1982年・何も言えなくて・・・夏⑥
2019-04-15
前回乗車した下りの「山陰」は満員御礼であったが、今回の上り「山陰」は若干空席があった。ひとり・ふたりなら余裕で途中駅から乗車可能であったろう。と教訓を得たが、実は翌年の3月に「18」で九州を訪問した帰りに利用した「山陰」では途中、豊岡からの乗車であった。もちろん教訓を生かしたはずであったが・・・結果はデッキで寝る事になってしまった。青春18が浸透してきて普通夜行列車が軒並み満員御礼となり、上りの夜行普通列車にもこうした現象が徐々に起こりはじめていた。恐らくこれは「山陰」に限っての事なのかそれとも・・・

(以前にも紹介したが大垣駅の入場券は近鉄(当時)と駅を共用していたので80円と格安であった。大垣からは美濃赤坂支線と樽見線を制覇。樽見線と言えば現在も「樽見鉄道」として第三セクターで運営されている。しかも神海~樽見が延伸され、私の訪問時より姿が変わった。当時は「美濃神海」として樽見線の終点であった棒線の神海駅も、現在は交換可能駅として生まれ変わった。
さて、上り「山陰」で京都に向かうが、到着は翌朝5時24分だ。そして5時28分発の東海道線上り普通列車に乗り換えなければならない。乗り換え時間僅か4分!一般的に考えたら4分の乗り換え時間はある意味余裕が感じらるであろう。だが、レールファンであるがゆえに京都駅の事情は残念ながら多少の知識はある。しかも時刻表であれば駅構造もしっかりと記されている。故にその事がかえって私をブルーにさせた。

(懐かしさ満点の3代目京都駅舎はウィキより画像を拝借した。国鉄時代を含め私の京都駅はこのイメージが強い。現在はすっかりモダンになったが、一時期は「のぞみ」が通過する場面もあった。)
京都駅・・・レールファンなら事情はご存じであろうが、あえてここで説明しよう(タイムボカンではないが)。
京都駅の1番線ホームは当時日本一の長さであった。当時の1番線が現在の0番線となり山陰ホームの30番線以降とつながっているが、当時の山陰ホームは「山陰1(番線)」「山陰2(番線)」とよばれ1番線とつながっていた。つまり、内容的に現在とほぼ変わらないが、山陰ホームが増設され電化された事が大きく変貌した事である。そして1番線から0番線に変わった事だ。
そんな「日本一」のホームから跨線橋を使い別のホームにいる東海道線に乗り換えるなんて、せめて同一ホームにしてくれよと言いたくなるようなダッシュをしなければ座席確保ができないであろう。
特に現在のJR東海の東海道線・静岡や浜松などでも似たような乗り換えが多いので何度かご意見申した事があるが、もちろんJR側の都合もあろう。だが、何とか階段を使わずに乗り換えできるパターンを多くしてもらいたいものだ。
厳しい現実の中、京都に着く頃には座席を捨て、デッキに出てスタンバイしておこうと、旅慣れない少年なりに知恵を振り絞っていた。

(国鉄時代は終点であった現在の神海駅。当時は棒線化されていたが、当然島式ホームに備えた空間が準備されていた。しかし、まさか本当に延伸されるとは思いもしなかった。)
京都に到着すると、命をかけたダッシュが始まり、お陰で次の列車の座席は確保できた。その後安心しきったのか、爆睡状態で大垣に向かう。そしてあえ無く樽見線、そして東海道支線の美濃赤坂までを制覇した。特に樽見線は廃止情報が出ており、乗車意欲が湧いてしまう。私の訪問当時は美濃神海が終点であったが、現在は周知の通り、経営母体は変わったものの、樽見まで延伸された。まさか延伸されるとは思わなかったが、旅客のみでの経営ではなかなか辛い風景となろう。
樽見線、東海道支線どちらの順番でも大垣に着く時間は確か変わらなかった記憶であったが、美濃赤坂への支線が「東海道」を名乗る辺り、なかなかの渋さを感じる。大垣は近鉄を含め数多くの分岐を持つ駅として幼い頃から非常に興味があった。「幼い頃」という表現は適当ではないかも知れないが、「いつかは駅の配線を解読したい!」と常々考えていたものだ。というより、こんな事を考えてる少年はハッキリ言って「普通」というカテゴリーには入りにくいであろうと今になって感じるのだが・・・
そんな大垣で旅の一段落を終え、後は東海道で湘南地区に帰郷するのみとなった。大垣からは117系快速で一気に浜松へ。そして更に湘南目指して・・・
今回の旅は先ほどから述べていたが「上り夜行は空いている」という教訓を得た事であった。長野、亀山で2時間以上の待ち時間はハッキリ言って無駄な時間であったが、とても貴重な無駄な体験をした時間でもあった。「山陰」を含め私の乗車したこれらの夜行列車は現在運転されていない。そして「18」を使用しながら「大垣夜行」を利用しない唯一の長旅でもあった。

