永遠のひとかけら(前編)
2013-10-19
2013年9月、岩泉線・沿線自治体に「岩泉線を正式に廃止したい」とJR側から通達があったと聞いた。2010年より災害による不通以来、バスによる代替輸送が続いていたが、どうやら正式に「バス転換」になりそうだ。2012年には廃止の方針を既に沿線各自治体に打診しており廃止も時間の問題とは思っていたが、いざ「廃止」となると、それは非常に受け止めたくない事実であろう。とはいうものの、よくこの時代まで残っていたと思うほど実に頑張ってくれた「昭和の化石」は、もう「最後通告」を言い渡され、既に列車が走っていない状態が3年以上続いている。

(浅岸駅の駅舎。無人の駅舎は意外に手入れが行き届いているようだ。画像はウィキペディアより。)
1983年8月に私は訪問しているが、その時は「廃止」の候補には挙がっていたものの「沿線道路未整備」等の理由から廃止を免れてきた。当時からローカル線の「典型」であり、延伸計画があったものの、完全に頓挫していた。私が訪問した際は、このブログで散々紹介してきた「東北乗潰しの旅」の時であったが、茂市から岩泉までを折り返すのではなく、北山崎展望台から国鉄バスで岩泉駅まで来てからの「片道乗車」であった。
当時は三陸鉄道が開通前で普代~岩泉には国鉄バスが連絡していた。そして私は岩泉に向かうため、この北山崎展望台で乗り換えなければならなかったが、確か普代辺りから「同業者」と意気投合してしばらく同じコースを巡ったものだ。私は八戸線で八戸から始発で普代に着いたが、おそらく同業者の方々も同じ行程であったであろう。「同業者」とは、確か私と同じ年代の男児が1名と、自称「お医者さん」である初老の紳士が1名で、2人とも「東北ワイド周遊券」を持っていた。私も同じ切符であったため、皆「目的」は一緒だなと、その仲間と共に行動したわけである。

(三陸鉄道開通前に運転されていた国鉄バス「陸中海岸線」。私は普代から乗車し、北山崎展望台で乗り換え岩泉に向かった。画像はウィキペディアより。)
さて、北山崎展望台・・・三陸海岸は「三陸復興国立公園」の北行にある展望台で景勝地としても名高い。現在は三陸鉄道の田野畑駅から「乗合タクシー」で20分で着く。そんな景勝地を、私はただ単に「乗換」としてのみ利用。何とも無邪気な少年であった。北山崎展望台で岩泉方面に乗り換えると、岩泉付近にある観光地「龍泉洞」も当然通る。しかし私は全く興味を示さず、只管岩泉駅への到着を待ちわびていた。

(岩泉駅の駅舎。なんだかボウリング場みたいであるが、おそらく龍泉洞の「拠点」としたかったのであろう。画像はウィキペディアより。)
そしていよいよ岩泉駅に到着。立派な駅舎が私を迎えてくれたが、人影疎らで非常に寂しい。駅前はロータリーがしっかり整備されていて、駅舎も大きいし広い。恐らく国鉄は、龍泉洞の「玄関口」としてこの駅を企てたのであろうが、当時から全く機能しておらず、本数の少ない列車では観光客もほぼ皆無に近かった。バスは12時10分に着いたが、岩泉線の列車は13時45分の発車で少々のインターバルがあった。昼食時間のタイミングは言うまでもないが、確か食堂などが無かったため、駅前の商店でパンなどを購入した記憶だ。待合室で食べながら駅を観察したり仲間となった「同業者」と語り合ったりしていたらすぐに時間は過ぎてった。

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(浅岸駅の駅舎。無人の駅舎は意外に手入れが行き届いているようだ。画像はウィキペディアより。)
1983年8月に私は訪問しているが、その時は「廃止」の候補には挙がっていたものの「沿線道路未整備」等の理由から廃止を免れてきた。当時からローカル線の「典型」であり、延伸計画があったものの、完全に頓挫していた。私が訪問した際は、このブログで散々紹介してきた「東北乗潰しの旅」の時であったが、茂市から岩泉までを折り返すのではなく、北山崎展望台から国鉄バスで岩泉駅まで来てからの「片道乗車」であった。
当時は三陸鉄道が開通前で普代~岩泉には国鉄バスが連絡していた。そして私は岩泉に向かうため、この北山崎展望台で乗り換えなければならなかったが、確か普代辺りから「同業者」と意気投合してしばらく同じコースを巡ったものだ。私は八戸線で八戸から始発で普代に着いたが、おそらく同業者の方々も同じ行程であったであろう。「同業者」とは、確か私と同じ年代の男児が1名と、自称「お医者さん」である初老の紳士が1名で、2人とも「東北ワイド周遊券」を持っていた。私も同じ切符であったため、皆「目的」は一緒だなと、その仲間と共に行動したわけである。

