北鉄の「現在(いま)」を求めて・・・
2013-07-01
2013年3月と6月、北陸鉄道に参戦した。本来は石川線と浅野川線を一緒に制覇するのが経済的であるが、旅の行程上2回に分かれてしまった。今回は浅野川線を紹介してみよう。
浅野川線は、1924年1月23日に設立された浅野川電気鉄道(浅電)が開業した路線である。かつては内灘駅 - 粟ヶ崎海岸駅間があったが1974年に港湾整備などのために廃止された。
2001年には北鉄金沢駅 - 七ツ屋駅間が地下化されたが、地下化するに当たり車両をすべて不燃化する必要があったため元京王3000系電車を導入することとなった。同車に対応するために1996年に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し、同時にワンマン運転を開始し現在に至っている。

北鉄金沢駅。「初」の私は乗場さがしに苦労したが、着いてしまえば意外と単純であった。まだ地下化され10年ちょっとしか経っていないためか、新しさが伝わってくる。


北鉄金沢駅ホーム。無理やりかも知れないが、なんとなく「吉祥寺」のような雰囲気を醸し出しているような・・・

「東急車両」としては昭和39年製造。昭和39年と言えばご存じ、あの東海道新幹線が開通した年だ。下の表記は「京王重機」で平成9年に恐らく北鉄用にリニューアルされたのであろう。

北鉄金沢を出るとすぐに地上に出る。そして出た瞬間に・・・

次の七ツ屋に到着。ここも地下化の際にリニューアルされたと思われ、ホームが新しい。

生活路線らしく、こんな空間を通る。なんとなくかつての「清水港線」に似たような感じだ(ちょっと例えが古かったかなぁ・・・)。

途中、大河端は600Ⅴ時代の変電所があったが、現在は北鉄の物資保存庫となっているようだ。川の土手淵にあり、利用者は多いとは言えない佇まい。

終点の内灘。折り返し時間が少なかったため多くの写真を撮れなかった。しかしながら内灘町の中心的存在で路線バスが多く発着しており、利用者にはとても便利。

内灘には車庫もある。じっくり見物したかったがそれは次回にしよう。(画像はウィキペディア)

内灘駅。バス乗り場がすぐにありとても便利。(画像はウィキペディア)

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浅野川線は、1924年1月23日に設立された浅野川電気鉄道(浅電)が開業した路線である。かつては内灘駅 - 粟ヶ崎海岸駅間があったが1974年に港湾整備などのために廃止された。
2001年には北鉄金沢駅 - 七ツ屋駅間が地下化されたが、地下化するに当たり車両をすべて不燃化する必要があったため元京王3000系電車を導入することとなった。同車に対応するために1996年に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し、同時にワンマン運転を開始し現在に至っている。

北鉄金沢駅。「初」の私は乗場さがしに苦労したが、着いてしまえば意外と単純であった。まだ地下化され10年ちょっとしか経っていないためか、新しさが伝わってくる。


北鉄金沢駅ホーム。無理やりかも知れないが、なんとなく「吉祥寺」のような雰囲気を醸し出しているような・・・

「東急車両」としては昭和39年製造。昭和39年と言えばご存じ、あの東海道新幹線が開通した年だ。下の表記は「京王重機」で平成9年に恐らく北鉄用にリニューアルされたのであろう。

北鉄金沢を出るとすぐに地上に出る。そして出た瞬間に・・・

次の七ツ屋に到着。ここも地下化の際にリニューアルされたと思われ、ホームが新しい。

生活路線らしく、こんな空間を通る。なんとなくかつての「清水港線」に似たような感じだ(ちょっと例えが古かったかなぁ・・・)。

途中、大河端は600Ⅴ時代の変電所があったが、現在は北鉄の物資保存庫となっているようだ。川の土手淵にあり、利用者は多いとは言えない佇まい。

終点の内灘。折り返し時間が少なかったため多くの写真を撮れなかった。しかしながら内灘町の中心的存在で路線バスが多く発着しており、利用者にはとても便利。

内灘には車庫もある。じっくり見物したかったがそれは次回にしよう。(画像はウィキペディア)

内灘駅。バス乗り場がすぐにありとても便利。(画像はウィキペディア)

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