北海道全線制覇の時⑩
2014-06-04
函館より再び路面電車制覇に挑んだ私は、この日が北海道滞在最終日で21時発の「カッシー」で帰郷する事は先述した。「カッシー」に乗る前に湯の川温泉でひとっ風呂浴びるため、温泉旅館の日帰り入浴を敢行した。が、あれほど事前に計画を綿密に立てていたにも関わらず、妻の方は至ってマイペース。とうとう「赤潮」が発生する始末になってしまった。仕方なく電停付近にある「足湯」で温泉気分に浸ってもらう事にして、私は予定通り温泉旅館に足を急がせた。そして入浴後は、これまた電停前にあるラーメン店で腹ごしらえする。そして函館に帰ってきて待合室で「カッシー」の出発時間まで待たせてもらう事にした。湯の川電停で既に北海道「全線制覇」を果たしていたが全く実感が無い。制覇とはそんなものであろう。

(妻は足湯で「湯の川」を堪能。少々残念であるが「女性の宿命」であるのは仕方がない・・・)
函館駅は既に夜8時を過ぎていて、構内のお土産屋さん等は閉店の準備を始めていた。列車の時間まで1時間弱あったので、超暇を持て余していた・・・仕方なく携帯のワンセグで「水戸黄門」をしばし拝見。いつも以上に待ち時間が長く感じたが「このモンドコロが目に入らぬかーッ!」のシーンまでしかと見届けてしまった。
やがて「カッシー」が入線してきた。初めての「カッシー」であるが、実は「スイート」を旅行会社に発注していたが、当然満席であった。と言っても私はどうも「スイート」は好みでなく、「メゾネットタイプ」を発注していたのだが・・・もちろん結果は「A寝台個室(カシオペアツイン)」である。が、快適な旅である事には変わらない。しかし妻は「北斗星」のロイヤルの方が良いという。私にしてみたらこちらの方が過ごしやすい気もしたが・・・

(本来なら「メゾネットタイプ」のスイートに乗る予定であったが・・・A個室でも十分に快適だ!)
青函トンネルを抜けていた事は分かっていたが、気が付けば青森を通り過ぎ盛岡付近を走っていた。振り返れば1983年10月に白糠線廃止の情報を受け、一目散に旅立った中学生の秋。初めて乗る連絡船は実に新鮮であった。それから2008年の6月と今回で北海道を万遍なく制覇をしてきた。時には会社のスキー旅行で石勝線を制覇した時もあったが、その当時はレールファンを休業していた。そんな思い出が「カッシー」の車窓を眺めていると甦ってくる。そして1979年に583系「ゆうづる」に乗り青森に旅をした時は、まだ見ぬ北の大地に夢を抱き「いつかは」と竜飛崎から眺めていたこともあった。その時小学5年生!

(明け方、最後尾の「サロン」に行ってみた。もちろん「独占」である。)
全て懐かしく甦るが、全て制覇を終えた時「もう北海道に来る機会は無いのかな・・・」と一瞬心をよぎった。だが、私はかねてから言っているが今までは「線の旅」、これからは「点の旅」をしていこう!と目標が既にできている。これからは以前より訪問してみたかった「廃線跡」や「白滝シリーズ」の各駅訪問など、考えただけでもワクワクしてくる。そう、旅の仕方は無限にあるのだ!
とは言え、再びこの地に訪れるタイミングが来た時、果たして「北の大地」は私を快く迎えてくれるであろうか・・・今になって思えば「湧網線」や「標津線」、更には「美幸線」等・・・私が訪問できなかった数多くの「伝説」が、姿・形を変えながらも当時の面影を残しているものも少なくない。「列車で来れなくてゴメン・・・」と、もしかしたら心の中でつぶやくかも知れない。しかしその日まで私を待っていてくれる路線がひとつでもあったら私はうれしい。そんな事を考えながら窓を見上げると、夜空にはカシオペア座の「W」の文字が私に微笑みかけていた。



(ちょっと露光が足りなかったが上野駅に到着時の「カッシー」。時間差で「北斗星」も入線してきた。)
大変見難い画像の数々、お付き合いいただきありがとうございました。

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(妻は足湯で「湯の川」を堪能。少々残念であるが「女性の宿命」であるのは仕方がない・・・)
函館駅は既に夜8時を過ぎていて、構内のお土産屋さん等は閉店の準備を始めていた。列車の時間まで1時間弱あったので、超暇を持て余していた・・・仕方なく携帯のワンセグで「水戸黄門」をしばし拝見。いつも以上に待ち時間が長く感じたが「このモンドコロが目に入らぬかーッ!」のシーンまでしかと見届けてしまった。
やがて「カッシー」が入線してきた。初めての「カッシー」であるが、実は「スイート」を旅行会社に発注していたが、当然満席であった。と言っても私はどうも「スイート」は好みでなく、「メゾネットタイプ」を発注していたのだが・・・もちろん結果は「A寝台個室(カシオペアツイン)」である。が、快適な旅である事には変わらない。しかし妻は「北斗星」のロイヤルの方が良いという。私にしてみたらこちらの方が過ごしやすい気もしたが・・・

(本来なら「メゾネットタイプ」のスイートに乗る予定であったが・・・A個室でも十分に快適だ!)
青函トンネルを抜けていた事は分かっていたが、気が付けば青森を通り過ぎ盛岡付近を走っていた。振り返れば1983年10月に白糠線廃止の情報を受け、一目散に旅立った中学生の秋。初めて乗る連絡船は実に新鮮であった。それから2008年の6月と今回で北海道を万遍なく制覇をしてきた。時には会社のスキー旅行で石勝線を制覇した時もあったが、その当時はレールファンを休業していた。そんな思い出が「カッシー」の車窓を眺めていると甦ってくる。そして1979年に583系「ゆうづる」に乗り青森に旅をした時は、まだ見ぬ北の大地に夢を抱き「いつかは」と竜飛崎から眺めていたこともあった。その時小学5年生!

(明け方、最後尾の「サロン」に行ってみた。もちろん「独占」である。)
全て懐かしく甦るが、全て制覇を終えた時「もう北海道に来る機会は無いのかな・・・」と一瞬心をよぎった。だが、私はかねてから言っているが今までは「線の旅」、これからは「点の旅」をしていこう!と目標が既にできている。これからは以前より訪問してみたかった「廃線跡」や「白滝シリーズ」の各駅訪問など、考えただけでもワクワクしてくる。そう、旅の仕方は無限にあるのだ!
とは言え、再びこの地に訪れるタイミングが来た時、果たして「北の大地」は私を快く迎えてくれるであろうか・・・今になって思えば「湧網線」や「標津線」、更には「美幸線」等・・・私が訪問できなかった数多くの「伝説」が、姿・形を変えながらも当時の面影を残しているものも少なくない。「列車で来れなくてゴメン・・・」と、もしかしたら心の中でつぶやくかも知れない。しかしその日まで私を待っていてくれる路線がひとつでもあったら私はうれしい。そんな事を考えながら窓を見上げると、夜空にはカシオペア座の「W」の文字が私に微笑みかけていた。



(ちょっと露光が足りなかったが上野駅に到着時の「カッシー」。時間差で「北斗星」も入線してきた。)
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