(三陸鉄道開通前に運転されていた国鉄バス「陸中海岸線」。私は普代から乗車し、北山崎展望台で乗り換え岩泉に向かった。画像はウィキペディアより。)
さて、北山崎展望台・・・三陸海岸は「三陸復興国立公園」の北行にある展望台で景勝地としても名高い。現在は三陸鉄道の田野畑駅から「乗合タクシー」で20分で着く。そんな景勝地を、私はただ単に「乗換」としてのみ利用。何とも無邪気な少年であった。北山崎展望台で岩泉方面に乗り換えると、岩泉付近にある観光地「龍泉洞」も当然通る。しかし私は全く興味を示さず、只管岩泉駅への到着を待ちわびていた。

(岩泉駅の駅舎。なんだかボウリング場みたいであるが、おそらく龍泉洞の「拠点」としたかったのであろう。画像はウィキペディアより。)
そしていよいよ岩泉駅に到着。立派な駅舎が私を迎えてくれたが、人影疎らで非常に寂しい。駅前はロータリーがしっかり整備されていて、駅舎も大きいし広い。恐らく国鉄は、龍泉洞の「玄関口」としてこの駅を企てたのであろうが、当時から全く機能しておらず、本数の少ない列車では観光客もほぼ皆無に近かった。バスは12時10分に着いたが、岩泉線の列車は13時45分の発車で少々のインターバルがあった。昼食時間のタイミングは言うまでもないが、確か食堂などが無かったため、駅前の商店でパンなどを購入した記憶だ。待合室で食べながら駅を観察したり仲間となった「同業者」と語り合ったりしていたらすぐに時間は過ぎてった。

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コメント
No title
めるねぇ様
コメントありがとうございます!!
岩泉線は残念ながら廃止の方向に動いているみたいですね。めるねぇ様の未訪問は残念ですが、私も実は北海道の廃止された路線で訪問できたのは白糠線のみで、他は未訪問です。そういう経験からめるねぇ様のお気持ち察します。
私が岩泉線を訪問したのは中学3年生の時で、当時の「東北ワイド周遊券」で8日間かけて東北制覇の旅の中での訪問でした。
本当はたくさん写真を撮っていたのですが、高校から20年位鉄道から離れている期間がありまして、その時にほとんど処分してしまったので写真が残ってません。わずかな記憶と記録でのブログアップですが、中学生の少年の一人旅は今となっては良い思い出です。
まだ正式には廃止になっていないはずなので、「鉄道以外の手段」での訪問も悪くないかもしれません。が、やはり訪問の「意味」が薄れてしまいますね。何事にも「行ける時に行く」のが一番かもしれませんね。
岩泉線は残念ながら廃止の方向に動いているみたいですね。めるねぇ様の未訪問は残念ですが、私も実は北海道の廃止された路線で訪問できたのは白糠線のみで、他は未訪問です。そういう経験からめるねぇ様のお気持ち察します。
私が岩泉線を訪問したのは中学3年生の時で、当時の「東北ワイド周遊券」で8日間かけて東北制覇の旅の中での訪問でした。
本当はたくさん写真を撮っていたのですが、高校から20年位鉄道から離れている期間がありまして、その時にほとんど処分してしまったので写真が残ってません。わずかな記憶と記録でのブログアップですが、中学生の少年の一人旅は今となっては良い思い出です。
まだ正式には廃止になっていないはずなので、「鉄道以外の手段」での訪問も悪くないかもしれません。が、やはり訪問の「意味」が薄れてしまいますね。何事にも「行ける時に行く」のが一番かもしれませんね。
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乗りたかった路線です。。