(尾鷲と同じくたった一度だけの訪問経験である新宮。現在は東海と西日本の境界駅として活躍するが、実際問題「電化」「非電化」の境界駅でもあり同じ紀勢本線でも新宮を境に全くカラーが異なる。)
湘南地区に住んでいると、ほとんどが「大垣夜行」を利用して西に向かう事になる。今回は珍しく北に向かう事になったが、実はこの時の計画段階では「東北」「北海道」等も視野に入れていた。しかし「北」に向かうにはどうしても「駅寝」を組み込まなければならない関係から外れた。いや「18」を使っての普通列車のみの旅ではやたらと歩留まりが悪い。特に北海道に関しては「18」のみだとかえって経済的にも不利になろう。
この旅の計画や実際の乗車記録を振り返ると絶対に「もったいない箇所」が無数にあった。今の私が当時の時刻表で計画を組んでみたらもっと違う計画が絶対にできたはずだ。いや、必ずできる!「魚沼線」や「蒲原鉄道」、弥彦線の東三条~越後長沢など、なぜもっと頭を使いこれらに乗ろうと努力しなかったのか・・・

(ウィキより画像を拝借した美濃赤坂。旅客駅としては地味な部類であるが、現在でも貨物列車が活躍する貴重な駅である。)
全く関係無い話であるが、2013年にプロレスラー・小橋建太が引退した。プロレスに興味ない方はわからないかも知れないが、私は勿論デビュー当時の若手時代より知っている。ちょうどバブル期くらいに台頭してきて1990年代後半にはトップレスラーの仲間入りを果たすが、怪我が多く晩年は試合数が激減していた。ただ、真っ直ぐなファイトスタイルは多くのファンを魅了してきたが、とうとう「引退」という言葉で自身の未来を報告する時間がやってきてしまった。
引退セレモニーの中で彼は「プロレスとはなんですか?」との問いに「青春でした」と答えた。「青春の握り拳」なる名フレーズもある小橋のこの言葉に私は若干ウルッと来てしまった。そしてその時フッと思った。私は何気に鉄道に「青春」を求めているのではないかと。特に私は小橋ファンというわけではないが(というより三沢光晴のファンであるが)、この引退セレモニーを観て小橋という人間が一段と好きになった。小橋は素晴らしいレスラーであった。

(まさか私のブログにレスラーが登場するとは思わなかったが・・・これがプロレスラー・小橋建太。もしかしたら我々は「18きっぷ」に、彼のような「青春」を求めているのかもしれない。画像はウィキペディアより。)
数多くの「トクトクきっぷ」が発売される中、この青春18きっぷは誕生してから今も人気が高い。そしてシーズンになると夜行普通列車が臨時ながら復活する。
普通列車限定のこのきっぷに私たちは一体何を求めているのであろうか。ハッキリ言って私は普通列車の座席より「グランクラス」の方が快適だと思う。できれば普通列車の移動は避けたい。こんな事を考えるようになったのは最近であるが、やはり年をとったのか・・・とは言え「18」を使って旅に出る事もやはり好きだ。何だか発言が矛盾しているが、やはりあの普通列車に揺られて景色を眺めるとかつての自分に巡り会えるような気がする。
多分私はこういった「青春」を求めて「18」を使い旅に出るのだと最近になって気づいた。「誰もが」とは言わないが、やはり皆「青春」を求めて旅に出るのであろう。だから今でも人気が高い「青春18」の存在があるのではと思わされる。勿論「リーズナブル」ということも否定できないが・・・
しかし、現在運転されてない夜行列車の数々も経験できた事は大きい。大きいが、完全に歩留まり悪い計画をしたこの旅に同行した同級生には大変に申し訳ない事をした感じだ。一言謝っておきたかったのだが・・・何も言えなくて・・・夏。

