鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

姿なき挑戦者⑧ 急行・津軽54号

あなたは列車で旅をしていて通過駅で下車したことがありますか?私は自信を持って「だからホラ、ハッキリ言って、あるよね。(わかる人は拍手お願いいたします!By超世代軍の旗手)」と言おう。と自慢する事でもないが、1983年の「東北乗り潰しの旅」において、この通過駅での下車は以前に紹介している事である。ブログ開設当初からご覧になっていただいている方はご存じであろう事柄であるが少々お付き合いいただければ幸いである。

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(私の乗車した臨時列車「津軽54号」。12系の客車急行列車であった。)

1980年代は客車急行列車が全国各地に多く存在したが、特に上野口から出ている「八甲田」「十和田」「津軽」等は私が良くお世話になった急行列車で、特に「津軽」は14系座席の急行列車であったのでさながら「特急」を思わせる。14系座席車だと座席がリクライニングでき、更に「回転式」の為クロスシートにも変身できる優れものであった。今回はプロパーの「津軽」でなく「54号」なる臨時列車の紹介であるが、もちろんプロパーバージョンにも乗車したことがある。が、今ではこうした急行が無くなってしまいいささか寂しいが、青森方面に行けば特急ながら「つがる」の愛称が今も健在なのが嬉しい。「54号」は臨時列車のため12系客車が担当。1980代の客車急行らしい客車急行列車であった。

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(1982年頃の「津軽」。10系寝台+12系客車の編成。こんな列車が上野口では数多くみられた。画像は「日本の旅・鉄道見聞録」より。)

1983年の「東北乗り潰し」の際の事である。阿仁合線(現・秋田内陸縦貫鉄道)制覇の後、鷹ノ巣から急行「津軽54号」に乗り新庄に向かった。新庄からは陸羽東線を制覇するために新庄で「始発まで待たせてもらう」事になっていた。新庄着は確か1時20分頃であった。1時22分発で次の停車駅がなんと福島である。座席急行でありながら、しかも臨時便なのに山形を「通過」するとは、よほど格式高い急行列車なのであろう。
そんな事を考えながらうとうとしていると、気が付いたら時計の針が(と言うよりデジタルが)1時23分頃を表示していた。一瞬顔が青くなりゾッとした。よく人は「顔が青くなる」と表現するが、実際に「純青」になる事はおそらく無いであろう。しかしこの時は本当に顔が青くなった。と言うより「蒼く」と言う表現の方が合っているかも知れない。福島まで停車駅がないとなると今後の予定に大きな狂いが生じる。私はすかさず最後尾の車両に向かった。そう、カレチに相談だ。

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(12系客車のイメージ。写真はJR化後で「SL北びわこ号」であるが、若干青色が薄めになった感じなのは気のせいか。画像はウィキペディア。)

「すみません、新庄ってまだですか?」わかってはいたが、私は自身の時計が若干進んでいるか列車が遅れている事を密かに祈っていた。「今でしょう!(とは言わなかったが、雰囲気的に「流行語大賞」のような感じで)。今でたばかりだよ。」私はカレチの言葉に落胆してしまった。だが瞬時に「起き上がり小法師チョップ」のように立ち上がり今後の予定を組み替える作業に取り掛かった。と同時にカレチ氏も何やら自身のダイヤグラムを眺めていた。「じゃ、山形で降りて下さい。そうすれば下りの急行「おが」に乗り新庄に行かれるから。2時20分頃になったらまた車掌室に来てください。」と私に指示した。「あっ、ありがとうございます。」と私は自身の座席に戻った。

山形で降りる・・・この列車は時刻表上では山形は「通過」なのだが、実は乗務員交代などを行う「運転停車」のため山形に止まるのだ。そう、私は「運転停車」の駅で下車させていただく事になったのだ。もちろん、国鉄の「規則上」では旅客扱いはできない事になっているはずだ。しかしながらこの時の車掌の判断で私は助かった。

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(画像はウィキペディアより、12系客車の車内。現在は「SL」等に牽引され全国各地で活躍している。)

