姿なき挑戦者① 夜行普通列車「ながさき」(前編)

夜行列車には私もかなり思い入れがある。特に夜行普通列車に関しては「青春18きっぷ」がその存在を私に教えてくれた。1982年春・・・青春18がこの世に登場して以来、私の鉄道概念に革命が起きてしまった。普通列車のみで旅をする・・・これほど究極かつコアな旅は無いであろう。数々の要素が詰まっている素敵な旅・・・一般的な旅では味わえない風光明媚な情緒あふれる極限の旅。非日常的な旅する側が「日常」に入り込んで「非日常」を体験する・・・そんな旅ではないであろうか。

以前に紹介した「ながさき」は素晴らしい夜行普通列車であった。当時私は中学2年~3年にステップアップする春休みであったし、14歳位であるならば旅の情緒なども今の私ほど「触覚」が足りなかったであろう。しかしながら、振り返れば自慢ではないが私はいい旅をしてきた。今の私が当時の私を振り返っても羨ましい限りだ。そんな思いもあり、バックナンバーを引っ張り出してみた。少々お付き合いいただければ幸いである。

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(鳥栖にて。鳥栖といえば鉄道的には要衝的な存在であるが、現在は昔に比べ随分スッキリスリムになってしまった。)

夜行普通列車・・・「夜行」というジャンルは、私が最も好む空間である。特に私はブルートレイン世代であるから、かつては「2段ハネ」で感動していたわけだ。また、583系も異様な魅力であったが、特に寝台に変身したあの車内の雰囲気は何とも言えず夜行列車の「におい」みたいなものがあり、独特の空間でもあった。そんなブルトレ少年に、あるきっぷが普通夜行列車の存在を教えてくれた。それはご存じ「青春18」である。JRの普通列車や快速列車など、指定席券以外の別料金が発生しない列車に乗り降り自由の優れものだ。この切符が1982年春に登場以来、私は普通列車を駆使して全国を駆け巡った。宿はもちろん「普通列車」である。つまり普通列車でありながら夜行列車でもある列車に乗り込むのだ。青春18が登場した当初はこの普通夜行列車が全国各地に走っており、比較的予定が組みやすかった。ただ、私は基本「駅寝」を嫌う主義なので、当時は北陸や東北、北海道などは行かれなかったという、変な空白地帯が出来上がってしまった。それでも私はこの夜行普通列車をフルに使い1983年春にはとうとう九州に上陸してしまった。目的は鹿児島交通を訪問するためであったが、そんな中、九州にも普通夜行列車が存在し、これのお陰で非常に歩留り良く予定を組み立てられたのだ。
九州に存在した普通夜行列車「ながさき」は門司港~長崎・佐世保で運転されていて、長崎行は早岐より大村線経由となる。

今回、この「ながさき」の写真は「汽車旅悦楽館」を管理していらっしゃる「maatan」様に御協力いただいた。とても貴重な旅をなさっており、勉強になると同時に旅の楽しさが非常に心地よくダイレクトに伝わってくる。一見の価値「大」。
この場を借りまして、maatan様、本当に御協力ありがとうございます。心より感謝しております。

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(小倉駅にて。当時九州ではおなじみのED76が牽引だ。)

九州に存在していた普通夜行列車・・・それは「ながさき」といい、旧型客車で運転されており10系寝台車も連結されていたために愛称があった。運転区間は門司港~長崎・佐世保であるが、長崎行きは早岐で切り離され大村線経由で長崎に向かう。つまり旧・長崎本線経由で運転されている貴重な存在でもあったのだ。
そんな歴史ある列車を、私はいとも簡単に「宿泊施設」として利用していたのだから何とも失礼な・・・
私は「ながさき」に3度ほど乗車した。すべて1983年の春だが、最初は門司港から肥前山口まで、2回目は肥前山口から二日市まで、3回目は佐世保から門司までである。

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(長崎行き(発)は寝台車が連結されている。しかも10系客車だ!)

ということでまず「ながさき」とのファーストコンタクトは門司港駅からだ。青春18が登場以来、この「普通夜行列車」なる存在を初めて知ったわけであるが、気が付くと青春18で東京から九州まで来るという事を実践できるまでになっていた。東京で大垣夜行の座席を確保するのに2~3時間待つという知恵もついた。大垣夜行で東京を出た私が門司港に着いたのは「ながさき」の乗車にちょうどいい22時頃の時間帯である。つまり、東京から約23時間近く列車に揺られながら遥々九州までやって来たのだ。

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(「ながさき」の車内。旧型客車の運用で、乗り心地は決して「良い」とは言わないが「悪い」とは全く思わないのは私だけであろうか?)

