姿なき挑戦者⑤ 急行「銀河」51号
2013-05-28
おや?と思われる方もおられるであろう。なぜプロパーでの「銀河」ではなく「51号」なのか・・・実はワタクシ、銀河に乗った事がありませんので・・・近年まで存在した寝台急行「銀河」の晩年は24系の寝台車で身をまとい、まるで寝台特急「ブルートレイン」であった。しかし、私のイメージはEF58牽引の20系寝台車姿の列車であった。そんな列車にいつしか乗車してみたい思いであったが・・・

(東京駅にての急行銀河。EF58が牽引していたが、晩年はEF65であった。画像はミックスマテリアル様提供。)
私の初めて乗車した座席夜行列車、その名も「急行銀河51号」。51号と名の付くからにはひとめで「臨時」とわかるであろう。1981年夏、私は座席夜行急行列車「銀河51号」に乗り関西方面へ向かった。目的はというと、同じ年に開催された「神戸ポートアイランド博覧会」に観客のひとりとなるためだ。いわゆる「ポートピア」であるが、現在も走るあの新交通システム「ポートライナー」に乗車する目的もあったのだ。
現場に行くのになぜか「51号」を選んだ私だが、理由は簡単で「経済的」な部分が絡んでいたのであろう。寝台と座席で5000円~6000円位の差があった記憶であるが、夜行=寝台のイメージしかなかったため、この「座席」で夜を過ごす初体験にいささか胸の高鳴りを覚えたものだ。

(印象的なテールマーク。今となっては懐かしい。画像はウィキより転用。)
さて、私は「51号」で神戸の「ポートピア’81」へ向かう。今となっては夜の東海道など、いわば「ムーンライト」で散々お世話になったせいか見慣れた景色である。と言っても真っ暗の為景色は見えず、ただ只管寝る作業しか選択肢が無いのはつらい。東京発は22時丁度発。私が乗車した急行「銀河51号」は確かEF58牽引の14系座席客車である。東京発夜行列車のオール座席客車は当時でも大変珍しかったであろうが、私は初めて体験する座席で迎える夜はいささか窮屈だったようだ。どうせなら、それこそ各メディアで当時論議されていた「583系」で運転しても良かったと思うくらい14系座席はいささか疑問であった。一応指定席券は大阪までであるが、実は京都で下車している。6時59分着となんだか遊び心をふんだんに取り入れた到着時間である。
大船・小田原・熱海・沼津・富士・静岡・浜松・豊橋と停車するが次の停車駅が米原である。豊橋で3時半くらいでも停車するのに名古屋を通過とは!なんて格式高い急行列車なのであろうか。一応運転停車はするが、なぜに名古屋だけ欠落するのか・・・レギュラーの「銀河」も名古屋は通過であるが、こちらは「寝台急行」の為まだまだ納得の余地はある。しかしカリソメにも「51号」なる臨時列車の、しかもオール座席にも関わらず、名古屋を見捨てるのか・・・

(14系客車急行の代表格であった「ニセコ」。銀河51号もこんなイメージだ。画像はウィキから転用。)
米原付近では外は明るくなってきた。夏の夜明けは早いが、東京と比べるとやや時間差がある。臨時列車ながら「銀河」はプロパーの姿と違い寝台は無いが、補完するという意味ではしっかりと役目を果たしている。
やがて京都に着くので私たちは下車の準備をする。ハッキリいて車内ではテンション高くいささか寝不足状態だ。
そして京都のホームに足を踏み入れた。予定では親戚が迎えに来ているはずだ。とは言え、私はこの「親戚様」とはほぼ初対面である。幼少時代に一度お目にかかったみたいだが、ハッキリ言って記憶が薄い。というのも「父の母の姉」、つまり「ウルトラ作戦第一号」で紹介した「玉乃井」さんの姉らしいのだ。ほぼ全く面識ないといっていい状態であったが、私たちをホームまで迎えに来てくれていた親戚様はすぐに「その人」とわかったのだ。今考えてもすごく不思議であるが、すぐにお互いにわかり、私の方から軽く会釈をした。お互いに時空を超え、すぐに溶け込んだ。そしてお世話になる宿泊施設を紹介してもらい市内をいろいろ案内してもらってからお別れした。
恐らくその親戚とは最初で最後の単独でのコンタクトであったと思うが、私ほど「京都」が似合わない人物もいないであろうという人間を快く迎え入れてくれて、大変感謝の思いでいっぱいであった。
その後は京都をベースに神戸方面への撮影会兼観光が始まるわけだが、ハッキリ言って座席の夜行は初めてであったため体力的にハードであった。私はいいとして、同行した友人二人はどのような思いであったのであろうか。
体も心も「臨時」的に迎えた京都の朝は「町並み」「風情」とは関係なく「鉄道」という名のカテゴリーが我々の時間に進行していった。