山形が近づくと私は列車のテールに向かう。私を確認するとカレチ氏は私を「乗務員室」に招き入れてくれた。「そういえば乗車券は?」私はすかさず「東北ワイド」を見せると「周遊券か。問題ないね。」と、「乗務員室」でこんなやり取りが行われ暫くすると山形に到着した。私は車掌に「この人です、お願いします。」と山形駅の駅員に身柄を引き渡された。何だか護送されてきた気分になってしまったが、それよりお客様の出入口ではない、いわゆる乗務員専用の扉から列車を降りる時の感動は今でも忘れない。もちろん初めての行為であるし下車したのは私のみである。あっ、運転手さんも下車しました!私は車掌と山形駅の駅員さんにお礼を言うと、乗り換える急行「おが」を待たせてもらうために待合室に向かった・・・

かつて国鉄はかなりの「クレーム」が多発しており「サービス業」として遺憾と思われる場面が多々見られた。RJ社(当時)の「旅と鉄道」に掲載されていた「種村直樹の汽車旅相談室」を私は毎回熟読していた。当時は中学生だったのでわからなかった事も多かったが、自身が旅に出て経験した事やこれから体験するであろう興味深い記事も多数掲載されていて、読んでると時間の経つのを忘れてしまっていた。そんな「相談室」にも「接客」や「切符に纏わるトラブル」等が多く掲載されており、さながら職員の勉強不足や怠慢が多くのお客様に迷惑をかけている事が多いと知った。もちろんそれだけでなく「お客様の視点に立って」くれる職員の話も多く掲載されており、なかなか読みごたえがあった。
そんなレール雑誌を愛読していた私が改めて当時を振り返って・・・やはりこの「運転停車」での私の下車は「車掌の判断」で実現したものの、実際の規則上は「NG」であるはずだ。

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(青森駅で出発を待つ「津軽」。青森駅と客車列車はなぜかマッチしている。ちなみにこれは私が撮影。確か1979年の「津軽」であった。)

私たちが生活していく中での「サービス」とは一体何なのか。そして私たちはどんな「サービス」を求めているのか?もし、私たちがいつも利用している各駅停車などに乗車している際、例えば車掌が乗客ひとりひとりに「おしぼり」や「お茶」等を配給して来たらあなたはどう思うであろうか?私ならこれを「サービス」とは思わない。こんなことをするのなら「そのサービスを受けないから料金を下げてくれ」と要求するであろう「過剰サービス」となる。本当の「サービス」とは、もし列車を利用していたとき、何らかのトラブル時に「お客様目線」で立てるかどうか、「杓子定規」をいかに柔軟に「解釈」していくかであろう。私は多くのお客様が「おしぼり」より「柔軟性」の対応の方が嬉しいであろうと思う。

この時の運転停車による私の「下車」は、私の事を「家出少年」と疑ったりもせず、また子供と思い乱雑に扱ったりもせず、ひとりの「お客様」として柔軟に対応してくれた。この事に私は本当に感謝したい。だからこそ思うのだが、それこそ本来の「サービス」なのかも知れない。当時の国鉄には怠慢な従業員ばかりではない、むしろこういう柔軟な従業員の方がたくさんいたのではないか?と信じたい。お客様が困っていたら「拡大解釈」ではないが、規則などに縛られず柔軟に対応してくれた姿勢・・・これぞ最高の「お・も・て・な・し」ではないか!私は冒頭で「自慢ではないが」と述べたが、訂正して改めて「自慢したい出来事」として皆様にお伝えしたい。
義理と人情の旅・・・どこかの旅番組で聞いたような台詞であるが、急行「津軽54号」はそんな事を私に教えてくれた唯一の列車でもあった・・・


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コメント

規則

こんばんは。当時の国鉄は規則だからダメだというイメージでした。
ただ、地方に行くと親切にしてくれる駅員や車掌もいたのも事実でした。
種村氏の本にもダイヤモンド☆トナカイさまのように九州のブルートレインの運転停車で乗客を降ろした記事がありました。
今は「今日はいいよ」が通用しないように思います。
つまらない事を指摘する輩のせいで、規則以外の事が出来ないのが事実だと思います。
車両や列車もそうですが「いい時代」でしたね。

キネ様

コメントありがとうございます。

種村氏の本にも掲載されてましたか。九州のブルートレインでも私と同じ経験をした方がおられたのですね。

確かに地方には、それこそ我々の味方のような職員が多く存在しましたね。他にも当時の旅で、確か高松駅だと思いますが、入場券を買い改札で「ハサミを入れてください」とお願いしたら「好きなところに入れな」とパンチを渡してくれた職員もいました。

