1984年8月・「青春18」、88ヶ所は無理だったけど四国国鉄線全線制覇の旅⑥
2019-06-20
海部を後にした私は、小松島線に乗り換えるために「南小松島」で下車した。なぜ南小松島なのかは、以前に紹介した「廃止路線を訪ねて⑧ 小松島線」でも触れている。確か事前に南小松島で下車する計画をしていたかのような表現をしていたが、実際はちょっと違う。
数々の旅で身に付いた知恵として、街で銭湯を探す際に「煙突」を目印にしていた。つまり車窓から煙突を見つけると、そこには銭湯がある確率が高い。車窓を眺めていると何やら銭湯と思われる煙突が見え隠れした。わずかな隙間から煙突に「♨」を確認!そこは「南小松島」であった。もう湯船に身を沈めなくなって3日が過ぎており、そろそろ「潮時」と感じていた矢先の出来事だ。

(こちらは小松島駅。小松島線は各方面から列車が乗り入れていたが、急行「よしの川」は小松島線内は普通列車になる。画像はウィキペディアより。)
当初の計画では中田で17時44分着、17時57分の小松島線に乗り換え折り返し、徳島に18時41分に到着する予定であった。しかし徳島から高徳本線の高松行は20時26分までない。小松島を次の列車に乗っても結局この列車に乗ることになる。そこまで確認すると、もういけません。南小松島から小松島までの距離を車掌に確認すると「確信」に変わる。急きょ予定を変更して「♨」にお世話になる事にした。南小松島17時41分着。小松島線の小松島港は19時47分発。充分とは言えないが時間がある。私は大きな賭けに出た。

(廃止された小松島港駅。小松島駅構内にありフェリーとの乗換の便宜が図られた。画像はウィキペディアより。)
結局銭湯作戦も大成功に終わりサッバリとした身なりで小松島港駅に向かう。小松島港駅は小松島駅構内にあり、フェリーとの乗り換えの為便宜上に作られた駅だ。公の記録では「臨時駅」としてあたかも別の駅として扱われていたが、小松島駅からも余裕で見えるため完全に同じ駅として考えても良いであろう。だが、小松島駅は小松島港へ行く列車専用のホームを持ち、小松島駅止まりの列車は行き止まり式の「本来の」ホームに発着する。なんだか複雑な構造であるが、現存していたらさぞかし人気者であったろう。
そんな小松島線を難なく制覇すると、高徳本線で高松まで行けば四国内の「国鉄全線制覇」となる。高松に着いたのは22時35分であった。
さて、これまで紹介してきたなかで何かお気付きであろうか?そう、この旅の行程は夜行列車を「宿」とする関係上、必ず高松に戻ってくる仕組みとなっていたのだ。もちろん、夜行列車の「上り」を使う手もあったが、やはり高松から乗車すると安心感があった。そんなわけでわざわざ高松に戻ってきたわけである。しかし、またあの「猥褻おじさん」がいないかと若干不安であったが、ここで予定を変更するわけにはいかない。私は勇んで高松のホームで待つ事にした。

(鳴門線が分岐する池谷駅。鳴門線と高徳線でホームがYの字に分かれている非常に特殊な配線である。画像はウィキペディアより。)
四国の国鉄全線制覇はしたが、これから帰路に着くためまたまた731D中村夜行にお世話になる。とりあえず例の「おじさん」には遭遇しなかったので一安心。この旅で3回目の乗車であるが、最後の731Dは琴平までの乗車となる。ここで上りの中村夜行764Dに乗り換えて高松に向かう。琴平に1時53分着で2時20分発。終点高松では3時36分着で連絡船は3時52分発。宇野に4時52分に着き、宇野線が5時2分の発車だ。こんな乗り換えを深夜から未明にかけてやらせるなんて、国鉄はいったい何を考えているのか!しかし、クレームつけながらもそれを利用している私も私だが・・・このあと私は岡山から津山線に乗り津山に向かった。

(高架前の高知駅改札。もうこの光景は見られない。2007年訪問。)
とりあえずこの後の模様は機会があったら紹介してみたいが、基本的に「青春18」で四国を制するには「731D」の存在が無ければ2日間での制覇は難しかったであろう。また、私は先ほど「津山に向かった」と記したが、四国内にとどまり「新改」や「坪尻」を訪問する手もあったかなと、今になって当時の時刻表を見ながら考えてしまった。しかし、当時は「いい旅チャレンジ20000km」の制覇路線を稼ぐため「ひとつでも多く」の感覚から、計画を「詰め込む」のが美学となっていた。そしてこの旅を最後に、しばらく鉄道から遠ざかる事となる・・・