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(以前にも紹介したが大垣駅の入場券は近鉄(当時)と駅を共用していたので80円と格安であった。大垣からは美濃赤坂支線と樽見線を制覇。樽見線と言えば現在も「樽見鉄道」として第三セクターで運営されている。しかも神海~樽見が延伸され、私の訪問時より姿が変わった。当時は「美濃神海」として樽見線の終点であった棒線の神海駅も、現在は交換可能駅として生まれ変わった。
さて、上り「山陰」で京都に向かうが、到着は翌朝5時24分だ。そして5時28分発の東海道線上り普通列車に乗り換えなければならない。乗り換え時間僅か4分!一般的に考えたら4分の乗り換え時間はある意味余裕が感じらるであろう。だが、レールファンであるがゆえに京都駅の事情は残念ながら多少の知識はある。しかも時刻表であれば駅構造もしっかりと記されている。故にその事がかえって私をブルーにさせた。

(懐かしさ満点の3代目京都駅舎はウィキより画像を拝借した。国鉄時代を含め私の京都駅はこのイメージが強い。現在はすっかりモダンになったが、一時期は「のぞみ」が通過する場面もあった。)
京都駅・・・レールファンなら事情はご存じであろうが、あえてここで説明しよう(タイムボカンではないが)。
京都駅の1番線ホームは当時日本一の長さであった。当時の1番線が現在の0番線となり山陰ホームの30番線以降とつながっているが、当時の山陰ホームは「山陰1(番線)」「山陰2(番線)」とよばれ1番線とつながっていた。つまり、内容的に現在とほぼ変わらないが、山陰ホームが増設され電化された事が大きく変貌した事である。そして1番線から0番線に変わった事だ。
そんな「日本一」のホームから跨線橋を使い別のホームにいる東海道線に乗り換えるなんて、せめて同一ホームにしてくれよと言いたくなるようなダッシュをしなければ座席確保ができないであろう。
特に現在のJR東海の東海道線・静岡や浜松などでも似たような乗り換えが多いので何度かご意見申した事があるが、もちろんJR側の都合もあろう。だが、何とか階段を使わずに乗り換えできるパターンを多くしてもらいたいものだ。
厳しい現実の中、京都に着く頃には座席を捨て、デッキに出てスタンバイしておこうと、旅慣れない少年なりに知恵を振り絞っていた。

(国鉄時代は終点であった現在の神海駅。当時は棒線化されていたが、当然島式ホームに備えた空間が準備されていた。しかし、まさか本当に延伸されるとは思いもしなかった。)
京都に到着すると、命をかけたダッシュが始まり、お陰で次の列車の座席は確保できた。その後安心しきったのか、爆睡状態で大垣に向かう。そしてあえ無く樽見線、そして東海道支線の美濃赤坂までを制覇した。特に樽見線は廃止情報が出ており、乗車意欲が湧いてしまう。私の訪問当時は美濃神海が終点であったが、現在は周知の通り、経営母体は変わったものの、樽見まで延伸された。まさか延伸されるとは思わなかったが、旅客のみでの経営ではなかなか辛い風景となろう。
樽見線、東海道支線どちらの順番でも大垣に着く時間は確か変わらなかった記憶であったが、美濃赤坂への支線が「東海道」を名乗る辺り、なかなかの渋さを感じる。大垣は近鉄を含め数多くの分岐を持つ駅として幼い頃から非常に興味があった。「幼い頃」という表現は適当ではないかも知れないが、「いつかは駅の配線を解読したい!」と常々考えていたものだ。というより、こんな事を考えてる少年はハッキリ言って「普通」というカテゴリーには入りにくいであろうと今になって感じるのだが・・・
そんな大垣で旅の一段落を終え、後は東海道で湘南地区に帰郷するのみとなった。大垣からは117系快速で一気に浜松へ。そして更に湘南目指して・・・
今回の旅は先ほどから述べていたが「上り夜行は空いている」という教訓を得た事であった。長野、亀山で2時間以上の待ち時間はハッキリ言って無駄な時間であったが、とても貴重な無駄な体験をした時間でもあった。「山陰」を含め私の乗車したこれらの夜行列車は現在運転されていない。そして「18」を使用しながら「大垣夜行」を利用しない唯一の長旅でもあった。