まぁ「浜川崎」の経験は別としても、私はそういう意味では旅をしていて「恵まれている」方だなと今になって思います。

現在は生鮮食品等においても「産地」や「添加物」等の表示がうるさい時代です。昔ほど融通が利かなくなってきてますが、当時の国鉄は「杓子定規」や「怠慢」等も確かに多かったですが、柔軟な職員の方が数的には多かったと信じてます。
それこそ晩年の「野上」はまた別問題ですが・・・

義理と人情の旅

今回の記事に関しては共感できる部分がたくさんあったので思わずコメントさせていただきました。
「旅と鉄道」の「種村直樹の汽車旅相談室」わたしも毎号読んでいましたし、国鉄に対してのクレーム記事もたくさん掲載されていましたね。

実は私も新庄駅がらみで似たような経験をしまして、私の場合は1985年の東北旅行で「急行もがみ1号」に乗車中のことでした。
この時の「急行もがみ1号」は仙台発の3両編成と山形発の3両編成が新庄駅で併結して羽後本荘へ向かうという形でした。
私が乗車してきた仙台発の列車が新庄駅に先着し、山形発の列車を待っている間に写真でも撮ろうとホームに出たところ、なんと列車のドアが閉まってしまったんです。
車内に荷物は置きっぱなしだし、もしかしてこのまま置いていかれるんじゃないかと焦ってしまい、車掌さんに「ドアは開かないんですか?」と訪ねてみると、「今から連結作業をするんでドアは開けられないんだよ」とのこと。
困っていると、「ここから乗っていいよ」と運転室のドアを開けて乗車させてくれました。ありがとうございます!と一礼して車内へ通して貰い、併結シーンを撮影してから自分の席へと向かうことができました。
うろ覚えですが列車は併結後そのまま発車したので、あのとき車掌さんに運転席から乗車させてもらえなかったらカメラだけを持って新庄駅に取り残されていたことでしょう。

このような状況が今現在起こったとしたらはたして「柔軟な対応」は期待できるでしょうか?
「規則だから」できないというのは正当な理由ですし、それを責めることも違うような気がします。
これらのケースはあくまでイレギュラーなもので、柔軟に対応してくれた職員さんに対して感謝するべきものだと思いますが、キネ様のコメントにも同感ですし例えば、今回のようなケースを見聞きした第三者が「俺にも同じサービスを提供しろ!」と筋違いな要求をしたりといったトラブルの蓄積が今日の「杓子定規」的な状況を招いた一因でもあるのかなぁ、なんて考えてしまいました。
なので「種村直樹の汽車旅相談室」での国鉄叩きには多少違和感を感じていた部分もあります。

ちょっと固い話になってしまいましたが今回の記事を拝見して、みんなが「常識」というか「暗黙の了解」をわきまえ、ゆえに良い意味で自由があった昔はよかったなぁ、と思ったりしました。

すんや様

コメントありがとうございます。

やはり種村氏の「相談室」は我々世代ですと「定番」であったような存在だったのですね。当時は中学生ながら種村氏がやたらと規則に詳しいと感心していました。
しかしながら私は「規則」の為に列車に乗っているのではなく、あくまで「道楽」であったのであまり深く追求するのはいかがなものかとも思うところがありました。

しかし、人情的な経験を、まさかすんや様も「新庄がらみ」とは運命でしょうか?しかしながらこういう経験と言うのは年月が経ってもこうして記憶に残りますよね。こういう経験はいつまでも大切にしまっておきたいものです。私の場合は、今思えば「無い頭」をひねり出せば福島からでも何とか予定を立て直せたことでしょう。しかしながらなぜか東北にはこうした人の「温かさ」みたいなものを感じてしまうのは私だけでしょうか?これだから列車の旅はやめられないのかも知れません。

記憶

確かに、自分の趣味の中での出来事ですから、よけいに強く記憶に残るのでしょうが、もう30年近く前の事なのになかなか忘れないものだなぁ、と改めて思いました。

書籍がらみで言うと「種村派」、「宮脇派」の対立的なものもありましたね。
私はどちらも楽しく読ませてもらいましたが、宮脇氏の「最長片道切符の旅」や「終着駅へ行ってきます」などは当時の私にとってはバイブルのようなものでした。
考えてみれば「終着駅へ行ってきます」での東赤谷や「時刻表2万キロ」で読んだ西寒川への強い憧れはこれらの書籍がきっかけでした。