さて「ながさき」の列車編成であるが、いわゆる「旧型客車」が10両くらいであったと思う。更に先述した寝台車も連結されており「夜行」という名にふさわしい。しかも10系客車である!残念ながら「18」では寝台車に乗車できなかったので私は座席の方でお世話になったが、途中の早岐で佐世保行きと長崎行きが分割されるため、寝台車は長崎行きに連結される。
門司港から乗車した私たちは「肥前山口」という、何とも中途半端な深夜の時間帯に下車する行程を立てた私だが、これには大きなマジックがあった。もう、お判りであろう・・・


写真は全て「maatan」様提供。

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匂い

こんばんは。夜行列車の匂い、自分も大好きです。
洗面所の匂いというか消毒薬のような匂い。ブルトレだとディーゼルエンジンの煙の匂いも。
そういう匂いがする夜行列車が絶滅寸前なのが惜しい限りです。

キネ様

いつもコメントありがとうございます。
昔ながらの夜行列車はほとんど風前の灯ですが、私が今「乗っておかなくては」と考えてるのが「はまなす」です。客車急行はおそらく唯一と思われますが、函館までの新幹線開通時までの命でしょう。
「サンライズ」等も好きですが、やはり夜行は客車でしょう。しかもブルトレではない、旧型客車ならなお結構です。佐世保発の上りは、本当に人の気配無く寝るには最高の列車だと思いました。現存していたら今すぐにでも駆けつけた事でしょう。

はじめましてm(_ _)m
私は、にわか者と言います。
何度か閲覧させていただいておりましたが、初めてカキコさせていただきました。

おそらく同い年かと?

私もながさき乗車しましたよ(^O^)
懐かしいです。

またお邪魔するかと思いますが、よろしくお願いしますm(_ _)m

No title

夜行列車、懐かしい響きですね。
最後の列車内の写真も昔を思い出します。
扇風機のある列車は、今も津山線や吉備線にもありますが、写真の天井がとてもレトロで、いいですね。(^^)

にわか者様

コメントありがとうございます。そして以前よりの訪問に加え今回の「カキコ」ありがとうございます。

ちなみに私は1969年生まれの酉年です。が、3月で早生まれのため同級生はほとんどが申年の人ばかりです。

さて、にわか者さんも「ながさき」に乗車なされましたか。それは貴重な体験ですね。もちろん私も乗車しましたし、その経験があるからこそこうしてブログに公開しているわけですが、この「ながさき」の乗車当時、私は中学生でしたが、全国にこうした旧型客車の列車が数多く存在しましたね。という事で当時はそれほど「貴重」的な感覚はあまり無かったのですが、首都圏在住の私にしてみたらやはりその存在が貴重なものでした。私は当時、中学の部活で「鉄道研究クラブ」という名の怪しい部活に所属していましたが、当時の顧問の先生がしきりに「将来的に無くなるから乗っておけよ~」みたいな発言を多々していた記憶です。当時の私にはその「意味」があまりよくわからなかったのですが、もちろん、今となっては「なるほど」と納得してしまいます。
特にこの旧型客車の列車が「夜行」という部分が、今の我々からしてみれば全くの別世界ですね。

よろしければこれからも貴ブログの訪問よろしくお願いいたします。

リラ様

コメントありがとうございます。

「津山線や吉備線に」というコメント、いかにもリラさんらしいですね。写真は別のブログより転用させていただきましたが、レトロ感、たまらないですね。この列車に乗ったの当時中学生でしたので、ハッキリ言ってあまり「意味」も分からずに乗車していた感じです。しかも夜行列車なので景色が見れない・・・つまり寝るしかない究極の移動手段であった事でしょう。

ちなみにリラさんだけにお話しましたが(というよりブログに載せた時点で「極秘」ではなくなってしまいますが)来月に岡山・広島の旅を予定しておりまして、前回ご紹介いただいた「ねぼけ堂」は訪問予定になりました。下津井方面も行くので「タコ」を堪能しようかとも思いますし、児島では「ジーンズ」も見てみようかなと。そして時間があれば「玉島」にも訪問予定です。情報ありがとうございました。

1969年3月生まれ…

なんと!私もですよ!(^_^;)


何たる偶然!!!
こりゃあ、何かのご縁かも!?
もしかしたら、どこかで同じ車両に乗っていたかもしれないですね(^_^;)

私は中学1年の夏休みに四国へDF50を撮りに行ったのが、一人旅デビューでした。
ワイド周遊券で行ったので、四国全線を一気に乗り潰しました(^_^;)
当時は内子線は盲腸線で、小松島線、仁堀航路も存在しておりました。

私の場合は父親がテツでして、趣味に理解があったこと、亡き祖母にかなり甘やかされていたため、旅費は全て払ってもらえていたという恵まれた環境でした。
現役蒸気末期の頃は、父親と一緒に出かけていました。


以上、長々とすみませんm(_ _)m
こんな私ですが、よろしくお願いいたしますm(_ _)m

にわか者様

コメントありがとうございます。

1969年(昭和44年)3月・・・全くもって偶然ですね。私は9日ですが、3月9日という同日で考えた場合、ピンクレディのミーちゃんと木梨憲武が同じ誕生日で、松田聖子と一日違いです。特に松田聖子はデビュー当時はかなりのファンでした。それから中森明菜、伊藤つかさなど転々としましたが・・・

