北海道全線制覇の時②
2014-05-13
上野駅の「13番線」はいつも魅力的だ。誰しもがそう思うように、あの「ゴ~ッ」という電源車の音がこだまする入場シーンは何度見ても感動的だ。2008年6月に同じく「北斗星」乗車時は「ロイヤル」であった。その模様はこのブログでも紹介させていただいてるが、その時は上りであった。今回は下りで乗る。夜に東京を出るのと、朝に東京に帰ってくるのは全く違った顔を見せる寝台特急であるが、やはり夜に立つ「13番線」の、あの何とも言えない「哀愁」とでも言おうか、ホームの空気は今も昔も変わらない。だが、2014年春には「あけぼの」が退き、新幹線が函館まで行く頃には「北斗星」も消滅するらしい。つまり「ブルートレイン」という概念が「伝説」となってしまう時がやってくるのだ・・・そうなると、この13番線は一体どうなってしまうのであろうか?
そんな思いはこの旅の時はそれほど感じなかった。確かに近い将来「北斗星」が引退するであろうと思ってはいたが、まさか現実になるとは・・・

(「関西」に引き続き画像が赤く申し訳ないが・・・今回の北斗星は「デュエット」で参戦。個室であるため全然くつろげる。)
そんな13番線を去った「北斗星」は、私を乗せ北へ向かった。今回の乗車は「デュエット」。全く初めての体験である。だが乗ってみると、やはり個室はいい。開放型の寝台が当然の概念であった私だが、例え「ロイヤル」ではなくとも周りを気にしないでくつろげるのは良い。しかも開放型と同じ料金とは!「個室」と言う密閉された空間でプライバシーが守られるという点では「ロイヤル」とはさほど変わらない。「デュエット」でも全く問題なしとの印象であった。

(函館駅にて。3月ではあるがまだまだ北の大地は雪が深い。)
雪がそれなりに勢いよく降る中、青森信号場で機関車を交換する。私の乗った北斗星は雪の中の青森駅には入線しない。線路ばかりある設備の中でトンネル用の「装備」をする。機関車交換等は駅構内で行われるものと思っていたが、この「北斗星」に関しては「信号場」という全く新しい概念での機関車交換は私には新鮮に映った。考えてみたら機関車交換などの作業は乗客にしてみれば全然関係ない事。そう、別に駅構内でなくてもいいわけだ。しかも深夜の時間帯である。交換のために駅に寄ったとしても利用者がいるかどうかは若干微妙なところであろう。
そんな青森信号場を過ぎると津軽線に入る。一応津軽線ではあるが、一部区間の北海道まではいわゆる「津軽海峡線」の別名を持つ。そんな津軽海峡線の、それこそ「青函トンネル」を抜けると北海道に突入する。そう、船には乗らずに北海道に上陸するのだ。そのため函館に近付くとかつては「はるばる来た」というイメージであったが、現在は本州と北海道は「陸続き」となっている為「はるばる」という、某演歌歌手の歌のようなイメージは無い。薄暗い夜明けの中、北の大地の雄大さを早速見せつけられてしまう「江差線」であるが、2014年5月、木古内~江差間の廃止が決定された。松前線と共に「過去のモノ」となってしまうのは大変複雑であるが、時代の変化と共に消えてしまうのは仕方ない選択肢であったろう。しかしこの旅の後半で江差線を制覇する事になっているので最初で最後の乗車を堪能する事にしよう。

(こういう光景も見れなくなるのか・・・かつては「下関」「門司」では頻繁に見られたが、既に「伝説」になろうとしている・・・)

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
そんな思いはこの旅の時はそれほど感じなかった。確かに近い将来「北斗星」が引退するであろうと思ってはいたが、まさか現実になるとは・・・

(「関西」に引き続き画像が赤く申し訳ないが・・・今回の北斗星は「デュエット」で参戦。個室であるため全然くつろげる。)
そんな13番線を去った「北斗星」は、私を乗せ北へ向かった。今回の乗車は「デュエット」。全く初めての体験である。だが乗ってみると、やはり個室はいい。開放型の寝台が当然の概念であった私だが、例え「ロイヤル」ではなくとも周りを気にしないでくつろげるのは良い。しかも開放型と同じ料金とは!「個室」と言う密閉された空間でプライバシーが守られるという点では「ロイヤル」とはさほど変わらない。「デュエット」でも全く問題なしとの印象であった。

