1984年8月・「青春18」、88ヶ所は無理だったけど四国国鉄線全線制覇の旅①
2019-05-25
1984年8月、ひとりの男が立ち上がった・・・のは私であるが、既に高校生になり、いささか鉄道以外のジャンルにも興味を示していた。この年の3月には廃止となった赤谷線を訪問し増々鉄道色に染まっていったが「音楽」にとても魅力を感じる今日この頃となり、私はベーシストとしての道を歩む事となる。が、夏休みともなると家にいてもうずうずしてくる。なんだろう、この感じ・・・そう、列車が私を呼んでいたのだ!もう高校生ともなると「自身で稼ぐ」事も法律的に可能なため、その法律をフルに活かしアルバイトを始める。自身の自由がきくお金ができるということは素晴らしい事だ。私は「ふっ」と思い立ち、出発5~6日前に旅計画を完成。バイト先に休暇を申し入れ、まだ16歳なのに「18」してみた。

(1984年に廃止された赤谷線車両は始発の新発田にて撮影。赤谷線廃止と同日に我が地元・相模線の寒川支線も廃止となり、まさに国鉄のローカル線廃止はブームとなっていた。)
今回のターゲットは「四国」と位置付けた。青春18きっぷは5日間有効の為、5日あれば四国はクリアだなと、既に頭の中で計算できるまでに成長していた私は、計画もスムーズに仕上がる。しかしその計画はかなり濃厚な仕上がりとなった。既に東北乗り潰しの際に散々頭を抱えながら悩みぬいた時とははるかに違う。というより、そういう経験があってこそここまで成長できたのであろう。過去の経験から得た知恵や各メディアから仕入れた情報などを取り入れ、まさに英知を集結させた、いわば「集大成」の計画が出来上がった。レコードで言えば「ベストアルバム」か。いや「全曲集」と言えばよかろうか。とにかく、いかに「乗り潰すか」だけを考えた、全く無駄が無く完全に合理化された計画が仕上がったのだ。

(こちらも以前に紹介の大歩危。「大股で歩くと危険」という意味らしい。)
この旅の乗車計画はこちらを参考にしていただくとして、早速その模様を紹介してみよう。ただ、ひとことお断りしておくと、この旅が終了した後写真屋さんにフィルムを持っていく際に、そのフィルムの一部をどこかに落としてしまい写真が一部の乗車区間しか残っていない・・・当時はすごくショッキングな出来事であってかなり落胆してしまった。ということで、一部の写真については近年のものと、この旅以外での訪問時のものも含めて紹介することにする。

(1984年に廃止された相模線・西寒川駅。今回の旅からはここから旅立つ事は出来なくなってしまった。)
まずは、毎度おなじみ「ムーンライトながら」ならぬ「大垣夜行」に乗車の為、相模線は寒川より東京目指す。今までは「西寒川」からであったが、3月31日に廃止されてしまっていた。残念ではあるが、新しい最寄駅・寒川より相模線に乗る。茅ヶ崎で東海道線に乗り換え東京に到着したら23時25分発の「大垣行き」をいつものように待つ。もう手慣れたものだ。今回は急に思い立った事もあって、完全に私オンリーワンの一人旅となった。ものすごく融通が利くしやりやすい。しかし「いい旅チャレンジ20000km」のチャレンジ真っ最中の為「証明写真」が非常に撮りにくい。ある時は「窓枠」にカメラを置き、ある時はホームのベンチにカメラを置き・・・三脚は持っていなかったのでかなり苦労するし人目も気になる。周りに迷惑にならぬよう「ひとりチャレンジ」を敢行していった。
さて、東京発の大垣夜行は夜の東海道を、確か小田原辺りまで律儀に停車していく。指定席ではないので会社帰りのサラリーマンなどが普通に東京から乗車し東京近郊の各駅に散ってゆく。だが座席に座っている乗客の顔に変化はない。果たしてどんな旅になるのか・・・

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(1984年に廃止された赤谷線車両は始発の新発田にて撮影。赤谷線廃止と同日に我が地元・相模線の寒川支線も廃止となり、まさに国鉄のローカル線廃止はブームとなっていた。)
今回のターゲットは「四国」と位置付けた。青春18きっぷは5日間有効の為、5日あれば四国はクリアだなと、既に頭の中で計算できるまでに成長していた私は、計画もスムーズに仕上がる。しかしその計画はかなり濃厚な仕上がりとなった。既に東北乗り潰しの際に散々頭を抱えながら悩みぬいた時とははるかに違う。というより、そういう経験があってこそここまで成長できたのであろう。過去の経験から得た知恵や各メディアから仕入れた情報などを取り入れ、まさに英知を集結させた、いわば「集大成」の計画が出来上がった。レコードで言えば「ベストアルバム」か。いや「全曲集」と言えばよかろうか。とにかく、いかに「乗り潰すか」だけを考えた、全く無駄が無く完全に合理化された計画が仕上がったのだ。

(こちらも以前に紹介の大歩危。「大股で歩くと危険」という意味らしい。)
この旅の乗車計画はこちらを参考にしていただくとして、早速その模様を紹介してみよう。ただ、ひとことお断りしておくと、この旅が終了した後写真屋さんにフィルムを持っていく際に、そのフィルムの一部をどこかに落としてしまい写真が一部の乗車区間しか残っていない・・・当時はすごくショッキングな出来事であってかなり落胆してしまった。ということで、一部の写真については近年のものと、この旅以外での訪問時のものも含めて紹介することにする。

(1984年に廃止された相模線・西寒川駅。今回の旅からはここから旅立つ事は出来なくなってしまった。)
まずは、毎度おなじみ「ムーンライトながら」ならぬ「大垣夜行」に乗車の為、相模線は寒川より東京目指す。今までは「西寒川」からであったが、3月31日に廃止されてしまっていた。残念ではあるが、新しい最寄駅・寒川より相模線に乗る。茅ヶ崎で東海道線に乗り換え東京に到着したら23時25分発の「大垣行き」をいつものように待つ。もう手慣れたものだ。今回は急に思い立った事もあって、完全に私オンリーワンの一人旅となった。ものすごく融通が利くしやりやすい。しかし「いい旅チャレンジ20000km」のチャレンジ真っ最中の為「証明写真」が非常に撮りにくい。ある時は「窓枠」にカメラを置き、ある時はホームのベンチにカメラを置き・・・三脚は持っていなかったのでかなり苦労するし人目も気になる。周りに迷惑にならぬよう「ひとりチャレンジ」を敢行していった。
さて、東京発の大垣夜行は夜の東海道を、確か小田原辺りまで律儀に停車していく。指定席ではないので会社帰りのサラリーマンなどが普通に東京から乗車し東京近郊の各駅に散ってゆく。だが座席に座っている乗客の顔に変化はない。果たしてどんな旅になるのか・・・

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