DF50とは懐かしいですね。1978年に私は生まれて初めて寝台特急「富士」に乗車しましたが、その時に宮崎から西鹿児島(当時)は非電化区間だったので宮崎からはDF50の牽引でした。首都圏在住の私にとってそんな機関者身近にいないためとても興奮していたのを覚えています。その模様はバックナンバーで紹介していますので是非ご覧になってください(http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-32.html)。

しかし一人旅でいきなり四国とは凄いですね。私の場合は定かではありませんが、恐らく小学校3年(1977年)に下田の親戚に行く時に一人で乗った急行「伊豆」が最初だと思いますが、それ以前にも高架化工事中の静岡駅などにも行っており、記憶が曖昧です。(http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-184.html

にわか者さんの「父親がテツ」という環境も良かったのでしょう。とても良い経験をなさっていますね。

私の四国に関しては1982年の春に「青春18」が登場した時に初上陸していますが、1984年夏に国鉄全線制覇しました。その時にはもちろん小松島線や内子線の旧線なども行きましたが、さすが仁堀航路には縁がなかったです。

と、こんな私ですがこちらこそよろしくお願いいたします。

ダイヤモンド?トナカイ様

あのぉ…私は3月8日生まれですよ(°□°;)
もうビックリの連続です( ̄○ ̄;)

ただ、私は愛知県在住ですので、そこが違いますかね。
愛知県在住でしたので、まずは四国や九州から攻めていました。
そのため北海道が後回しになりまして…
北海道へは現役蒸気の末期に父親と乗りに行ってから、しばらく間が空いてしまいました…
管理人様は白糠線へ間に合われたようですね。
うらやましいです。
旧国鉄で、これだけが心残りでしてね…

おっと、すみませんm(_ _)m
私のコメで更新ができませんね…


今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m

にわか者様

コメントありがとうございます。

またもや偶然ですね。まさか1日違いとは・・・という事は「いい旅チャレンジ20000km」的な経験者というところでしょうか?にわか者さんの「現役蒸気末期」という事は追分あたりの、時期的には小学校に入る前くらいの頃でしょうか。スゴイ経験ですね。私の場合白糠線が北海道初上陸でしたが、1984年以降、2007年頃まで鉄道は「休業」となりまして、実に23年くらいのブランクがあります。もう少し続けていれば天北線や標津線などの乗車にも間に合った事でしょう。今となってはそれが心残りです。

愛知県ご出身という事は、かつての名鉄に「ガントレット」があったのをご存知でしょうか。もしかしたら生で体験なさったのでは?

という事で、更新の事は気になさらず、これからもどしどしコメントくださいね。よろしくお願いいたします。

ダイヤモンド☆トナカイ様

まずは謝らなければなりません…
私はIT難民でして、いまだにガラケーを使っています…
PCも持っていません…

実は管理人様のお名前が、ガラケーが原因かもしれないのですが、文字化けしていたらしく…
ずーっとダイヤモンド?と表示されておりました…
ところが、今日はダイヤモンド☆と表示されておりまして…
?マークが付くのは変だなぁとは思ったのですが、やはりお名前を間違えておりました(ToT)
大変申し訳なかったですm(_ _)m


さて、私はチャレンジ20000キロに登録はしておりませんでした…
今にして思えば、登録しておくべきでした…
実を言いますと、国鉄、JRと各1回ずつ達成しました(^_^;)
C57の模型が二両貰えたハズなんですがね…

あと、管理人様は中学卒業後、38才まで?休テツされていたんですよねぇ?
私は高校時代に全国へ遠征しまくり、大学入試を失敗するという大失態をやらかしました(ToT)
しかも大学入試終了後も、国鉄解体までに一気に乗り潰しを完了させた大馬鹿者です(ToT)

それと、ガントレットは知ってますよ。
名鉄も乗りました!が…ガントレットは後々に知っただけでして…
当時は何も知らずに、ただ父親と乗りにいっただけなんです…
後で色々とわかってきて、もったいないことをしたと思った次第です…(ToT)


以上、毎日長々とごめんなさいm(_ _)m

にわか者様

コメントありがとうございます。

色々と謝罪のようなコメント頂いておりますが、あまり細かい事は気にせずに「鉄道」を楽しみましょう!「☆」であろうが「?」であろうが、鉄道を「道楽」として楽しんでいることにはかわりないので・・・
というより「ガラケー」からでも私のブログをご覧になっている事に感謝です。それこそ私の「道楽」に付き合ってもらって光栄です。

ところで「国鉄」「JR」どちらも達成するという偉業を成し遂げたのは、これは実に素敵なことですね。私は既に「国鉄」の段階で脱落しているのでその偉業を真似する事は出来ません・・・しかも私の「空白の時間」の間もしっかりと鉄道に関する良い経験をなさってるのは素晴らしいです。

更に「ガントレット」を幾度となく経験しているのは実に素晴らしいです。もちろん「無意識」での経験かも知れませんが・・・
プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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