1982年・何も言えなくて・・・夏⑤
2019-04-10

(確か浜松で撮影した117系。「新快速」では無く「快速」というのが憎い。当時は新鋭であり東海地区に出現したのが実に新鮮で斬新であった。)
東海道線で名古屋まで向かう私に東海道線の記憶がほとんどない。という事はしっかりと熟睡しているという事であるが、もちろん乗換時にはちゃんと目が覚めて乗り換えをしている。なんとも不思議な体質に変化してしまったが、同伴の友人をちゃんと起こして次の列車に乗り換える辺り「いい旅チャレンジ」が本能として私の身体に染み付いてしまったようだ。
そんな中、浜松からは新鋭の117系のに乗る。当時は東海地区初登場的なムードでなかなか乗っていて優越感があった。転換式クロスシートであったが、前年には関西地区で「新快速」として153系から置き換わった117系を散々乗ったので内容はわかっていた。だが、いざ東海地区で乗車するのは初々しい。関東では185系もデビューして間もない頃だったので、何となく鉄道風景に新時代が到来したイメージを少年ながらに感じていた。

(さて・・・亀山では「はやたま」に乗車するため約3時間の待ち時間を設定した。当時は座席確保に必要な時間との考えからであったが、夜行の上り列車では混雑度関係無し!であった。同じ上り列車では当時の「大垣夜行」と「山陰」以外は待ち時間無しでも座席を確保出来た。あくまで私の経験上からではあるが・・・)
そんな東海道をすり抜け、名古屋に着くと関西本線に乗り換える。亀山から「はやたま」に乗るためだが、前回の春休みに訪れた時の関西本線・名古屋~亀山は非電化であった。今回の訪問では電化されたばかり。そのため、同区間を走る夜行普通列車「はやたま」は天王寺~名古屋から天王寺~亀山に短縮されてしまった。そのため名古屋から亀山までは「電車」で移動しなければならない。
亀山に14時6分に着いたが、前回乗車した旧型客車ではなく「湘南電車」のため何となく味気無い。そしてここ亀山で17時21分発の「はやたま」を待つが、なんと3時間近くの待ち時間だ。もちろん事前に自身で計画した事であるが、やはり「大垣夜行」の「並ばないと席を確保できない」というイメージからこういう予定を組んでしまったのだ。
結論からいうと、先述通り「夜行列車の上りは空いている!」という方程式に見事にハマった訳で、3時間の待ち時間は全く必要なく、それこそ発車2分くらい前に乗車しても座席選び放題であった。

(既に夜の時間帯となっていた尾鷲。私が唯一紀勢本線を訪問したのが今紹介している旅であるが、あれからどのように変わったのか、近い将来訪問してみたい。)
さて、3時間もの待ち時間、いったい何をしていたのであろう・・・と思うほど列車はのんびりと紀勢本線を進行していく。列車番号こそ下りであるが、実質的に上り列車であろう。旧型客車のみの編成は、新宮から寝台車を連結して初めて「はやたま」となるが、新宮までは完全にローカル列車だ。しかも学生諸君は夏休みの為帰宅組の学生は僅少。とは言え亀山~一身田~津辺りは部活帰りの学生君がそれなりにいたが、当時私も学生でありある意味同業者であろう。
やがて日本一短い駅名の「津」に着くが、停車時間がわずかなため欲しかった入場券が買えず・・・たが、この辺りは近鉄王国。ザ・キングダム近鉄である。料金でもスピードでも勝負できない国鉄側に軍配が挙がる事はない事実を象徴する風景がホームを彩っていた。
尾鷲に着くころには完全に最終列車的風景となっていたが、やがて先述の通り新宮で寝台を連結した後「はやたま」として夜行列車に変身。そろそろ終焉を迎える10系寝台が余生を楽しんでいるかのように、いや、まだまだ現役たぞ!と我々に誇示するかのようにその存在感をアピールしていた。
やがて列車は夜行列車的風景を100%醸し出しながら未明の和歌山に到着する。普段なら、というか日中なら和歌山県を代表する駅として利用者がホームを連ねるであろうが、3時台の駅風景は全く人を寄せ付けない雰囲気であった。
そんな和歌山を去り「921列車」は天王寺に5時ちょうどに到着。1秒の狂いもない!しかしながら当時はそれほど感じなかったが、今考えたらあの天王寺のホームに旧型客車+10系寝台の夜行列車が停車するとは、何とも超アンマッチな風景・・・手動のドアが煌めく衝撃!まるで武藤敬司の「フラッシング・エルボー」のように一瞬ストロボがキラキラッと輝く風景であった。
天王寺で大阪環状線にのりかえ大阪まで出る。更に東海道線と山陽本線で岡山まで一気に辿り着いた。
岡山では伯備線に乗り換えるのだが、この伯備線もちょうど電化されたばかりであった。既に紹介した前回の「青春18」の旅では電化前の伯備線を備中神代~岡山まで乗車している。つまり非電化時代の伯備線であるが、その時は新見でキハ181の「やくも」を拝んだ。しかし今回の旅では電化後のため371系振子式の「やくも」のお披露目であった。前回訪問時の時とは明らかに風景が違う。普通列車でさえ「湘南電車」であった。新見の、そして備中高梁の風景が一躍都会的風景になる。東北・上越新幹線開業の時代には、全国各地の鉄道風景に革命が起きているようなイメージであった。