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鉄道全線完全制覇の旅

(東京駅にての急行銀河。EF58が牽引していたが、晩年はEF65であった。画像はミックスマテリアル様提供。)
私の初めて乗車した座席夜行列車、その名も「急行銀河51号」。51号と名の付くからにはひとめで「臨時」とわかるであろう。1981年夏、私は座席夜行急行列車「銀河51号」に乗り関西方面へ向かった。目的はというと、同じ年に開催された「神戸ポートアイランド博覧会」に観客のひとりとなるためだ。いわゆる「ポートピア」であるが、現在も走るあの新交通システム「ポートライナー」に乗車する目的もあったのだ。
現場に行くのになぜか「51号」を選んだ私だが、理由は簡単で「経済的」な部分が絡んでいたのであろう。寝台と座席で5000円~6000円位の差があった記憶であるが、夜行=寝台のイメージしかなかったため、この「座席」で夜を過ごす初体験にいささか胸の高鳴りを覚えたものだ。

(印象的なテールマーク。今となっては懐かしい。画像はウィキより転用。)
さて、私は「51号」で神戸の「ポートピア’81」へ向かう。今となっては夜の東海道など、いわば「ムーンライト」で散々お世話になったせいか見慣れた景色である。と言っても真っ暗の為景色は見えず、ただ只管寝る作業しか選択肢が無いのはつらい。東京発は22時丁度発。私が乗車した急行「銀河51号」は確かEF58牽引の14系座席客車である。東京発夜行列車のオール座席客車は当時でも大変珍しかったであろうが、私は初めて体験する座席で迎える夜はいささか窮屈だったようだ。どうせなら、それこそ各メディアで当時論議されていた「583系」で運転しても良かったと思うくらい14系座席はいささか疑問であった。一応指定席券は大阪までであるが、実は京都で下車している。6時59分着となんだか遊び心をふんだんに取り入れた到着時間である。
大船・小田原・熱海・沼津・富士・静岡・浜松・豊橋と停車するが次の停車駅が米原である。豊橋で3時半くらいでも停車するのに名古屋を通過とは!なんて格式高い急行列車なのであろうか。一応運転停車はするが、なぜに名古屋だけ欠落するのか・・・レギュラーの「銀河」も名古屋は通過であるが、こちらは「寝台急行」の為まだまだ納得の余地はある。しかしカリソメにも「51号」なる臨時列車の、しかもオール座席にも関わらず、名古屋を見捨てるのか・・・

(14系客車急行の代表格であった「ニセコ」。銀河51号もこんなイメージだ。画像はウィキから転用。)
米原付近では外は明るくなってきた。夏の夜明けは早いが、東京と比べるとやや時間差がある。臨時列車ながら「銀河」はプロパーの姿と違い寝台は無いが、補完するという意味ではしっかりと役目を果たしている。
やがて京都に着くので私たちは下車の準備をする。ハッキリいて車内ではテンション高くいささか寝不足状態だ。
そして京都のホームに足を踏み入れた。予定では親戚が迎えに来ているはずだ。とは言え、私はこの「親戚様」とはほぼ初対面である。幼少時代に一度お目にかかったみたいだが、ハッキリ言って記憶が薄い。というのも「父の母の姉」、つまり「ウルトラ作戦第一号」で紹介した「玉乃井」さんの姉らしいのだ。ほぼ全く面識ないといっていい状態であったが、私たちをホームまで迎えに来てくれていた親戚様はすぐに「その人」とわかったのだ。今考えてもすごく不思議であるが、すぐにお互いにわかり、私の方から軽く会釈をした。お互いに時空を超え、すぐに溶け込んだ。そしてお世話になる宿泊施設を紹介してもらい市内をいろいろ案内してもらってからお別れした。
恐らくその親戚とは最初で最後の単独でのコンタクトであったと思うが、私ほど「京都」が似合わない人物もいないであろうという人間を快く迎え入れてくれて、大変感謝の思いでいっぱいであった。
その後は京都をベースに神戸方面への撮影会兼観光が始まるわけだが、ハッキリ言って座席の夜行は初めてであったため体力的にハードであった。私はいいとして、同行した友人二人はどのような思いであったのであろうか。
体も心も「臨時」的に迎えた京都の朝は「町並み」「風情」とは関係なく「鉄道」という名のカテゴリーが我々の時間に進行していった。

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