31年振りの再会!木次線① 宍道~木次
2013-09-01
2013年8月、青春18を駆使し私は木次線を訪れた。実はこれが2回目の訪問であるが、前回の訪問は1982年3月。なんと31年振りの訪問である!今回の訪問は、前回訪問した時に行程の制約から訪問することができなかった亀嵩駅の、ご存じあの「出雲そば」の確認作業が最大の目的である。
木次線と言えば、1980年代の赤字ローカル線廃止ブームで候補に挙がったものの、沿線道路整備の関係から現在もなお健在の「赤字ローカル線」である事は私が説明するまでもないであろう。

(朝8時30分に宍道に到着。通勤時間帯というのに長閑な風景。)
現在はトロッコ列車などの観光に活路を見出し、スイッチバックや「延命之水」でお馴染みの出雲坂根、また近年開通した道路「奥出雲おろちループ橋」など、見どころ満載である。
そんな「現在の」木次線をしっかりと見届けようと、前日に米子に宿泊。そして部活に向かうと思われる学生諸君や通勤客と一緒に朝7時半、米子より宍道に向かった。


(宍道駅の旧4・5番ホーム。現在はレールは撤去されてしまった。ここがかつての木次線ホーム。)
朝8時半に宍道に到着。通勤・通学客は既に松江でほぼ下車してしまい、宍道に到着する頃には既に通常の「ローカル線」の風景となっていた。しかし、以前に宍道に来た時と明らかに印象が違う・・・なんと4・5番線のレールが撤去され、JRが賃貸する駐車場の通路に変身していたのだ!このホームは説明するまでも無く木次線用のホームであったが、列車本数の減少なのか、山陰本線用の3番線が現在は木次線のホームとして使われていた・・・

(木次線ホームは3番線となった。列車本数の減少で、1面2線のホームは不要になったか。)
とりあえず1時間弱の待ち時間であったため思い思いに写真を撮っていたが、若干「同業者」の姿もチラホラと。しかしその1時間弱という時間は、こういう空間にいるとすぐに過ぎてしまう。西日本の連日の猛暑の中、なぜかこの日は若干曇り気味で比較的過ごしやすい。待ち時間も苦にならないくらいだった。

(列車は1両で入線したが、後ろに3両増結した。前寄り2両を解放し、後ろ2両は回送扱いに。)
そしてこの日はトロッコ列車が木次発の為、プロパーの列車で木次に向かう。やって来た1両編成の列車は出雲横田発の列車で折り返しの木次行となるが、乗客を降ろした後、後部に3両増結した。そしてそのうちの1両を解放、4両編成の列車のうち2両は乗客を乗せる仕様になり木次に向かう。

(途中の幡屋では乗客の姿が!って、乗客がいて初めて成り立つ経営。木次線の収入を支えている貴重な存在だ。)
さて、私の乗せた木次線・1445Dは定刻通りに宍道を出発。以前の訪問時はキハ20のセミクロスであったが、現在はレールバスみたいな華奢な「西」の気動車でロングシートの車両が活躍する。次の南宍道を通過するが、途中の幡屋ではなんと乗客がいた!普通に地元民の利用が珍しく映る光景はいささか普通でないが、ローカル線では既に当たり前の風景となってしまった。まさに貴重な存在である。次の出雲大東では駅前がかなり繁華しており、若干の賑わいを見せていたが、乗客はほぼ皆無に近かった。やはり本数に制限のある鉄道は、もはや「手段」ではなくなってしまっていたのは残念であった。

(出雲大東駅前は、意外に盛隆していた。「駅前」の風景を醸し出していたが、乗客はほぼ皆無に等しい・・・)
そしていよいよ木次に到着。ここでトロッコ列車に乗り換えるが、トロッコの運転が無い日には、私の乗ってきた列車が出雲横田まで直通する。今日はトロッコの運転があるため列車は木次止まりだ。やはりトロッコ目当ての乗客が木次駅の駅舎を若干埋め尽くしていたが、夏休みのせいか家族連れの姿が目立つ。さて小学生たち、このトロッコ列車の体験が夏休みの宿題ネタとなるのか・・・しっかりと思う存分、出雲坂根のスイッチバックを堪能するといい。

