廃止路線を訪ねて② (相模線・寒川支線)(リメイク版)

かつて紹介した西寒川に関する記事であるが、個人的な思い入れもありバックナンバーを引っ張り出してみた。若いレールファンにも西寒川駅を知っていただくという意味もあるが、私の世代に近い方も懐かしい部分もあると思うので数回にわたり紹介してみようと思う。

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(お馴染みの写真である1984年2月に撮影の西寒川駅。中学卒業を控え、学校も1ヶ月くらい自由登校になりかなり優雅なひと時を過ごした。)

相模線は、東海道線の茅ヶ崎より北へ進み、横浜線の橋本に至る33.3キロの路線である。だが、かつては、途中の寒川より1.5キロの支線が延びていた。詳しい歴史については割愛するが、私はかつて、この支線の終点「西寒川」の駅前に住んでいた事がある。幼少時代~高校生までこの地で過ごしたため、この生活こそ私の鉄道人生の「原点」と言っても過言ではないであろう。茅ヶ崎の耳鼻科への通院に週に2~3回相模線を利用していた。おそらくこの経験が「鉄道」の目覚めのきっかけとなったであろうが、タイトルに「訪ねて」としたのは正確でないかも知れない。窓を開ければ駅は見えた訳だし、歩いて20秒もかからないので、あえて「訪ねる」までも無いであろう。

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駅は棒線の一面一線で駅員無配置である。車止めの先には過去の「四之宮」までの路線跡を辿ることができ、その先に、ちょうどロートのように広がる某工場の駐車場があり、そこが旧四之宮駅と推測される。廃止前は、1日4本の列車が設定されており、朝1本、夕方3本とやや偏りを見せていたが、昼間の列車は設定されていないため、相模線の利用の際には寒川駅まで出向かなければならない。鉄道制覇の際の門出には必ず西寒川からの出発に拘った。ホームは3両編成の列車ははみ出てしまうというのに、朝には4両編成の列車もやってくる。若干の雨よけ用の屋根の下にはラッチと呼べるかどうか分からないが改札があり、駅前一等地はいきなり工場の壁にぶち当たる。左へ向うと飲食店と理容店があり、右の四之宮方面にも理容店があったが、四之宮方は現在は廃業している。ちなみにこの理容店は女性が経営していたが、順番待ちの際には紅茶のサービスがあった。更に右には工場地帯に続く道があり、民家も疎らだ。そんな寒川支線も昭和59年3月に廃止されてしまった。それから暫くして私は西寒川の駅前の自宅を辞した。父の仕事の関係で同じ相模線の倉見駅付近に転居したのだ。

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現在、線路跡はほぼ緑道として残っているため、その痕跡を確認できる。また、西寒川駅に関しては「八角広場」となり、付近の住民の憩いの場となっている。また、付近には高速道路も建設され、景色がかなり変化してきた。現役当時は、私の知る限りだがキハ10の気動車が走る姿が最初である。それからキハ20、キハ35と変化していったが、私はキハ20が一番好きであった。キハ35はロングシートのため、乗ってて味気なく、車窓を見るのにも一苦労である。また、鉄道路線制覇の旅の出発の際、最初のスタートの駅が「西寒川」であった。西寒川は無人駅のため、車内で車掌からきっぷを購入する。
当時はまだ「ワンマン」という概念が鉄道には無かったため、車掌も忙しかったと思う。と言っても寒川~西寒川間は乗客も疎らであるため業務に多少なりとも余裕があったであろうが・・・そんな西寒川も、今は記憶の中の一部になってしまったが、目を閉じると、今もホームに「キハ20」が私を待ってる情景が鮮明に蘇る。

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(廃止当日の1984年3月31日のみ運転された寒川~西寒川間の区間運転列車。通常は全て茅ヶ崎発着であったので貴重な臨時列車であった。)

さて、西寒川駅に関しては、別途ホームページを用意したので、そちらも参照して頂ければ幸いである。

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相模線の非電化時代は、今とても貴重ですね。しかも、西寒川とは!住んでらっしゃたんですか。区間運転だったのも初めて知りました。

今年の夏、実は社家駅を見に相模線に乗ってきまして、記事にもしましたが、開業以来のコンクリート駅舎にすっかり魅了されました。確か、倉見駅もそうなんですよね。残念ながらそっちは行かなかったんですが…。

あいあんさいど様

コメント、ありがとうございます!

