寝台特急「富士」の思い出(リメイク版)①
2017-12-20

(2007年頃だったと思うが東京駅にてのひとコマ。晩年はEF66であった寝台特急「富士」の牽引機関車。私はEF65の500番台のイメージの方が強い。<写真はEF65の1000番台>)
ブルートレイン・・・それは寝台特急の代名詞であり、私達を「夢の世界」へと導いてくれる。我々人間は、人生の約3分の1を「眠る」という作業に費やし、この作業は決してやめることは許されない。しかし、この「眠る」という作業中に目的地に移動できたら、なんて効率のいい時間の使い方であろうか。そんな思いをかなえてくれる「ブルートレイン」は、その名の通り夜に走る列車であるため、眠りながら移動できることが最大のメリットである。しかし、近年は飛行機路線網の整備や新幹線の高速化、更には駅前再開発などによるビジネスホテルの増加などにより年々減少していった。また車両の老朽化や、運転士の後継者問題など様々な問題を抱え、ついに定期便のブルートレインは姿を消してしまった。
そんな中、私は小学校時代に乗った<富士>を思い出す。<富士>は、東京~西鹿児島(当時)を結ぶ、所要時間24時間25分というなんとも常識はずれの「移動手段」であった。私が初めて乗車した寝台特急であるためとても印象深く心に刻まれている。過去の記憶をたどり、是非紹介してみたい。

(画像はウィキペディアより。晩年の<富士>は<はやぶさ>と併結であった。EF66と言えば私のイメージでは「フレートライナー」である。余談だが、現在も「プラレール」で所有している。)
私は神奈川県民のため、本来なら横浜から乗車するのが普通だが、どうも中途半端は嫌いのようで、東京の親戚に若干お邪魔をし、東京からの乗車にすることにした。と言っても小学4年生。勿論一人旅など「犯罪行為」であった為、両親に駄々っ子して九州への寄行となったのは1978年8月の事である。
親戚宅出発後、地下鉄と山手線で東京駅へ。勿論私は興奮の雨あられであるが、同伴の両親も未体験ゾーンの「24時間25分」にいささか興奮気味であったであろう。
軽いフットワークと共に<富士>の停車するホームへ参上すると、既に列車は我々を待ち構えており「旅の始まり」を感じさせてくれた。「へぇ~、こんな風になっているんだぁ」みたいな感じで車内へ入り、きっぷに記された席番へ。当時、超最新型の2段ベッドの24系25型である。それまでは20系や14系などの3段式ベッドが主流であったが、時代の流れと共に2段式が主流になる。そして3段式寝台は急行列車などに格下げとなっていった。そんな時代の流れの最先端の寝台列車に乗車した私は、自身の身体がまだ華奢である事もあり、車内が凄く広く感じた・・・「ここで寝るのかい?」みたいな気持ちで、もう興奮しっぱなしである。
やがて発車へのプロローグとなるタイフォンがホームに響き渡り、18時定刻に「カクーン」と揺れを催し東京を後にした。私を乗せた列車は爽快に東海道を駆け抜けてゆく。それも実に爽快に。寝台列車なのに「寝るのがもったいない・・・」と子供ながらに感じていた私だが、茅ヶ崎を通過したときは、若干の優越感を覚えた。当時私は茅ヶ崎の耳鼻科に通院していて、帰りの茅ヶ崎駅で相模線に乗車する時刻の頃に<さくら>が通過して行き「いつかは乗りたいなぁ」と思っていた。そんな中私は<富士>を見るために相模線の乗車時刻をあと1時間遅らせると<富士>の通過シーンが拝める訳だが<富士>見たさに何回乗車時刻を遅らせた事か・・・そんな「ブルートレイン」に、今日は「乗る側」であったのだから、これは格別の思いであった。
そんな茅ヶ崎を迷う事なく通過したが、当時、鉄道で静岡より西へ行った事の無い私は、名古屋に到着したときには興奮が最高潮に達した。とは言うものの、そろそろ「子供」は寝る時間になっていた。

(1978年乗車時の西鹿児島にて撮影。当時は「バカチョンカメラ」であったため撮影テクニックはご了承を・・・)
「寝るのはもったいない!」との思いを抱きながらいつの間にか夢の中へと誘われていた私だが、一時目を覚ましたときは「三ノ宮」の駅名表が僅かに掠めた。再び気が付いたら「広島」の文字が見えた。やはり「人生の3分の1」の運命に逆らう事ができず、すっかり意識が無くなっていたようで、気付いたら明るくなっていて、初めて見る広島駅の広い構内に再び胸が騒ぎ出した。既に朝を向え、腹の虫も騒ぎ出す頃だが、食事をどうしたかはハッキリ覚えておらず、おそらく車内販売にて購入したであろう。
広島を過ぎると、他のブルートレインにはあまり聞かないレパートリーの停車駅である柳井、防府などに停車する。次の宇部は〈さくら〉なども停車し私にはお馴染みの駅であるが、更に次の停車駅は、鉄道ファンお待ちかねの下関。そう、最初の機関車交換のイベントがある駅だ。下関から隣の門司までは関門トンネルを通るため専用の機関車に牽引される。EF81(300番台)とEF30が主力だがこの日はEF30であった。個人的にはEF81(300番台)が好きであったが、まぁ仕方がない・・・と思いを巡らせながら機関車に向けシャッターを切る「カメラ小僧」と化していたのであった。

(画像はウィキペディアより。EF81の300番台はステンレス素材で出来ており「海底」に対応。後に紹介するEF30と共に関門トンネルで活躍していたが個人的にはEF81が好きであった。)

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
ご覧の寝台特急「富士」につきましては、私が初めて乗車した寝台特急で、小学校4年生の時でした。当時24系25型と言えば最新式の寝台車で、2段式ベッドは斬新でしたよね。おかげでその思いも一際大きいもので、更に「24時間」という時空を列車の中で過ごすという事は実に「ナウい」移動手段ではないですよね。
しかしながら、あえてそれを選択して九州の旅を敢行した事は、私の人生において5本の指に入る大きなイベントでした。現在の鉄道シーンにおいてこの体験ができないのは残念ですが、その時代に合った旅は経験できるタイミングで経験しておいた方が絶対いいですよね。
ご覧の寝台特急「富士」につきましては、私が初めて乗車した寝台特急で、小学校4年生の時でした。当時24系25型と言えば最新式の寝台車で、2段式ベッドは斬新でしたよね。おかげでその思いも一際大きいもので、更に「24時間」という時空を列車の中で過ごすという事は実に「ナウい」移動手段ではないですよね。
しかしながら、あえてそれを選択して九州の旅を敢行した事は、私の人生において5本の指に入る大きなイベントでした。現在の鉄道シーンにおいてこの体験ができないのは残念ですが、その時代に合った旅は経験できるタイミングで経験しておいた方が絶対いいですよね。
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観光列車ならまだしも、定期で24時間以上かけて走るのは、もう出てこないかと・・・
そして、西鹿児島という駅名がまたイイ!
ナウでヤングなテツからしたら、「西鹿児島ってどこ?」、「鹿児島中央の西に昔あった駅ですか?」の世界かと・・・
白糠線といい、富士といい、ダイヤモンド☆トナカイさんは、同い年のレジェンドです!!!!!!!