「スーパー宗谷」で辿り着いた最果ての地
2013-12-26
最果ての地、稚内・・・小学校時代から一度は訪問してみたいと密かに心の片隅にいた存在であった。その念願かなったのは2008年6月、小学校時代から実に30年くらいの月日が流れていた。この日の行程は、札幌から稚内まで「スーパー宗谷」で訪問し、折り返し「サロベツ」で滝川まで帰ってきて、バスで新十津川まで行き、札沼線を制覇する計画だ。乗り換え回数が少ない、イコール乗車時間が長い!と言う事になる。札幌から稚内まで片道なんと5時間!これは想像を絶する「企画」であった・・・とは自身が企てた事であるが、実際に行動にしてみるとなかなかの苦難であった。

(最果ての地に到着する「スーパー宗谷」。左のオレンジ掛かった建物のスペースは、かつて貨物側線であった。)
稚内駅に初めて降り立った私は「最果て」の看板が私を迎えてくれた。そんな稚内駅の歴史の紐を解いてみると・・・初代の稚内駅はなんと現在の南稚内駅であることが判明する。なるほど、構内には留置線ほか多数の線路が張り巡らされ、かつては「機関区」も存在した。1922年の開設当時から樺太方面への連絡船「稚泊航路」の接続駅として活躍していたが、桟橋まで2キロと距離があり過ぎる。その間を旅客は歩いて移動していたというから、何とも考えられない「時代」を象徴しているようだ。やがて桟橋に線路が延長され当時の稚内駅は南稚内に改称され現在に至っている。

(現在、唯一残る1番線ホームに停車中の「サロベツ」。2013年より「当分の間運休」となりその姿は見れない。いつになったら復活するのか・・・)
現在の稚内駅の開設は1928年となっており、南稚内駅よりも若干「若い」。現在は棒線化され余分なスペースが無くなりシンプルになったが、私の知っている稚内駅はかなりの側線と機回し線があった。そして私の訪問した2008年6月は、島式ホーム1面2線であったが、側線はほぼ全て無くなってしまい、かつての側線スペースには建物が建っていた。しかしながら鉄道誌などで見た昔の面影がまだ健在で、遥々来た甲斐があったというものだ。

(東京より約1600km弱の距離の「最果ての地」。まだまだSL時代の面影が残るホームは時代を感じる。)
最果ての地・・・ホームから最果ての「看板」を見ると、その向こうにはかつての「ドーム」が見えている。ここからかつては多くの人が樺太に向かったことであろう。いつだか、稚内から樺太までなんと「海底トンネル」の計画が存在したと聞いた。実は、私は海外旅行には全く興味が湧かないが、この樺太とオーストラリアには一度訪問してみたいと密かに思っている。特に樺太については、かつての日本の鉄道の面影があると聞く。そんな歴史に触れてみるのも良いかも知れない。

(最北端の車止めの先にもかつて線路があった。右奥にはあの「ドーム」が見える。)
もうひとつ私の夢ではあるが、出来れば「利尻」を臨時でもいいので運転していただき、14系座席客車で寝台も1両連結していただくとなお結構。そんな列車で夜明けとともに、この最果ての地を訪れてみたい・・・と思うのは贅沢であろうか?

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(最果ての地に到着する「スーパー宗谷」。左のオレンジ掛かった建物のスペースは、かつて貨物側線であった。)
稚内駅に初めて降り立った私は「最果て」の看板が私を迎えてくれた。そんな稚内駅の歴史の紐を解いてみると・・・初代の稚内駅はなんと現在の南稚内駅であることが判明する。なるほど、構内には留置線ほか多数の線路が張り巡らされ、かつては「機関区」も存在した。1922年の開設当時から樺太方面への連絡船「稚泊航路」の接続駅として活躍していたが、桟橋まで2キロと距離があり過ぎる。その間を旅客は歩いて移動していたというから、何とも考えられない「時代」を象徴しているようだ。やがて桟橋に線路が延長され当時の稚内駅は南稚内に改称され現在に至っている。

(現在、唯一残る1番線ホームに停車中の「サロベツ」。2013年より「当分の間運休」となりその姿は見れない。いつになったら復活するのか・・・)
現在の稚内駅の開設は1928年となっており、南稚内駅よりも若干「若い」。現在は棒線化され余分なスペースが無くなりシンプルになったが、私の知っている稚内駅はかなりの側線と機回し線があった。そして私の訪問した2008年6月は、島式ホーム1面2線であったが、側線はほぼ全て無くなってしまい、かつての側線スペースには建物が建っていた。しかしながら鉄道誌などで見た昔の面影がまだ健在で、遥々来た甲斐があったというものだ。

(東京より約1600km弱の距離の「最果ての地」。まだまだSL時代の面影が残るホームは時代を感じる。)
最果ての地・・・ホームから最果ての「看板」を見ると、その向こうにはかつての「ドーム」が見えている。ここからかつては多くの人が樺太に向かったことであろう。いつだか、稚内から樺太までなんと「海底トンネル」の計画が存在したと聞いた。実は、私は海外旅行には全く興味が湧かないが、この樺太とオーストラリアには一度訪問してみたいと密かに思っている。特に樺太については、かつての日本の鉄道の面影があると聞く。そんな歴史に触れてみるのも良いかも知れない。

(最北端の車止めの先にもかつて線路があった。右奥にはあの「ドーム」が見える。)
もうひとつ私の夢ではあるが、出来れば「利尻」を臨時でもいいので運転していただき、14系座席客車で寝台も1両連結していただくとなお結構。そんな列車で夜明けとともに、この最果ての地を訪れてみたい・・・と思うのは贅沢であろうか?

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コメント
懐かしい写真です
LM様
コメントありがとうございます。そして明けましておめでとうございます。
現在の稚内駅はだいぶ様子が変化してしまったみたいですね。鉄道誌などでも見ましたが、棒線化されてしまいLM様の記事もありましたような「立派な」駅に生まれ変わりましたが、かつての面影なく寂しいですね。しかしながら私の訪問時でも昔の面影はあるものの、貨物側線や機回し線などがあった場所はレールが撤去され建物が建ってしまいました。そのため、私の訪問時でも昔と違った印象が強く感じました。
しかしながらまだホームから「ドーム」も見えましたし、昔鉄道誌で見た印象もチラホラと見かけ、若干ながら嬉しかったです。
次回訪問時にはじっくりと堪能してみたいですね。
今年もよろしくお願いいたします。
現在の稚内駅はだいぶ様子が変化してしまったみたいですね。鉄道誌などでも見ましたが、棒線化されてしまいLM様の記事もありましたような「立派な」駅に生まれ変わりましたが、かつての面影なく寂しいですね。しかしながら私の訪問時でも昔の面影はあるものの、貨物側線や機回し線などがあった場所はレールが撤去され建物が建ってしまいました。そのため、私の訪問時でも昔と違った印象が強く感じました。
しかしながらまだホームから「ドーム」も見えましたし、昔鉄道誌で見た印象もチラホラと見かけ、若干ながら嬉しかったです。
次回訪問時にはじっくりと堪能してみたいですね。
今年もよろしくお願いいたします。
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懐かしい稚内駅の写真です。
この頃は、まだ最果ての駅としての風情がよく出ていますが・・・。
残念ながら、駅周辺が再開発され、今ではほとんどこの頃の面影は残していません。
当ブログの訪問記事↓
http://blueribbon3737.blog87.fc2.com/blog-entry-1007.html
ホームからドームを望むこともできなくなりました。
駅自体も、最果ての駅としての風情にいまいち乏しいですし。
残念です・・・。