1983年・春爛漫<青春18>③
2019-04-30
まる一日かけて「青春18」で乗車できる全ての列車を駆使し九州上陸というものすごい偉業を成し遂げた我々は、さらに「偉業」の行動に出る。
門司港から普通夜行列車「ながさき」に揺られて更に西へ向かったのだが、また更に深夜の肥前山口でまさかの今度は上りの「ながさき」を捕まえる。つまり上下の夜行普通列車「ながさき」を使い深夜ののりかえをする事で旅籠的役割をさせようというのだ!レールファンの間では「一般常識」かも知れないが、私にしてみたら人生で初の試みである!無事乗り換えることができるのか・・・いや、もしかしたら寝てしまい乗り過ごしてしまうのかも知れない・・・という緊張感から解放されず、とうとう眠れないまま肥前山口に2時54分に到着した。
そして即座に跨線橋を渡り、3時22分発の上り「ながさき」に乗り換える準備をする。いや、正確には「準備」というよりは時間も時間のためどこの施設も営業しておらず、ただひたすら待つだけだったが、待ち時間約30分がやたら長く感じたのは気のせいだったのか。
深夜の肥前山口はやたらと静まり返り、当然ながら我々しか人類はおらず、旧型客車の臭いがやたら恋しくなった。

画像はウィキより拝借した肥前山口構内。ここで数多くの列車が分割・併合が行われる。かつては寝台特急「さくら」などもここで切り離されていたが、その列車名が現在は新幹線で活躍していると思うとなんとなく感慨深い
上り「ながさき」では、座席はほぼ埋まっていたが二人旅の我々には座席に困る事はなかったが、どうせ鹿児島本線を南下すべく二日市で下車するのだら例え相席でも何ら不自由は無い。しかも二日市に5時7分に着いたら、乗り換える5時23分発の熊本行き普通列車は下りの始発だから全然座席が空いているだろう。そんな事を計画段階から予測できるまでに成長した当時中学生の私であるが、考えてみたら深夜から未明、明け方にかけて、よくこんな乗り換えを計画したものだ。
そして熊本着が7時49分の為、2時間以上も乗車する事になる。つまりここで完全に防犯機能が薄れ熟睡体勢に入いるであろう。仮に、途中駅で下車するという緊張感から解放され、万が一終点まで目が覚めなくても車掌に起こされるであろう。そこまでイメージしながら卓上で立案していたのだが、事実、熊本行き普通列車ではそんなイメージ通りに安心して熟睡できた。とはいえ久留米辺りまでは起きていたのだが・・・

ご覧の通り、久留米では天候的にあまり良くない風景になっているのがお分かりいただけたと思う。鉄道での旅であるから雨はあまり関係ないと思われがちであるが、この雨が後の鹿児島交通で大きく響く事になる。
熊本より南に向かう列車は接続が悪く9時11分の発車だ。しかも電化区間なのにDCの運用である。ならば三角線でも制覇してしまおうと考えるのが一般的であるが、それだと恐らく鹿児島本線の普通列車か一本遅れてて鹿児島交通との連絡が悪くなるのだろう。恐らく当時の私はそんな事を考え熊本での二時間待ちを敢行したはずだ。ただ、熊本での待ち時間は仰山あるので遅い朝食、というより早い昼食かもしれない食事を摂る事にした。
もちろん当時の熊本駅は現在のように新幹線がなかったので側線が沢山あり構内は広かった。現在はそれこそ側線跡地を新幹線ホームに利用しているので旅客駅としてスッキリ生まれかわった感じだ。

