寝台特急「富士」の思い出(リメイク版)

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(2007年頃だったと思うが東京駅にてのひとコマ。晩年はEF66であった寝台特急「富士」の牽引機関車。私はEF65の500番台のイメージの方が強い。<写真はEF65の1000番台>)

ブルートレイン・・・それは寝台特急の代名詞であり、私達を「夢の世界」へと導いてくれる。我々人間は、人生の約3分の1を「眠り」という作業に費やし、この作業は決してやめることは許されない。しかし、この「眠り」という作業中に目的地に移動できたら、なんて効率のいい時間の使い方であろうか。そんな思いをかなえてくれる「ブルートレイン」は、その名の通り夜に走る列車であるため、眠りながら移動できることが最大のメリットである。しかし、近年は飛行機路線網の整備や新幹線の高速化などにより年々減少している。また車両の老朽化や、運転士の後継者問題など様々な問題を抱え、ついに東京発のブルートレインは姿を消してしまった。そんな中、私は小学校時代に乗った<富士>を思い出す。<富士>は、東京~西鹿児島(当時)を結ぶ、所要時間24時間25分というなんとも常識はずれの「移動手段」であった。私が初めて乗車した寝台特急であるためとても印象深く心に刻まれている。過去の記憶をたどり、是非紹介してみたい。

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(画像はウィキペディアより。晩年の<富士>は<はやぶさ>と併結であった。EF66と言えば私のイメージでは「フレートライナー」である。余談だが、現在も「プラレール」で所有している。)

私は神奈川県民のため、本来なら横浜から乗車するのが普通だが、どうも中途半端は嫌いのようで、東京の親戚に若干お邪魔をし、東京からの乗車にすることにした。と言っても小学4年生。勿論一人旅など「犯罪行為」であった為、両親に駄々っ子して九州への寄行となったのは1978年8月の事である。親戚宅出発後、地下鉄と山手線で東京駅へ。勿論私は興奮の雨あられであるが、同伴の両親も未体験ゾーンの「24時間25分」にいささか興奮気味であったであろう。軽いフットワークと共に<富士>の停車するホームへ参上すると、既に列車は我々を待ち構えており「旅の始まり」を感じさせてくれた。「へぇ~、こんな風になっているんだぁ」見たいな感じで車内へ入り、きっぷに記された席番へ。当時最新型の2段ベッドの24系25型である。凄く広く感じた・・・「ここで寝るのかい?」みたいな気持ちで、もう興奮しっぱなしである。18時定刻に「カクーン」と揺れ東京を後にした列車は、軽快に東海道を駆け抜けてゆく。「寝るのがもったいない・・・」と子供ながらに感じていた私だが、茅ヶ崎を通過したときは、若干の優越感を覚えた。当時私は茅ヶ崎の耳鼻科に通院していて、帰りの相模線に乗車する時刻の頃に<さくら>が通過して行き「いつかは乗りたいなぁ」と思っていた。富士を見るためには、相模線の乗車時刻をあと1時間遅らせると<富士>の通過シーンが拝める訳だが<富士>見たさに何回乗車時刻を遅らせた事か・・・そんな「ブルートレイン」に、今日は「乗る側」であったのだから、これは格別の思いであった。そんな茅ヶ崎を軽快に通過して、更に東海道を突き進む。当時、鉄道で静岡より西へ行った事の無い私は、名古屋に到着したときには興奮が最高潮に達した。とは言うものの、そろそろ「子供」は寝る時間になっていた。

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(1978年乗車時の西鹿児島にて撮影。当時は「バカチョンカメラ」であったため撮影テクニックはご了承を・・・)

「寝るのはもったいない!」との思いを抱きながらいつの間にか夢の中へと誘われていたが一時目を覚ましたときは「三ノ宮」の駅名表が僅かに掠めた。再び気が付いたら「広島」の文字が見えた。さすがに広い構内に再び胸が騒ぎ出した。既に朝を向え、腹の虫も騒ぎ出す頃だが、食事をどうしたかはハッキリ覚えておらず、おそらく車内販売にて購入したであろう。列車は更に進むと、鉄道ファンお待ちかねの「下関」に到着した。そう、機関車交換である。下関から隣の門司までは関門トンネルを通るため専用の機関車に牽引される。EF81(300番台)とEF30が主力だがこの日はEF30であった。個人的にはEF81(300番台)が好きであったがそれはそれでいいんじゃないかなぁ、と、思いを巡らせながら機関車に向けシャッターを切る「カメラ小僧」と化していたのであった。