(木次駅の構内は広い。「木次鉄道部(学校のクラブ活動ではないよ!)」が置かれ、木次線を管理している中心的存在の駅だ。)

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木次線と言えば、1980年代の赤字ローカル線廃止ブームで候補に挙がったものの、沿線道路整備の関係から現在もなお健在の「赤字ローカル線」である事は私が説明するまでもないであろう。

(朝8時30分に宍道に到着。通勤時間帯というのに長閑な風景。)
現在はトロッコ列車などの観光に活路を見出し、スイッチバックや「延命之水」でお馴染みの出雲坂根、また近年開通した道路「奥出雲おろちループ橋」など、見どころ満載である。
そんな「現在の」木次線をしっかりと見届けようと、前日に米子に宿泊。そして部活に向かうと思われる学生諸君や通勤客と一緒に朝7時半、米子より宍道に向かった。


(宍道駅の旧4・5番ホーム。現在はレールは撤去されてしまった。ここがかつての木次線ホーム。)
朝8時半に宍道に到着。通勤・通学客は既に松江でほぼ下車してしまい、宍道に到着する頃には既に通常の「ローカル線」の風景となっていた。しかし、以前に宍道に来た時と明らかに印象が違う・・・なんと4・5番線のレールが撤去され、JRが賃貸する駐車場の通路に変身していたのだ!このホームは説明するまでも無く木次線用のホームであったが、列車本数の減少なのか、山陰本線用の3番線が現在は木次線のホームとして使われていた・・・

(木次線ホームは3番線となった。列車本数の減少で、1面2線のホームは不要になったか。)
とりあえず1時間弱の待ち時間であったため思い思いに写真を撮っていたが、若干「同業者」の姿もチラホラと。しかしその1時間弱という時間は、こういう空間にいるとすぐに過ぎてしまう。西日本の連日の猛暑の中、なぜかこの日は若干曇り気味で比較的過ごしやすい。待ち時間も苦にならないくらいだった。

(列車は1両で入線したが、後ろに3両増結した。前寄り2両を解放し、後ろ2両は回送扱いに。)
そしてこの日はトロッコ列車が木次発の為、プロパーの列車で木次に向かう。やって来た1両編成の列車は出雲横田発の列車で折り返しの木次行となるが、乗客を降ろした後、後部に3両増結した。そしてそのうちの1両を解放、4両編成の列車のうち2両は乗客を乗せる仕様になり木次に向かう。

(途中の幡屋では乗客の姿が!って、乗客がいて初めて成り立つ経営。木次線の収入を支えている貴重な存在だ。)
さて、私の乗せた木次線・1445Dは定刻通りに宍道を出発。以前の訪問時はキハ20のセミクロスであったが、現在はレールバスみたいな華奢な「西」の気動車でロングシートの車両が活躍する。次の南宍道を通過するが、途中の幡屋ではなんと乗客がいた!普通に地元民の利用が珍しく映る光景はいささか普通でないが、ローカル線では既に当たり前の風景となってしまった。まさに貴重な存在である。次の出雲大東では駅前がかなり繁華しており、若干の賑わいを見せていたが、乗客はほぼ皆無に近かった。やはり本数に制限のある鉄道は、もはや「手段」ではなくなってしまっていたのは残念であった。

(出雲大東駅前は、意外に盛隆していた。「駅前」の風景を醸し出していたが、乗客はほぼ皆無に等しい・・・)
そしていよいよ木次に到着。ここでトロッコ列車に乗り換えるが、トロッコの運転が無い日には、私の乗ってきた列車が出雲横田まで直通する。今日はトロッコの運転があるため列車は木次止まりだ。やはりトロッコ目当ての乗客が木次駅の駅舎を若干埋め尽くしていたが、夏休みのせいか家族連れの姿が目立つ。さて小学生たち、このトロッコ列車の体験が夏休みの宿題ネタとなるのか・・・しっかりと思う存分、出雲坂根のスイッチバックを堪能するといい。

(木次駅の構内は広い。「木次鉄道部(学校のクラブ活動ではないよ!)」が置かれ、木次線を管理している中心的存在の駅だ。)

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