見え隠れするが、私は頑なに普通列車に拘った。というか「18」なのだから選択肢が限定されてしまうので普通列車に乗らざるを得ないのだが・・・


2012年に訪問した新山口こと小郡。国鉄時代には観光用にSL運転され話題になり現在に至っている。、行政的には山口市が小郡町と合併する事により現在の駅名となったが、かつての小郡駅時代は現在よりも更に複雑な構内配線であった。
39分待って小郡より普通列車に揺られ関門トンネルを抜けるといよいよ九州入りを果たすが、現地の「門司」に着いたのは22時01分。夜10時の到着だ。門司港発の「ながさき」に乗るのは22時40分である。果てして座れるのか・・・と思いきや、意外と待っている乗客は少なく、密かな読み通り、待ち時間を少なくして効率の良い計画・行程となった。
門司港に着いたのは22時16分なのでインターバルは30分を切った約25分。待ち時間中、退屈する時間は無かったが、普段見れない列車達に些かの興奮も隠しきれない。
例えば、別のホームには夜行急行「かいもん」とボンネット仕様の特急「有明」、更には夜行急行の「日南」など、いつかは乗ってみたいと思う列車ばかり。もちろん「収め」に取り掛かるが、写真だけでは物足りない。・・・
自慢のカメラを被写体に向けるが、二人旅の為、一人は「座席確保」の為に列に並ぶ。やはり旅はチームワークが大切であろう。

「ながさき」の待ち時間に門司港で撮影した特急「有明」。門司港に有明が姿を現すのはある意味時間帯が限られているので珍しい部類であるかも知れないが、そういった意味ではグッドタイミングであったかも知れない。隣には分かり辛いが、夜行急行「かいもん」が出発を待っていた。
いっそ急行「かいもん」に本当は乗りたかったが、きっぷがそれを許さない。私たちは予定通り「ながさき」に乗り込まなければならなかった。ところで普通列車なのに「ながさき」という愛称が冠されているが、その理由は「寝台車の連結」があるからだ。僅か1両であるが、普通列車に寝台車が連結されているのは、今考えたらすごい違和感!しかも20系以前の客車・・・10系の客車寝台である!
しかし私たちは当然ながら寝台車ではない普通座席である。寝台を利用する場合、寝台料金はもちろんだが、別途運賃を払わなければならないからだ。つまり「18」を持っているにもかかわらず運賃を払わなければならないという、なんとも不経済な旅となってしまうのだ。当時中学生だった私には一円たりとも無駄にできないのであった。

同じく門司港発の夜行急行列車「日南」。日豊本線経由で西鹿児島(当時)を目指すが宮崎~西鹿児島間はなんと普通列車に変身してしまう!確か20系客車での運用であったのでこれは完全に儲け物であろう。
さて、定刻に門司港を出発した「ながさき」は途中、博多までは眉毛の無い「へんなおじさん」に絡まれていささか嫌な思いをしたが、それ以降は「寝る体勢」になる。「ながさき」は文字通り長崎行であるが、途中早岐で佐世保行を切り離す。「途中早岐で切り離す・・・」この「早岐で切り離す」がポイントで、この「ながさき」は大村線経由で長崎に向かう事になる。つまり昔の「長崎本線」のルートをそのまま再現している事になるのだ!これは大変貴重であり、古式ゆかしき伝統的な列車であるのだ!だが私達は長崎まで向かわず、途中の肥前山口でこの伝統的な列車を捨てる事になる予定だ。なぜ・・・レールファンなら既にお気付きと思われるが、果してその真相は・・・

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/117-7b763835