(函館駅にて。3月ではあるがまだまだ北の大地は雪が深い。)
雪がそれなりに勢いよく降る中、青森信号場で機関車を交換する。私の乗った北斗星は雪の中の青森駅には入線しない。線路ばかりある設備の中でトンネル用の「装備」をする。機関車交換等は駅構内で行われるものと思っていたが、この「北斗星」に関しては「信号場」という全く新しい概念での機関車交換は私には新鮮に映った。考えてみたら機関車交換などの作業は乗客にしてみれば全然関係ない事。そう、別に駅構内でなくてもいいわけだ。しかも深夜の時間帯である。交換のために駅に寄ったとしても利用者がいるかどうかは若干微妙なところであろう。
そんな青森信号場を過ぎると津軽線に入る。一応津軽線ではあるが、一部区間の北海道まではいわゆる「津軽海峡線」の別名を持つ。そんな津軽海峡線の、それこそ「青函トンネル」を抜けると北海道に突入する。そう、船には乗らずに北海道に上陸するのだ。そのため函館に近付くとかつては「はるばる来た」というイメージであったが、現在は本州と北海道は「陸続き」となっている為「はるばる」という、某演歌歌手の歌のようなイメージは無い。薄暗い夜明けの中、北の大地の雄大さを早速見せつけられてしまう「江差線」であるが、2014年5月、木古内~江差間の廃止が決定された。松前線と共に「過去のモノ」となってしまうのは大変複雑であるが、時代の変化と共に消えてしまうのは仕方ない選択肢であったろう。しかしこの旅の後半で江差線を制覇する事になっているので最初で最後の乗車を堪能する事にしよう。

(こういう光景も見れなくなるのか・・・かつては「下関」「門司」では頻繁に見られたが、既に「伝説」になろうとしている・・・)

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
こんにちは♪
じゃぱ様
コメントありがとうございます!
<鉄道を好きになったキッカケがブルトレだっただけに>とは、私と同類項ですね。私の小学校時代が恐らくブルトレの全盛期であったでしょう。1982年の東北新幹線開通を境に全国的に減少してきたように感じます。私が小学校に入学したのが1975年ですが、その頃から既に「コロタン文庫」の各種鉄道書籍を読んでましたので、それこそ「ブルトレ」の愛称と運転区間は全て覚えました。
そして当ブログでも紹介しましたが1978年には東京~西鹿児島(当時)間を「富士」でブルトレに初めて乗車しましたが、当日の「24時間25分」の運転時間をフルに乗車したのはおそらく私たち家族だけだったでしょう。
衰退していくのは時代の流れで仕方ないですが、じゃぱ様も<幾つか乗車することが出来て良かったです>との事ですから、逆にそれは素敵な経験が出来ているのでとても素晴らしと思います。と言うより貴重な経験をなさっているわけですから今後もその記憶を大切になさってください。
ブルトレの楽しさはそれこそ現存してる「北斗星」「カシオペア」や「トワイライト」でもまだまだ伝えられると思うので是非一人でも多くの方に経験してもらいたいものですね。
と言っても私の場合、小学生時代は殆ど乗る事が出来ず、茅ヶ崎駅での通過シーンばかり拝んでましたが・・・
<鉄道を好きになったキッカケがブルトレだっただけに>とは、私と同類項ですね。私の小学校時代が恐らくブルトレの全盛期であったでしょう。1982年の東北新幹線開通を境に全国的に減少してきたように感じます。私が小学校に入学したのが1975年ですが、その頃から既に「コロタン文庫」の各種鉄道書籍を読んでましたので、それこそ「ブルトレ」の愛称と運転区間は全て覚えました。
そして当ブログでも紹介しましたが1978年には東京~西鹿児島(当時)間を「富士」でブルトレに初めて乗車しましたが、当日の「24時間25分」の運転時間をフルに乗車したのはおそらく私たち家族だけだったでしょう。
衰退していくのは時代の流れで仕方ないですが、じゃぱ様も<幾つか乗車することが出来て良かったです>との事ですから、逆にそれは素敵な経験が出来ているのでとても素晴らしと思います。と言うより貴重な経験をなさっているわけですから今後もその記憶を大切になさってください。
ブルトレの楽しさはそれこそ現存してる「北斗星」「カシオペア」や「トワイライト」でもまだまだ伝えられると思うので是非一人でも多くの方に経験してもらいたいものですね。
と言っても私の場合、小学生時代は殆ど乗る事が出来ず、茅ヶ崎駅での通過シーンばかり拝んでましたが・・・
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/324-5555c728
私が学生時代の時はかなり衰退してはいたものの、まだ幹線を走るブルートレインや急行・快速夜行が存在しているぐらいでしたので幾つか乗車することが出来て良かったです。
できればもっと多くの方にブルートレインの楽しさを知って欲しかったなんて思います。そういう意味ではまだまだ日本も鉄道の旅の楽しさを知っている方が多くはないのかななんて考えてしまう時もあります。
鉄道を好きになったキッカケがブルトレだっただけに本当に悲しい現実です(>_<)