(尾鷲と同じくたった一度だけの訪問経験である新宮。現在は東海と西日本の境界駅として活躍するが、実際問題「電化」「非電化」の境界駅でもあり同じ紀勢本線でも新宮を境に全くカラーが異なる。)
湘南地区に住んでいると、ほとんどが「大垣夜行」を利用して西に向かう事になる。今回は珍しく北に向かう事になったが、実はこの時の計画段階では「東北」「北海道」等も視野に入れていた。しかし「北」に向かうにはどうしても「駅寝」を組み込まなければならない関係から外れた。いや「18」を使っての普通列車のみの旅ではやたらと歩留まりが悪い。特に北海道に関しては「18」のみだとかえって経済的にも不利になろう。
この旅の計画や実際の乗車記録を振り返ると絶対に「もったいない箇所」が無数にあった。今の私が当時の時刻表で計画を組んでみたらもっと違う計画が絶対にできたはずだ。いや、必ずできる!「魚沼線」や「蒲原鉄道」、弥彦線の東三条~越後長沢など、なぜもっと頭を使いこれらに乗ろうと努力しなかったのか・・・

(ウィキより画像を拝借した美濃赤坂。旅客駅としては地味な部類であるが、現在でも貨物列車が活躍する貴重な駅である。)
全く関係無い話であるが、2013年にプロレスラー・小橋建太が引退した。プロレスに興味ない方はわからないかも知れないが、私は勿論デビュー当時の若手時代より知っている。ちょうどバブル期くらいに台頭してきて1990年代後半にはトップレスラーの仲間入りを果たすが、怪我が多く晩年は試合数が激減していた。ただ、真っ直ぐなファイトスタイルは多くのファンを魅了してきたが、とうとう「引退」という言葉で自身の未来を報告する時間がやってきてしまった。
引退セレモニーの中で彼は「プロレスとはなんですか?」との問いに「青春でした」と答えた。「青春の握り拳」なる名フレーズもある小橋のこの言葉に私は若干ウルッと来てしまった。そしてその時フッと思った。私は何気に鉄道に「青春」を求めているのではないかと。特に私は小橋ファンというわけではないが(というより三沢光晴のファンであるが)、この引退セレモニーを観て小橋という人間が一段と好きになった。小橋は素晴らしいレスラーであった。

(まさか私のブログにレスラーが登場するとは思わなかったが・・・これがプロレスラー・小橋建太。もしかしたら我々は「18きっぷ」に、彼のような「青春」を求めているのかもしれない。画像はウィキペディアより。)
数多くの「トクトクきっぷ」が発売される中、この青春18きっぷは誕生してから今も人気が高い。そしてシーズンになると夜行普通列車が臨時ながら復活する。
普通列車限定のこのきっぷに私たちは一体何を求めているのであろうか。ハッキリ言って私は普通列車の座席より「グランクラス」の方が快適だと思う。できれば普通列車の移動は避けたい。こんな事を考えるようになったのは最近であるが、やはり年をとったのか・・・とは言え「18」を使って旅に出る事もやはり好きだ。何だか発言が矛盾しているが、やはりあの普通列車に揺られて景色を眺めるとかつての自分に巡り会えるような気がする。
多分私はこういった「青春」を求めて「18」を使い旅に出るのだと最近になって気づいた。「誰もが」とは言わないが、やはり皆「青春」を求めて旅に出るのであろう。だから今でも人気が高い「青春18」の存在があるのではと思わされる。勿論「リーズナブル」ということも否定できないが・・・
しかし、現在運転されてない夜行列車の数々も経験できた事は大きい。大きいが、完全に歩留まり悪い計画をしたこの旅に同行した同級生には大変に申し訳ない事をした感じだ。一言謝っておきたかったのだが・・・何も言えなくて・・・夏。

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