長良川艶歌 (前編)
2021-10-25
岐阜県といえば鵜飼や焼き物、刃物などで有名だが、そんな伝統ある町にも私好みの「ローカル」がいる。かつて国鉄時代は「越美南線」ど呼ばれていたが、現在もその名を受け継いでいるのは感慨深い。本来は福井側にある越美北線と繋がって「越美線」となる予定であったが、1980年代の「特定地方交通線」に名を連ね、第三セクターに転換された所謂「赤字ローカル線」であった。
私の生涯目標の「制覇」だけを考えたら、終点の北濃より国鉄バスに乗り換え九頭竜湖方面へむかうか、美濃太田まで折り返すしか手段はなく、ある意味厄介な鉄路であったが、視点を変えれば面白くもなる。

長良川鉄道は「関」と名の付く駅名が多い。長良川鉄道にとってもこの「関」は要衝の地として活躍している。
そんな長良川鉄道を制覇するにあたり近江鉄道と伊賀鉄道をペアで組んで旅に出た事は既に紹介した。伊賀鉄道といえばかつての近鉄伊賀線である。しかしながら経営上の問題から近鉄直営の管理ではなくなってしまった。しかし廃止されるよりは現存するだけでもありがたいであろう。更に越美南線も国鉄時代に同じく廃止の候補に挙がったが「第三セクター」という形で現存してくれているのだが、いずれにしでも「企業」としてみた場合、利益を出すのにかなり苦戦しているであろう事がうかがえる。

そして長良川鉄道最大の駅である関。車庫や本社もあり、間違いなく中心駅である。ふたつとなりの関口との間にある「はものかいかんまえ」や、更に隣の「せきしやくしょまえ」とともに長良川鉄道は関市の中心部を走り抜く。
さて、近江鉄道を経て米原より関ヶ原を越え長良川鉄道に訪れたのは平日、つまり「フリー切符」が使える休日ではないので正規料金での制覇となった。経費はそれこそ倍以上違う・・・私としてはかなり辛いところであるが、ある意味長良川鉄道にはかなり貢献した事であろうと自負する。早速高山本線で美濃太田に着いたのがなんと17時24分である。えっ?こんな時間から長良川鉄道へ?と思われるであろう。しかしこれには特段の事情があった(大したことではないが)。
季節柄まだ日は明るい夕方5時台であるが、乗り換える長良川鉄道は関界隈まではそこそこの乗車率であった。

今夜の宿は素泊まりの予定であるため、というより、長良川鉄道利用者には素敵な特典が付いているので、ここは「特典」を使いひとっ風呂浴びる計画を組んでいた。
長良川鉄道の「最重要人物」である関を過ぎると車内はやや落ち着いた雰囲気をみせたが、更にこの先「郡上踊り」で有名な郡上八幡がある。
長良川鉄道の沿線資源はかなり豊かな印象であるが、実は長良川鉄道に寄り添うように高速道路が張り付いている。そのため利用者の偏りがかなり感じられるであろう。もちろんスピード面では試合前から決着がついているようなものであるが、お互いに一長一短あるわけだし、いい意味で足りない部分をフォローし合えば共存できるのではないか、などと素人ながらに思ってしまう。ただ、鉄道は大量輸送が最大の長所であるら、沢山利用してもらわないと利益を産み出せない。

今夜の宿となる予定の美濃白鳥。その模様は次章で紹介しよう。
ところで長良川鉄道は、その名の通り長良川に寄り添うように北上する。既に「越美南線」の面影は感じられない、というより、設備的には国鉄時代のものをそのまま流用しているが「長良川」がすっかり地元に定着している感がある。もちろん、地方鉄道の主役である学生の利用者はお得意様であるが、私が今回の旅で最大に注目したのが「みなみ子宝温泉」であった。
みなみ子宝温泉は国鉄時代には無かった駅であるが、転換後に駅を新設。更に駅構内にスーパー銭湯を併設し、なんとホーム直結のスーパー銭湯が産まれたのだ!施設利用の際には運転手さんに「子宝温泉を利用します」と申し出れば、なんと50円で利用できる優れものである!先述の「特段の事情」とはこういう事であったのだが、やはり「特段の事情」とは時に使うものだ。もちろん私は50円にて施設を利用。ついでに夕食も施設内で済ませてしまった。
施設内では列車の出発時間が近づくと信号機で知らせてくれる。JR北上線の「ほっとゆだ」にも同じように見られるこの光景は、レールファンにしてみたら嬉しいサービス。1日いてもリラックスできる事であろう。
そういえば何かの旅番組で視たが、野口〇郎もこの施設を利用。親父ギャグ的な要素をしっかり含めながら「地元民」を盛大にアピールしていた。