(画像はウィキペディアより、再び登場させていただいた1982年当時の高松駅。手前のうどん店が若干ホームに向かって斜め気味になっているが、これは連絡船への通路が手前にあるためである。このうどん店、現在はホームと直角になたったが健在!)
1984年と言えば、某ハードロックミュージシャンが「1984」というアルバムを発表。その中に「ジャンプ」「ホット・フォー・ティーチャー」等が収録されている。いわゆる、こういう「洋楽」がブームとなり私も音楽活動を始める切っ掛けとなるが、基本「BOSS」の影響が大きい。そんな中学生から高校生にステップアップした私は鉄道以外の「夢中になれるもの」を探し求めた。そう、新しい「何かを」をも求め更に進化する「ジャンプ」を始めたのだ。その時から23年後、私は再び乗り潰しを「チャレンジ」する決意をする。そして現在はその成果が実り、沖縄の「ゆいレール」を除く鉄道路線全線制覇を果たした。
この1984年の四国の旅は、私の中では記憶が薄い部類に入るが、決して無駄な旅ではなかった。一番印象に残っているのは、小松島で見つけた「銭湯」だ。今でもハッキリと小松島の街並みを思い出すことができる。小松島線の印象は薄いが小松島の街並みは記憶が鮮明という、鉄道を乗りつぶしてる人物が発する言葉としてはいささか疑問が残りそうな発言ではあるが、逆に「鉄道以外」での新たな「発見」をすることができるようになり、子供から大人への「ジャンプ」の過程だった気もする。
昔と同じ事を今もやっているという、何とも「因果」なものであると、自分自身思う。大人になり「ものの見方」が変わったが、鉄道を「見る目」は今も昔も変わらない気がする。いや、変わったかも知れないが、やはりあの「輝かしい」中学生時代の「鉄道ファン全盛期」の時の「見る目」を忘れないでいたい。そう、それでいい。いつまでも鉄道と無邪気に戯れていても、決して悪くはないであろう。あくまで「道楽」である事も変わりは無いのだから・・・

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数々の旅で身に付いた知恵として、街で銭湯を探す際に「煙突」を目印にしていた。つまり車窓から煙突を見つけると、そこには銭湯がある確率が高い。車窓を眺めていると何やら銭湯と思われる煙突が見え隠れした。わずかな隙間から煙突に「♨」を確認!そこは「南小松島」であった。もう湯船に身を沈めなくなって3日が過ぎており、そろそろ「潮時」と感じていた矢先の出来事だ。

(こちらは小松島駅。小松島線は各方面から列車が乗り入れていたが、急行「よしの川」は小松島線内は普通列車になる。画像はウィキペディアより。)
当初の計画では中田で17時44分着、17時57分の小松島線に乗り換え折り返し、徳島に18時41分に到着する予定であった。しかし徳島から高徳本線の高松行は20時26分までない。小松島を次の列車に乗っても結局この列車に乗ることになる。そこまで確認すると、もういけません。南小松島から小松島までの距離を車掌に確認すると「確信」に変わる。急きょ予定を変更して「♨」にお世話になる事にした。南小松島17時41分着。小松島線の小松島港は19時47分発。充分とは言えないが時間がある。私は大きな賭けに出た。

(廃止された小松島港駅。小松島駅構内にありフェリーとの乗換の便宜が図られた。画像はウィキペディアより。)
結局銭湯作戦も大成功に終わりサッバリとした身なりで小松島港駅に向かう。小松島港駅は小松島駅構内にあり、フェリーとの乗り換えの為便宜上に作られた駅だ。公の記録では「臨時駅」としてあたかも別の駅として扱われていたが、小松島駅からも余裕で見えるため完全に同じ駅として考えても良いであろう。だが、小松島駅は小松島港へ行く列車専用のホームを持ち、小松島駅止まりの列車は行き止まり式の「本来の」ホームに発着する。なんだか複雑な構造であるが、現存していたらさぞかし人気者であったろう。
そんな小松島線を難なく制覇すると、高徳本線で高松まで行けば四国内の「国鉄全線制覇」となる。高松に着いたのは22時35分であった。
さて、これまで紹介してきたなかで何かお気付きであろうか?そう、この旅の行程は夜行列車を「宿」とする関係上、必ず高松に戻ってくる仕組みとなっていたのだ。もちろん、夜行列車の「上り」を使う手もあったが、やはり高松から乗車すると安心感があった。そんなわけでわざわざ高松に戻ってきたわけである。しかし、またあの「猥褻おじさん」がいないかと若干不安であったが、ここで予定を変更するわけにはいかない。私は勇んで高松のホームで待つ事にした。

