「スルッとKANSAI」で行く関西私鉄乗り潰しの旅②
2013-11-07
早速「スルッと~」に引き換えると地下鉄乗場に向かった。京都の地下鉄は、開通して間もない1981年にあの「ポートピア博覧会」訪問の際に若干乗車している。その当時と変わらない車両がお出迎えしてくれ、懐かしさがこみ上げてきた。「おう、そういえば同じ車両だったよなぁ~」私が中学1年生の夏休みの事だ。その地下鉄で竹田に向かって折り返し国際会館でまた折り返す。烏丸御池で地下鉄東西線に乗り換え三条京阪に向かった。東西線は私にして見たら新しくできた地下鉄の為「京都も変わったなぁ~」という印象が前面に出てくる。あの「京都」に地下鉄・・・どうにも「ミスマッチ」の雰囲気がして仕方がない。それでも「そこに鉄道がある限り」乗りにいかなければならないのは私の宿命か。

(出町柳では「叡電」がお出迎え。軽快な車両が私を待っていた。)
三条京阪から「三条大橋」を渡り京阪の三条駅に向かう。この三条大橋は度々旅番組に顔を出す有名な橋だが、当時はそんな事全く知らず、ただ只管「乗換」に足を急がせる。これでは「旅行業務取扱管理者」の資格を有する私も、資格を剥奪されても何も言えないであろう・・・とまぁ、そんな伝統的な橋を渡り京阪で出町柳に向かうと今度は叡山電鉄に乗り換える。京阪の出町柳駅の開設は比較的新しく平成元年だ。と言ってももう20年以上たっているとは全く考えられないが、駅構内は清潔感がありとても20年以上経過したとは思えないくらいであった。京阪の駅は地下にあるため、地上にある叡山電鉄出町柳駅まで若干徒歩を要する。地上に顔を出した私は叡山電鉄乗場に来た時に「懐かしさ」を感じずにいられなかった。もちろん初めて来た場所なのに・・・それもそのはず。こちらの開設はなんと大正14年!恐らく開業当時から殆ど変らずの佇まいであろう。

(やたら長い駅名になった「八瀬比叡山口」。なかなかの佇まい。)
この叡山電鉄は、ハッキリ言って聞きなれない会社名であった。そう、かつては「京福」だったため、制覇計画考案時に「こんな鉄道会社あったっけかな」と疑問に思っていたが、歴史を調べて納得。なるほど、京福なら私も知っている。そんな懐かしい「京福」を制覇し出町柳に戻ってくると早速計画通りの行動から外れる事となる。出町柳駅のホーム上にコーヒーショップがあるのは行きに確認していた。戻って来た時にそこで一旦休憩し、今後の展開を再確認する事にした。と言っても、つまり単に「のどが渇いた」だけであったので急きょ一服タイムを取り入れたのだ。普段は、と言うより過去にはこのような事をやらなかっただけに、実に新鮮な「休憩」となった。だが、この休憩にも計算があった。と言うのは、いつものような「ローカル」の旅ではないため都市型鉄道特有の「運転本数」にある。予定の列車を2~3本遅らせても大丈夫と言う「計算」もあり、制覇ルートさえ決めておけば後はそれに従って行動すればいい。そんな呑気な旅となった。

にほんブログ村

にほんブログ村

(出町柳では「叡電」がお出迎え。軽快な車両が私を待っていた。)
三条京阪から「三条大橋」を渡り京阪の三条駅に向かう。この三条大橋は度々旅番組に顔を出す有名な橋だが、当時はそんな事全く知らず、ただ只管「乗換」に足を急がせる。これでは「旅行業務取扱管理者」の資格を有する私も、資格を剥奪されても何も言えないであろう・・・とまぁ、そんな伝統的な橋を渡り京阪で出町柳に向かうと今度は叡山電鉄に乗り換える。京阪の出町柳駅の開設は比較的新しく平成元年だ。と言ってももう20年以上たっているとは全く考えられないが、駅構内は清潔感がありとても20年以上経過したとは思えないくらいであった。京阪の駅は地下にあるため、地上にある叡山電鉄出町柳駅まで若干徒歩を要する。地上に顔を出した私は叡山電鉄乗場に来た時に「懐かしさ」を感じずにいられなかった。もちろん初めて来た場所なのに・・・それもそのはず。こちらの開設はなんと大正14年!恐らく開業当時から殆ど変らずの佇まいであろう。