Re: すんや様

追記コメントありがとございます。

宮脇派?種村派?懐かしいですね。こんなことを言ってしまってはファンに申し訳ないですが、私は完全に「宮脇派」のスタイルですね。特に著書のフレーズで「用があっても乗りたくない国電に用もないのに乗るなんて・・・」なんて表現、とても印象的でした。実は中学の部活で「鉄道誌」を発行してまして、私が編集長をやってました。と言っても「鉄道誌班」は私とクラブの部長の計2人でしたが・・・そんな関係から宮脇氏みたいな記事を目指したこともありました。


今、こうして振り返ってみても「東北の旅」をはじめ私のしてきた旅の数々は良い事、悪い事含め全て「良い経験」をさせてもらったと思います。すんや様もさぞかし素晴らしい旅と経験の数々をなさっている事でしょう。その思い出は変な話、自身が他界してからも「あの世」へ持って行ける「財産」であると私はいつも思ってます。

私のブログ開設のきっかけは「自身の旅の記録を残す」ことからでした。最初はホームページ(私のブログに「制覇記録」としてリンクを貼ってあります)でしたが、容量の関係から「旅日記」のみをブログに移管しまして現在に至ってます。と言っても、私の「西寒川」に関しては「旅」と言うより「住まい」でしたが・・・

No title

  こんにちは

私よりずっとお若いダイヤモンド☆トナカイ様が急行津軽の乗車経験がおありとは驚きです。
しかも急行津軽のシートがリクライニングシートとはカルチャーショックです。
私が乗車した時代は 木製の固定式ボックスシートでした。

国鉄というと確かにサービスが悪いという印象はありましたが
当時の地方には 困っている人を見捨てておけないという人情が存在していました。

これからも 柔軟な対応をJRに望みたいですね。

オバ鉄様

コメントありがとうございます。

国鉄のイメージとしましてはかなり評判が悪い的な印象が強いのが一般的でしたが、私の場合は旅先でかなりの好印象の連続でした。特に当時は東北方面で顕著に感じました。トラブルの時などに「人情」的なサービスを受けると確かに嬉しいですし印象に残りますが、逆に私たちもお客様として普段からマナーなどを守り特別なサービスを受けるのが当たり前という姿勢にならない事が大事ですね。なんというかギブ・アンド・テイク的な関係であると思います。

急行津軽を「木製の固定式ボックスシート」とは実に素晴らしい経験でしたね。私が幼少時代には上野駅にそういう列車がたくさん停まっているのを子供ながらに「凄い」と感じておりました。なんというか「いなかっぺ大将」的な風景そのものでした。大都会の駅に旧型客車やDC急行が停車していたなんて・・・東京駅とは一味違った雰囲気がたまらなく好きでした。私は東京の三ノ輪に親戚がいるので訪問の際はわざわざ上野駅で日比谷線に乗り換えたものです。

そんな上野駅から出ている列車達は、ある意味庶民的な雰囲気で、特に13番線は実に風情がありますね。とは言え、JR化後の上野駅はかなり風情的に薄れてしまいましたが、お互いに「そういう経験」ができたという事はひとつの大きな財産ですよね。これからも大切にしていきましょう。

国鉄のサービス(車掌がお茶を配る)

車掌がお茶を配る。
わかりやすい例えなので、笑ってしまいました。

でかい声の挨拶でもなく、おしぼりを配って欲しいわけでもない。

乗客を目的地まで安全に(できれば快適に)運んでくれることが、鉄道のサービスの本質ですので、やれ大雨予報だ、強風予報だと言って、初めから輸送を放棄している現在のJRより、国鉄の方がサービスが上だったと思う。

旅一郎様

コメントありがとうございます。

<初めから輸送を放棄している現在のJRより、国鉄の方がサービスが上だったと思う。 >とは、貴重なご意見ありがとうございます。

ちなみに現在の私の最寄りの鉄道路線は小田急ですが、ちょっとしたアクシデントがあるとすぐにロマンスカーが運休します。特にコンサート帰りの時にそれをやられて非常に参った経験をしています。そして現在のJRですが、時代の流れも当然ある事でしょうが、以前の国鉄時代に比べかなりの制約の中での決断なのでしょう。小田急も似たようなものかも知れません。

私は国鉄・JRともに経験していますが、そういうい意味ではラッキーなのかも知れません。特に今回ご紹介の「津軽」での旅では、形は違えど「目的達成」となりましたから尚更そう感じますね。何と言いますか、目的達成の他に「お年玉」もついてきたわけですから・・・

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ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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