寒川~西寒川の区間運転は営業最終日のみの臨時列車で、大変貴重な存在でした。
昔ながらの駅舎は北茅ヶ崎、宮山、倉見、社家、相武台下くらいだと思いますがほぼ開業当時のものと思われます。寒川は橋上駅舎になり昔の面影はありません。

社家に来られたのは素晴らしいですね。倉見は、西寒川から引っ越した先が倉見で、新幹線が南側で交差します。あと、相模線の見どころは「厚木」で、海老名付近含め開業当時の「相模鉄道」が見え隠れし、現在でも相鉄「厚木線」が相模国分~厚木間を残しています。もちろん時刻表には掲載されてませんが、JR厚木駅構内に旧相鉄厚木駅があり、相鉄の電流線として現在も使用されています。実は、私の書いた記事で相鉄を取り上げていますが、文字ばかりで色気がないため、今日写真を撮ってまいりました!後日、その記事にUPしてみようと思います。

ダイヤモンド☆トナカイ様

西寒川駅懐かしいですね(ToT)
私も行きました(^_^;)
しかし…ただ単に行っただけ…
もう、何も覚えていない状態です…(ToT)

ところで、ここの駅がお地元だったんですか!
全国への出発駅が、ここだったんですね!


それと、耳鼻科に通院されていらっしゃったんですか?
実は私も小学生になる前から中学生になってしばらくは、耳鼻科に通院していたんですよ(ToT)
私の場合は、今で言う花粉症でした。
まさかダイヤモンド☆トナカイさんも鼻が悪かったのでしょうか?

いや~、ここまで共通項はないでしょうね(^_^;)

Re: にわか者様

いつもコメントありがとうございます。
やはり西寒川にも来られたのですね。それはとても素晴らしい事です。ちなみに私はこの地に約10年くらい住んでいました。駅前一等地ですが、義務教育時代をこの地で過ごしたので思い入れもかなりあります。
わざわざ寒川から茅ヶ崎まで通院するほどの技術があった耳鼻科かどうかは今となってはクエスチョンですが、やはり当時は耳鼻科自体が寒川町になかったのでしょう。ですが、そのお陰でこうして西寒川との思い出が今も胸に残る事ですし、言わば私の「原点」ですから。ちなみに私はアレルギー性鼻炎でした。

1980年代の旅の出発地はもちろん西寒川です。これからもこだわってバックナンバーを引っ張り出して紹介していきますよ。特に若い世代にもっと知ってもらいたい気持ちです。

ダイヤモンド☆トナカイ様

アレルギー性鼻炎(ToT)
私もです…
こんなことまで一緒とは( ̄○ ̄;)
私は稲科の植物に反応します…

えーと、ダイヤモンド☆トナカイ様は、現在進行形で乗りテツ活動をされていらっしゃるかと思いますが、このような懐かしネタもよろしくお願いいたしますm(_ _)m

No title

いつもコメントありがとうございます。

稲科の植物に反応とは色々ご苦労もあった事でしょう。

私は今も鉄道関係の趣味は現在進行形ですが、最近は「鉄道を使わない鉄道旅」が旅のスタイルになっています。現地でレンタカーを借りて廃止路線や現役の「秘境駅」みたいな場所に行ったりしています。「秘境駅」とは近年に出来たカテゴリーですが、私はそれほど秘境駅には反応せず、どちらかと言うと「地味駅」「配線が複雑な大きい駅」の方が好きです。西寒川駅もハッキリ言って秘境駅ではないですが地味な感じで味がある雰囲気でしたので、そういう関係から今の自分があると思います。

西寒川の記事は過去に紹介していますが、後3回くらいバックナンバーを改めて紹介するつもりです。先述していますが、特に若い世代にもっと西寒川駅を知ってもらいたいですね。
プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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