三陸縦貫の旅⑤
2013-07-16

(こたつ列車の36-2100形。座敷タイプとこたつタイプに変身できる。画像はウイキぺディアより。)
宮古に到着すると、三陸鉄道の列車と2~3分の接続しかないとのアナウンスであったため一目散に乗場へ向かった。山田線に乗っていた乗客の殆どが三陸鉄道への乗り換え客であった。そのため「みんなに付いていく」事で乗場を探す手間が省けるのであるが、考えてみれば既に国鉄時代には訪問済の為勝手は分かるはずであった。が、しかし三陸鉄道になってからはJRとホームが分離されたため若干歩く。
早速乗り込もうとするが、既にいる先客が入り口付近で滞っているためなかなか車内に入れない。既に出発予定時間を過ぎ、更に遅れた我々を待っていてくれたので更に遅れがプラスされているわけである。
ようやく乗車した私だが、なんと全席指定のはずの私の座席に先客がいたのだ!もちろん後が閊えているため空いている山側の席に身を寄せ、列車が走り出したら切符を係に見せて確認作業。
座席番号等すべて確認したが、いわゆる「ダブルブッキング状態」のまま私が引く事でその場を収めたが、後日もう一度自身で確認すると、旅行会社が日付を一日誤って発行していた事が判明。「私が引く」事が正解であった。海側の座席は全て埋まっていたが、山側は全く無人状態であったので何とか私は「こたつ」を体験する事に成功。荷物置き場にも困ることなく、むしろVIP待遇ではないか!との思いを胸に秘めJR八戸線の待つ久慈へ向かったのであった。

(新線区間の摂待。普通に読めない!)
海側の座席でないのは残念であるが、田老までは国鉄時代に足跡をつけている。国鉄時代は棒線であったが、島式ホーム仕様になっていて築堤のスペースには将来の交換駅になる空間がちゃんとあった。もちろん、私の再訪時にはそのスペースにちゃんとレールが敷かれており、列車もちゃんと通っていた。かつて自分が見た「未成部分」が完成して現役で頑張っている姿を確認できる事って、これ、すごく素敵な体験だ。しかもその先には新しい「レール」が顔を出す。その区間を乗車できる。何とも言えぬ思いはレールファン冥利に尽きる思いだ。

(島越駅は震災時、津波で施設がほぼ流失して壊滅状態に。2014年の復帰が待たれる。)
新線区間の小本では、ここより更に分岐して岩泉線の岩泉駅までの計画があったが、周知の通り、そのような路線は現在存在しない。更に岩泉線は災害の為現在も代行バスでの運用である・・・1983年の訪問時には、八戸から八戸線の始発で久慈で乗換え普代までやって来た。そこから周遊券でも乗車OKな「国鉄バス」で北山崎展望台で更に乗り換え岩泉まで行ったものだ。確か岩泉を12時台の列車だったはずであるが、現在はこの時間帯の列車設定は無い。というより災害で不通となっていて列車自体が動いていないが、おそらく復旧せずにこのまま廃止の公算が強い。若干残念ではあるが、田老~普代間が開通しただけでも喜ばしい事。その区間を体験できるだけでも素晴らしい喜びだ。
トンネル区間が多く続く中、海が見え隠れする三陸の車窓は実に穏やか。とても2か月後にやってくる震災の事など想像もつかないほど「三陸らしい」時間が過ぎて行った。

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