(鳴門線が分岐する池谷駅。鳴門線と高徳線でホームがYの字に分かれている非常に特殊な配線である。画像はウィキペディアより。)
四国の国鉄全線制覇はしたが、これから帰路に着くためまたまた731D中村夜行にお世話になる。とりあえず例の「おじさん」には遭遇しなかったので一安心。この旅で3回目の乗車であるが、最後の731Dは琴平までの乗車となる。ここで上りの中村夜行764Dに乗り換えて高松に向かう。琴平に1時53分着で2時20分発。終点高松では3時36分着で連絡船は3時52分発。宇野に4時52分に着き、宇野線が5時2分の発車だ。こんな乗り換えを深夜から未明にかけてやらせるなんて、国鉄はいったい何を考えているのか!しかし、クレームつけながらもそれを利用している私も私だが・・・このあと私は岡山から津山線に乗り津山に向かった。

(高架前の高知駅改札。もうこの光景は見られない。2007年訪問。)
とりあえずこの後の模様は機会があったら紹介してみたいが、基本的に「青春18」で四国を制するには「731D」の存在が無ければ2日間での制覇は難しかったであろう。また、私は先ほど「津山に向かった」と記したが、四国内にとどまり「新改」や「坪尻」を訪問する手もあったかなと、今になって当時の時刻表を見ながら考えてしまった。しかし、当時は「いい旅チャレンジ20000km」の制覇路線を稼ぐため「ひとつでも多く」の感覚から、計画を「詰め込む」のが美学となっていた。そしてこの旅を最後に、しばらく鉄道から遠ざかる事となる・・・

(画像はウィキペディアより、再び登場させていただいた1982年当時の高松駅。手前のうどん店が若干ホームに向かって斜め気味になっているが、これは連絡船への通路が手前にあるためである。このうどん店、現在はホームと直角になたったが健在!)
1984年と言えば、某ハードロックミュージシャンが「1984」というアルバムを発表。その中に「ジャンプ」「ホット・フォー・ティーチャー」等が収録されている。いわゆる、こういう「洋楽」がブームとなり私も音楽活動を始める切っ掛けとなるが、基本「BOSS」の影響が大きい。そんな中学生から高校生にステップアップした私は鉄道以外の「夢中になれるもの」を探し求めた。そう、新しい「何かを」をも求め更に進化する「ジャンプ」を始めたのだ。その時から23年後、私は再び乗り潰しを「チャレンジ」する決意をする。そして現在はその成果が実り、沖縄の「ゆいレール」を除く鉄道路線全線制覇を果たした。
この1984年の四国の旅は、私の中では記憶が薄い部類に入るが、決して無駄な旅ではなかった。一番印象に残っているのは、小松島で見つけた「銭湯」だ。今でもハッキリと小松島の街並みを思い出すことができる。小松島線の印象は薄いが小松島の街並みは記憶が鮮明という、鉄道を乗りつぶしてる人物が発する言葉としてはいささか疑問が残りそうな発言ではあるが、逆に「鉄道以外」での新たな「発見」をすることができるようになり、子供から大人への「ジャンプ」の過程だった気もする。
昔と同じ事を今もやっているという、何とも「因果」なものであると、自分自身思う。大人になり「ものの見方」が変わったが、鉄道を「見る目」は今も昔も変わらない気がする。いや、変わったかも知れないが、やはりあの「輝かしい」中学生時代の「鉄道ファン全盛期」の時の「見る目」を忘れないでいたい。そう、それでいい。いつまでも鉄道と無邪気に戯れていても、決して悪くはないであろう。あくまで「道楽」である事も変わりは無いのだから・・・

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