(やたら長い駅名になった「八瀬比叡山口」。なかなかの佇まい。)
この叡山電鉄は、ハッキリ言って聞きなれない会社名であった。そう、かつては「京福」だったため、制覇計画考案時に「こんな鉄道会社あったっけかな」と疑問に思っていたが、歴史を調べて納得。なるほど、京福なら私も知っている。そんな懐かしい「京福」を制覇し出町柳に戻ってくると早速計画通りの行動から外れる事となる。出町柳駅のホーム上にコーヒーショップがあるのは行きに確認していた。戻って来た時にそこで一旦休憩し、今後の展開を再確認する事にした。と言っても、つまり単に「のどが渇いた」だけであったので急きょ一服タイムを取り入れたのだ。普段は、と言うより過去にはこのような事をやらなかっただけに、実に新鮮な「休憩」となった。だが、この休憩にも計算があった。と言うのは、いつものような「ローカル」の旅ではないため都市型鉄道特有の「運転本数」にある。予定の列車を2~3本遅らせても大丈夫と言う「計算」もあり、制覇ルートさえ決めておけば後はそれに従って行動すればいい。そんな呑気な旅となった。

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
No title
リラ様
コメントありがとうございます。
> 京都に行かれたんですね。
> 地下鉄も出来て京都も変わりましたね。
> ここ20年くらいで、京阪電車も七条から地下になったし、四条は、祇園四条になり、出町柳が終点に...。
> 便利にはなりましたね。市電が走っていた頃は遠い昔になってしまいました。
そうですね。いろいろ変わりましたが・・・関西の私鉄に関しては全くの「方向音痴」でありまして、この鉄道制覇の旅をしていなければ全く縁が無かったことでしょう。京都には修学旅行で行ったのが「初」だったと思いますが、おそらく私ほど「京都の似合わない人間」はいない事でしょう。遠い親戚(父の母の姉)がかつてはいらっしゃいましたが、1981年に単独でコンタクトを取ったのが最初で最後でした。
> 私のカメラは、ソニーのサイバーショットです。5年前に買いました。
> でもコンデジでは限界を感じます。ミラーレスでも良いのでいつか一眼を...と思っています。
私は「富士フィルムのFINEPIX F800 EXR」というやつですが、暗いところでもストロボなしで殆ど撮影できるためこれにしました。
かつてアナログ時代の「キャノンAE-1プログラム」、このカメラを引っさげ全国各地を駆け巡ってました。
やはり一眼は良いですよね。
現代のカメラは性能が良いので一眼ではなくてもそこそこの写真が撮影できるのが嬉しいですね。ただ、今回紹介している旅の写真は完全にカメラがご機嫌斜めになってしまいご覧のような画像で申し訳ないですが、この後に登場する記事では更に状態が悪化してます。
あえて最悪の状態まま記事に載せましたが、ある意味、これもまた「旅の思い出」として自身に言い聞かせてます。
> 京都に行かれたんですね。
> 地下鉄も出来て京都も変わりましたね。
> ここ20年くらいで、京阪電車も七条から地下になったし、四条は、祇園四条になり、出町柳が終点に...。
> 便利にはなりましたね。市電が走っていた頃は遠い昔になってしまいました。
そうですね。いろいろ変わりましたが・・・関西の私鉄に関しては全くの「方向音痴」でありまして、この鉄道制覇の旅をしていなければ全く縁が無かったことでしょう。京都には修学旅行で行ったのが「初」だったと思いますが、おそらく私ほど「京都の似合わない人間」はいない事でしょう。遠い親戚(父の母の姉)がかつてはいらっしゃいましたが、1981年に単独でコンタクトを取ったのが最初で最後でした。
> 私のカメラは、ソニーのサイバーショットです。5年前に買いました。
> でもコンデジでは限界を感じます。ミラーレスでも良いのでいつか一眼を...と思っています。
私は「富士フィルムのFINEPIX F800 EXR」というやつですが、暗いところでもストロボなしで殆ど撮影できるためこれにしました。
かつてアナログ時代の「キャノンAE-1プログラム」、このカメラを引っさげ全国各地を駆け巡ってました。
やはり一眼は良いですよね。
現代のカメラは性能が良いので一眼ではなくてもそこそこの写真が撮影できるのが嬉しいですね。ただ、今回紹介している旅の写真は完全にカメラがご機嫌斜めになってしまいご覧のような画像で申し訳ないですが、この後に登場する記事では更に状態が悪化してます。
あえて最悪の状態まま記事に載せましたが、ある意味、これもまた「旅の思い出」として自身に言い聞かせてます。
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/274-4e1d4ffc
京都に行かれたんですね。
地下鉄も出来て京都も変わりましたね。
ここ20年くらいで、京阪電車も七条から地下になったし、四条は、祇園四条になり、出町柳が終点に...。
便利にはなりましたね。市電が走っていた頃は遠い昔になってしまいました。
ブログ拍手にコメントくださり、ありがとうございました。
私のカメラは、ソニーのサイバーショットです。5年前に買いました。
でもコンデジでは限界を感じます。ミラーレスでも良いのでいつか一眼を...と思っています。