三陸縦貫の旅⑥
2013-07-18

(普代駅の駅舎。築堤上のホームから階段を下りて駅舎に向かう。構内には物産品店も併設。)
三陸鉄道と言えば、私の記憶だと当初のネーミングは「三陸縦貫鉄道」との「仮称」があったと思う。恐らく間に山田線を挟む形になるため「縦貫」を外したのであろう。一時期は山田線の一部区間・釜石~宮古も三鉄が運営しようという動きがあったらしいが、結局現在の形に落ち着いたと聞く。

(秘境駅で名高い白井海岸駅。付近には民家が見当たらないが、ちょっと遠目に海岸が見える。)
そんな事を「こたつ」に入りながら考えていると間もなく新線区間が終了に近付いてきた。そう、普代に到着だ。この普代駅は国鉄時代には棒線であったが、三陸鉄道となってからは一面二線の島式ホームで交換可能駅となった。それ以外はほとんど変化が無く、国鉄時代に訪問した時の面影が多々残る。駅舎には物産品線店が併設され、委託ながら駅員も配置された。
そんな普代をとても懐かしく感じる。約30年前の記憶はかなりというよりほとんど薄らいでおり、記録だけが残る中、この普代駅はしっかりと脳裏に焼き付いている。理由は分からないが、おそらく最初の訪問時の事前に「駅名全百科」などで情報を集めていたため、とても印象に残っていたのであろう。再訪の際には是非下車してみたい駅のひとつだ。

(ドラマでお馴染みの「堀内」。「ほりうち」とは読まずに「ほりない」と読む。ドラマでは「袖ヶ浜駅」として登場する。)
リアスの特徴が良く現れる風景を車窓に映し出しながらいよいよ「国鉄時代」の再訪となる。普代を出るとドラマでお馴染みの光景が私の前に現れる、と言っても当時は「ドラマ」は当然まだ放送されていないため、改めての確認作業となるのだが・・・全く関係ないが、出演している「キョン〇ョン」は、我地元・厚木出身だ!
そういえば先ほどの新線区間では、記すのが遅くなったが、色々なイベントがあった。物産品の販売や、車内の照明が落ちると「なまはげ」に扮した地元の方が車内を動き回っていた。しかし、どうやら子供には刺激が強かったようで蜂の巣を突いたように泣き止まない。
気が付けば「国鉄区間」ではその「なまはげ」は面を取り、泣き止んだ子供の母親と世間話をしていた・・・何か不思議な光景であったが、この「こたつ列車」も一部区間で復活の話を聞いた。これからも頑張っていただきたい思いである。

(国鉄時代の「陸中野田」。1983年の光景であるが、私の訪問時は雨だったのだと写真を見て気づいた。)
普代より先は「国鉄区間」になるが、途中、ドラマでお馴染みの「堀内」に着く。棒線一本のホームが開業時と変わらないが、「ほりうち」とは読まず「ほりない」と読む。ドラマでは「袖ヶ浜駅」として登場するが、出演している「キョン〇ョン」は、我地元・厚木出身である!
隣の白井海岸駅は三鉄になってからできた新しい駅だ。某秘境駅訪問家が「秘境駅」として紹介しているが、私の感覚からそれほど秘境ではない印象である。
野田玉川や陸中野田など、懐かしい駅を通り過ぎると久慈に到着。ドラマでは「北三陸駅舎」として登場する駅舎も2013年、つまり今年には復興の意味も込めてリニューアルされた。

(JR久慈駅。ドラマではお馴染みである)
私は乗り換えの為あまり滞在できなかったが、どこか懐かしい光景が甦る。ここで私はJRに乗り換え宿泊先の八戸に向かう。八戸線は1983年に八戸から始発で久慈までやってきて久慈線(当時)に乗り換えた。28年振りに来たこの久慈駅は行先こそ全く逆になるが、乗り換えるという「行為」は変わらない。再び八戸線に乗り込むときには既に辺りが暗くなっていた。前回訪問時には種差海岸付近でウミネコの群れを沢山見た。何か演歌にでも出てきそうな風景であったが、今回は残念ながら拝めない・・・
若干黄昏時を迎えた三陸の空は、今私が通ってきた「三陸」を照らしていた。振り返ると、そこには薄暗くなってきた久慈駅のホームが段々小さくなっていく。冬至を過ぎてまだそれほど日にちが経っていない東北の夕暮れは早い時間帯に夜を迎える。17時前というのに既に景色が確認できないくらいにまでになってきた。

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