1984年8月・「青春18」、88ヶ所は無理だったけど四国国鉄線全線制覇の旅③
2019-06-05
妙な出来事があった中、ようやく解放されたわが身であるが、とりあえずホームで731Dの列を作る。もちろん列の先頭は私だ。そんな私はただ単に「リクライニングシート」で快適に旅をしたいだけなのだが、グリーン料金無しでグリーン車に乗れるのがいい。
以前にも紹介したが、私の乗る731D、通称「中村夜行」は中村に着くと、折り返し急行「あしずり」に変身するが、幸か不幸か折り返す窪川までは普通列車だ。もちろん「18」の私にとっては非常に好都合である。窪川からの急行「あしずり」は一部指定席の表示があるが、その指定席の車両は「グリーン車」の車両を使用する。もちろんグリーン料金は取らず指定席料金で乗車できるが、こと「731D(上り764D)」はこの「グリーン車」も通常料金で「解放」なのだから破格の対応であろう。もちろんそれを利用しないわけがない。知っている「勝ち組」はその車両に列を作り、バッチリリクライニングスタイルで中村を目指すわけだ。

(731Dのイメージ。編成の中の1両に「グリーン車」が連結されていた。別料金なしで解放の為、その座席を確保するのに皆命を懸ける。写真はウィキペディアより、高松駅にて。)
さて、今夜の「宿」は中村向けて出発したが、もちろん「坪尻」「新改」等には停車しない。そして高知以西は当時初めての乗車、というより終点まで行くのだから寝過ごすという事が無いので気が楽だ。しかも今乗っている列車が中村で折り返し、更に窪川まで行くのだから、かえって都合がいい。私は無邪気な気持ちでリクライニングに身を預けた。
高知で目が覚めたが「降りなくていい!」の気持ちから再び仮眠。このころには列車で寝るのも慣れたものだ。しっかりと睡眠できる。だが、ひとり旅である。貴重品の管理はしっかりとして、いざというときには目が覚めるように努めた。と言っても目が覚めるかどうかは別問題だが・・・
窪川辺りでは朝日がとても新鮮で、景色もいい。リクライニングシートをフルに活用してまた寝る。
やがて中村に着くと荷物はそのままに「制覇の証」を撮影。だがやや体が重い。リラックスし過ぎて逆に疲れが取れ過ぎたのか、あまりの快適さに体がついていかなかったのかも知れない。撮影を終え今乗ってきた列車で窪川まで折り返す。もちろんグリーン車だ。
深夜未明の乗り換えをしない快適さを味わいながら、逆に快適過ぎて重くなった体を引きずりながら窪川で予土線に乗り換える。約30分のインターバルなので実に接続が良い。


(2007年訪問時の土佐久礼駅。付近にある「土佐大正市場」に、旬であるカツオ丼を食べに行った。カツオ刺身を追加注文すると、なんと400円(当時)であった!お買い得なのは言うまでもない)
予土線といえば、現在は観光用のトロッコ列車なども運転され四万十川を満喫できる素晴らしい路線として売出しているが、ある意味、線形などの制約により高速よりも「トロッコ向き」の路線になってしまっておりJR四国にしてみたら経営的に重たい路線であろう。だが全通したのは意外と新しく1974年だ。もちろんCTC化されているので交換駅でも駅員無配置の場合が多く、駅利用者も恐らく2桁台の場合が殆どであろう。
そんな予土線を何気なく制覇すると宇和島に11時半に到着。乗り換える予讃本線の列車は13時22分の松山行だ。特急列車なら接続列車があるが、私の所有する切符は「18」である。次の普通列車に乗るため約2時間の待ち合わせ時間は当然「ランチタイム」となるだろう。もちろん、計画段階からわかっている事。早速、後でじっくり見よう頭端式ホームを横目に改札に向かう。確か駅前食堂かどこかで「カツ丼」か何かを食べた記憶だ。駅前の食堂でご飯を食べる。しかも既にバイトができる年齢なので食堂で支払う料金も自身で稼いだものだ。ひとりで見知らぬ土地での食事は実に新鮮であった・・・15歳の夏。