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(画像はウィキペディアより。上がEF81の300番台で下がEF30。どちらもステンレス素材で出来ており「海底」に対応。個人的にはEF81が好きであった。)

さて、関門トンネルを抜けると、早速門司に到着した。ここで更に「カメラ小僧」に変身する。そう、またまた機関車交換だ。今度は、東京から門司まで続いた直流区間が終わり、九州から交流区間となるため、交流専用の機関車「ED76」が牽引を担当する。しかし、ブルートレインは道中、イベントが盛りだくさんあり鉄道ファンは忙しい。小倉より日豊本線に入り、大分・宮崎を経由して西鹿児島へ向う。中津、別府と停車の後、大分に到着した。10分以上停車時間がある。ここで後ろの何両か切り離し、身軽になった<富士>は更に南下し鹿児島へ向けてレールのジョイント音を響かせる。途中、「リニア」の実験線が上部を掠めた。子供ながらに、鉄道の未来の姿をしっかり目に焼き付けていた。大分を過ぎると単線区間が多くなり、列車同士の行き違いのため、時に名の知らない駅で停車する。小学生のペーペーにはそんな鉄道事情は分からず「北延岡」に停車の際は「?」となってしまった。ところが、上り「富士」とすれ違い唖然。今考えたら貴重な体験となってしまったが、そんな事はお構いなしに列車は更に進み、間もなく宮崎に到着した。実は、またまた機関車交換である。

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(1978年訪問時の宮崎駅にて。なんと地上時代!宮崎~西鹿児島は非電化(多分鹿児島~西鹿児島は電化されていたかも知れないが)のため宮崎で機関車交換。なんとDF50!こんな機関車、首都圏で見たこと無いためワクワクものであった。)

当時、宮崎~西鹿児島間はまだ非電化であった。ここよりディーゼル機関車である「DF50」である。関東在住の私にとってそんな機関車見たことない!そのため、またもカメラを握り締め列車の先頭へ突っ走っていった。現在、宮崎駅は高架駅となりスリムで機能的な近代的な駅に変身したが、当時はまだ地上にあり若干の側線があったが、ホーム2面3線と、県を代表する駅としては少し物足りなさを感じた。
そして、私たちの寝台座席は既に「自由席」となってしまい「部外者」がゾロゾロと乗車してきた。宮崎を過ぎると、山深くなっていき、単線のレールに山の斜面が迫り、生い茂る草木が窓ガラスにぶち当たる勢いだ。都城を過ぎ、霧島神宮を出ると「桜島」が勢い良く噴煙を上げている姿が目に飛び込んできた。さすが活火山!などと子供ながらに関心していると鹿児島に到着。キハ20の普通列車が隣のホームに停車していた。とうとうここまで来てしまった。

次の駅が本当に終点の西鹿児島である。駅到着のアナウンスが流れると若干の寂しさを覚えたが、同時に「24時間25分」の長旅を達成した充実感に満ち溢れていた。ハッキリ言って始発から終点まで乗車したのは私たちぐらいだけであったろう。当時、最長走行時間の列車で有名であったが、まる1日潰れてしまう移動手段を利用する人はどれだけいたであろうか。だが、それを達成した時、果てしない喜びが待っているのである。今となっては実現不可能な体験だけに、大変貴重なものとなってしまった。ただ速いだけが能じゃない、いろんな選択肢があっていいじゃないか!その選択肢の中にはこんな素晴らしい世界があるということ、そしてそれを体験できる幸せこそ、旅の醍醐味ではなかろうか・・・私たち御一行は更に南下し、今夜の宿となる「指宿」へとローカル列車に揺られていった・・・


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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