こちらは1978年訪問時に撮影した西鹿児島駅舎。我々世代なら懐かしい風景であろうが、私的に在来線と新幹線が直角に交わる現在の鹿児島中央は実に斬新でカッコイイ風景に思う。
さて、電化区間をDCに揺られ八代過ぎ出水に到着した我々は、ここから「電車」に乗り換えいよいよ西鹿児島に到着する。到着したのは14時11分!夜行列車を2回乗り、まる1日半以上かけようやく「18」で乗れる列車のみでたどり着いた西鹿児島。現在では新幹線のみで東京から鹿児島まで到達しようとすると半日潰れてしまうが、それでも格段の進歩。鹿児島に新幹線が来る事自体、私は画期的と思うが、30年前には考えられなかった。その時代に1日半かけて鹿児島に行くなど、どう考えても時間のロスだ。しかし学生である以上、経済的な制約があるため特急などの「別料金物」とは無縁の世
界であった。しかしながら、それを逆手に取り「楽しむ」という知恵を知らず知らずのうちに備えていた。

そしていよいよ鹿児島交通の列車に乗車する。枕崎で指宿枕崎線より乗り換えるが、ご覧の通り土砂降りの雨!駅舎は鹿児島交通所有のものでなかなか渋かった駅舎であったのを思い出す。しかし・・・森高千里ではないが、このあとも雨はずっと降り続いていた。
さて、1978年以来焼く5年ぶりに西鹿児島のホームに降り立ったわけであるが、小学校四年生から中学3年生に成長した私を西鹿児島はどう迎えてくれるか・・・入場券を買って駅で沢山写真を撮ろう!久々の西鹿児島をじっくり堪能したかったが・・・指宿枕崎線への乗り換え時間はなんと3分!自身が組んだ予定とはいえ、あまりに悲しい久々の再会であった。だが、感傷に浸っている暇はない。旅の目的は鹿児島に来ることではない。この先さらに「奥地」に進み「鹿児島交通」を制覇する事だ。それが目的でここまでやってきたのだから指宿枕崎線に揺られなければならないのだ。
指宿を過ぎ、枕崎に着いたのは17時3分。もう夕方だ。鹿児島交通が管理している枕崎駅の勇姿をカメラに納めたかったのだが、朝から降り続く雨音は更に激しくなってきた。仕方なく駅舎に身を寄せるが、国鉄の職員はいない。国鉄は駅業務を鹿児島交通に委託していたのだ。

車内改札の際に購入した鹿児島交通の乗車券。スペースの都合から横でアップしたので見づらくて申し訳無いが、この時から既に30年以上経過しているなんて、私自身信じられない思いである。
さて、約1時間のインターバルののちにいよいよ鹿児島交通に挑む。たが、枕崎の駅舎から眺める赤い列車には、更に激しくなる雨の飛沫が突き刺さる。写真に写る幼い姉妹もひとつの傘に身を寄せながら赤い車体に消えて行った。
枕崎より乗る鹿児島交通では、遠い昔に大活躍したであろう列車に乗り伊集院に向かう事になる。時刻表上では直通列車であるが、この時乗った列車は途中の加世田で乗り換えとなり、国鉄から譲り受けた旧・キハ10にバトンタッチされた。ワンウェイでありながら豪華二本立てとはなかなか贅沢ではないか❗今になって感じる鹿児島交通制覇の記憶は、30年以上経過した今でもハッキリと私の脳裏に刻み込まれている。
もちろん「18」ではなくしっかりと正規料金を支払い伊集院まで完乗し、そして今度は再び鹿児島本線を北上し「東京」目指していく。この際に鹿児島本線に乗った混合列車「2038レ」と鹿児島交通に関しては当ブログで別途紹介しているのでぜひご覧いただきたい。
さて、2038列車に揺られ八代に着いたのは深夜1時5分。乗った列車は混合列車、つまり貨物列車と旅客列車がひとつの編成となっているため貨物列車の役割も果たしている。旅客列車の終点は八代であるが、貨物列車は熊本が終点だ。旅客の車両は八代より先は「回送」という形で熊本へ向かう。しかし私達は八代よりもっと先に進みたい。いっそのこと、車掌にお願いして熊本まででも乗せてもらいたいと本気で考えていたが、断られるのは100パーセントだろう。ただ、八代より後発の急行「かいもん」が接続しているので、予定通り鳥栖まで「別料金」で向かう事にした。

