相模線「ヘビー・ローテーション」①
2013-03-13
神奈川県は相模川沿いに縦断する相模線は複雑な変遷を持ちながら、若干、どこかに昔の面影を残しつつも劇的な変化を遂げてきた。沿線の人口増加に併せ電化を実施、跨線橋を交換可能駅に全駅設置・一部橋上駅舎化、厚木駅ホーム移設や海老名駅の開設等、数え上げたらきりがない。
そんな相模線を、昔の風景を交えながら、私の眼から見た印象で紹介してみたい。今回も「ミックス・マテリアルさん」に協力いただき「非電化時代」を紹介してみよう(この記事の画像は全てミックス・マテリアル様提供)。

私が「鉄道」に目覚めるきっかけとなったのは、この相模線と東海道線である。当時茅ヶ崎在住であった私は東海道線はとても馴染深い鉄道であった。西寒川駅前に引っ越してからは「相模線」で通院するようになり、それが鉄道愛好家を決定付けるものであった・・・と思う。
茅ヶ崎駅駅舎は現在駅ビルに変化してしまったが、かつては北口と南口にそれぞれ独立した駅舎があり、北口側には跨線橋に繋がる通路に立ち食い蕎麦屋があった。現在は6番線まであるホームだが、かつては4番線までで、3・4番線を東海道線が使用していた。そのホームは現在5・6番線に変更されており、貨物線に旅客ホームが増設された。そのホームは「湘南ライナー」専用で、列車停車時間以外は閉鎖されている。

私が耳鼻科通院時の帰りによく見かけたのがブルートレイン「さくら」の通過シーンだ。茅ケ崎駅は相模線と東海道線のホームの間に貨物側線がたくさんあり若干離れているが、相模線のホームから見る「さくら」もなかなかのものだ。165系の急行「東海」も同じころに通過した。また、先頭に郵便車を連結した浜松行の見ものであった。耳鼻科に行くというより列車を見に行く方がメインだったような気がする・・・
そして寒川駅だが、私はとても馴染深い駅だ。西寒川駅前に在住していたのは先述しているが、いかんせん列車本数が少なく、時間帯によっては寒川駅まで出向かなければならない。側線には旧型客車が留置されていたが、いつの間にか消えていた。

駅舎横には使われなくなった旧ホームがあったが、現在は橋上駅舎化された土台になってしまったためホームも面影もない。そして何よりここからは「寒川支線」が枝分かれしていたのは先述している。というより相模線開通初期はこちらが本線というかメインであった。所謂「砂利輸送」の為頻繁に列車が行き来していた時代もあったのだ。その「寒川支線」に関して、寒川駅の側線撤去跡を寒川支線の名残との意見が多々見受けられたが、実際は、その側線跡は砂利輸送時代の貨物側線に過ぎず、西寒川行の旅客列車は本線ホームと同じホームより発着していた。その西寒川への線路は寒川駅付近の大山踏切を過ぎるとすぐに分岐する。寒川神社の参道付近まで単線並列で並走し寒川支線は左に折れて行った。一方、本線となる橋本方面は右に折れ北上していく。寒川神社の最寄駅である宮山は棒線化された駅であるが、その付近の相模川沿いにはかつて「川寒川」という砂利運搬専用の駅があった。現在も道床などが残り面影があるが、ほとんどが浄水場に変身している。

倉見や厚木付近でもこの砂利輸送時代の面影が多々見られ、これが相模線の魅力のひとつでもあるのではないであろうか?倉見では、以前に在住していた時期もありよく知っているが、倉見駅の隣にある「日本鉱業」の従業員駐車場付近もかつては砂利輸送の貨物側線があった。
厚木付近では「海老名運動公園」付近にはかつての道床が残っているほか「相模興業」への引き込み線もあったが、その面影が現在でも確認できる。この相模興業、実は「相模鉄道」の系列会社で、相模川の砂利採取を現在も続けている「過去の相模鉄道」を確認できる組織だ。この辺りはよく車で通りかかるが、最近は付近に高速道路のインターが開設され景色も変化しつつある。


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そんな相模線を、昔の風景を交えながら、私の眼から見た印象で紹介してみたい。今回も「ミックス・マテリアルさん」に協力いただき「非電化時代」を紹介してみよう(この記事の画像は全てミックス・マテリアル様提供)。

私が「鉄道」に目覚めるきっかけとなったのは、この相模線と東海道線である。当時茅ヶ崎在住であった私は東海道線はとても馴染深い鉄道であった。西寒川駅前に引っ越してからは「相模線」で通院するようになり、それが鉄道愛好家を決定付けるものであった・・・と思う。
茅ヶ崎駅駅舎は現在駅ビルに変化してしまったが、かつては北口と南口にそれぞれ独立した駅舎があり、北口側には跨線橋に繋がる通路に立ち食い蕎麦屋があった。現在は6番線まであるホームだが、かつては4番線までで、3・4番線を東海道線が使用していた。そのホームは現在5・6番線に変更されており、貨物線に旅客ホームが増設された。そのホームは「湘南ライナー」専用で、列車停車時間以外は閉鎖されている。

私が耳鼻科通院時の帰りによく見かけたのがブルートレイン「さくら」の通過シーンだ。茅ケ崎駅は相模線と東海道線のホームの間に貨物側線がたくさんあり若干離れているが、相模線のホームから見る「さくら」もなかなかのものだ。165系の急行「東海」も同じころに通過した。また、先頭に郵便車を連結した浜松行の見ものであった。耳鼻科に行くというより列車を見に行く方がメインだったような気がする・・・
そして寒川駅だが、私はとても馴染深い駅だ。西寒川駅前に在住していたのは先述しているが、いかんせん列車本数が少なく、時間帯によっては寒川駅まで出向かなければならない。側線には旧型客車が留置されていたが、いつの間にか消えていた。

駅舎横には使われなくなった旧ホームがあったが、現在は橋上駅舎化された土台になってしまったためホームも面影もない。そして何よりここからは「寒川支線」が枝分かれしていたのは先述している。というより相模線開通初期はこちらが本線というかメインであった。所謂「砂利輸送」の為頻繁に列車が行き来していた時代もあったのだ。その「寒川支線」に関して、寒川駅の側線撤去跡を寒川支線の名残との意見が多々見受けられたが、実際は、その側線跡は砂利輸送時代の貨物側線に過ぎず、西寒川行の旅客列車は本線ホームと同じホームより発着していた。その西寒川への線路は寒川駅付近の大山踏切を過ぎるとすぐに分岐する。寒川神社の参道付近まで単線並列で並走し寒川支線は左に折れて行った。一方、本線となる橋本方面は右に折れ北上していく。寒川神社の最寄駅である宮山は棒線化された駅であるが、その付近の相模川沿いにはかつて「川寒川」という砂利運搬専用の駅があった。現在も道床などが残り面影があるが、ほとんどが浄水場に変身している。

倉見や厚木付近でもこの砂利輸送時代の面影が多々見られ、これが相模線の魅力のひとつでもあるのではないであろうか?倉見では、以前に在住していた時期もありよく知っているが、倉見駅の隣にある「日本鉱業」の従業員駐車場付近もかつては砂利輸送の貨物側線があった。
厚木付近では「海老名運動公園」付近にはかつての道床が残っているほか「相模興業」への引き込み線もあったが、その面影が現在でも確認できる。この相模興業、実は「相模鉄道」の系列会社で、相模川の砂利採取を現在も続けている「過去の相模鉄道」を確認できる組織だ。この辺りはよく車で通りかかるが、最近は付近に高速道路のインターが開設され景色も変化しつつある。


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