この旅では伯備線が電化直後であった。新見で収めた「やくも」は、同じ年の3月に訪問した時のキハ181からご覧の車両にグレードアップ。陰陽連絡の機能が一段と高まった。)
伯備線で北上し山陰方面に出るが、ちょうどこの時期は伯備線と併せて山陰本線の伯耆大山~知井宮(現・西出雲)までの電化が開業し、11月に開業予定である上越新幹線開業に合わせて弥彦線と越後線が電化されるなど「苦しい懐事情」の国鉄であった中、かなりの高速化が図られた。特に山陰本線の一部電化区間はそれなりの都市が連なるため乗客も少なくない。実際、2013年に再訪の際も米子~松江辺りは立席客が出るほどの盛況ぶり。しっかりと「鉄道」としての役割を果たしていた。やはり電化せねばならない事情であろう。
そんな電化区間を新鋭の115系で米子に到着した。境線を制覇してから再び米子に戻ってくる。するともう16時16分、つまり夕方になっている。上り列車の夜行は始発時間が早い。出雲市を19時23分に出発する。米子からもちろん乗車できるが、まだ時間に余裕があるため、というより確実に座りたいため出雲市に向かう事になっている。ただ、出雲市では約一時間しか待ち時間がないため少々不安であるが・・・
当時、山陰本線の普通列車の主役は「旧型客車」だ。DLに牽引されながら、途中で伯備線の115系と列車交換する。ちょうど新旧交代の時期でもあったが、今考えるとすごく不思議な光景だ。

(電化直後の出雲市駅。まだ地上時代で構内には側線も多くあった。実はこの駅では小さな思い出があり、旧型客車で出雲市駅に到着したのだが、いち早く「山陰」に乗車したいため列車が止まるのを待てずに若干止まる直前にホームに足を預けた。すると思ったよりもスピードがあり私はホームで「ひとり一本背負い」を敢行。2回転半くらいはしたか・・・相方に「なにやってんの?」と言われたのは述べるまでもないが、私にとってみれば衝撃でカメラも若干やられてしまい悲しい一撃であった。ちなみに私は小学校時代に柔道をやっていた関係から受身には自身があったが・・・皆様、列車を下車する際には列車が完全に停車してからにしましょう!)
出雲市から夜行普通列車「山陰」に乗り換えるが待ち時間が1時間。私の中ではこの「1時間」が足りないくらいに感じたが、今回の旅に使用している夜行列車は上越を除き全て「上り」である。普通夜行列車のイメージとして「大垣夜行」を最初に経験したせいか、2~3時間待たないと座れないというのがあった。しかしこの「山陰」もそうだが、上りに関してはそれほどまで神経質にならなくてもちゃんと座席を確保できる事を気付かされた。それは始発時間が早いため地元の方の「ローカル列車」の役割もある。そのため短距離客が多いため、必ずどこかの座席が空くというものだ。
先ほどまでいた米子を通り過ぎ、列車は京都目指して更にのんびりと加速していった。

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コメント
libertyrail様
コメントありがとうございます。
国鉄時代にデビューした117系が今も活躍しているのは嬉しい限りですね。私の場合、1981年に開催された万博「ポートピア’81」を見に行くために関西地区に滞在した時に、ちょうどデビューして間もない117系を散々乗車したのでかなりの思い入れがあります。
関東では特急「あまぎ」と急行「伊豆」が統合された特急「踊り子」が誕生し185系がデビューして間もない頃で、正直言って特急列車のような風格が見えずやや複雑な思いもありましたが、普通列車で運用されると喜んで乗車していました。
そんな風景を思い出す117系ですが、なんと長距離観光列車に変身するとは!
時代を感じるという思い以前に感慨深いものがありますね。
国鉄時代にデビューした117系が今も活躍しているのは嬉しい限りですね。私の場合、1981年に開催された万博「ポートピア’81」を見に行くために関西地区に滞在した時に、ちょうどデビューして間もない117系を散々乗車したのでかなりの思い入れがあります。
関東では特急「あまぎ」と急行「伊豆」が統合された特急「踊り子」が誕生し185系がデビューして間もない頃で、正直言って特急列車のような風格が見えずやや複雑な思いもありましたが、普通列車で運用されると喜んで乗車していました。
そんな風景を思い出す117系ですが、なんと長距離観光列車に変身するとは!
時代を感じるという思い以前に感慨深いものがありますね。
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117系はJR西日本では今も現役ですが
東海エリアは6年前に引退しました。
引退する少し前から登場時の国鉄色に塗り替えられ
湖西線や京都口で見ることが出来たのと同じのが見れました。
オレンジを基調とした東海色で活躍した姿を見る機会が多く
快速や米原~大垣間で乗車したり
熱田駅構内でお昼寝してる所と思い入れはあります。
来年春銀河という長距離列車が登場するので
こちらも非常に楽しみな列車ですね。