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門司港から普通夜行列車「ながさき」に揺られて更に西へ向かったのだが、また更に深夜の肥前山口でまさかの今度は上りの「ながさき」を捕まえる。つまり上下の夜行普通列車「ながさき」を使い深夜ののりかえをする事で旅籠的役割をさせようというのだ!レールファンの間では「一般常識」かも知れないが、私にしてみたら人生で初の試みである!無事乗り換えることができるのか・・・いや、もしかしたら寝てしまい乗り過ごしてしまうのかも知れない・・・という緊張感から解放されず、とうとう眠れないまま肥前山口に2時54分に到着した。
そして即座に跨線橋を渡り、3時22分発の上り「ながさき」に乗り換える準備をする。いや、正確には「準備」というよりは時間も時間のためどこの施設も営業しておらず、ただひたすら待つだけだったが、待ち時間約30分がやたら長く感じたのは気のせいだったのか。
深夜の肥前山口はやたらと静まり返り、当然ながら我々しか人類はおらず、旧型客車の臭いがやたら恋しくなった。

画像はウィキより拝借した肥前山口構内。ここで数多くの列車が分割・併合が行われる。かつては寝台特急「さくら」などもここで切り離されていたが、その列車名が現在は新幹線で活躍していると思うとなんとなく感慨深い
上り「ながさき」では、座席はほぼ埋まっていたが二人旅の我々には座席に困る事はなかったが、どうせ鹿児島本線を南下すべく二日市で下車するのだら例え相席でも何ら不自由は無い。しかも二日市に5時7分に着いたら、乗り換える5時23分発の熊本行き普通列車は下りの始発だから全然座席が空いているだろう。そんな事を計画段階から予測できるまでに成長した当時中学生の私であるが、考えてみたら深夜から未明、明け方にかけて、よくこんな乗り換えを計画したものだ。
そして熊本着が7時49分の為、2時間以上も乗車する事になる。つまりここで完全に防犯機能が薄れ熟睡体勢に入いるであろう。仮に、途中駅で下車するという緊張感から解放され、万が一終点まで目が覚めなくても車掌に起こされるであろう。そこまでイメージしながら卓上で立案していたのだが、事実、熊本行き普通列車ではそんなイメージ通りに安心して熟睡できた。とはいえ久留米辺りまでは起きていたのだが・・・

ご覧の通り、久留米では天候的にあまり良くない風景になっているのがお分かりいただけたと思う。鉄道での旅であるから雨はあまり関係ないと思われがちであるが、この雨が後の鹿児島交通で大きく響く事になる。
熊本より南に向かう列車は接続が悪く9時11分の発車だ。しかも電化区間なのにDCの運用である。ならば三角線でも制覇してしまおうと考えるのが一般的であるが、それだと恐らく鹿児島本線の普通列車か一本遅れてて鹿児島交通との連絡が悪くなるのだろう。恐らく当時の私はそんな事を考え熊本での二時間待ちを敢行したはずだ。ただ、熊本での待ち時間は仰山あるので遅い朝食、というより早い昼食かもしれない食事を摂る事にした。
もちろん当時の熊本駅は現在のように新幹線がなかったので側線が沢山あり構内は広かった。現在はそれこそ側線跡地を新幹線ホームに利用しているので旅客駅としてスッキリ生まれかわった感じだ。