(2007年訪問時の江川崎駅。ローカルムードたっぷりである。車窓からの四万十川の眺めが素敵だ。)

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以前にも紹介したが、私の乗る731D、通称「中村夜行」は中村に着くと、折り返し急行「あしずり」に変身するが、幸か不幸か折り返す窪川までは普通列車だ。もちろん「18」の私にとっては非常に好都合である。窪川からの急行「あしずり」は一部指定席の表示があるが、その指定席の車両は「グリーン車」の車両を使用する。もちろんグリーン料金は取らず指定席料金で乗車できるが、こと「731D(上り764D)」はこの「グリーン車」も通常料金で「解放」なのだから破格の対応であろう。もちろんそれを利用しないわけがない。知っている「勝ち組」はその車両に列を作り、バッチリリクライニングスタイルで中村を目指すわけだ。

(731Dのイメージ。編成の中の1両に「グリーン車」が連結されていた。別料金なしで解放の為、その座席を確保するのに皆命を懸ける。写真はウィキペディアより、高松駅にて。)
さて、今夜の「宿」は中村向けて出発したが、もちろん「坪尻」「新改」等には停車しない。そして高知以西は当時初めての乗車、というより終点まで行くのだから寝過ごすという事が無いので気が楽だ。しかも今乗っている列車が中村で折り返し、更に窪川まで行くのだから、かえって都合がいい。私は無邪気な気持ちでリクライニングに身を預けた。
高知で目が覚めたが「降りなくていい!」の気持ちから再び仮眠。このころには列車で寝るのも慣れたものだ。しっかりと睡眠できる。だが、ひとり旅である。貴重品の管理はしっかりとして、いざというときには目が覚めるように努めた。と言っても目が覚めるかどうかは別問題だが・・・
窪川辺りでは朝日がとても新鮮で、景色もいい。リクライニングシートをフルに活用してまた寝る。
やがて中村に着くと荷物はそのままに「制覇の証」を撮影。だがやや体が重い。リラックスし過ぎて逆に疲れが取れ過ぎたのか、あまりの快適さに体がついていかなかったのかも知れない。撮影を終え今乗ってきた列車で窪川まで折り返す。もちろんグリーン車だ。
深夜未明の乗り換えをしない快適さを味わいながら、逆に快適過ぎて重くなった体を引きずりながら窪川で予土線に乗り換える。約30分のインターバルなので実に接続が良い。


(2007年訪問時の土佐久礼駅。付近にある「土佐大正市場」に、旬であるカツオ丼を食べに行った。カツオ刺身を追加注文すると、なんと400円(当時)であった!お買い得なのは言うまでもない)
予土線といえば、現在は観光用のトロッコ列車なども運転され四万十川を満喫できる素晴らしい路線として売出しているが、ある意味、線形などの制約により高速よりも「トロッコ向き」の路線になってしまっておりJR四国にしてみたら経営的に重たい路線であろう。だが全通したのは意外と新しく1974年だ。もちろんCTC化されているので交換駅でも駅員無配置の場合が多く、駅利用者も恐らく2桁台の場合が殆どであろう。
そんな予土線を何気なく制覇すると宇和島に11時半に到着。乗り換える予讃本線の列車は13時22分の松山行だ。特急列車なら接続列車があるが、私の所有する切符は「18」である。次の普通列車に乗るため約2時間の待ち合わせ時間は当然「ランチタイム」となるだろう。もちろん、計画段階からわかっている事。早速、後でじっくり見よう頭端式ホームを横目に改札に向かう。確か駅前食堂かどこかで「カツ丼」か何かを食べた記憶だ。駅前の食堂でご飯を食べる。しかも既にバイトができる年齢なので食堂で支払う料金も自身で稼いだものだ。ひとりで見知らぬ土地での食事は実に新鮮であった・・・15歳の夏。

(2007年訪問時の江川崎駅。ローカルムードたっぷりである。車窓からの四万十川の眺めが素敵だ。)

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