ホームに接する駅舎は国鉄時代によく見られた。大都市でもこうした仕様の駅が多く、しかも駅舎がひとつしかない場合も多かったので、いわゆる駅の反対側は駅に入るのには大きく迂回しなければならなかった。現在、主要都市の駅は次第に高架化されたり改良されたしながら街の発展にも貢献してきた。

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私の生涯目標の「制覇」だけを考えたら、終点の北濃より国鉄バスに乗り換え九頭竜湖方面へむかうか、美濃太田まで折り返すしか手段はなく、ある意味厄介な鉄路であったが、視点を変えれば面白くもなる。

長良川鉄道は「関」と名の付く駅名が多い。長良川鉄道にとってもこの「関」は要衝の地として活躍している。
そんな長良川鉄道を制覇するにあたり近江鉄道と伊賀鉄道をペアで組んで旅に出た事は既に紹介した。伊賀鉄道といえばかつての近鉄伊賀線である。しかしながら経営上の問題から近鉄直営の管理ではなくなってしまった。しかし廃止されるよりは現存するだけでもありがたいであろう。更に越美南線も国鉄時代に同じく廃止の候補に挙がったが「第三セクター」という形で現存してくれているのだが、いずれにしでも「企業」としてみた場合、利益を出すのにかなり苦戦しているであろう事がうかがえる。

そして長良川鉄道最大の駅である関。車庫や本社もあり、間違いなく中心駅である。ふたつとなりの関口との間にある「はものかいかんまえ」や、更に隣の「せきしやくしょまえ」とともに長良川鉄道は関市の中心部を走り抜く。
さて、近江鉄道を経て米原より関ヶ原を越え長良川鉄道に訪れたのは平日、つまり「フリー切符」が使える休日ではないので正規料金での制覇となった。経費はそれこそ倍以上違う・・・私としてはかなり辛いところであるが、ある意味長良川鉄道にはかなり貢献した事であろうと自負する。早速高山本線で美濃太田に着いたのがなんと17時24分である。えっ?こんな時間から長良川鉄道へ?と思われるであろう。しかしこれには特段の事情があった(大したことではないが)。
季節柄まだ日は明るい夕方5時台であるが、乗り換える長良川鉄道は関界隈まではそこそこの乗車率であった。

今夜の宿は素泊まりの予定であるため、というより、長良川鉄道利用者には素敵な特典が付いているので、ここは「特典」を使いひとっ風呂浴びる計画を組んでいた。
長良川鉄道の「最重要人物」である関を過ぎると車内はやや落ち着いた雰囲気をみせたが、更にこの先「郡上踊り」で有名な郡上八幡がある。
長良川鉄道の沿線資源はかなり豊かな印象であるが、実は長良川鉄道に寄り添うように高速道路が張り付いている。そのため利用者の偏りがかなり感じられるであろう。もちろんスピード面では試合前から決着がついているようなものであるが、お互いに一長一短あるわけだし、いい意味で足りない部分をフォローし合えば共存できるのではないか、などと素人ながらに思ってしまう。ただ、鉄道は大量輸送が最大の長所であるら、沢山利用してもらわないと利益を産み出せない。

今夜の宿となる予定の美濃白鳥。その模様は次章で紹介しよう。
ところで長良川鉄道は、その名の通り長良川に寄り添うように北上する。既に「越美南線」の面影は感じられない、というより、設備的には国鉄時代のものをそのまま流用しているが「長良川」がすっかり地元に定着している感がある。もちろん、地方鉄道の主役である学生の利用者はお得意様であるが、私が今回の旅で最大に注目したのが「みなみ子宝温泉」であった。
みなみ子宝温泉は国鉄時代には無かった駅であるが、転換後に駅を新設。更に駅構内にスーパー銭湯を併設し、なんとホーム直結のスーパー銭湯が産まれたのだ!施設利用の際には運転手さんに「子宝温泉を利用します」と申し出れば、なんと50円で利用できる優れものである!先述の「特段の事情」とはこういう事であったのだが、やはり「特段の事情」とは時に使うものだ。もちろん私は50円にて施設を利用。ついでに夕食も施設内で済ませてしまった。
施設内では列車の出発時間が近づくと信号機で知らせてくれる。JR北上線の「ほっとゆだ」にも同じように見られるこの光景は、レールファンにしてみたら嬉しいサービス。1日いてもリラックスできる事であろう。
そういえば何かの旅番組で視たが、野口〇郎もこの施設を利用。親父ギャグ的な要素をしっかり含めながら「地元民」を盛大にアピールしていた。

ホームに接する駅舎は国鉄時代によく見られた。大都市でもこうした仕様の駅が多く、しかも駅舎がひとつしかない場合も多かったので、いわゆる駅の反対側は駅に入るのには大きく迂回しなければならなかった。現在、主要都市の駅は次第に高架化されたり改良されたしながら街の発展にも貢献してきた。

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