こちらは1978年訪問時に撮影した西鹿児島駅舎。我々世代なら懐かしい風景であろうが、私的に在来線と新幹線が直角に交わる現在の鹿児島中央は実に斬新でカッコイイ風景に思う。
さて、電化区間をDCに揺られ八代過ぎ出水に到着した我々は、ここから「電車」に乗り換えいよいよ西鹿児島に到着する。到着したのは14時11分!夜行列車を2回乗り、まる1日半以上かけようやく「18」で乗れる列車のみでたどり着いた西鹿児島。現在では新幹線のみで東京から鹿児島まで到達しようとすると半日潰れてしまうが、それでも格段の進歩。鹿児島に新幹線が来る事自体、私は画期的と思うが、30年前には考えられなかった。その時代に1日半かけて鹿児島に行くなど、どう考えても時間のロスだ。しかし学生である以上、経済的な制約があるため特急などの「別料金物」とは無縁の世
界であった。しかしながら、それを逆手に取り「楽しむ」という知恵を知らず知らずのうちに備えていた。

そしていよいよ鹿児島交通の列車に乗車する。枕崎で指宿枕崎線より乗り換えるが、ご覧の通り土砂降りの雨!駅舎は鹿児島交通所有のものでなかなか渋かった駅舎であったのを思い出す。しかし・・・森高千里ではないが、このあとも雨はずっと降り続いていた。
さて、1978年以来焼く5年ぶりに西鹿児島のホームに降り立ったわけであるが、小学校四年生から中学3年生に成長した私を西鹿児島はどう迎えてくれるか・・・入場券を買って駅で沢山写真を撮ろう!久々の西鹿児島をじっくり堪能したかったが・・・指宿枕崎線への乗り換え時間はなんと3分!自身が組んだ予定とはいえ、あまりに悲しい久々の再会であった。だが、感傷に浸っている暇はない。旅の目的は鹿児島に来ることではない。この先さらに「奥地」に進み「鹿児島交通」を制覇する事だ。それが目的でここまでやってきたのだから指宿枕崎線に揺られなければならないのだ。
指宿を過ぎ、枕崎に着いたのは17時3分。もう夕方だ。鹿児島交通が管理している枕崎駅の勇姿をカメラに納めたかったのだが、朝から降り続く雨音は更に激しくなってきた。仕方なく駅舎に身を寄せるが、国鉄の職員はいない。国鉄は駅業務を鹿児島交通に委託していたのだ。

車内改札の際に購入した鹿児島交通の乗車券。スペースの都合から横でアップしたので見づらくて申し訳無いが、この時から既に30年以上経過しているなんて、私自身信じられない思いである。
さて、約1時間のインターバルののちにいよいよ鹿児島交通に挑む。たが、枕崎の駅舎から眺める赤い列車には、更に激しくなる雨の飛沫が突き刺さる。写真に写る幼い姉妹もひとつの傘に身を寄せながら赤い車体に消えて行った。
枕崎より乗る鹿児島交通では、遠い昔に大活躍したであろう列車に乗り伊集院に向かう事になる。時刻表上では直通列車であるが、この時乗った列車は途中の加世田で乗り換えとなり、国鉄から譲り受けた旧・キハ10にバトンタッチされた。ワンウェイでありながら豪華二本立てとはなかなか贅沢ではないか❗今になって感じる鹿児島交通制覇の記憶は、30年以上経過した今でもハッキリと私の脳裏に刻み込まれている。
もちろん「18」ではなくしっかりと正規料金を支払い伊集院まで完乗し、そして今度は再び鹿児島本線を北上し「東京」目指していく。この際に鹿児島本線に乗った混合列車「2038レ」と鹿児島交通に関しては当ブログで別途紹介しているのでぜひご覧いただきたい。
さて、2038列車に揺られ八代に着いたのは深夜1時5分。乗った列車は混合列車、つまり貨物列車と旅客列車がひとつの編成となっているため貨物列車の役割も果たしている。旅客列車の終点は八代であるが、貨物列車は熊本が終点だ。旅客の車両は八代より先は「回送」という形で熊本へ向かう。しかし私達は八代よりもっと先に進みたい。いっそのこと、車掌にお願いして熊本まででも乗せてもらいたいと本気で考えていたが、断られるのは100パーセントだろう。ただ、八代より後発の急行「かいもん」が接続しているので、予定通り鳥栖まで「別料金」で向かう事にした。

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