姿なき挑戦者⑦上越夜行733M(前編)
2013-08-23
「ムーンライトえちご」と言えばご存じか、上越線を走る「夜行列車」だ。いわゆる快速夜行列車で新宿~新潟間で運転され「青春18シーズン」になると登場する。私が中学生の頃、この上越夜行は「各駅停車」であった。当然「ムーンライト」等の愛称は無い。私がこの上越夜行と初遭遇したのが1982年8月であるが、当時は既に上りが廃止されていて、運転されているのは上野発長岡行の下りのみであった。現在の「ムーンライトえちご」の原型となった列車であるが「ムーンライト~」は上下運転されていて「18派」には大変重宝するであろう。

(高崎に停車中の「ムーンライトえちご」。かつて、高崎での停車時間に「北陸」と「能登」に抜かれていた。)
今回は「ムーンライトえちご」の全身である「733M」を紹介してみたい。私は、先述した1982年8月と1984年3月に乗車している。当時の運用車両は、なんと115系!普通に「通勤電車」なのだ。もちろん全席自由席で、セミクロスシートのため、クロスシートが確保できない場合はドア付近の、あの「短いロングシート」にお世話にならなければならない・・・それもダメだった場合は「吊革」に掴まり長岡まで行かなければならないという、何ともスリル満点の夜行列車であった。
1984年に乗車の際は、あの廃止路線「赤谷線」の晩年を見届けるべく立ち上がったのだが、1982年乗車の際はただ新潟駅に行ったに過ぎず、行程さえ上手く組めば弥彦線の東三条~越後長沢間や、魚沼線もセットで訪問できたであろう。やはりまだ「甘ちゃん」であったのか、結局新潟まで行き越後線に乗り換えるという、今考えたら「予定を組み替えてもう一度行きたい」思いが溢れ、自分で自分にラリアットでも一発叩き込みたい気分であった。

(733Mのイメージ。と言っても普通に115系であるが、これが夜行列車に使われるとは!2008年に高崎駅で撮影。)
と、まぁ前置きが長くなったが、1984年の乗車時を中心に1982年の乗車時の体験も交えながら紹介してみよう。
1984年の乗車の際は、先述した赤谷線の訪問の際のアプローチにお世話に。この赤谷線訪問の企画は、我所属の中学校のクラブ活動「鉄道研究クラブ」であるが、私は既に「卒業生」としての待遇だ。と言ってもまだ高校生になっておらず、4月からの初登校を前に「春休み」を利用しての参加である。つまり私は「ゲスト」としての参戦であった。赤谷線訪問の章でも触れたが、後輩たちと共に「ゲスト教諭」も参戦しており、確か10人位の「大所帯」での移動であった。しかしながら、私はともかく後輩たちはそれほど旅慣れておらず、後々「事件」を起こすことになるのだが・・・

(ウィキぺディアから転用させていただいた「ムーンライトえちご」。私にしてみれば、快速列車が485系とは!時代も変わったものだ・・・)
いつものように、夜行列車乗車時のセオリーとして「待つ」に徹するため、発車時間より2時間以上前に上野駅に到着。代表者1名を列に残し、その他大勢は思い思いに他のホームで列車を撮影していた。今回は顧問の教諭の他にゲスト教諭も参加しているため「大人2人」がいて何かと治安が良い。
いよいよ出発の時間が近づいた。上野駅のどのホームに入線したか記憶に無かったので昔の時刻表を引っ張り出して調べてみた。すると「9番線」であることが判明。つまり地上ホームの「13番線」とかでではなく、普通に「通勤電車」と同じ感覚の扱いである!長岡行きですぞ、国鉄さん!!

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(高崎に停車中の「ムーンライトえちご」。かつて、高崎での停車時間に「北陸」と「能登」に抜かれていた。)
今回は「ムーンライトえちご」の全身である「733M」を紹介してみたい。私は、先述した1982年8月と1984年3月に乗車している。当時の運用車両は、なんと115系!普通に「通勤電車」なのだ。もちろん全席自由席で、セミクロスシートのため、クロスシートが確保できない場合はドア付近の、あの「短いロングシート」にお世話にならなければならない・・・それもダメだった場合は「吊革」に掴まり長岡まで行かなければならないという、何ともスリル満点の夜行列車であった。
1984年に乗車の際は、あの廃止路線「赤谷線」の晩年を見届けるべく立ち上がったのだが、1982年乗車の際はただ新潟駅に行ったに過ぎず、行程さえ上手く組めば弥彦線の東三条~越後長沢間や、魚沼線もセットで訪問できたであろう。やはりまだ「甘ちゃん」であったのか、結局新潟まで行き越後線に乗り換えるという、今考えたら「予定を組み替えてもう一度行きたい」思いが溢れ、自分で自分にラリアットでも一発叩き込みたい気分であった。

(733Mのイメージ。と言っても普通に115系であるが、これが夜行列車に使われるとは!2008年に高崎駅で撮影。)
と、まぁ前置きが長くなったが、1984年の乗車時を中心に1982年の乗車時の体験も交えながら紹介してみよう。
1984年の乗車の際は、先述した赤谷線の訪問の際のアプローチにお世話に。この赤谷線訪問の企画は、我所属の中学校のクラブ活動「鉄道研究クラブ」であるが、私は既に「卒業生」としての待遇だ。と言ってもまだ高校生になっておらず、4月からの初登校を前に「春休み」を利用しての参加である。つまり私は「ゲスト」としての参戦であった。赤谷線訪問の章でも触れたが、後輩たちと共に「ゲスト教諭」も参戦しており、確か10人位の「大所帯」での移動であった。しかしながら、私はともかく後輩たちはそれほど旅慣れておらず、後々「事件」を起こすことになるのだが・・・

(ウィキぺディアから転用させていただいた「ムーンライトえちご」。私にしてみれば、快速列車が485系とは!時代も変わったものだ・・・)
いつものように、夜行列車乗車時のセオリーとして「待つ」に徹するため、発車時間より2時間以上前に上野駅に到着。代表者1名を列に残し、その他大勢は思い思いに他のホームで列車を撮影していた。今回は顧問の教諭の他にゲスト教諭も参加しているため「大人2人」がいて何かと治安が良い。
いよいよ出発の時間が近づいた。上野駅のどのホームに入線したか記憶に無かったので昔の時刻表を引っ張り出して調べてみた。すると「9番線」であることが判明。つまり地上ホームの「13番線」とかでではなく、普通に「通勤電車」と同じ感覚の扱いである!長岡行きですぞ、国鉄さん!!

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